146時限目:ビー玉
【ビー玉】
■アルバム『スピッツ』と、それと同時に発売されたシングル『ヒバリのこころ』のカップリング曲として、両方に収録されています。個人的ランキング、195曲中169位でした…あんまり印象には残っていませんでした…。
初期の謎曲のひとつですよね。タイトルが【ビー玉】と、割とかわいらしい名前で、いきなり軽快なリズムで「ラーンラララーンラララーンラララーンラーン」と始まったかと思えば、そのあと”おまえの最期を見てやる”なんて不吉なことを歌い出しますからね。
■このブログでも本当に何度も言ってきましたが、草野マサムネさんの詩のテーマは、”死とセックス”というものです。
”セックス”とは、”性”=”生”として、つまりは命や人間の根源を表しているもので、一方の”死”とは、その言葉通り人生の終わりを表しているものです。よって、”死とセックス”で、人生や命の”始まりから終わりまで”を表わしていると言えると思います。
さらに、その”死とセックス”についてですが、草野さんは、丸い物に”死”のイメージを持っているそうなのです…というより、歌詞の中に丸い物が出てくると、何となく”死”のイメージを感じます。
丸い物…例えば何がありますかねぇ、月、星(これも一応丸いんですかね)、あわ、飛行船、くす玉などでしょうか。ともすると、その中に、”ビー玉”も含まれるのではないでしょうか。
ちなみに、”セックス”のイメージの象徴は、とがっている物だそうです。
特に、”死とセックス”のテーマは、初期の曲に特に根強くあると思います。そしてそれが、色んな言葉や表現に隠されていて、読み解くことが困難なことも多いのです。
それは同時に、歌詞を読んでいくことへの楽しさへと繋がって、引いてはこのブログの存在理由でもあるんですけどね。何となく、国語の問題を解いているような感覚、あるいは、暗号とか謎々でも解いている感覚になることもあります。
■ということで、【ビー玉】の個人的な解釈です。
まず、先ほども少し書きましたが、この曲の始まりの歌詞は、こんな感じになっています。
*
おまえの最期を見てやる
柔らかな毛布にくるまって
ゆっくりうかんだら 涙の星になった
*
”おまえの最期を見てやる”という、フレーズからは、普通に考えてやっぱり、”死”のイメージを受けとりますよね。”最期”ですからね、何かが終わる瞬間と考えることが自然で、それに”おまえ”が引っ付いているわけですから。
続く歌詞も、
*
どうせパチンとひび割れて
みんな夢のように消え去って
ずっと深い闇が広がっていくんだよ
*
となっていますが、ここなんか、まさに”死”の表現ですよね。”どうせ”という言葉が使われていますが、”死”とは、誰しもに平等に訪れるもので、それに対する、半ば諦めの気持ちというか、もしくは妙に達観しているような、そういう気持ちが現れているような気がします。
あとは、サビの”タマシイころがせ チィパ チィパ チィパチィパ”とかですね。
”タマシイ(魂)”とは、本来は神々しくて尊いものであるにも関わらず、ころがせとか、チィパチィパとかね、何かそんなに重く捉えていないような、軽くあしらっているような感じを受けます。”チィパ チィパ”って何だよって話ですよね、笑。
■きっと、誰しもに、”死”を思い出させるような出来事ってあると思うんですよ。身内や大事な人を亡くなってしまったこととか、会ったこともないけど自分が好きだった有名な方が亡くなったこととか。あるいは、自分自身が、大病や大けがをして、死に近づいた経験がある、とかね。色々あると思います。
僕なりにこの曲を聴いて、思い出す”死”の記憶があります。いくつかあるんですけど、この曲を聴いて真っ先に思い出したのは、”寝ずの番”というものでした。知ってますかね、寝ずの番。
現在の日本では通常、人が死ぬと、通夜(死んだ人と過ごす最後の夜)があって、その次の日に葬式(親族や身内が故人に最後の別れを告げる儀式)があるわけですが、その通夜の夜に行われるのが”寝ずの番”というものです。
”寝ず…”という言葉が付いていますが、元々は夜を通して本当に寝ないで、線香を絶やさぬように、死んだ人の側に居る、という風習だったらしいですが、今はそんなに絶対的なものではなくなっているそうです。普通に眠りはするけど、遺体が安置されている空間で一緒に一晩を共に過ごす、ということで、別れを惜しむ気持ちを表す、というのが現在の”寝ずの番”というものになっているそうです…というか、僕自身が体験したのは、そういう感じでした。
僕は、父親を高校の時に亡くしたんですが、その時は、自宅に父親の亡骸を持って帰って、一緒の部屋で並んで寝ました。それも、”寝ずの番”の一種ですね。
■最近も…と言っても、4年前くらいかな、祖母が亡くなったんてすけど、その時も"寝ずの番"をしたんです。
確か、金曜か土曜かの夜に亡くなったので、親戚の皆が集まれたことに対して、「おばあちゃん、皆が集まれるように、休日前に亡くなってくれたんじゃねー」みたいなことを話したのを憶えています。
祖母は亡くなってすぐ、お寺に運ばれ、そのまま通夜が行われました。それで、供養などが色々一段落したあと、数名がお寺に残って、”寝ずの番”をすることになったのです。それで、僕と、親戚の兄ちゃんと、その兄ちゃんの子ども(当時、小学中学年くらいだったでしょうか)が残ったのです。
子どもなんかは、無邪気なもので、お友達の家にお泊りに行くような感じだったんでしょう。一緒に遊んだりして過ごしました。その子どもも眠ってしまい、親戚の兄ちゃんと仕事の話などをしたりして過ごしたりして、もういい加減俺も眠るかな、とか思ってたら、もう深夜1時くらいになった頃、他県にいる実兄が”寝ずの番”に参加するためにお寺に駆けつけ、ビールで献杯を行ったりしたんです。
何か、色々考えさせられたんですよね。それは、人が死んでしまった、という事実からはもちろんですが、親戚の兄ちゃんと仕事の話をしたこととか(その時にやっていた仕事は、僕の方はすでに辞めてしまっているけどね、笑)、その兄ちゃんの子どもと遊んだりしたこととか、実兄が駆けつけて一緒にお酒を飲み交わしたこととか、何かすごい印象的な夜だったことは、よく覚えています。まさに、”死”と”生”を、同時に感じることができた夜だったと思い出します。
■ということで、脱線しまくりですね、たまにはこんなのも良いんじゃないすか。
”おまえの最期を見てやる 柔らかな毛布にくるまって”という表現が、まさに”寝ずの番”っぽいなぁ、というわけで、この曲を久しぶりに今回聴いてみて、上述のようなことを、一気に思い出していました。
きっと、この曲を聴いて、思い出すことは、人によって違うんでしょうね。
145時限目:ヒバリのこころ
【ヒバリのこころ】
■スピッツのデビューシングル曲であり、そのシングルと同時に発売された、これもデビューアルバムである、アルバム『スピッツ』に収録されています。
アルバムと、それに収録されている曲をシングルカットして同時に発売するなんて、珍しいですよね。しかもカップリング曲の【ビー玉】も、アルバムに入っているわけなのでね…え、アルバム買えばいいんじゃね?と思ってしまいますが、どうなんでしょうか。全作品をコンプリートするには、両方買わないといけない、的な感じでしょうか。
と、思って調べてみたら、少しだけバージョンが違うみたいですね…「アルバム収録版とはフェードアウトの開始位置が異なり、シングル収録版の方が30秒ほど短いバージョンとなっている。」だそうです。
■【ヒバリのこころ】はデビュー作品ではありますが、この曲はそれ以前に、もうすでに存在していた曲のようです。
スピッツのメジャーデビューは、デビューシングル&アルバム発売の1991年3月25日ですが、インディーズで活動していた期間があって、1990年3月21日にインディーズアルバム『ヒバリのこころ』を発売しています。
アルバム『ヒバリのこころ』収録曲は6曲…【ヒバリのこころ】【トゲトゲの木】【353号線のうた】【恋のうた】【おっぱい】【死にもの狂いのカゲロウを見ていた】です。今でいうミニアルバム的な作品だったんですね。【353号線のうた】【死にもの狂いのカゲロウを見ていた】以外は、メジャーデビュー以降のアルバムに収録されて聴けるようになっています。
今ではもう、このアルバム『ヒバリのこころ』には、相当なプレミアがついているようで、とあるオークションサイトで調べてみると、現在(2016年)でも24万円で取引されているのを発見しました!どうですか、買ってみては?
また、wikiによると、「1989年9月に「僕はジェット」と同時にレコーディングされたデモ音源」という記述もあり、【ヒバリのこころ】はとても古くからあった曲であることが分かります。
スピッツにとっても、思い入れのあった曲だったのでしょう、だからこそデビューシングルに選んだのでしょう。
■アマチュア時代、インディーズ時代の活動を経て、いよいよシングルとアルバム同時発売でメジャーデビュー!ということになるわけですが、書籍などを読んでみると、中々すんなりいかない部分もあったようです。
そのひとつのエピソードとして、デビューシングル&アルバムのレコーディング時の話が、書籍『旅の途中』に載っています。
変にナーバスになり過ぎて、まずチューニングから時間がかかり、録音してみてもそれぞれのパートが合っていないように感じる。次第に(というより最初から)何を基準にレコーディングして良いのかはっきりしておらず、ただただテイク数だけが重なっていく。そういう悪循環から、エンジニアが切れてしまった…。
などというエピソードが書かれていました。詳しくは、書籍を読んでみてください。
■僕がスピッツを知って好きになったのが、【チェリー】辺りの頃でしたが、デビュー曲を知って聴いたのは、割とあとだったと思います。
wikiなどを見て思い出していたのですが、この曲は(何故か)、1998年に「NHK長野冬季五輪」CMソングになっています。そういうわけで、僕はこの曲に寒いイメージを持っています。まぁ、歌詞にも”冬”という言葉が出てくるので、そのせいもあるかと思います。
2016年現在で考えて、およそ30年前の曲でありながらも、今でも度々ライヴで演奏される、スピッツのマスト曲のひとつですね。デビューアルバムの荒っぽい感じのも好きだし、武道館ライヴのDVDでも演奏しているのが見れるんですが、今のスピッツでやっているのも、ただただかっこいいんです。
やっぱり名曲は色あせませんね…というより、デビュー時点で、スピッツがこんなに大きくなることを誰が予想できたでしょうか。聴き比べてみると、本当に感動します。長いこと、同じことを続けていくことに対するリスペクトを僕は感じつつ、頑張らないと!頑張り続ければ!と勇気をもらいます。
■ということで、全ての始まりの曲、【ヒバリのこころ】の解釈を自分なりに語ってみたいと思います。
スピッツの曲には、鳥の名前が使われている曲がたくさんあります。覚えている限り列挙してみると、ヒバリ、カモメ、つぐみ、ハヤブサ、スワン、海ねこ…黒い翼からはカラスのイメージを受けますし、あとこれも古い曲になりますが、【鳥になって】なんかは、ダイレクトにタイトルから”鳥”という言葉が使われています。
曲によって、鳥の名前に込められた意味は違っているのでしょうけど、これだけ鳥の名前が多く使われているので、何かしらのこだわりはあるのでしょう。というところで、僕が印象に残っている言葉があるんですけど、それは、こんな言葉です。
「小さかったヒバリは、大きなハヤブサへと進化したのだ」
この言葉は、僕がスピッツのアルバム『ハヤブサ』を買った時に、その店で見かけた言葉…だったような気がします。ポップに書いてあった言葉だったかもしれません。だとしたら、その店の方が考えた言葉なのかもしれません。いかんせん記憶が曖昧なのですが、確かにどこかで見かけたので、こうして記憶に残っています。それとも、幻???(情報求ム!知っている方いませんか?)
まぁ真相はともかく、この言葉が僕は何か好きなんです。まさに、長く活動してきたスピッツの歴史を、的確に表わしている言葉だと思います。
■ということで歌詞を読んでいくと、サビがこんな歌詞なんです
*
僕らこれから強く生きていこう
行く手を阻む壁がいくつあっても
両手でしっかり君を抱きしめたい
涙がこぼれそうさ ヒバリのこころ
*
ここを読む度にいつも思うんですけど、これはラブソングなんですかね?”僕ら”という言葉や、”君を抱きしめたい”という言葉…他の部分でも、”僕が君に出会ったのは 冬も終わりのことだった”とか”顔じゅういっぱい 僕に微笑んでよ”など、何か恋人をイメージするんですが、どうなんでしょうね。
■まぁ個人的には、デビュー曲ということで、この曲を”スピッツはじまりの曲”として、いつも聴いています。というより、大半の人がそうなのではないでしょうか?
”僕ら”という言葉を、”スピッツメンバー”として置き換えて考えてみるとどうでしょうか。”君を抱きしめたい”云々を、メンバーに向けて…として考えちゃうと、また変な感じになっちゃいますが、その辺りはあまり深く考えないこととします。
または、スピッツメンバーを含めた、当時の草野さんを取り巻いていた人間関係全体と考えても良いかもしれません。
スピッツとして生きていく決意、音楽業界に飛び込んでいく決意、どんなことがあっても強く生きていこうという決意、などをこの曲から受け取ります。
あとは、個人的に好きな歌詞が、
*
いろんなことがあったけど
みんなもとに戻っていく
ここにいれば大丈夫だと信じてた
*
ここです。何か、よく分かんないですけど、不思議と引き寄せられます。うまく説明できないんです。でも、そういうことってありません?理由はなんか分かんないけど、なんか良いんですよね。”水槽の熱帯魚…”云々のところも好きです、こっちも理由は分かりませんが…。
■ヒバリとは、小さな鳥で、春を告げる鳥、と言われています。そういえば、”僕が君に出会ったのは 冬の終わりのことだった”という歌詞があります。そう考えると、やっぱり、恋愛に例えることができるかもしれません。
スピッツの始まり、として考えるとすると、自分たちのことを、小さな鳥と例えたのかもしれません。全ての始まりとして、小さな鳥でも、強く生きていこう、というメッセージを受け取ることができます。
ということで、スピッツ始まりの曲、【ヒバリのこころ】を、しかと目に焼き付けておきましょう!全員、若いですね!それよりも、脚立に座って演奏って、シュールすぎる、笑
144時限目:日なたの窓に憧れて
■アルバム『惑星のかけら』に収録されている曲で、後に5作目のシングル曲としてシングルカットされました。個人的ランキング、195曲中112位でした…こんなに低いのかぁ、全く無意識でつけたのでしょうがないですが、この曲は結構好きです。
■この曲についての情報を…まずは、いつも通りwiki頼りですが、色々書いてみたいと思います。
まず、スピッツはこの曲で初めて、テレビ番組のスタジオ出演をしたそうですね。
アルバムやシングルが発売になったのは1992年のことなので、今(2016年)からさかのぼること、実に24年前のことですか。もちろん、記憶にはないですし、見たこともありません。
あと、バックで終始流れ続けるシーケンスが印象的ですが、これは草野が発案したものである、とありました。
ここでいうシーケンスとは、バックでなっている、電子音とでもいうんでしょうか、同じリズムで繰り返し鳴り続けているのが聴こえますね。何となくこれがあるおかげで、全体的に明るく聴こえるような気がします。
■続けて、この曲についての解釈を、自分なりに語ってみます。
まず、サビの部分から。
*
君に触れたい 君に触れたい 日なたの窓で
漂いながら 絡まりながら
それだけでいい 何もいらない瞳の奥へ僕を沈めてくれ
*
まず、これもwikiにあったことですが、「歌詞は、当時日の当たらない家に住んでいた草野の思いが込められている。」とのことです。
ここで、”君”という言葉が使われていて、”君に触れたい”と歌われています。草野さんの思いが込められていると考えると(まぁどの曲にも草野さんの思いは込められているのは当たり前な話の気がしますが)、”君に触れたい”と思っているのは、他でもない、草野さん自身であると考えることができるかもしれません。
あとは、出だしやCメロの歌詞などを読んでみると、
*
君が世界だと気付いた日から 胸の大地は回り始めた
切ない空に浮かべていたのさ かげろうみたいな二人の姿を
*
*
メリーゴーランド メリーゴーランド 二人のメリーゴーランド
メリーゴーランド メリーゴーランド 二人のメリーゴーランド
ずっと このまま ずっと ずっと
*
この歌にはひとつ、”回る”という言葉がキーワードになっているのかもしれません。具体的には、”胸の大地は回り始めた”、”メリーゴーランド”などのフレーズが出てきます。
特に、”メリーゴーランド”というフレーズは、あんまり草野さんの曲では聞かないフレーズなので、気になるところです。確かに楽しそうでメルヘンチックなものですが、その場でグルグルと同じところを回っているだけのもの、という印象は何かを象徴しているのでしょうか。
例えば、追いかけているものにいつまでたっても追いつけない状況、とかどうでしょうか。そうなると、”君”は恋人というより、想いを寄せている相手として妄想している、と考えることができます。
あるいは、【ロビンソン】風にいうと、誰も触れない二人だけの国、とでも言いますか。そう読み取ると、やっぱり恋人同士なんですかね。先述した、”日の当たらない家に住んでいた草野の思い”を考えると、決して満足のいく生活をしていたとは言い難いですが、”君”という存在を支えに、細々と生きている様子も感じることができます。
■別に恋愛に絡めなくても、自分の生活に光が当たるように願っている草野さんの状況は変わりはないと思います。具体的には、自分たち(スピッツ)の活動に対してでしょうか。
アルバム『惑星のかけら』は、いわゆる初期のスピッツでは、一つの終着点であったと、書籍の中でも語られています。やりたかったことは、全てやりつくしたんだと。
しかし、この後に、売れ線を意識した作品『Crispy!』を作るわけですから、そうはいっても、やはりタイトル通り、自分の作品に光が当たること…つまり”日なた”に憧れはじめたんでしょうか。
その辺りに関して、書籍『スピッツ』によると、かつて草野さんは、以下のように語っています。
*
”日なたの窓に憧れて”の歌詞も、最初は少し違ってて。(中略)そっちに近づいていくと最後には痛い目に遭うというような言葉を入れちゃってたんですよ。どっかで人を憎むとか死ぬとか、そういう言葉が入っていないと気が済まない。
幸せとか、安定した状況の中にいると、ちょっとお腹痛いのが胃癌じゃないかと思えてきたり、ホントに気が狂いそうになってきちゃうんですよ。
あと、これは特に恋愛に関してだけど、ある程度不安材料を与えてくれる人の方がいいんですよね。イライラさせるような、とか。急にいなくなっちゃうんじゃないか、とかね。
*
まぁ、何となく分かる部分もあるにはありますけどねぇ…。
どこかでメンバーが語っていたことで、(確か【チェリー】がヒットした頃だったですが)、”陰のスピッツ、陽のミスチル”というのがありました。何ていうか、自虐的に、自分達には”日なた”は似合わない、とでも思っていたのでしょうか。
きらびやかなところに安心するのではなくて、あくまで自分たちは細々とやっていくこと。”日なた”とは、ぬくぬくと安心して留まる場所ではなくて、憧れる場所であるくらいがちょうどよい、だからそこに居ることに慣れてしまってはダメだ、と。何ていうか、活動に対する、草野さんなりの美学やこだわりみたいなものを感じます。
143時限目:ババロア
【ババロア】
■アルバム『三日月ロック』に収録されている曲です。個人的ランキング、195曲中153位でした。
この曲もまた、独特ですよね。テクノっぽいと言いますか、ディスコ調と言いますか。そういう意味では、スピッツっぽくない曲だと言えるかもしれません。
wikiの情報によると、「スピッツ初のダンスビート。全編にわたってドラムが打ち込みで作成されている。」とありましたが、同時に、「随所で崎山の生ドラムも入っている」とのことです。打ち込みで入っているドラムの音が、「ドゥ、ドゥ、ドゥ、ドゥ…」って腹に響くのが、心地よいと同時に、何となくくすぐったい感じがします。
■さて、またまた難解な曲にぶち当たってしまいましたが、色々と考えてみたいと思います。
まず、曲とのつながりはさておき、”ババロア”って何だろう、って思うんですけど、何となくお菓子の種類?という程度の解釈しか持っていなかったので、そこから調べてみました。
意味としては、”牛乳・砂糖・卵・ゼラチンなどを混ぜ、型に流して冷やし固めた菓子”だそうです。何ていうか、ムースとかプリンとかに近い感じの、滑らかなお菓子っていうのをイメージしています。
”ババロア”という言葉は本来、”バヴァロワ”と書き、「バイエルンの」を意味する形容詞である、ともwikiにありました。
うーん、どちらにせよ、曲とのつながりは見えてこないですね、笑。
■タイトルはともかく、どういう曲なのか、考えてみます。
冒頭で述べたように、この曲はドラムが打ち込みで、規則正しく鳴っていますが、それが何となく、切迫感というか、何か焦らせるように胸に響いてくるんです。うまく言葉にはできないですけど、何か急かしているような感じがするんです。
*
驚いて欲しいだけの 見えすいた空振り
ナイーブで雑なドラマ
もっと不様なやり方で 宇宙の肌に触れる
ババロア 会いに行くから
*
サビはこんな感じですが、最後の部分に”会いに行くから”とあります。この辺りが、先ほどの急かされているイメージに繋がっているのかもしれません。つまり、”急いでいる”、”焦っている”のは、僕が君に会いに行く、という場面に当てはめることができるかもしれません。
全体的に歌詞を呼んだ感じでは、夜でしょうか。離れた場所に居て、ふとしたことから、君に会いたくなって、僕は急いで君の元へと向かっている、そういうイメージです。
”驚いてほしいだけの…”というフレーズも出てきますが、これは、急に会いに行ってびっくりさせたい、という男の気持ちの表れかもしれません。
そして、ここに”ババロア”という言葉が出てきていますが…よく分かりませんね。そういえば、アルバム『三日月ロック』に、【ガーベラ】という歌がありますが、その歌でも、相手に呼びかける感じで、”ガーベラ…”と歌われています。何なんでしょうね、草野さんなりの、女性に対する独特なあだ名なんでしょうか、笑。それだと、何となく柔らかい感じの女性が思い浮かびます。
■さて、この”会いに行く”というところを、色々と深読みしてみると、歌詞の中に、色々と考えさせられる表現があることに気がつきます。
*
もっと不様なやり方で 宇宙の肌に触れる
ババロア 会いに行くから
*
*
着地する日まで 暖かい嘘も捨てないでいる
*
*
君がいた夏の日から止まらないメロディ
まっすぐに咲いた白い花
*
まずこの辺り、”不様なやり方”、”着地”、”君がいた夏の日”などの表現を(多少無理矢理)つなげて考えてみると、死んだ君に会うために、飛び降り自殺して、あの世まで会いに行く、という解釈につなげることができませんか?
”着地する日まで 暖かい嘘も捨てないでいる”って表現、死のイメージがつきまとうとしても、僕ここすごく好きな歌詞なんですよね。
■あとは、先述しましたが、サビの歌詞、もう一度書いてみますが、
*
驚いて欲しいだけの 見えすいた空振り
ナイーブで雑なドラマ
もっと不様なやり方で 宇宙の肌に触れる
ババロア 会いに行くから
*
ここがひょっとしたら、自慰行為の描写なのかなっていう想像もしました。”見え透いた空振り”とかは、いかにもって感じがしますし、”宇宙の肌に触れる”なんかも意味深に思えてきます。
だから、この場合は、会いに行くといっても、夢の中だったり、妄想の中だったりっていうことになると思います。
■で、ババロアって、結局なんでしょうね。なんなのでしょうね、考えてみましょうね!おしまい!笑
142時限目:バニーガール
【バニーガール】
■シングル『チェリー』のカップリング曲にして、アルバム『インディゴ地平線』にも収録されています。個人的ランキング、195曲中38位でした。
【チェリー】に関して言えば、もう説明が要らないほど有名な曲ですが、そのカップリング曲である【バニーガール】も、隠れた名曲ですよね…まぁスピッツファンにとっては、別に隠れてはないですけどね。
でも何か、この曲に出会ったことに、すごく得したと感じた記憶があります。自分だけが知っているような秘密…本当は全然そんなことないのにね、スピッツのカップリング曲に、とても魅力を感じ始めたきっかけでもありました。今でも、本当に大好きな曲です、気持ちがスカッとロックナンバーですね。
■この曲について、色々と話してみます。
まず、草野さんがどこかでしゃべった(?)ことによると、この曲は「欽ちゃんの仮装大賞」を見ていて思いついた(作った)曲だということです。
「欽ちゃんの仮装大賞」、今の若い人はご存じですかね?ま、まさかの、おっさんおばさんだけしかもう知らない?最近もやってるようですけどね、あんまり見なくなりましたね、昔は見ていた記憶があるんですが。
で、草野さんがこの番組を見て思いついた、というところですが、そのものずばり、アシスタントの女性が、番組内で”バニーガール”に扮しているんです。そのバニーガールを見て、曲とどう繋がっているかは分かりませんが、草野さんは【バニーガール】という曲を思いついたんだそうです。
■続いて、書籍「スピッツ」には、こんな風に書かれていました。語っているのは、草野さんです。
*
他の人達との一番大きい違い、すごいポップであることは否定できないんだけど、その違いはすごいポップなものの中にある変態性みたいな部分なんで、そういうものを大事に守るという(笑)
だから、今回も”チェリー”1曲だったら変態度が足りないと思って”バニーガール”って曲を入れるとか(笑)…
*
これはもう…何て言ったらいいか、笑。僕もこれまで、スピッツの曲に対して散々、変態、変態と言ってきたんですけど、そこには多少の申し訳なさと言いますか、少しは自重しよう的な考え方はあったんですよね。でも、ここを読んだ限りでは、もう遠慮する必要はないのかな、笑。
■ということで、上述のことを…どう踏まえたらいいのか分かりませんが…曲の解釈をしてみたいと思います。
これも結構な謎曲だと思うんですよ。まずね、出だしがこんな感じです。
*
寒そうなバニーガール 風が吹いた
意地悪されて 震えていた
恋は恋は 何故かわがままに
光のシャワーを 闇に向けた
*
歌詞を読んだ限りでは、恋愛のもつれみたいなものがあって、ちょっと落ち込んでいる女性の姿がイメージできます。
しかしですよ、この後にこう続きます。
*
俺もまたここで続けられそうさ
そんな気がした曇りの日
*
唐突な”俺”の出現です。しかも、”ここで続けられそうさ”ですからね、どこがどうつながっているんでしょうか。例えば、単純に考えてみると、”俺”は落ち込んでいる女性に恋に落ちた、とかでしょうか。
2番では、”名も知らぬ君に 気に入られようと”というフレーズも出てきますので、落ち込んでいる女性を励ましたい、という気持ちから、自分の存在や気持ちに気付いてほしい、弱っている君の側に居たい、と頑張っている”俺”の姿を想像しました。
■つづいて、2番にこんな歌詞があります。
*
「いいなぁ いいなぁ」と人をうらやんで
青いカプセルを 噛み砕いた
*
ここの”青いカプセル”については、薬を飲んで命を絶とうとしている、という解釈もあるようです。”青”が”青酸カリ”の隠語になっているとか、色んな派生はあるようですが、とにかく自殺を図っている解釈があります。そうなると、今度は”俺”との関係性がまた謎になってきますが…。
■あとは、サビですね。
*
Only youの合図で 回り始める
君と落ちてく ゴミ袋で受け止めて
*
ここの歌詞は、”落ちてく”とありますが、ここも先ほどの自殺云々の解釈につなげて、飛び降り自殺や、薬で朦朧としている解釈があります。あとは、SEXをして、快楽に堕ちていくという解釈もありだと個人的には思います。"君と…"という言葉がかかっているので、自殺にしろ、性的な表現にしろ、二人で落ちていく、という意味合いに取ることができるかもしれません。
そして、”ゴミ袋で受け止めて”という独特な言い回しに関してですが、これも書籍「スピッツ」の中で、”受け止める”という言葉に関して、ちょっと触れられている部分がありました。インタビュアーが「今回、すごくびっくりしたのは、”受け止める”という歌詞がたくさん入ってるんですよね(アルバム『インディゴ地平線』に対して)」としゃべっています。
それに対して、草野さんは、「あぁ、”受け止める”多いんだあ。逃げないように(笑)。無意識、無意識。」と語っています。ここの、”逃げないように”という言葉が、ちょっと引っかかります。
意味はよく分からないですが、君がどこにもいかないように、という”俺”の気持ちを表しているのでしょうか。
■ちょっと解釈が散らかったので、まとめてみます。
”バニーガール”という言葉から、草野さんは、例えば、都会に住むある女性のストーリーを想像したのかもしれません。”寒そうな”という言葉から、細々と暮らしているような、そんな様子を受けました。
そこに、”俺”の出現です。これは、草野さんが”バニーガール”に対して思ったことを具現化したものであり、想像の物語に出現させた”バニーガール”の相手
だということになります。
もしかしたら、この(勝手な)想像で、草野さんは”バニーガール”を救おうとしたのではないでしょうか。この”バニーガール”は、恋愛でうまくいってないかもしれない、周りから意地悪をされているかもしれない、と、わざと不遇な生活を想像したのです。その上で、でも大丈夫だよ、”俺”はここにいるから、と。
感受性の強い草野さんのことだから、「欽ちゃんの仮装大賞」なんて派手な番組で、ひとり立ちつくす”バニーガール”にさえ、自分の姿を重ねたのかもしれません。俺も頑張るから、君も頑張ってね、という風にね。
141時限目:春の歌
【春の歌】
■アルバム『スーベニア』収録曲で、後にシングルカットされ、【テクテク】とともに、両A面シングルとして発売されました。通算30作目のシングル曲になります。個人的ランキング、195曲中44位でした。何回聴いても、この曲には勇気をもらいます…まぁ、もらうだけではだめですけどね、笑。僕も大好きな曲です。
この曲のシングル発売の経緯を話しておくと(wiki情報中心)、
まず、冒頭の通り、この曲はアルバム『スーベニア』の1曲目に収録されました。その後、コカコーラ「アクエリアス」のCMソングに選ばれました。確か【みそか】(同じく『スーベニア』収録曲)もそうでしたよね、どちらの曲もスポーツ選手とコラボしていて、曲の雰囲気とも相まって、爽快感や疾走感を感じました。
そういうわけで、【春の歌】の方は急きょシングルカットされ、PVも撮られました。プロモは、ライブ公演のアンコールの後に、そのままその会場で撮られたという低予s…ライヴの雰囲気が楽しめるよいプロモだと思います。
ちなみに、CMには、サッカー選手の中田さんと、水泳選手の北島さんが出ていたようです。
■ほんの少ししか見つけられなかったですが、草野さんが【春の歌】について話している一幕がある記事があったので、そこの部分だけ抜粋して載せてみます。ネットにて、Excite MUSICのインタビューの中で、「アルバムの中で、好きな曲を選ぶとしたら…」という質問にメンバーが答えています。
*
草野:オレは「春の歌」。アウトロでリズム・パターンがチェンジするんですよ。そこをみんなノリノリで演奏してたので、このアルバム一番の聴きどころかな(笑)。もう1曲目でハイライトが来ちゃったって感じなんですけど、そこを聴いてほしいですね。
*
だそうです。確かに、草野さんの言うとおり、1曲目でハイライトが来ちゃってますよね。1曲目にして、何か突き抜けていくような、そんな勢いをいきなり感じます。
■ということで、【春の歌】について、個人的な解釈を述べてみます。といっても、割と詩を読んだ通りの解釈になってしまうと思いますが…。
タイトルにも入っています、”春”という季節・言葉からは、誰もが、”何かが始まる時”というのをイメージするかと思います。学校で新学年が始まる時、新しい環境で仕事などを始める時など…劇的に環境が変わらずとも、よし、また1年頑張っていくか!と、気持ちを入れ替える時だと思います。
何も季節としての”春”ではなくても、例えば、恋愛の始まりを”春”と例えることもありますね。長いこと恋愛から遠ざかっていた人が恋に落ちることを、”春”が来た、と表現することもあったりします。
人の数だけ、色んな”春”があるかと思いますが、要はこの歌は、そんな色んな”春”を迎えた人たちへの応援歌、という解釈になると思います。
■いくつかの歌詞と、個人的イメージを紹介してみます。
*
重い足でぬかるむ道を来た トゲのある藪をかき分けてきた
食べられそうな全てを食べた
長いトンネルをくぐり抜けた時 見慣れない色に包まれていった
実はまだ始まったとこだった
*
まず、始まりの歌詞ですが、何か光景が浮かんでくるような歌詞ですよね。
トンネルをくぐるみたいに、真っ暗で何にも見えないところを、小さな光に向かって歩いてゆく。その光が少しずつ近づいてきて、ついに外へ出ると、今まで見たことのない光景が広がっていた、と。
例えば、受験生や就活生など、苦労した季節が長ければ長いほど、そういうことって感じると思います、あぁ、やっと長い冬を抜け出した!と。
*
春の歌 愛も希望もつくりはじめる
遮るな どこまでも続くこの道を
*
これがサビの歌詞です、気に入っているところを載せてみました。”愛も希望もつくりはじめる”という歌詞が良いですよね。良い意味でも、ひょっとしたら悪い意味でも、何もかもこれから始まっていくんだよ、という強い想いを感じます。
あと、個人的に大好きなのは、ここの歌詞、
*
平気な顔でかなり無理してたこと 叫びたいのに懸命に微笑んだこと
朝の光にさらされていく
*
ここを聴くと、何かいつも胸がぎゅーっとなります。自分がそうだったらって想像してみても、自分の周りにそういう人を見かけたと想像してみても、何か分かるなぁって思います。そういう、強がる瞬間って、誰しもにあると思います。
■ということで、この記事を書いている現在は、リアルタイムでは秋ですので季節はずれですが、この歌を聴いて、また”春”の気持ちで頑張っていきたいですね。
MV 春の歌
140時限目:春夏ロケット
【春夏ロケット】
■シングル『ホタル』にカップリング収録されている曲です。ちなみに、『ホタル』には【春夏ロケット】の他に、【ムーンライト】という曲もカップリング収録されています。アルバムとしては、スペシャルアルバム『色色衣』に収録されています。個人的ランキング、195曲中130位でした。
この曲は、まさにこの時期のスピッツの活動を表してる、激しいロックナンバーですよね。第2期(『Crispy!』~『フェイクファー』あたり)の楽曲が染み付いていた自分からしてみたら、当時は衝撃的でしたね。ギターの音は目いっぱい歪んでいて、ドラムも力任せにドカドカ鳴っていて、草野さんのボーカルもエフェクトが効いているせいか、余計に野性的に聴こえました。
■もう何度も書いてきたので、詳細は省きますが、この頃のスピッツに起こった出来事として、ベストアルバムを強行的に発売されるという、通称・マイアミショックがありました。
そもそも、何で”マイアミ”かと言うと、当時のスピッツは、アメリカに音探しの旅に出ていました。(その地で、ベストアルバムが発売になる、という話をメンバーが聞くことになるわけです。)
スピッツは、『インディゴ地平線』や『フェイクファー』という作品の音に納得がいかなくて、ずっと迷走していたそうなのです。具体的には、音がこもったような感じになって、迫力がない、と感じており、ライヴの盛り上がりのような、そんな迫力を、作品に閉じ込めたい、と考えていたそうです。
そんな時に、自分たちでプロデューサーやエンジニアを探すようになります。そこで白羽の矢が立ったのが、遥かアメリカの地の有名なエンジニア、トム・ロード=アルジという方でした。何でも、メンバーでCDを持ち寄って聴き比べていった結果、ピンときた曲たちに共通して、トム・ロード=アルジがエンジニアとして参加していたそうです。
そんな試みの中で生まれた曲が(”トム・マジック”という言葉が使われていました)、【春夏ロケット】や【船乗り】などだったのです。思えば、これらはアルバム『ハヤブサ』よりも先ですもんね。
【春夏ロケット】は、レコーディングもミックスも、アメリカで行われた曲だそうです。作詞作曲はもちろん、ある程度までは予め作られていたのでしょうけど、レコーディング・ミックスを行ったということで、純アメリカ産の曲、ということで、アメリカでの音作りの成果を閉じ込めた曲だと言えるかと思います。
この辺りの勢いが、アルバム『ハヤブサ』へと繋がっていくわけですね。第2期から第3期へと、スピッツが進化していく分岐点だったのでしょう。
■そんな、勢い溢れる【春夏ロケット】ですが、どんな曲なのか、考えてみたいと思います。
と、考えてみるんですが…やっぱり、この曲は、あっち系…いやいや、エッチ系…なんですかねぇ。直接的な表現は、あんまり見当たらないのですが、”ロケット”という表現が、やっぱり男性器を例えたものではないか、と思ってしまいます。安易かもしれませんが…。
端的に説明するならば、”春が何事もなく過ぎてった、夏も何事もなく過ぎてった。あぁ…悶々とする!オ〇ニーだ!”みたいな感じでしょうか、笑。
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春 すっぱい思いが空に溶けてた
夏 赤い背中少し痛かった
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最後のニトロで飛ばせ
狂った火花で飛ばせ飛ばせ
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ここの部分のみを抜き出して、解釈してみただけです。あとの部分は、あんまりよく分かりません。
前者の、春と夏の描写は、何となく物寂しい雰囲気がうかがえますが、特に、春の”すっぱい思いが空に溶けてた”というフレーズから、想いを寄せている人に、自分の想いを伝えたけれど受け取ってもらえなかった、あるいは、そもそも伝えることができなかった、というイメージを受け取りました。そういうわけで、夏には、ひとりで過ごす羽目になってしまった、と。
で、後者の”最後のニトロで飛ばせ”につながるわけですね。僕は、ロケット(花火)と男性器をかけましたが、春に恋人を作って、夏にはイチャイチャするつもりだったのに叶わなかった→ひとりでロケット(花火)を飛ばしてしまえ=ひとり寂しくオ〇ニー、ということになりますね。
まぁ、別にエッチ方向につなげなくても、ただ夏を寂しく一人で過ごしていると…恋人とやるつもりだった花火を、もうやけっぱちになって、悔しいくて寂しい想い諸共、ひとりで空に向けて放っている、という感じでしょうかね。
139時限目:遥か
【遥か】
■23作目のシングル曲であり、アルバム『三日月ロック』にも収録されています。アルバム収録の方は、”album mix”としてリミックスされています。僕はシングルもアルバムも持っているので聴き比べられますが、wikiにも書いてある通り、イントロのギターの入りの部分が少し違っていたり、オルガンの音色が違っていたり、ベースの音は全体的に大分違って聞こえますね。どちらかというと、アルバムの方が全体的に明るく聴こえるような気がします。
この曲は、「Love Story」というドラマの主題歌でした。ドラマの内容自体は覚えていませんが(特に見てなかったので)、ドラマに使われていたことだけは、何か覚えています。
個人的ランキング、195曲中49位でした。良いですよね、この曲好きです。カラオケなどで歌うには、すごくきついですけどね。
■あまり、特筆すべきネタを見つけることはできなかったので、今回は早いとこ、曲の解釈・紹介に入ろうと思います。
この曲については、よく語られている解釈として、”自殺説”(や”心中説”)などがあります。まず、その解釈で話を進めてみるとすると、
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すぐに飛べそうな気がした背中
夢から醒めない翼
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これがサビの歌詞ですが、ここを”死”を想いながら読んでみると、例えば、人間なので飛べるはずはないので、実際は飛び降りている・落ちている描写である、と考えることができますね。
”夢から醒めない翼”とは、何か幻想に憑りつかれていて、その幻想を追いかけるあまり、現実との違いに気づかされ、嫌気がさし、”死”を選んでしまう、という感じでしょうか。
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思い出からツギハギした 悲しいダイアリー
カギもかけず 旅立つのは 少し怖いけど
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このあたりも、カギもかけずに旅立つのは、死ぬつもりだから、もう戻ってくる必要がないからだ、だとかっていう解釈もありました。
■じゃあ、何でこの人、つまり”僕”は、こんなに気が病んでいるのか、ということになりますが、全体的に読んでみると、恋愛関係のもつれ的な感じを読み取ることができます。
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君と巡り合って もう一度サナギになった
嘘と本当の狭間で 消えかけた僕が
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この辺りの歌詞は、結構この歌の核にもなるようなところだと思います。”サナギ”っていう言葉をどのように考えるかですが、例えば、殻に閉じこもってしまう、心を閉ざしてしまう、と考えることができます。
君に巡り合って”サナギ”になる、ですからね。マイナスな物語を想像してみると、例えば、浮気や不倫とかね、とにかく、信じていたのに悪い形で出会ってしまった、と。自分を裏切られたような気持ちになってしまって、それを”サナギ”と表現しているのかもしれません。そしてそれが、”死”に繋がってしまったのです。
■という具合に、”自殺説”を考えることはできますが、これだけ書いておいてなんですが、個人的に言わせてもらうと、この曲からは、僕はあんまり”死”のイメージは受け取っていないんですね。
スピッツの曲(草野さんが書く詩)において、”飛ぶ”という言葉には、言葉通りの”飛ぶ”という意味合いよりは、何となく精神的に”飛ぶ”…実際には飛んではいないけれども、それに似た心地になっている、という意味合いで使われることが多いような気がします。もちろん、それが”死”に直結することもありますが、この歌に関しては、そうじゃないことを思いました。
よく、すごく気持ちいい体験をしたり、おいしいものを食べたりした時、「あぁ…天にも昇る気持ちだぁ…」みたいな感じですね、笑。だから、この曲に関しても、君に出会ってよかった、日々に希望を感じることができるようになった、ということを、”飛べそうな気がした”などという言葉で表しているのだということです。
■単純に考えて、やはりここの歌詞、
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君と巡り合って もう一度サナギになった
嘘と本当の狭間で 消えかけた僕が
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ここは素直に、消えかけていた僕…これは、日々の生活を楽しめていない、あまり充実した生活を過ごすことができない状態にあったと考えられますが、それが君に出会って、恋におちて、希望を感じることができた、と解釈することができます。
”サナギ”というのは、胸に秘めた恋心を表わしているのだと思います。誰にも触れさせたくない、密かに秘めた自分の気持ちを大切に育てていく、いつか羽ばたく(つまり、相手にその気持ちを伝える、告白する)その日まで…こんな風に考えると、この歌に出てくる”飛ぶ”という言葉の意味が、がらりと変わってきますよね。
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丘の上に立って 大きく風を吸い込んで
今 心から言えるよ ニオイそうな I love you
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崩れそうな未来を 裸足で駆け抜けるような
そんな裏ワザも無いけど 明日にはきっと…
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この辺りも、独特できれいな表現ですよね。マイナスなイメージというより、僕は希望を感じるんですけど、どうでしょうか。特に、前者の歌詞なんか、どうなんでしょうね、告白をすることを決意した場面か、それとも告白の練習でもしているんでしょうかね。
■全く逆の解釈を紹介してみましたが、ひょっとしたら、これらの解釈は、紙一重なのかもしれませんね。”生”の裏返しは”死”であり、”希望”の裏返しは”絶望”ですからね。
僕が目指す”遥かな場所”にあるのは、絶望でしょうか、あるいは、希望でしょうか。
遥か MV
そして、謎のMVです。通称”わらしべ長者MV"または”無限ループMV”と、僕は勝手に今名付けました、笑。リンゴを持った女性が、スピッツメンバーと物々交換していきます。
リンゴ → カンテラ(崎ちゃん)→ 鳥かご(テッちゃん)→ 金ぴかの腕時計(リーダー)→ ロバ(マサムネさん)、という順番です。ただし、最後のロバは結局はニセモノ(?)で、結局手元にはリンゴが帰ってきます。そして、女性はブチ切れて、窓にリンゴをなげつけます。何にも反応しないスピッツメンバーがシュールですね。
そして、物語は最初にループすると、そういうMVになっています。輪廻転生とか、結局は自分の持っているもの(自分らしさ)は取り替えられない、というコメント欄のコメントに、なんだか妙に納得しました。
138時限目:8823
【8823】
■アルバム『ハヤブサ』に収録されている曲です。”8823”というタイトルは、数字の語呂合わせで”ハヤブサ”と読みます。なので、アルバムの表題曲ということになります。言わずもがな、鳥の”隼”のことですね。
個人的ランキング、195曲中11位でした、惜しくもベスト10入りは逃しましたが、大好きな曲で、自分の中でもすごく印象に残っている曲のひとつです。
アルバム『ハヤブサ』や、その表題曲【8823】については、ここのブログですでに、存分にしゃべったことがあるので、詳しくはそちらを参照してもらえればよいかと思います。↓
http://itukamitaniji.hatenablog.com/entry/2015/07/26/080239
…と、言っても、少しだけ(になるかは分かりませんが、笑)、この辺りのことを改めてしゃべってみようかなと思います。
■このアルバム発売前にあった出来事と言えば、通称”マイアミショック”という事件(?)です。
この出来事は、要するに、自分たちの(スピッツの)意向とは関係なく、自分たちのベストアルバムが強行的に発売された、というものでした。
スピッツは、「ベストアルバムを発売するのは、バンドが解散する時だ!」と公言していました。しかしながら、ベストアルバムを発売するということが、スピッツがいないところで決定したわけです。
この出来事に、メンバーは、憤りや悲しみを感じたようです。レコード会社とも、良い関係を築くことができていたと思っていたそうで、その想いが裏切られた時の気持ちは、一体どんなだったでしょうか。ベストアルバム=解散、という公式が成り立っていたため、発売と同時にスピッツを解散させる、という話まで出ていたそうです。
しかしながら、スピッツは解散しなかったのです。色んな想いを抱えつつも、活動を続けていくことを決めたのです。まさに、スピッツの”死と再生”です。書籍「旅の途中」の中で、その辺りの心情を、草野さんは端的にこう語っています…
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もしかすると、このとき一度スピッツは俺の心の中で”解散”したのかもしれない。そして、甦った。『フェイクファー』からずっと抱えていた悩み、気がつくと消えていた。
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■そして、そういう経緯があって、アルバム『ハヤブサ』は作られました。それは、今までのスピッツにないとてもロックなアルバムで、まさに、先ほどの草野さんの言葉通り、スピッツの”死と再生”となった作品でした。
アルバム『ハヤブサ』が発売になった当時、僕は聴いてびっくりしました。自分の中に今まで染みついていた”スピッツ像”とは全然違う、今までにない、ロック色の強い、攻撃的な作品だったからです。最初は違和感を感じたのを、よく覚えています。これが本当に、自分が聴いてきたスピッツか、と。
しかし、何度も聴いていくうちに馴染んでいくのが、スピッツマジック、草野マジックですよね。僕の中でも、今では大好きな作品になりました。第三期(個人的な見解による)の始まりとして、このアルバムは、スピッツにとって最重要な作品と言えるでしょう。
■前置き長くなりました。今日紹介するのは、そんなアルバム『ハヤブサ』の表題曲である、【8823】です。
音的には、Aメロのギターの音と、ドラムの音が、とても心地よくて好きなんです。どうしても、タイトルが鳥の名前なので、鳥をイメージしますが、Aメロは何となく助走をつけている感じに聴こえてきます。
そして、サビでの音の爆発ですよ。一気に浮かび上がって、空へと飛び立っていくような、力強いサビが、テンションを上げてくれます。
この、Aメロとサビの緩急も、【8823】の特徴でもあります。
■タイトルに関しては、wiki情報によると、西岸良平さんという方のマンガに登場するキャラクターから連想したそうです。
西岸さんの作品で、”地球最後の日”という、SF短編集みたいなのがあるらしくて、その中に、「普通の浪人生が連れ去られて海底人に改造される」ってお話があるそうなんですが(中々、カオスな内容、笑)、その海底人の名前が8823なんだそうです。曲のタイトルは、そこからつけたそうです。
(ちなみに、西岸良平という方は、映画化して有名になった、あの有名な”三丁目の夕陽”を書いた人だそうですね。初めて知りました。)
タイトル自体にあまり意味は無く、マンガのストーリーが曲に大きく関わっているというよりは、スピッツのパーソナルな部分が関わっている部分の方が多いと思います。つまり、”死と再生”ですね、そんな想いをこの曲に込めたのではないでしょうか。
■ということで、今までの話を意識しながら、もう何度も何度も読んできた歌詞ですが、今一度読んでみます。
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さよならできるか 隣り近所の心
思い出ひとかけ 内ポケットに入れて
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これが、出だしの歌詞になります。”入れて↑”で、いきなり高音になるのがポイントですね。
歌詞の意味はどういう感じでしょうか。まず、”さよなら”という言葉が出てきますが、誰が、誰に・何に、言おうとしているのでしょうか。
やはり、”誰が”に当たるのは、スピッツ自身、ひいては草野さん、ということでしょうか。”誰に・何に”に当たるのは、例えば、今までの自分たちだとか、今まで信じてきたレコード会社とかが考えられますね。しかし、”さよならできるか”ですからね、決断はしているでしょうけど、ちゃんとさよならできるか、まだ悩みはあるようですね。
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あの塀の向こう側 何もないと聞かされ
それでも感じる 赤い炎の誘惑
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ここも印象的ですよね。何となく、音楽業界に縛られていたスピッツ像を思い浮かべます。「ここよりいいところはないよ、こんなに塀に守られて、ここから出ていくなんてとんでもない!」と、ずっとスピッツは言われていたのだと想像してみます。しかし、そうやって、自分たちのことを守ってくれていたレコード会社に、結局は裏切られることになるわけですね。それで、初めて、塀の向こう側に意識が向くわけです。
あとは、サビの歌詞、
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今は振り向かず8823 クズと呼ばれても笑う
そして 君を自由にできるのは 宇宙でただ一人だけ
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最後の大サビの歌詞を書かせてもらいましたが、最期のところに”8823”というフレーズが出てきます。過去に別れを告げて、未来へと飛んでいく決意が、この辺りからうかがえます。
そして、何度も出てくる、”君を自由にできるのは 宇宙でただ一人だけ”という表現。別の部分では、”君を不幸にできるのは 宇宙でただ一人だけ”となっています。君を自由にできる存在=君を不幸にできる存在、ということになりますが、これも自分たちのことを言ってるんですかね。
恋愛に関したことだとしても、音楽的な活動に関したことだとしても、自分という存在が、良くも悪くも、君にとって唯一無二なんだと、あるいは、そうなりたい、と歌っているのでしょう。だから、ついてこいよ!と、そう力強く歌いたかったんでしょうね、世間では癒し系バンドだと思われていたはずの、あのスピッツが…ね。
■スピッツにとって、この【8823】という曲は、本当に大切な曲なんです。まさに、スピッツの"死と再生"を象徴する曲だと思います。
生でライブを見に行ったことはないですが、DVDなど見ている限りでは、毎ライブこの曲をやっている感じですね。BUMP OF CHICKENの【天体観測】のように、the pillowsの【ハイブリッドレインボウ】のように、どんなバンドにも一曲はあるであろう、そのバンドの魂となっている曲。スピッツにとって、【8823】とは、そんな位置付けの曲なんだろう。
これからスピッツのファンになりたい、と思っている方は、チェックしておくべき曲だと思いますよ!
ちなみに【8823】は、アルバム『ASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN COMPILATION 2009』にも収録されています。アジカン主催のライブフェスで”NANO-MUGEN FES”というのがあって、それに主演したアーティストの楽曲を収録した、コンピレーションアルバムです。
大学の時、アジカン好きな友達が居て、そいつが俺の家でこのアルバムを流した時に、スピッツの【8823】を聴いて驚いていました…これスピッツ?という感じでしたね。その反応が、何だか懐かしくて、嬉しかったです、笑。
137時限目:ハヤテ
【ハヤテ】
■アルバム『インディゴ地平線』に収録されている曲です。個人的ランキングでは、195曲中131位でした。初めて聴いた時から、かわいらしい曲だなという印象がずっとありました。
改めて聴いてみると、アルバム『インディゴ地平線』には、かわいらしい女の子や恋愛を描いた曲が多いと気づきます。【花泥棒】、【初恋クレイジー】、【ハヤテ】、【ナナヘの気持ち】、【バニーガール】、【マフラーマン】…他の曲もあるかもしれませんが、ほとんどの収録曲が該当しそうです。
■”ハヤテ”とは、漢字で”疾風”と書き、”シップウ”とも読みますよね。意味としては、突然強く吹く風とかでしょうか。何となく、忍者っぽい響きもありますけどね。
この曲は、要するに、恋に落ちる瞬間を、相手を”ハヤテ”に例えて、自分の身体に”ハヤテ”が吹いた、と表現しているわけですね。
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気まぐれ 君はキュートなハヤテ
倒れそうな 身体を駆け抜けた
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これが、この歌の始まりのフレーズです。”恋に落ちた瞬間”について、草野さんは、色んな歌で色んな表現をしていますが、この歌の表現も、独特で面白いですよね。ビュッと吹いて、すぐに言ってしまう”ハヤテ”のように、恋に落ちたのは、一瞬の出来事だったということがうかがえます。”キュートなハヤテ”というのも、かわいらしですよね。
■ということで、この歌から、いくつか素敵な歌詞を抜き出して、紹介してみます。
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言葉はやがて恋の邪魔をして
それぞれカギを100個もつけた
*
”言葉はやがて恋の邪魔をして”という表現が、何か哲学的というか、うまいことを言ったもんだな、と思ってしまいます。
相手に対する自分の気持ちを表現する方法としては、やはり”言葉”が一番有効であると思います。「あなたが好きだ」と言ってしまえば、伝わるんでしょうけど、なかなか言えない。代わりに口をつくのは、何てことない平凡な言葉ばかり。言葉を飛び越えて、この気持ちがテレパシーのように、相手に伝わればいいのに、あー、もどかしいなー、とそういう感じでしょうかね。
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なんとなく君の声が聞こえて
はりきってハートを全部並べて
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男の子、がんばってますね!しかしながら、この歌詞に続くのは、”振り向くところで目が覚めた”ですからね、夢でも見ていたんですかね。
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晴れそうで曇り 毎日 小雨
もう二度と壊せない気がしてた
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”小雨”っていうのが、また草野さんらしい表現だなって思いました。”大雨”でも、ただの”雨”でもなくて、”小雨”なんですよね。ここは素直に、恋に落ちたことで、晴れない毎日に光が差した、ということを歌っているのでしょう。
ちなみに、”ハヤテ”、”(邪魔)をして”、”並べて”、”口笛”、”小雨”という風に、語尾を”え”の段でそろえて韻を踏んでるんですね。そのおかげで、全体的にすごく聴きやすくなっていますね。
という感じですかね。結構分かりやすくて、聴きやすい曲だと思います!