スピッツ大学

ステイホームしながら通える大学です!

163時限目:僕のギター

【僕のギター】


僕のギター

僕のギター

 

■アルバム『さざなみCD』の一曲目を飾る曲です。個人的ランキング、195曲中57位でした。これもまたいい曲ですよね、これが1曲目というのが、またにくいですよねー、絶対良いアルバムですもんね。

 

草野さんのイメージによると、「雨の中のストリートシンガー」ということらしいです。誰も見ていない中、路上に独り立って演奏しているという、そういう光景が浮かんできますね。まぁ、雨が降っちゃってるのでね、ギターが傷んじゃいそうですけど、笑。

 

曲自体も、最初は草野さんの弾き語りから始まって、なおさら路上ライヴ感が出てますよね。

 


■雨の中、というのはともかく、何ていうか、すごく神々しい曲だと思っています。

 

僕のイメージは、真っ暗な場所(ステージ)に、演者がたった独りだけ立っていて、そこに少しずつ光が当たっていくような感じです。そこから少しずつ、少しずつ音が増えていって、微かだった光が、やがて大きな眩しい光になっていくというようなイメージです。

 


これらの光景が浮かんでくる歌詞としては、この辺りですね。

 


霧雨にぬれてたら 汚れた心も
洗い流されていく 少しずつ

 


そして 君を歌うよ 小さなことが
大きな光になってくように
かき鳴らしては かき鳴らしては 祈ってる

 

先述のイメージに加えて、後者(サビ)の歌詞の中に、”君を歌うよ”というフレーズが出てきていますが、ここからこのシンガーは、誰かを思い浮かべながら歌っている、という想像もできます。

 

例えば、自分が想いを寄せている相手かも知れません。路上で、決して届くはずもない相手に向かって、がむしゃらに歌っている、という感じですかね。

 

そういう、”誰かに対する想い”が溢れて、何ていうか、シンガーズハイといいますか、最初は小さかった光…自信がなかったり、ちょっと恥ずかしいという気持ちもあったかもしれません、そういう気持ちが少しずつ吹き飛んで、大きな光を放つようになる、という感じですね。

 


■ということで、以上が【僕のギター】に対する、個人的な解釈でありますが、ちょっとここで、いつものごとく、個人的な話をまた少ししてみます。ズバリ、”僕のギター”というタイトルにちなんだお話です。曲には、全く関係ありません。

 


時々、弾き語り動画を載せている僕ですが、それに映っているアコースティックギター(以下、ギターと表記)については、もうかれこれ17~8年前に、僕が中学2年生くらいの時に、父親が急に買ってきたものなんです。

 

残念ながら、父親はもう亡くなってしまっているので、このギターは、父親の形見になってしまいました。何年も使っているので、それこそ”ミーコのギター”ばりに手垢まみれで、動画では見えないですけど、ボディに穴が開いちゃってますからね。フレットなんてすっかりすり減って、弦を押さえることが困難になっています。

 

いい加減、ギターを買い換えよう、とか長いこと思いつつも、結局はこの一本をずっと使い続けています。もう、本当にいい加減、新しいのを買いたいですけどね、まぁそれでもこのギターを手放すことはないとは思いますけど…。

 


■ギターを買ってきてくれた当時の父親は、もうすでに病魔に侵されていました…まぁ、それを僕自身が知るのは、割とあとのことになるんですけどね(当時は詳細に、親からそれを教えられていなかったので、薄々察している、というような感じでした)。

 

生前の父親は、音楽が好きでした。まぁ、美術も好きで、絵をかくのも上手でした。音楽については、特に好きだったのが、THE BEATLESザ・ビートルズ)でした。他にも、サイモン&ガーファンクルとか、ザ・ローリングストーンズとか、とにかく、今では”オールディーズ”などと呼ばれる洋楽・邦楽の音楽が好きだったみたいです。

 

(もっというと、母親も歌うことが好きだったようです。というより、親族に結構音楽が好きな人が居て、今ではあまり開催されませんが、正月などに親族で集まったとき、カラオケに行くことが恒例行事でした。親族にも、かなりの歌うまが揃っていましたよ、笑。)

 

父親も、ギターは基本的には弾けるので、一応は僕に買ってきたという名目でしたが、そのギターを父親自身も弾いていました。

 

そういうことを踏まえると、父親がギターを買ってきたのには、何か意味があったのではないかと、今になって思うようになりました…当時は、そんなに深く考えることはなかったですけどね。

 


■中学生の頃は、僕の家は、友だちのたまり場みたいになっていました…僕が眠っている休日に、母親が僕を起こす前に友だちを家に上げて、僕ん家で友だちがすでに遊んでいる、なんていうことも何回かありました、笑。

 

遊びはもっぱらテレビゲームでしたが、そのゲームの待ち時間に、(僕も含めて)手空きの者はギターを弾いて待っている、というような感じでした。それで興味を持って、友達の数人は、自分のギターを買ったりしていましたね。

 

僕自身は、大学に入ると、ギターを手にいよいよ動き出します。弾き語りサークルに入って、定期的にライヴを自分たちで開催したり、調子に乗ってオリジナル曲まで作ったりしていました。路上ライヴを行っていた時期も、実はあるんですよ(社会人になってもやってた頃ありますが、現在はさすがに…)。

 

 

そして今も、一向にうまくならないまま、それでもずっと僕はギターを弾き、歌い続けています。未だに、Bコードとか押さえられませんからね…まぁバレーコードは、全般的に苦手ですけど、笑。この広いインターネット世界の片隅に、自分の歌をこっそりと残して、自己満足しています。

 

僕が属する一族に、もしも、少しでも音楽好きの血が流れているのだとしたら(才能は無いとは思いますが、笑)、それを守るのは、今はもはや僕くらいしか居ないな、だからちゃんとこの血は守らなくちゃと、勝手に思っております。…なーんてこと、誰にも言ったことないんでね、ここだけの話にしておいてくださいよ、笑。

162時限目:Holiday

【Holiday】


HOLIDAY

HOLIDAY

 

■アルバム『ハヤブサ』に収録されている曲です。個人的ランキング、195曲中89位でした。

 

こういう曲調も、それまでのスピッツから考えると、ちょっと珍しい感じですよね。何ていうか、”跳ねる感じ”とでも表現しておきましょうか、アルバム『ハヤブサ』からの音楽的な変化を感じさせる、これもひとつの要因になるんじゃないでしょうか。

 


■タイトルも”Holiday”ということで、言わずもがな、これは和訳すると”休日”という意味になるわけですが、曲調とも相まって、楽しそうな雰囲気を感じます。

 

しかし…

 

この曲には、とある解釈が広く知れ渡っております。それを踏まえて歌詞を読んだ感じ、そして、メンバーもそう語ったという話もあるらしいので、そう言われると…という感じで、自分の中でもその解釈が何となく染み付いてしまっています。

 

 

■まず、その解釈ですが、ずばりこの曲が”ストーカーソング”である、というのです。

 

なにより、メンバーがこの曲について、”ストーカーソング”と言ったらしいのです。ちなみに、これはwikiにも載っている情報ですが、どの時点で、どこにそういう言葉が載っているのかは、すみません定かではございません。

 

個人的には、ストーカーはストーカーだとしても、そんなに嫌な感じには聴こえてきません。曲調が明るいからかもしれませんが…。まぁ、スピッツにはもっと、”えぐい曲”はありますしね…笑。

 


■とりあえず、歌詞を追っていってみます。まず、出だしの歌詞は、こういう感じです。

 


もしも君に会わなければ もう少しまともだったのに
もしも好きにならなければ 幸せに過ごせたのに

 

すごいですよね、このたった2行で、”僕”の気持ちがこんなにも表わされているなんてね。独特ではありますけど、分かりますもんね。

 

”会わなければまともだった”、”好きにならなければ幸せだった”、などの表現は、恋煩いとでもいいますか、何をしているときでも、好きになってしまった相手のことを考えてしまう…好きになったことは素敵なことだけど、それが逆に辛いことでもある、ということですね。例えば、相手にすでに恋人が居るとか、そういう状況を付け加えても面白いかもしれません。

 


とにかく、この辺りを読めば、ただの恋煩いの歌かな、と思えなくもないですが、ストーカーソングと呼ばれている所以は、この先の歌詞です。例えば、

 


朝焼けの風に吹かれて あてもないのに
君を探そう このまま夕暮れまで
Holiday Holiday Holiday

 


いつか こんな気持ち悪い人 やめようと思う僕でも

 

などの部分でしょうか。

 


■サビの部分は、”朝焼け”から”夕暮れ”までですからね、その一日中の時間を君を探すために費やす、ということになります、休日を利用してね、笑。

 

まぁ、でもこの部分を読んでも、”事を起こしていない”限りは、探しているだけなんでね、まぁ健気だと許してあげましょうよ?本当にストーカーなら、覗いたり、つけまわしたり、家に侵入したりするもんですからね(しちゃダメですよ!ダメ!ゼッタイ!)。

 

何ていうか、偶然を装って、道端で出会おうとしている感じなんでしょうか、「よ、よぉ…奇遇だね…」みたいな感じでね。そういう経験…ありますか?

 


後半の部分、”気持ち悪い人”というのは、自分のことを言ってるんでしょうかね?ということは、そういう自分の行為が気持ち悪いことなんだと、自覚しているということでしょうか、”やめようと思う”とも言っていますしね。

 


■まとめると、恋する気持ちが溢れて(恋煩いで何も手につかなくなって)、君にどうしても会いたいと思うようになってしまったと。しかしながら、君がどこに居るのか分からないので、休日を利用して、一日中君を探そうと、そういうことですかね。

 

何か、具体的な”事を起こした”描写は、見当たらない気がするんですが、どうなんでしょうかね?まだ探しているだけなので、グレーゾーン!ということにしておきます、笑。

 


あとは、

 


心の扉を 痛みこらえ開けたよ
古い 暖かな部屋に君を呼ぶまで

 

とかね。何か意味はよく分からないですけど、きれいな言葉に思えてきます。単純に、いつか君を自分の部屋にお招きしたいと、そういう感じでしょうか、どうか、健全な方法でお願いしますよ!

特講:卒業おめでとうございます!

■身が震えるような冷たい風が、少しずつ春の匂いを感じさせる温かな風へと変わり始めた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか、学長のitukamitanijiです。

 

世はまさに卒業シーズンですね。まぁ、社会人の方に関しては、そんなことは関係ないですが、学生さんなんかは、卒業生はもちろんですが、学年が変わるということも、大きな節目なのではないでしょうか。

 

ということで、卒業生の方、卒業おめでとうございます!

 


今日は、個人的「スピッツ卒業ソング」特集と題して、スピッツの卒業ソング”っぽい”曲を紹介していきます。あくまで、”っぽい”曲ですからね。動画が乗せられる曲があれば、合わせて紹介します。

 

(本当は、何かの曲をカバーしたいなぁ…とも思っていましたが、今回は見送ります。)

 

では、早速いきたいと思います。

 

 

 

1.君が思い出になる前に
卒業、というより、”旅立ち”に近い印象ですけどね。その旅立ちのきっかけとして、卒業を考えることもできそうです。個人的には、やはり恋愛を絡めてこの歌は解釈していますが、例えば、幼なじみとの別れとかね、恋人関係ではないけれど、何となくお互い両想いっぽい関係だった、とかストーリーを加えると、どんどん話が広がっていきますけどね。(歌詞の”明日の朝 僕は船に乗り”という言葉にかけて)「俺、学校卒業したら、この島出るんだ」みたいな、そういうストーリーですよね。

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2.謝々!
この歌には、全然別の解釈を加えているんですが、それでもやっぱり、卒業ソングっぽい節もあると思いました。”記号化されたこの部屋から ついに旅立っていくんです”や、”くす玉が割れて笑い声の中”など。旅立つことを、祝福されている感じが、まさに卒業のシーンと重なります。

 


3.スピカ
この歌自体が…というより、この歌をよく聴いていた時期が、自分にとってのまさに卒業シーズンでした。中学3年生の時に、初めての受験を控えて、毎日家で勉強をしていましたが、その時によくBGMで流していたのがスピッツでした。特に、『空の飛び方』『ハチミツ』『インディゴ地平線』『フェイクファー』そして、【スピカ】が収録されている『花鳥風月』をよく聴いていました。【スピカ】に出てくる、”この坂道も そろそろピークで”という出だしの歌詞を聴いては、もう少しで受験も終わるから頑張ろう!と自分を鼓舞して頑張っていました。そうして、全てが終わった後にこの曲を聴くと、頑張ってよかったなぁって思えたりしました。

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4.チェリー
この歌も【スピカ】と同様、自分の卒業を思い出します。時期としては一番古く、小学校の卒業にまでさかのぼります。ここのブログで、詳細に書かせてもらってますが、この曲で僕はスピッツを好きになり、今日まで長く長く、聴いてきました。それが、小学校5,6年生の頃の話ですよ。クラスの歌として友達と何度も歌った思い出があります…修学旅行の時なんかは、バスガイドさんへのお礼として、皆で【チェリー】を歌ったほどです。世間では、スピッツの卒業ソングと言えば、この曲が挙げられますが、個人的には、曲自体からはそういう感じは受け取りません。しかし、【スピカ】と同様、歌詞などに関係なく、自分にとっては卒業が染み付いています。

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5.春の歌
卒業、というより、”入学”という感じですけどね。まぁ、過去にさようなら、と、新しい日々へ歩いていく決意、というのは、たいていはセットだと思いますのでね、いいじゃないですかね。個人的に好きなのは、”平気な顔でかなり無理してたこと 叫びたいのに懸命に微笑んだこと”というフレーズです。
ちなみに、この歌は、リアルタイムで本日公開の、実写版「3月のライオン」の主題歌になっています…ただし、こちらは藤原さくらさんのカバーになってしまっていますけどね。(ちなみに、【春の歌】主題歌は、4月22日公開の後編のようですね。)

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6.魔女旅に出る
これは、かなり古い曲ですね。旅立ち、ということで、卒業ソングとして紹介しておきます。個人的には、魔女ということで、「魔女の宅急便」をイメージするんですが、公式では違う作品をイメージしながら作ったらしいですね。

 


7.若葉
”若葉”と聞くと、何か夏っぽい気もしますけどね。でも、曲の感じは、卒業にもピッタリ合うんじゃないでしょうか。ただし…まぁ、この曲については、まだこのブログにおいて詳しく語っていませんが…違う解釈もできそうです。それは、また別のお話、ということで。

youtu.be

 

 

 

ということで、以上7曲を紹介しておきます。何だか、シングルばっかりになってしまいましたが…あなたにとって、スピッツ卒業ソングとはなんでしょうか。

 

そして改めて、卒業生の方は、卒業おめでとうございます。あなたの未来が、少しの苦悩と、それに大きく勝る幸せがありますことを願っています!

 

フレーフレーフレー…

161時限目:僕はきっと旅に出る

(※本来の順番には沿っておりませんが、この曲に関しては、とある都合により先に載せておきます。次回からは、また本来の順番に戻ります、ご了承ください)

 

 


【僕はきっと旅に出る】


僕はきっと旅に出る

僕はきっと旅に出る

 

■38作目の両A面シングル『さらさら / 僕はきっと旅に出る』に収録されている曲です。アルバムとしては、『小さな生き物』に収録されました。

 

現時点で発表する個人的ランキングは、アルバム『小さな生き物』以降の曲が反映されていませんが、この曲を入れるとしたら、確実にベスト10…いやいや、ベスト5くらいには入るかもしれません。それくらい僕にとって、この【僕はきっと旅に出る】という曲は、本当に大好きな曲…というよりは、この場合は”大切な曲”という言い方の方がふさわしいと思っています。

 

いつもよりも余計に、この曲について、キーボードを弾く指に力と魂が入ります。それは、この曲に対して、僕自身が特別な思い入れを持っており、それが溢れてくるからです。いつか必ず、自分が書かなければいけない記事だと思っていました。かなり長くなっているとは思いますが、良かったら、お茶でもコーヒーでも飲みながら、ゆっくり読んでいってください。(体感として、ゆっくり読むと大体15分くらい、時間をいただくことになります、笑)

 


■この曲が発表された背景などについて、個人的に思うことも踏まえて、まず話しておきます。

 

まず、2011年3月11日、東日本大震災という、未曽有の災害が日本を襲いました。自分は、西日本で暮らしているため、直接被害を受けたわけではありませんが、あの頃に連日繰り返された報道には、ショックを受けた一人ではあります。まぁ、その報道を見て、ただただ絶句することしかできませんでしたけどね…。

 

そして同時期、この繰り返される報道によって、草野マサムネさんが体調を崩されました。情報によると、”急性ストレス障害”であったそうです。

 

”急性ストレス障害”とは、人の生き死になどに関わる、大きな出来事を目の当たりにして(例えそれが、自分に直接関わったものではなくても)、それが一種のトラウマとなって、心が不安定になってしまう心因性の症状、ということらしいです。何ていうか、アーティストだったり、芸術家だったり、そういう想像力が豊かな人が陥りやすい症状だということを、どこかで聞いたことがあります。いわゆる、”感受性”が強い人ですかね…他人の悲しみも、自分のことのように感じてしまう傾向が特に強いということも、原因のひとつだとされているようです。

 

(これは余談ですが、草野さんが倒れられたと知った日の夜中、僕はすごく気味の悪い夢を見て、目が覚めたんです…確か、戦争の夢だったと思います。それで、何だかとても具合が悪くて、とりあえず慌ててトイレに駆け込んだんですよ。そして、小一時間ほどでしょうか、トイレに籠って、上からも下からもリバースを繰り返した、という謎の事件がありました。ただ、朝起きるとぴんぴんしていたので、普通に仕事に行きましたが…本当に謎の一夜でした。)

 


そういうことがあって、スピッツの活動が一時停止してしまいます。その当時行っていたツアーが一時中止になり、DVD『ソラトビデオCOMPLETE』の発売も延期されたりしました(こちらは、震災の影響で、一応自粛という形で)。ちなみに、『ソラトビデオCOMPLETE』とは、2011年3月でスピッツはメジャーデビュー20周年を迎えて、それを記念して同月に発売される予定だった、これまでの全ミュージックビデオを収録した映像作品です。発売延期後、1ヶ月後の4月に発売されました。

 

急性ストレス障害は一過性であるため、程なく草野さんの体調も回復して復帰されました、本当によかったですよ。

 


それから時が経ち、確か2012年の終わりか、2013年の初め頃だったと思います。スピッツが、2013年の発売を目標に、新しいアルバムのレコーディングに着手している、という嬉しい一報が届けられました。ちなみにこれは、アルバム『小さな生き物』のことですね。とにかく、”スピッツが活動している”という情報は、とても嬉しかったです。

 

そして、そのアルバムの発売に先立って、2013年5月15日に発売になったのが、両A面シングル『さらさら / 僕はきっと旅に出る』でした。前作『シロクマ / ビギナー』から時を経ること、実に2年8ヶ月後のことです。これほど、シングルの発売で時間が空いたのは、ここが最長なんじゃないですかね。

 

それで、確か【さらさら】のミュージックビデオが先に発表されたんだと記憶しています。本当に久しぶりに聴く新曲で、しかも震災後の初めてのシングル曲だということで、もちろん嬉しかったんですが、何か特別な気持ちで聴いた記憶があります。MVを見て、何ていうか”鎮魂歌”でも歌っているような、4人だけの厳かな演奏が印象に残りました。

 


そして、【僕はきっと旅に出る】の方は、JTB(旅行会社)のCMソングに選ばれました。僕がこの曲を初めて聴いたのは、このCMでだったと思います。テレビで流れているのを聴いて、CMの雰囲気とも相まって、明るい曲だなって思ったのが最初の印象でした。

 

しかしながら、作品を実際に手に入れて、フルでこの曲を何度も聴いて、歌詞も読んだりしていく中で、「明るい曲だな」という単純な印象は変わっていって、色んな大切なメッセージを受け取ることになるのです。

 


■まず、やはり先述の震災に影響されたであろうことを、この曲から強く感じました。スピッツメンバーは、そこまで気にしていない、気にしないようにしているとは思いますが…でも、無理もないですよね、影響していない、ということの方が不自然のような気もします。

 

まぁ、あまり震災が…震災だ…と言い過ぎるのも、ましてや僕自身が言うことは、ふさわしくないことかもしれませんが、自分なりに感じ取ったことを書かせてもらいます。

 



笑えない日々のはじっこで
普通の世界が怖くて

 


朝の陽射しを避けながら
裏道選んで歩いたり

 

どっちもAメロの歌詞ですが、何か、何とも言えない気分になりますよね、何となく、分かった気分にはなっちゃいますけどね。

 

 

前者は、”普通の世界が怖くて”ですからね。あくまで、”普通”なんですね、この”普通”という言葉には色々込められていると思いますが…とりあえず、地震の揺れが収まったということ、それによって、世の中の大混乱は一先ず収まった、ということなど…。でも、被災者からしてみれば、トラウマが残り、まだ悲しみが続いている、という状況でもあったりします。というより、これまでの”普通”という概念も、根本的に覆されるような出来事でしたからね。

 

あと、これは全く個人的に感じたことですが、例えば、"あれだけ多くの人が亡くなったのに、なんでそんなに普通で居られるんだよ"と思った人も居たかもしれません。自分の関係者を亡くした人は、そんな"普通の世界"から取り残されたように感じたかもしれません。

 

僕自身は、震災とは関係ないですが、父親を亡くした高校生の時に、そういうことを考えたことがありました。回りと何か温度差を感じたというか、何かこいつら呑気だなとか思っちゃって…全然、友達は悪くないですよ、むしろ、変に気遣うことなく接してくれましたが…何かそこから離れてたい、と思って、少し距離を置いた時期がありました。

 

 

後者からも、色んなことを感じます。僕が思い浮かべたのは、”自粛”という言葉です。何ていうか、あの時はそういうことも色々と話題になったりしましたね、あんな大きな災害がありながら、自分だけ楽しいことをしていていいのだろうか、と。僕の友人にも、結婚式を控えていた子がいて、このまま結婚式を挙げていいのだろうか、と悩んでいたのを聞いたりしました。

 

太陽の光に当たることすら、申し訳ないと思うような状況…もちろん比喩的な表現でしょうけど、何となく素直に物事を楽しめないような、誰もがお互いに探り探り生きているような、そんな生活を思い浮かべます。

 

 

◼上述のような、悲しい状況にありながら、それでもサビなどでは、少しずつ希望を見出だすことができます。



僕はきっと旅に出る 今はまだ難しいけど
未知の歌や匂いや 不思議な景色探しに

 


僕はきっと旅に出る 今はまだ難しいけど
初夏の虫のように 刹那の命はずませ

 

”僕はきっと旅に出る”という言葉も出てきていますが、この辺りからは、”復興”というものを想像します。

 

 

何も、”旅”というのは、遠くに行くことだけを表すものではありません。元通りの生活に戻ること自体が、あの出来事の後にとっては、”旅”であったような気がします。ここで言う"元通り"とは、街を元の景色に戻すことと同時に、精神的な部分の"元通り"も含めています。

 


そして、この歌で重要なのは、しっかりと”今はまだ難しいけど”と歌われているところだと思います。僕は、この辺りの歌詞が、本当にすごいなぁって思ったんです。そうなんですよね、”今すぐに”ではないんです。

 

この曲が発表された頃のラジオで、草野さん自身がこの曲について、「旅にまだ出られない状況の歌、でも旅に出たいなぁっていう、そういうときの心境の歌」と語っていました。震災に対して、あの頃はたくさんの復興ソングが作られていたであろう中、この辺りが、スピッツらしい応援の仕方だという感じがします。もちろん、「頑張れ!」という気持ちを込めて歌ってはいるのでしょうが、あくまで押しつけがましく歌うのではなくて、復興に向けて、時間がかかっても、悲しい状況から抜け出せるようにと、優しく歌っているのだと思いました。

 


■あとは、個人的にとても印象に残った歌詞として、Cメロの歌詞を紹介しておきます。スピッツの全曲の中でも、僕の中では一番印象に残る詩かも知れません。それはこんな歌詞です。

 


きらめいた街の 境目にある
廃墟の中から外を眺めてた
神様じゃなく たまたまじゃなく
はばたくことを許されたら

 

うーん…なかなかうまく語れませんけど、色々と考えさせられる4行だと思います。ここの歌詞を読んで、草野さんは本当にすごいなぁって、つくづく思いました。

 

ここからも、”今はまだ難しいけど”という言葉が見え隠れしています。”廃墟”という言葉は、文字通りに”崩れた建物”とも考えることができますが、きっと精神的な部分も表しているのだと思います。つまり、まだ前に進むことができない、取り残されてしまっている、という状況です。そこから、”きらめいた街”を眺めることしかできずに、いつか自分もまたその場所へと行けるように、と願っている様子が見て取れます。

 


■ということで、ここまで震災の話を中心にしてきましたが、この曲は、自分にとって個人的にも思い入れが深くて、本当に大きな力をもらった曲なんです。

 

ここからは、また個人的な話になりますが、まず、遡ること、2012年の春…僕はそれまでしていた仕事を辞めたんです。まぁ今時、あまり珍しい話ではないですけどね。

 

辞めた理由はいくつかありましたが、次にやりたいこと・就きたい仕事は決めて辞めたので、すぐにそれに向かって動き出しました。具体的には、あまり話すことができませんが、それから約2年間は定職には就かずに、学校に通ったり、関係しているアルバイトをしてみたり、独学で勉強したり…もちろん、遊んだりもしました、笑。

 

周りの友人たちは皆、もうすっかり結婚して子どもが居たり、そうでなくても仕事でバリバリ頑張っている状況で、その一方で自分は、独り身で、しかも仕事を辞めて、今更新しい仕事に就くために勉強してる状況だったわけですからね、多少の…いや、相当なうしろめたさは感じていました。

 

それでも、この曲を聴いては、「今は、いつか旅に出る為の準備期間だ!」と自分を正当化しながら…半ば思い込ませながら、独りで頑張っていたのを思い出します。まぁ…今の自分も、その頃からはあまり変われてないですけどね…臨んだ仕事は”一応は”できているという状況にはなりましたが、相変わらず今の僕も、”いつかきっと旅に出る”状態だと思っています、笑。

 


■僕は、歌を聴いて”泣いた(涙を流した)”ことって、これまで生きてきて、ほとんどないんですよ。かなり特殊な状況で、片手で数えられるくらいしかありません。泣きそうになるくらい、感動することはたくさんあっても、一線は越えないんですよ。

 

そこへきて、この【僕はきっと旅に出る】という曲ですが…泣きましたねー、これは誇張表現ではなくてです。何回か聴いていて、まさに、先述したCメロを聴いた時でした、無意識に頬を涙が伝っていたのです。

 

何ていうか、自分の状況に対して、これほどまでに寄り添ってくれる歌があるのかと…これは誰もが経験あるとは思いますが、まるで自分のために歌ってくれていると錯覚するほど、自分の気持ちとスピッツの歌がシンクロしたように思えたんです。(もちろん、先述しましたが、震災のことも思い出していました。)

 


■これも先ほど少し書きましたが、”旅”と大きく括っても、その意味合いは人それぞれだと思っています。そして、”旅”に出たくても出られない状況にある人って、世の中にたくさん居るとも思っています。

 


学校に行くことができない子にとっては、学校に通うこと自体が大きな”旅”になってしまっています。

 

それどころか、部屋を出られなくなった人にとっては、外に出ること自体がもう”旅”だと思います。

 

仕事に就けない人は、仕事を見つけること自体が”旅”の目的でしょうし、じゃあ仕事に就けば”旅”は終わりか、と言われても、決してそうでもなくて、仕事に就いてからも、やっぱり”旅”は続くわけです。

 

病気や障害を抱えて、それが”旅”に出ることを困難にさせているケースだってあるでしょう。

 

かと言って、一見すると順調に生きているように見える人でも、何かしらを抱えていて、いつか”旅”に出たい、自分を変えたい、何かに挑戦してみたい、などと思っているかもしれません。

 


そうやって、誰しもが自分なりの”旅”に出たいと、あるいは、自分の”旅”に何かを見出したいと思っているのかもしれません。他人には、そんなことができないの?できなかったの?と思われる、ほんの些細なことだとしてもです。

 

しかしながら、それがすぐに叶うとは限りません。勇気が足りなかったり、準備が整っていなかったり、根本的に何か出来ない理由があったりするかもしれません。

 

それでも、いつかきっと!って思いながら、誰もが過ごしたりしているわけです。すぐに行動には移せなくても、思っていることは、間違いなく本当なんですよね。

 


■そういうことを踏まえて、改めてこの歌を聴いてみると、先ほども紹介しましたが、こんな風に歌われています。

 


僕はきっと旅に出る
今はまだ難しいけど

 

重ね重ね言いますけど、”今はまだ難しい”んですよね。それをちゃんと踏まえてくれているのは、本当に草野さんのすごさ、優しさだと思います。

 

2番のサビに入る前に、"でもね    分かってる  "という歌詞がありますが、ここも、たったこれだけの短いフレーズが、本当に深い意味を持っていると感じます。今すぐには旅には出られないけど、でもいつかまた旅に出たい…と、そういう状況にある人に寄り添ってくれているような気がします。

 

 

そして、一人忘れていますね、この歌の向かう先には、草野さん自身も、きっと居るのだと思います。草野さん自身が、震災以後のラジオや映像で、「音楽をやることの意味を考えさせられた、意味があるのだろうか」と語ると同時に、「音楽ができることの幸せを感じている」とも語っていました。

 



星のない空見上げて
溢れそうな星を描く

 

こういう歌詞が出てきますが、この部分は、最後にこんな風に変わっていきます。

 


小さな雲の隙間に
ひとつだけ星が光る

 

実際に見えたのか、または、これも想像であるのか…とにかく、それがいつの日か、

 


愚かだろうか?
想像じゃなくなるそん時まで

 

”その時まで”じゃなくて、”そん時まで”という響きも、何か好きなんですけどね。自分の思っていることが、いつか”本当”になるその時まで、希望を持って頑張っていこう、という草野さんの想いが込められた、強くて優しい応援歌だと思います。

 

僕の方こそ、この歌に「ありがとう」を言いたいのです。



僕はきっと旅に出る LIVE映像(short ver.)

youtu.be

160時限目:ほのほ

【ほのほ】

 

ほのほ

ほのほ


■アルバム『スーベニア』に収録されている曲です。”ほのほ”とは、”ほのお”を古い平仮名表記で書いたもので、漢字では「炎」と書きます。読むときは、こういうのはどうなるんですかね…ホノホ?ホノオ?まぁ、そのまま読んで、前者ですかね。そう読むと、かわいらしいイメージに変わりますけどね。

 

wikiによると、「炎」は、もともとアルバムタイトル候補だったそうですね。アルバム『炎』ですか…申し訳ないですけど、スピッツには似合いませんね、笑。『スーベニア』で良かったです。

 

【ほのほ】は、個人的ランキング195曲中25位でした。『スーベニア』自体、アルバム単位ですごく好きな作品なんですが、特にロックな曲は本当にかっこいいのばっかりですよね…【ほのほ】【ワタリ】【ティタム・オニール】【みそか】など、どれも自分のランキングでは、結構上位に入っています。

 

【ほのほ】も、本当にかっこいい曲です。すごく、音がドラマチックなんですよね、場面が展開していく感じがたまらないんです。サビなどで鳴っている鍵盤の音にははっとさせられますし、サビで盛り上がるドラマの音とか、余韻を残すようなアウトロとかね、歌詞の内容とも相まって、どこかへ走り出したい気分になります。

 


■では、早速、曲の解釈について書いてみます。

 

まず、この歌を象徴しているフレーズは、サビのこれらの部分じゃないかと思っています。

 


今君だけのために 赤い火になる
君を暖めたい

 


でも君だけのために 北風になる
ボロボロになりたい

 

まず、前者にも後者にも、”君だけのために”という強いフレーズが出てきています。読んで字の如し、”君だけのために”何かをしてあげたい、という気持ちを表しているのだと受け取りました。

 

前者では、”赤い火になる”、”暖めたい”というフレーズが出てきますが、これは、1番のAメロに出てくる、"みぞれに打たれて"というフレーズにかかっているのだと思います。”みぞれ”という言葉からは、寒いイメージを受け取るので、ここの部分は、寒くて凍えている君を、自分自身が火となって暖めてあげたい、と歌っているのだと思います。

 

おそらく、この前者の部分が、タイトルの”ほのほ”を表しているのかな、と思います。

 


後者では、”北風になる”というフレーズが出てきますが、これは、2番のAメロに出てくる、”灼熱の道で”というフレーズにかかっているのだと思います。前者とは逆に、”灼熱”という言葉からは、暑い(熱い)イメージを受け取るので、ここの部分は、暑くて途方に暮れている君を、今度は自分自身が北風になって涼ませてあげたい、と歌っているのだと思います。

 

北風に関しては、すぐに君の元に飛んでいってあげたい、という気持ちも表わしているのかな、とも思いました。

 


■もう少し、具体的なストーリーを想像してみたいと思います。

 

例えば、”灼熱の道で”、というフレーズが出てくる部分の歌詞は、こんな風になっています。

 


灼熱の道で 空を仰いでる
どこにいるのか 知らないままさ

 

ここの”どこにいるのか 知らないままさ”という言葉からは、例えば、遠くで暮らす恋人や想いを寄せている人…まぁ、別に恋愛感情を持ち込まなくても、自分の子どもとかでもいいかもしれませんね、とにかくそういう自分の大切な人の無事を祈っている、というイメージを受け取りました。

 

自分とは離れた街で、頑張っている大切な人のことを、寒い日には「凍えていないだろうか、自分が側にいって暖めてあげたい」と、暑い日には「暑くて倒れていないだろうか、自分が風になって今すぐ飛んでいきたい」と、気にかけているような、そういうストーリーですかね。

 


■もしくは、もっとドラマチックなストーリーを想像するとしたら、行方知らずになった大切な人を本当に探している、というのもありかもしれませんね。

 

歌詞の中に、”煤けた街”とか”崩れそうな橋”とか、まぁ”灼熱の道”もそうですけど、この辺りは何かの比喩かもしれませんが、そのまま読むと、戦争とか災害でボロボロになった街みたいな景色も想像できます。そうすると、今度は、相手の生死自体もあやふやになってしまいますけどね。

 

あとは、この”君だけのために”と思っている人物自体が、死んでしまっているという想像もしたりしました。そうすると、またがらりと意味合いが変わってきて、”死んでもあの世から君をずっと見守っているよ”みたいなストーリーになっちゃいますけどね、これだと悲しすぎですかね。

 


■または、上述の解釈を全く無視するならば、”片思いの相手への、秘めた想いについて歌っている歌”とかね、こういう解釈もしっくりくるんですよね。

 

想い人を、遠くからしか見ていることしかできなくて、ずっと相手のことを考えている、と…何と孤独で、純粋で、強い想いじゃないですか。

 


などなどなど…本当に色んなストーリーを想像できますね、あなたにはどんなストーリーが見えてきますか?

159時限目:ホタル

【ホタル】


ホタル

ホタル

 

■21作目のシングル曲で、アルバム『ハヤブサ』にも収録されています。個人的ランキング、195曲中23位でした。すごく好きな曲なので、ランキング上位で良かったです、ちょっと意外でしたけどね。

 

この曲(シングル)も印象に残っていますよ、買った時の状況とか…高校生でしたけどね。学校の帰りに買って、ウキウキしながら帰った覚えがあります。そして、学校でもスピッツ好きの友だちが居て、こっそり貸したりとかしてました。

 

何よりまずね、このシングルは、ジャケットがとても印象に残ってるんです。自転車が空中に浮かんでいるような…というよりは、自転車が空から落ちてきている感じですけど、何かずっと気になるジャケットなんですよね。気になる方は、調べて確かめてみてください。

 


あと、このシングルは、スピッツで初めてマキシシングルとして発売になったシングルだったんですよね。シングルなのに、でかっ!と思った記憶が微かにありますが。

 

その辺り、一応解説をしておくと…

 

シングルは、初期は直径が8cmが主流でした。おじさんおばさんは、よく覚えていますよね、笑。長方形のパッケージが懐かしいですよね。今じゃ、プラスティックのケースに入っているのは当たり前ですけど、昔のは、わざわざケースを買って入れないといけなかったですからね。

 

アルバムは、今と同じで、ずっと直径が12cmで続いていますが、シングルの方は、ある時から直径12cmが主流になり始めました。スピッツでは、それがシングル『ホタル』が始まりだった、ということです。

 


■ということで、あまりこれというエピソードは見つけられなかったので、早速曲の紹介に移ります。

 

まず、初めて聴いた時から、本当にきれいな曲だと思っていますよ。特に、歌詞がね、本当に美しいんです。一筋縄ではいかないところもあるかもしれませんが、大きな括りとしては、ラブソングなんですかね。

 


特にお気に入りの歌詞が、この部分です、紹介しておきます。

 


甘い言葉 耳に溶かして
僕のすべてを汚して欲しい
正しいものはこれじゃなくても
忘れたくない 鮮やかで短い幻

 

これ、どうですか!色んなストーリーを想像できるかと思いますが、言葉の選び方がすごいですよね。

 

キーワードは、”甘い言葉”、”汚して欲しい”、”正しいものはこれじゃなくても”あたりですか。この辺をつなげてみると、やはり一筋縄ではいかない恋愛が浮かび上がってきます。例えば、本来は好きになってはいけない相手に対して、想いを寄せてしまったとすると、不倫や浮気などが想像できますし、例えば、そういう商売をしている相手を好きになってしまったとすると、体を売る女性との恋愛なども想像できます。

 

”正しいものはこれじゃなくても”からの”汚して欲しい”ですからね、正しくないと分かってはいるものの、自分の気持ちは止められずに、ズブズブとはまっていくという感じでしょうか。

 


■そして、そういう恋愛でも、この男にとっては、希望の光になっていることが読みとれます。

 


闇の途中で やっと気づいた
すぐに消えそうで 悲しいほどささやかな光

 

タイトルの”ホタル”は、ここの部分を表しているのだと思います。もちろん、昆虫の蛍(ホタル)のことですね。ホタルの寿命は、1~2週間であると考えられています、本当に短いですね。その短い人生を、自ら光りながら全うしていく、ということを選んだとは、何とも感慨深いものを感じますね。

 

そういう、儚くも美しいホタルの光を、真っ暗な人生を歩んできた”僕”に、希望をもたらした”君”の笑顔に例えたのでしょう。

 


■しかしながら、それは許される相手ではなかった、好きになってはいけない相手だった、ということで、こんな歌詞が出てきます。

 


生まれて死ぬまでのノルマから
紙のような 翼ではばたき
どこか遠いところまで

 

”生まれて死ぬまでのノルマ”とはなんでしょうか。”翼で羽ばたき”という言葉も気になるところです。

 

これを、単に”生きていくこと”と訳すとすると、叶わない恋愛への辛さから、自ら命を絶ってしまうというような想像ができます。

 

”人の道を踏み外さないこと”、つまり”正しい恋愛をすること”と捉えると、そこからの逃亡ということで、駆け落ちだったり、突き詰めていけば、相手との心中などという想像もできますね。

 

それは、悲しいと思うべきか、それとも美しいと思うべきか…純情と言うべきか、不純と言うべきか…。

 


■ということで、最後に【ホタル】のMVを載せておきます。

 

youtu.be

 

このMVも、独特ではありますよね。炭鉱のような場所で歌うスピッツのメンバーは皆、作業着を着て、すすけて真っ黒な顔をしています。歌ってないで働けよ!って感じですけどね、笑。炭鉱内が崩れているような描写も見られて、ますます、歌ってる場合かよ、とか思ったりしましたが…。

 

曲とのつながりを考えてみるとすると、まさしくこの炭鉱は、男が迷い込んだ暗闇を表しているのでしょうか。そして、MVの最後では、炭鉱から外の世界へと男が脱出する描写がありますが、これもそのまま、自身の暗闇からの脱出と考えることができそうです。

158時限目:惑星のかけら

【惑星のかけら】


惑星のかけら

惑星のかけら

 

■4作目のシングル曲であり、アルバム『惑星のかけら』の表題曲にもなっています。個人的ランキング、195曲中90位でした。

 

ちなみに、曲やアルバムのタイトルの読み方は「ホシノカケラ」です。”惑星”で”ホシ”と読みましょう。まぁ、パソコンで打つ時は、”ワクセイノカケラ”じゃないと出ませんけどね、笑。

 

と言うより、珍しいですよね、シングルとして発売済みの曲のタイトルを、またアルバムのタイトルに掲げて、表題曲にするとは…あんまりないイメージですけどね。ぱっと思いつくのは…宇多田ヒカルの『First Love』でしょうか。

 


■初期3部作と言われる、アルバム『スピッツ』『名前をつけてやる』、ミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』を経て作られたのが、アルバム『惑星のかけら』です。

 


『惑星のかけら』とは、どんなアルバムだったのでしょうか。

 

このアルバムを紹介しているところではよく、グランジ、退廃的、などという言葉を見かけます。初期3部作を経て、よりマニアックに、自分たちの世界に入り込んでいったという感じがしますね。

 

そして、それらを一番物語っているのが、【惑星のかけら】という楽曲そのものだという印象です。これから、この曲を紹介するわけですけど、本当に何ですかね、この曲は、笑。さぁ大変だ、どうする、未来の自分!?

 


wikiの情報によると、「作詞にあたっては、アイザック・アシモフアーサー・C・クラークSF小説をイメージしている。」とありました。

 

そして、書籍「スピッツ」を読んでみると…詳しくこのアルバムや楽曲についての情報はないものの、この頃のインタビューにて、何故か草野さんの”妄想癖”について取り上げられていました。

 



草野さん:なんか日本的なSFなんですけどね。アシモフみたいな本格的なやつじゃなくて、ちょっと思いついたアイデアとかイメージみたいなのをちっちゃいストーリーにしたりとか…

 

草野さん:…あの、つたが壁をはい回ってる家ってありますよね? それが福岡の海岸にあって……という妄想を膨らまして、で、本当にそこにあるはずだっていう気になっちゃって。実際見に行ったらなかったという(笑)

 

後半のやつは、読んでて途中で、”!??”ってなっちゃいましたけどね、妄想かよ!?って。何となく、【アパート】とか、ふいに思い浮かびました。

 


その他、アルバム『惑星のかけら』という作品について、「レトロSF」「夢のような世界」などという言葉で形容されていました。上述のような、草野さんの妄想の世界が、この頃の作品に反映されている、というイメージです。

 


■そこへ来て、【惑星のかけら】という曲ですよ。

 

よく使われる”グランジ”という概念…グランジ?あぁ、ニルヴァーナかな?って繋がっちゃうんだけど、よく分からないままなんですよね。wikiの説明によると、「パンク・ロックのような簡素で性急なビートと、ハード・ロックのようなリフ主体の楽曲構造とが融合」だとか、「『静と動』のディストーションギターのサウンド」だとか書いてあります。

 

めいっぱい歪んだギターが鳴っていて、かと思いきや、静かになっていきなり重厚な低音が目立ち出して、そんな中で、よく意味が分からない歌詞をぼそぼそと歌っている、という感じが、上述のグランジという説明に合うのかな…まぁ、ニルヴァーナとは何か違いますけどね。グランジというより、シューゲイザー的な感じでしょうか。

 

こういう感じの曲は、僕は今もあんまり聴かないんですけどね、【惑星のかけら】に関しても、かっこいいなぁって思うには、それなりの時間がかかりました。

 


■歌詞を読んだ感じでは、そうですね、ここまでで出てきた言葉を借りるのならば、「夢のような世界」が当てはまりますかね。全体的に読んでみても、全然物語が繋がっていなくて、パッ、パッとシーンが変わっていく感じは、まさに夢でも見ているようなイメージです。


よくこの歌に、性的なイメージを見出す解釈も多いようですが、その主な理由は、この辺りの歌詞でしょうか…

 


君から盗んだスカート 鏡の前で苦笑い
オーロラのダンスで 素敵に寒いひとときを

 

何やってるんだ!?って話ですけどね、笑。盗んだスカートを履いちゃってるんですかね、それで鏡の前でポージングして、おいおい!ちょっと待てよ自分!落ち着け!(苦笑)的な、我に返る展開ですか、笑。

 


それから、出だしの歌詞は、

 


知らないふりをしてたんだ 君の夢を覗いたのさ
二つめの枕で クジラの背中にワープだ!

 

という感じですが、例えば、”二つめの枕”からは、”君の隣にある枕”というものをイメージしてみるとどうでしょうか。実際に、君が眠っている間に、部屋に(君の寝床に)忍び込んで、隣で添い寝しちゃう…というのは飛躍しすぎでしょうが、まぁ、ベッドの上でいちゃいちゃしている、くらいですかねぇ…実際にしていなくても、場面を妄想しているのかもしれません。妄想して、何をしているのかは…イヤーン。

 


「クジラの背中」とか、あとは、「ベチャベチャのケーキの海」や「オーロラのダンス」などの歌詞も出てきますが、この辺りの歌詞からは、メルヘンなイメージを受けますね。これは、君に対するイメージの具現化でしょうか。夢で見た光景を、そのまま言葉にしたようにも読めます。

 


■あとは、最大の謎、”惑星のかけら”という言葉そのものが、何を表しているのか、という話ですよ。

 


うーん…何でしょうね、笑。一応、歌詞には、こんな風に出てきますよ。

 


骨の髄まで愛してよ 惑星のかけら
骨の髄まで愛してよ 僕に傷ついてよ

 

思えば、【日なたの窓に憧れて】では、”君が世界だと気づいた日から”などという歌詞があったり、【僕の天使マリ】では、君は”天使”になっちゃってますし、【ローランダー、空へ】や【リコシェ号】なんかは、世界を飛び越えて、どっか別の世界に行っちゃうイメージですよね。

 

惑星の”かけら”ですからね、色んな妄想の断片という意味か、”君”そのものを表わしている言葉なのか…本当のところ、なんでも良いような気がします。

 

性的と言えば性的だし、妄想的と言えば妄想的だし…なんかとてつもなく大きなものと言われればそんな感じかもしれませんし、逆に、全然そんな大したものじゃないと言われればそうかもしれません。


性的な行為の果て、あるいは、自分の中で繰り広げられる妄想の果てに、ちょっとだけ指先で触れた(ような気がした)、この世の”真理”のようなもの…人の生き死にから、性的なもの、夢や妄想、愛について、そういうものをフワッとまとめて、"惑星のかけら"と言っているような印象です。そう言えば、なんか宗教的・哲学的な話にも繋がっていきそうですけどね…。

 

うーん…どう思いますか?

人工知能でもロボットでもなく

■どうも、学長のitukamitanijiです。突然の近況報告失礼いたします。

 

後出しの記事になっちゃいますが、実はここ最近のスピッツ大学、地味に”休校状態”にありました。

 

それは全く以って、わたくしがインフルエンザに罹ってしまっていたのが理由でございます!インフルエンザに罹ったのは、これは本当の本当に、生まれて初めてのことだったんです。

 


プライベートに関しては、仕事上休むことは、たくさんの人に迷惑をかける致命的なことなんですけど、だからこそ絶対に完治するまで仕事には来てはいけない、というのは同じ意味を持っていて(他の方々にうつったら、それこそ大変だ)、今日まで…期間にして5日間ほど、自宅で安静にしております。

 

現在は、順調に回復し、体調は良好です!喉に、少しばかり症状が残っちゃいましたが、明日より、通常の生活に戻る予定です。寝すぎて腰が痛くて、アグレッシブには動けそうにはありませんが、頑張っていこうと思います。まぁ、実際はもうすでに、自宅にて、やり残していた仕事に着手しはじめているところなんですけどね。

 


■さて、ここスピッツ大学。

 

スピッツ大学という、仰々しい名前を掲げながらも、講師は私一人、孤軍奮闘でやっております。ということは、一人休むと、それがそのままブログ更新停止に繋がってしまうわけです、笑。

 

まぁ別に、定期的に記事を上げることなど、どこの誰とも約束していないし、別に仕事でも何でもなく、趣味でやっているブログですのでね。かつては、何となく(本当に何の理由もなく、笑)、1ヵ月位更新をサボったこともあったりして、休校という決まり自体ないんですけどね。今回は、上述のインフルエンザ罹患という理由もあって、精神的に休んでおりました…というより、現在も休んでおります。

 

病状はともかくとして、ひとつひとつの記事を書くのは、肉体的にしろ精神的にしろ、とにかく気分が乗らないと進まないんです。いざ、記事を書き始めたは良いが、何か今日は面白くないなぁ…と、途中で止めてしまうことも、しばしばあるんですよ。

 

今の自分のプライベート状態では、「書く時間がない!」という状況には決してならないので、記事を書くことに対しては、時間次第ではなく、まったく自分の気の乗り次第になっています。それがちょうど、1週間くらいで更新されていくので、週に1~2個の記事を書くペースに落ち着いているという現状です。

 

なので、別に記事の更新が滞っているわけでは決してありませんが、一応報告させてもらいました。人工知能でもロボットでもなく、生身の人間が記事を書いております!なので、こういうこともまたあるかもしれませんね。これからも、生身ひとつで、生きた記事を頑張って書いていきます。

 


■ということで、これでは、本当に近況報告だけで終わっちゃいそうなので、ここは安静中のスピッツ話をひとつ。

 


安静にしている間、まぁインフルエンザに罹ったことのある方は経験があるかと思いますが、本当につらいのは、最初の1日2日くらいのものなんですよ。その後の3日間は、まぁ体からの毒抜き期間といいますか、ウィルスが完全に抜け切るまでの安静期間になるわけです。

 

こう言っちゃなんですが、休んでいる間、安静にしつつも、何かしたくなっちゃうんですよね。何かやらなくちゃ!と。もちろん、自宅は一歩も出ておりませんからね!

 


それでですね、僕はウォークマンを持っているんですが、それがおよそ8年前くらいに買ったものなので(”最初にしていた仕事”時代で、自分にご褒美で買ったもの)、もう挙動が良くないんです。フルで充電しても1時間くらいで電池切れになっちゃうし、音だってなんか劣化しているっぽいし(多分イヤホンジャックの接触が良くない?)、同じタイミングで、ウォークマン用のスピーカーも壊れる始末です。

 

それらを買い換えることは良いとして、せめて応急的にできることはないのかと探していましたが、何ら簡単なことでした。自分が持っているスマホウォークマン代わりにして、音楽を聴けるようにすればよかったのです。もうこの時代、そういう使い方をしている方も多いのではないでしょうか。

 

と言っても、ウォークマンには膨大な曲が入っています。全部を移すのは大変だ、ということで、とりあえずスピッツの全曲だけでも、スマホで聴けるようにしようと思い立ちました。

 

まぁ、やり方も単純なんですけどね。幸い、スピッツ音源はパソコンにデータとして全て揃っていますので、その音源をMP3形式に変換して、microSDカードに移していくだけです。

 

 

■MP3で、スピッツの音源をすべてデータ化すると、容量がどれくらいになるか、皆さん分かりますか?全232曲(一部被りアリ、カバー曲も含め)で、およそ1GBですよ。爪くらいの大きさの、風が吹いて飛ばされそうなmicroSDカードに、30年分の音源が全て詰め込まれちゃうんですねぇ。僕のmicroSDの容量は8GBありますので、それでもまだまだ余裕があります。何とまぁ、ちょっとあっ気ない感じもしますけどね、これも時代ですか。

 

ただ、スマホウォークマンは快適ですよ。自動で歌詞も引っ張ってきてくれるし、音もきれいですしね。スピッツの楽器隊…特に、ドラム・ベースのリズム隊の音もしっかり聴けて、そこまで余すことなく聴けるのは、本当に嬉しいことなのです。そういう意味では、音的に新しい発見がありますよ、大げさに言うと、新しい曲を聴いている感覚です。

 

スマホひとつあるだけで、全曲入っているので、聴きたい時に聴きたい曲を取り出すことができるということです。これで何処へだって、スピッツと共に行けますよ。

 


まぁそれでも、僕は現物派ですのでね。もちろん、スピッツの作品は、CDやDVDなどで購入を続けていくつもりです。まぁ、この世の中に、いつまでそういうものが存在し続けるかは分かりませんが…まぁ、言っても、まだ当分あるとは思いますけどね。

 


■上述のようなことをしたから余計に、スピッツの曲を流しながら安静にしている時間が多かったわけですが、何ていうか、ヒーリング効果というかね、そういうものを感じます。

 

子どもの頃からずっと聴いてきたのでね、もう体に馴染んでるんでしょうね。喉が乾いたら水分を取るように、腹が減ったら米を食うように、スピッツ音源は、自分にとってごく自然なものなのです。別に、大好きだからといって、毎日のように、好きだ!好きだ!って言ってることが気持ちの強さを表すものでもございません、そういう元気も最早ないですしね、笑。だからこそ、こういうときに、本当にスピッツがそばにいるということを感じています。

 


ということで、学生諸君、くれぐれも体には気を付けるように!特に、インフルエンザは、早期発見・処置さえすれば、すぐによくなります。ここに来ている学生の中には、もう若くない方々…おじさんおばさんも多く居ると思われます。もう若くないんですからね!歳相応の行動を!笑


何故か、安静中にはまって聴いていた【ハネモノ】

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157時限目:放浪カモメはどこまでも

【放浪カモメはどこまでも】


 

■22作目の両A面シングル『メモリーズ / 放浪カモメはどこまでも』に収録され、アルバムとしては『ハヤブサ』に収録されていますが、こちらは、ジム・スコットという方によるリミックスバージョンになっています。

 

また、シングル『さわって・変わって』には、カップリングに、「SPITZ HAYABUSA JAMBOREE TOUR “純情2001”」でのライブテイクが収録されています。今考えると、シングル『さわって・変わって』は、かなり豪華なシングルだったんですね、4曲入りですからね。

 

個人的ランキング、195曲中13位でした。本当に大好きな曲です。僕は、この曲は最初のシングルで初聴でしたが、出た当時からもう印象に残りましたね。それは、最初は違和感に近かったですね、それまでのスピッツにはない、激しいロックな曲だったからです。何か、酔っぱらった時とかに、カラオケで周りもお構いなしに歌ったりしますね…今も、笑。

 


■もう何度も書きましたが、スピッツ史の中で、今や”マイアミ・ショック”と語られる、ベストアルバムを発売することを、レコード会社に半ば強行的に決定された出来事があります。時期としては、アルバム『フェイクファー』、スペシャルアルバム(カップリング集)『花鳥風月』発売後のことでした。

 

スピッツは、アルバム『フェイクファー』の出来に納得がいかず、音作りのために試行錯誤を繰り返していました。日本で合宿のようなことをしてみたり、アメリカでトム・ロード - アルジというエンジニアに出会ったりして、その音作りの旅は、成果を見せ始めました。

 

その最中に、マイアミ・ショックが起こるわけですが、それも結果として、スピッツをロックバンドとして再生させるきっかけになりました。これが俗に言う、スピッツの”死と再生”です。

 


書籍「旅の途中」によると、ベストアルバム『RECYCLE』発売後(このアルバムタイトルは、草野さんが名付け親らしいですね)、アルバムやライヴの予定が白紙になり、レコード会社との契約も分からなくなりました。

 

しかしながら、スタジオの予約は取れていたため、メンバーでスタジオに入って、音を出していたそうなのです。そこでは、これまでのスピッツの曲もしたんでしょうけど、”スピッツではあまりやらない曲”もカバーしていたんだそうです。何か、ここまでの経緯を考えると、こういうエピソードは泣けてきますね…泣かないですけど。純粋にロックバンドとして、音を出していたんでしょう。

 

で、【放浪カモメはどこまでも】ですが、この時期に原型が生まれたらしいことが、書籍や”色色衣座談会”に書かれています。仮タイトルは「ギター・ポップNo.1」だったそうです。出来上がった曲を聴いても、今までのスピッツの曲とは一味違う、ギターの音が激しく鳴っている曲…ポップというよりは、こういう場合はパワーポップですかね…になっていますね。まさに、音作りの旅で見つけた”スピッツの今の音”の結晶であるような気がしてなりません。何か、吹っ切れた感じがしますよね。

 

まぁ、個人的な解釈も含まれますが、それでも、こんな風に考えて聴いてみると、【放浪カモメはどこまでも】へ抱く印象が変わってきませんか?

 


■そんな、【放浪カモメはどこまでも】は、どういうことを歌っているのでしょうか、考えてみました。

 


最初に聴いていた頃を思い出してみると、この曲は「失恋から立ち直ろうとしている男の曲」だと思いました。歌詞をなぞってみると、

 


悲しいジョークでついに5万年
オチは涙のにわか雨

 


見ろ あの夕焼けを 美しい
上昇し続けることはできなくても また やり直せるさ

 


愛にあふれた短い言葉を たったひとつだけ

 

”5万年”、”オチは涙のにわか雨”は、5万年という時間は誇張表現でしょうけど、とにかく長いこと想っていた人がいたんだということを表していて、”オチは涙のにわか雨”ということで、それが悲しい結果に終わってしまった、つまりは、想い続けていたけどフラれてしまった、となります。

 

”夕焼け”に関しては、スピッツの曲には、人を想い続けて感傷的になっている場面や、恋愛の終わりの場面、などに出てくる言葉ですよね…【アカネ】、【恋は夕暮れ】、【夕焼け】などがそれに当たりますかね。

 

”愛にあふれた短い言葉”は、素直に捉えれば、相手への告白の言葉と考えることができますかね。

 


■しかし、先述のこの曲が出来上がった経緯を考えていけば、イメージがガラッと変わってきますよね。これは、紛れもなく、自分たちのことを、スピッツのことを歌っていることなのではないか、と。

 

”悲しいジョーク”や”オチ”などの表現は、そのままマイアミ・ショックを思わせますね。ずっと長いこと信じてやってきた自分たちの活動が、身勝手な”オチ”によって終ってしまうかもしれない、と。

 

”見ろ あの夕焼けを美しい”、そんな状況の中でも、希望を見出し始めます。例えば、音作りの旅だったり、例えば、メンバーでスタジオ入りしたことだったりするのでしょうか。

 

”上昇し続けることはできなくても また やり直せるさ”、これは決意表明でしょうか。一連の出来事で、スピッツは一旦”解散したのかもしれない”と書籍にありました。そして、また”甦った”とも書いてありました。

 


■そして、【放浪カモメはどこまでも】というタイトルの回収です。スピッツの曲の中には、”鳥の名前”が出てくることが多いですが、そういう曲には特別な思いが込められているという印象を持っています。【8823】や【鳥になって】なんかは、特にそうですよね。しばしば、”鳥の名前”は、スピッツ自体を表わしているのではないか、と思うこともある程です。

 


放浪カモメはどこまでも
恥ずかしい日々 腰に巻きつけて 風に逆らうのさ

 

この辺りの歌詞はまさしく、過去を忘れられずに(あるいは、忘れないということ自体も決意なのかもしれません)、さまよいながらも、どこまでも飛んでいこう、という強い決意の表明なのでしょう。再び、ロックバンドとして、スピッツとして生きていく決意です。

 

放浪カモメはどこまでも MV

youtu.be

 

このMVも印象的ですよね。良い意味で、”無理している感”もありますが、本当はこういうバンドなんだぜ!これから、こういう風にやっていくからな!ということを示しているように見えます。本当に、メンバーが良い顔をしていますね、吹っ切れた表情ですね。そして、まさかのキーボードはクージー

 

いやぁ、本当にいつ聴いても、たぎってきますね。外へ出て走り出したくなってきますね、うぉーーー!!!

156時限目:ほうき星

【ほうき星】


ほうき星

ほうき星

 

■アルバム『インディゴ地平線』に収録されている曲です。個人的ランキングでは、195曲中157位でした。

 

この曲は、作詞は草野さんですが、作曲はリーダー(田村さん)になっています。まぁ確かに、そう言われると、曲の感じが違いますよね。何となく、ベースが目立って聴こえる気がします、自分の担当なのだからでしょうか。

 


インディゴ地平線』には他にも、1曲目の【花泥棒】が三輪さんの作曲となっています。書籍「旅の途中」によると、アルバム『ハチミツ』のレコーディングの際に、プロデューサーの笹路さん(スピッツのブレイク期~黄金期までを支えていた人)が、草野さん以外のメンバーに対しても、曲を作るように促したそうなのです。結局は、『ハチミツ』には草野さんの曲しか入りませんでしたが、この試みは『インディゴ地平線』でも続き、こちらでは先述の通り、【花泥棒】と【ほうき星】が収録になりました。

 

三輪さん作曲の曲は、初期に何曲かアルバムにも収録されていますが(【月に帰る】、【鈴虫を飼う】など)、リーダーは初めての収録曲ですかね。ちなみに、崎山さん作曲は、未だ収録されていません。作ってはいたんでしょうけどね。

 


■ということで、曲の個人的な解釈に移ります。

 

まず、タイトルの”ほうき星”という言葉ですが、これは”流れ星”や”彗星”と同じ意味合いで使われる言葉です。スピッツの曲には、【流れ星】というタイトルがありますし、”星”や”星の名前”がつくタイトルだと、他にも、【俺の赤い星】【スピカ】【スターゲイザー】【惑星のかけら】などがあります。

 

それぞれの曲で使われている、星の意味合いは違うでしょうけど、全体的に何となく、”儚いもの”の例えとして使われている、と感じること多いです。まぁ元来、星は人間に比べるとずっと大きくて、とてつもなく長生きではあるのでね、”星の存在が儚い”というより、”それと比べて人間は儚い”という意味合いですかねぇ。

 

そこから派生して、”人の生き死に”や”死生観”なども感じることがありますけどね、【流れ星】とかは特に感じました。

 


■じゃあ、【ほうき星】は、どういう曲なんでしょうか。

 

何となく、曲の雰囲気が読みとれそうなのが、最初のAメロです。こんな歌詞で始まっていきます。

 


錆びついた扉が はじめて開くよ
僕らは ほうき星 汚れた秋空
ゆらゆら さまよう 魂を巻き込む
祈りを受けとめて流れに逆らって

 

この辺を読んで僕は、”魂が人の肉体に入っていく”様子、または、”魂が成仏していく”様子を思い浮かべました。

 

”錆びついた扉”という言葉は、例えば、魂が存在している”あの世”的な場所があるとして、”あの世”と”この世”をつなぐ扉という印象を受けました。その扉が開いて、魂がこの世に流れ込んできた、という感じでしょうか。そして、その魂を、この歌では、”ほうき星”と例えているのかな、と思っています。

 

暗闇に魂が放たれて、ゆらゆらとさまよっている感じが、”ほうき星”に見えるということでしょうか。

 


■前者(魂in)の解釈だと、放たれた魂は、自分が宿るべき肉体を探してさまよっている、ということになります。

 

ところで、その人が”その人”と成る、つまり、その人に魂や心といったものが入り込むのは、どの時点なんでしょうかね…受精した瞬間でしょうか?母体の中で成長していき、人の形が見えてきた時でしょうか?それとも、まさにこの世に生まれてきた瞬間でしょうか?

 

まぁとにかく、そういう瞬間に向けて、自分が宿る肉体を探して、暗闇をふらふらとさまよっている、という解釈です。

 


後者(魂out)の解釈だと、前者とは逆、役割を終えた肉体から魂が抜け出して、あの世へと帰っていく、つまり成仏していくところだと考えられます。

 

僕は、何となく、こっちの解釈がしっくりくるんですけどね。”祈りを受け止めて流れに逆らって”の”流れ”という言葉…自然に考えれば、人生における流れの”方向”とは、生まれて、時が経って年を取っていって、老いて死んでいく、というものだと思います。(生→死という流れ)

 

その流れに逆らう、ってことですからね、”生→死”という方向の逆と考えて、”死→生”という方向ということで、成仏はもちろん、もっとその先…輪廻転生という死生観も感じました。

 


■何か、宗教的(?)というか哲学的(?)というか、妙な記事になってしましましたね。僕の方も、何かよくわかんなくなってきそうです、本末転倒!

 

まぁ、魂などと難しい話は抜きにしても、上述の後者の解釈だと、”自ら命を絶った”という解釈もありうるかもしれません。

 


今 彗星 はかない闇の心に そっと火をつける
弾丸 桃缶 みんな抱えて 宙を駆け下りる

 

サビはこんな感じですが、”宙を駆け下りる”ってのが、飛び降り自殺を示唆しているようにも読めるかもしれませんね。

 


あと、謎フレーズの”弾丸 桃缶”についてです。他の部分には、”哀愁 街中”というフレーズも出てきます。両方とも韻を踏んでいますが、どちらとも意味は謎です。

 

書籍「スピッツ」によると、インタビュアーさんにそこら辺を突っ込まれた上で、草野さんが、「あと、ヘンな言葉とかも今回ちょっとあったし、あの”ほうき星”とか」「あの、”アジアの純真”みたいな感じで、《ペキン ベルリン》みたいな(笑)」と答えています。”アジアの純真”とか、懐かしいですよね、若い人は知ってるんですかね、笑。

 

ということで、まぁ、言葉自体にはあまり意味は無い、ということですね。アルバム『インディゴ地平線』は、草野さん以外が作った曲が入っていたり、特に【花泥棒】なんかはそうですけど、割と遊んでいる部分がところどころにあるんですよね。