スピッツ大学

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193時限目:夢追い虫

夢追い虫


夢追い虫

夢追い虫

 

■24作目のシングル曲であり、アルバム『色色衣』にも収録されています。個人的ランキング、195曲中6位でした。

 

個人的ランキング全体でもかなりの上位であり、シングルにのみランキングを絞ると、1位の曲になっています。ただ、この個人的ランキングには、アルバム『小さな生き物』以降の曲は反映されていませんので、今現在ランキングをつけ直すのであれば、1位は【僕はきっと旅に出る】に取って代わられると思います、笑。

 

しかしまぁ、僕は【夢追い虫】が、本当に本当に好きなんですよ。ロックなスピッツの曲はたくさんあるけれど、僕にとってこの【夢追い虫】には、”特別なロック”を感じるんです。何ていうか、さわやかだったり、疾走感だったりとは違って、いぶし銀ゴリゴリのしぶくて重たい感じのロックっていうのかな、そこが何か一味違いますよね。それを、”夢追い虫”なんていう、一見かわいらしいタイトルでやってのけるわけですから、面白いですよね。

 


■それでは手始めに、この曲が辿った歴史をまとめておきます。僕も引用させてもらいましたが、詳しくは、『色色衣座談会』などに書いてありますので、参考にしてください。

 

シングル『夢追い虫』が発売になったのは、2001年10月11日のことですが、レコーディング自体は、アルバム『ハヤブサ』が発売になった後、2000年10月頃に、実はもうすでに済んでいたそうです。ミックスダウン(音のバランスをはかって、1曲にまとめて仕上げること)は高山徹さんです。高山さんがスピッツの曲に関わったのは、ここが初めてですかね。しかし、曲のレコーディングは済んだものの、リリースのチャンスは当分なかったそうです。

 

それで、2001年に発売された、ライヴDVD『ジャンボリー・デラックス LIVE CHRONICLE 1991-2000』にボーナストラックとして、『SPITZ JAMBOREE TOUR “放浪2000”』でのライヴ映像を収録しました。この当時は、全くの新曲であったそうです。このライヴ映像は、後にそのままMVにもなりました。

 

この後、映画「プラトニック・セックス」からタイアップの誘いがあり、同映画の主題歌に決まりました。そして、ここでようやく、シングル化するという運びになりました。

 


■その他、いくつか情報を載せておきます。

 

まず、この【夢追い虫】には、【夢追い虫(early version)】という別バージョン…というより、初期バージョンが存在します。

 

この【夢追い虫(early version)】は、シングルコレクション『CYCLE HIT 1997-2005 Spitz Complete Single Collection』 の初回限定盤に付随された、ボーナスディスクに収録されました。
(ちなみに、『CYCLE HIT 1991-1997…』の初回限定盤のボーナスディスクの方には、【空も飛べるはず】のデモ音源である【めざめ】が収録されています。)

 

僕は、シングルコレクションの初回限定盤は持っていないので(BOXは買いましたが、それにはボーナスディスクは付いていない)、手元に【夢追い虫(early version)】の音源はありません。ただ、昔に聴いたことがあるので、その微かな記憶と、ネットの情報により、【夢追い虫】と【夢追い虫(early version)】の違いを紹介しておきます。

 


〇コーラスの違い
夢追い虫】のコーラスは、石田ショーキチさんとクジヒロコさんですが、【夢追い虫(early version)】のコーラスは、真城めぐみさんという別の方だったそうです。

 


〇Cメロの違い
ここはいくつか違っていて、まず、”うれしくて 悲しくて 君と踊る”の後に、【夢追い虫】ではブレイク(演奏の空白部分)が入りますが、【夢追い虫(early version)】にはブレイクが無く、そのまま続いていきます。

 

また、その後の歌詞も違っていて、【夢追い虫】は”上見るな 下見るな”となるところが、【夢追い虫(early version)】では”下見るな 下見るな”になっています。

 

あと、Cメロ全体の、ドラムなどのリズムが違っているみたいです。詳しくは、音源で確認してみてください。

 


〇最後のサビの違い
夢追い虫】は、最後のサビが2回繰り返されます。歌詞としては、

 


ユメで見たあの場所に立つ日まで
僕らは少しずつ進む あくまでも

 

ユメで見たあの場所に立つ日まで
削れて減りながら進む あくまでも
あくまでも

 

となって終わるのですが、【夢追い虫(early version)】では、2回目のサビがなく、1回サビがあって終わります。

 


■それからもうひとつ。

 

この曲は、アウトロがまた特徴的で、何ていうか、早回しにした人の声が歌っているように聴こえます。例えば、キテレツ大百科の「はじめてのチュウ」だったり、”おらはしんじまっただ”という歌詞が特徴的な「帰って来たヨッパライ」などのボーカルに近い感じでしょうか。一聴すると、ちょっと怖い感じもします。

 

普通に聴くと、アウトロは何を歌っているのかは聴き取れないんですが、ここの部分の正体は、実はAメロの逆再生であるのだそうです。

 

そういう事実があるということは知っていましたが、何とそれを検証している動画を、某動画サイトで見つけることができました。アウトロを逆再生した音源を載せてあるのですが、確かにAメロが聴こえるんですよ!こういう小ネタが隠されていたんですね。

 


■長くなりましたが、ようやく【夢追い虫】がどんな曲なのか考えてみます。

 

まず、何と言ってもタイトルですよ。言葉としては”夢追い人”というのがありますよね。意味はそのまま、”夢や目標を追っている人”という感じだと思いますが、それを文字ってかは分かりませんが、タイトルは”夢追い虫”ですよ。”人”と”虫”が違っていますが、同じような意味合いで使っているのでしょうか。

 

…と考えながら、この歌の歌詞を読んだ時に、2つ気になる箇所があるんです。

 


まず、1つ目。この歌の対象になっているのは、1人ではなく、2人(でセット)だということです。歌詞でいうと、

 


笑ったり 泣いたり
あたり前の生活を
二人で過ごせば
羽も生える 最高だね!

 


ユメで見たあの場所に立つ日まで
僕らは少しずつ進む あくまでも

 

”二人”で過ごせば、”僕ら”は少しずつ進む…夢を追っているのは、1人ではなくて2人だということになるんですかね。1人であれば、後者は、”僕”は少しずつ進むになっていてもいいのに、”僕ら”となっています。

 


2つ目。しばしば、このブログでも話すことがあるのですが、草野さんの書く詩の中には、時々”漢字で書けるのにカタカナ”が出てきます。そういう時に、僕が決まって言っているのが、”その言葉を、本来の意味通り使っていないのではないか”ということです。

 

夢追い虫】では…これも不思議ですよね、この曲の一番の主題でもあろう”夢”という言葉、タイトルではしっかり漢字表記になっているにも関わらず、歌詞の中では、一つも漢字表記の”夢”は出てこないのです。

 


ユメで見たあの場所に立つ日まで

 


おかしな ユメですが
リアルなのだ 本気でしょ?

 

という具合です。今までと同じように考えたら、”夢”という言葉を、本来の意味合いで使っていないのではないか、となるのです。

 


■”夢”を本来の意味合いで使っていない…?何だそりゃ?と。色々考えたことを語っても良いんですが、ここは出来るだけ絞りたいと思います。

 

まず、夢というのは、本来どこか”崇高”なものです。その一方で、ユメには、その”崇高”さが含まれていないのではないか、と。要は、そんなに”たいしたものではない”のではないか、というのが基本的な解釈です。

 


しかも、このユメは、二人で追い求めているもの、一人では叶えることはできないもの、ということ。しかも、

 


吐きそうなくらい 落ちそうなくらい
エロに迷い込んでゆく
おかしな ユメですが
リアルなのだ 本気でしょ?

 

という風に、”エロ”に迷い込んだ先に、ユメがあると歌っています。

 


例えば、一番単純な解釈は、ユメ=”二人でいつかエッチをすること”でしょうか、笑。しかし、Cメロでは、”うれしくて 悲しくて 君と踊る”とありますが、ひょっとしたら、ここがSEXの描写なのかな、とか考えたりもします。

 

とすると、ユメはその先にあるものと考えると、もっと広い意味で、2人で過ごせる生活(”性”活か?笑)のことを指しているのかもしれません。

 


■そして、最終的にそれが”虫”であると。

 

これはおそらく、”エロ”を追い求めること自体は、人間誰しもに備わった、一番基本的な欲望の一つなのだということを表しているのだと思います。暗闇の中、電灯に群がる虫のように、同じようにエロいことばっかり考えて、同じようにその欲望に集まる人間の様子は、まさに虫のようだと、そういうことですかね、笑。

 

それは、くだらなくも、まさしく、人間の根源を表しているもの…草野さんの詩のテーマ”死とセックス”の一端を表しているのでしょう。

 

youtu.be

192時限目:雪風

雪風


 

■40作目のシングル曲です。当シングルは、配信限定で発売されたデジタルシングルとなっています。また、後に発売されたアルバム『醒めない』にも収録されました。

 

(今回の記事は、特に脱線していることを、あらかじめお伝えしておきます。辛抱して読むか、適当に飛ばしてください、笑)

 


■まず、【雪風】は「不便な便利屋」というテレビドラマのエンディングテーマになりました。この「不便な便利屋」の監督を務めたのが、鈴井貴之という人物なんですが、知ってますかね?

 

かつて、「水曜どうでしょう」という番組がありました。こちらも、皆さん知っていますかね?名前だけは知っている、という方もいるかもしれませんね。


どんな番組なのか…それを語り始めると、それだけで一記事書けてしまうほど長くなるんですが、とりあえず「日本一馬鹿々々しい旅番組」と言っておきますかね、笑。

 

サイコロの目に従って旅をする、カブ(バイク)に乗って日本を走破する、レンタカーに乗ってヨーロッパやアメリカやオーストラリアなどを縦断・横断する、レンタカーで四国八十八ヶ所を短期間で回るなど、その旅はいつだって無謀で馬鹿々々しい。あまりにも、出演者の"ありのまま"を映すものだから、これテレビ?と思ってしまうこともしばしば。何にも映っていない真っ暗な画面に、白字で会話のテロップが出ているだけなのに面白い。出演者の大泉洋が、怖くて独りでトイレに行けないと言うから、それに同行して、う○こをするところをビデオカメラで撮り始めるところなんかは、さすが頭がおかしいとしか言いようがないけど、でも笑ってしまう、笑。

 

…などなど、語り出したらキリがないです。色んな意味で伝説の番組なのですが、当番組は、「一旦ピリオドを打つ」と、レギュラー放送を終了させました(レギュラー放送は、1996年~2002年)。それと同時に、「一生どうでしょうする」という誓いを立て(半ば立てさせられて、笑)、レギュラー放送終了を迎えた現在も、何年かおきに復活して放送をしています。

 


まぁ、その内容はともかく、この番組の出演者こそが、若かりし頃の大泉洋と、通称"ミスターどうでしょう"(しばしば、ミスターと呼ばれる)こと、件の鈴井貴之その人だったわけです。

 


■それで、スピッツと、水曜どうでしょう鈴井貴之との関わりなんですが…

 

まず、何かのラジオ番組で、草野さんがそのパーソナリティーの方に、「水曜どうでしょう」のビデオを借りた、みたいなトークをしていたのを聞いたことがあります(うろ覚えなので申し訳ない)。とにかく、草野さんが「水曜どうでしょう」のファンだというのは確かだと思われます。

 

対して、鈴井さんの方も、スピッツのファンであることが知られています。鈴井さんのツイートには、スピッツの名前が出てくることがあります。そもそも、件のエンディングテーマの依頼も、鈴井さんがスピッツのライヴを実際に観に行った後、自らスピッツにその打診をしたそうです。

 

きっと色んな縁が重なって、鈴井さんのドラマ主題歌をスピッツが務めるというコラボが実現したのでしょう。スピッツも、水曜どうでしょうも鈴井さんも大好きな僕にとっては、こういうのは本当にうれしー限りです。

 


■【雪風】に対しての、草野さんのコメントを少し紹介しておきます。

 

「(雪に縁のない)九州(福岡)育ちの男が妄想力フル稼働で作りました。初(?)の記念すべき雪ソングです」
「鈴井さんが手がけるドラマ、自分たちが絡んでなくても絶対見てましたよ!…」

 


対して、鈴井さんもコメントを寄せています。

 

「…さらにこの『雪風』を初めて聴いたとき、心が震えた。本当に震えた。ドラマの最後を飾ってくれる最高の楽曲だと思う」
「ドラマに合わせて曲をお願いしたが、今はこの曲にふさわしいドラマを仕上げなければと」

 


お互いにお互いを想い合っているのが、よく伝わってきますね、本当にうれしーです。両者のファンの僕にとっては、こういうのはたまりません!
(引用元:https://www.oricon.co.jp/news/2049971/full/

 


■というわけで、ようやく【雪風】がどんな歌なのか、考えてみたいと思います。

 

タイトルや、先述の草野さんのコメントの中で、"スピッツ初(?)の雪ソング"と紹介している通り、冬や雪などをモチーフにした歌になっています。

 

そういえば、スピッツの歌で"冬"や"雪"をモチーフにしたものってなかったですかね?僕は何となく、アルバム『インディゴ地平線』が"寒いアルバム"というイメージなんですが、具体的に"冬"や"雪"などの言葉は出てこないんですよね。

 


ドラマ「不便な便利屋」は、北海道の雪深い街に迷い込み、所持品を失くして帰れなくなった主人公(岡田将生)が、何故かそこで便利屋の手伝いをすることになるというストーリーなんですが、鈴井さんのコメントに"ドラマに合わせて曲をお願いした"とあるように、程度は分かりませんが、そういうストーリーを予め知った上で、スピッツが【雪風】を作ったのでしょう。

 

ただ、僕自身はドラマを少し見ただけですが、歌詞がドラマにがっつり沿っているというわけでは、どうもなさそうなんですよね。

 


■断片的に歌詞を少し抜き出してつつ、考えてみます。

 

まず、一番印象的で、歌の方向を決定づける歌詞で、この歌が始まります。

 


まばゆい白い世界は続いてた
また今日も巻き戻しの海を エイになっておよぐ

 

"白い世界"で、雪景色を思わせますが、続くフレーズは"巻き戻しの海"というものです。"巻き戻し"という言葉からイメージできるのは、"過去の回想"でしょうか。そうか、この主人公は、何か自分の過去の記憶と対峙しているんだ、思い返しているんだ、というところから解釈が始まります。

 


解釈に展開が訪れるのは、2番の歌詞。

 


現実と離れたとこにいて こんなふうに触れ合えることもある
もう会えないって 嘆かないでね

 


君は生きてく 壊れそうでも
愚かな言葉を 誇れるように

 

この辺り、どう考えるかどうかですよね。

 


まず、"現実と離れたとこ"という言葉。これは、"巻き戻しの海"と同義なのかもしれません。つまり、過去の回想の中ということになります。その中でだけ、僕は君と"触れ合える"ことができるということです。

 

過去の回想の中でだけ触れ合えるとは、どういうことか、それは結局、現実・現在では会うことができない、ということに繋がります。どういう形であれ、僕と君との別れがあったのです。

 


■じゃあ、それがどういう別れか。いつものごとく、詳細には語られていないのですが、スピッツの歌詞の中の"別れ"に、一つはやはり"死別"は付き物のような気がして、やっぱりそれが一番に思い浮かびました。

 

"君は生きてく 壊れそうでも"という言葉。これは、亡くなった君をいつまでも記憶の中でだけ想い続けている=君は僕の中でだけ生き続けている、という解釈になりました。

 

"壊れそうでも"は、何ていうか君に対する言葉ではなくて、むしろ、僕自身に対する言葉のような気がします。僕なりに言葉を変えて良いのならば、"僕は僕の中でだけ君を生かしている 妄想に入り込み過ぎたとしても"という感じです。君との思い出に浸る時だけ、僕は生を感じることができる…それは、寂しいことなのかもしれませんね。

 


または、逆に、僕が亡くなっていて、現実に残されたのが君の方だと考えることもできそうです。そうなると、死んでしまった僕が、生きている君に充てた歌、なんていう不思議な構図が出来上がりますね。

 

あとは、まぁ死別にこだわることはなく、ただ恋人関係を解消しただけとか、遠距離恋愛中の恋人を想っているなどという解釈もできそうです。

 


■轟々と吹き荒れる雪や、見渡す限りに真っ白な雪景色。それらには、時として、俗世を離れた何かを感じるかもしれません。

 

スピッツが、草野さんが、"雪ソング"に込めた想いは、そういう現実離れの想いだったのかもしれません。

 

最後にMVを貼り付けておきます。ドラマとコラボしたMVになっており、主人公の岡田将生が、雪の街を闊歩しております。期間限定で、FULL Ver.のMVもありましたが、現在はもう配信していないようです。

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191時限目:夕焼け

【夕焼け】


夕焼け

夕焼け

 

■シングル『群青』のカップリング曲であり、スペシャルアルバム『おるたな』にも収録されました。個人的ランキングは、195曲中99位でした。これぞ、スピッツの名カップリングと言うにふさわしい、素晴らしいバラードです。この曲のファンの方も多いのではないでしょうか。

 

そもそも、この曲のタイトル"夕焼け"については、当初はアルバムのタイトルの予定であったそうです。しかし、この記事の通り、【夕焼け】という曲が、シングルのカップリング曲として作られたため、アルバムタイトルとしては使わなくなりました。

 

ちなみに、"夕焼け"の代わりとしてアルバムにつけられた名前が、"さざなみCD"です。【夕焼け】は収録されていませんが、A面の【群青】の方が収録されています。"さざなみ"だけではインパクトに欠けるということで、"CD"という言葉がくっつけられたそうですが、当初の予定通りでいくと、アルバム『夕焼けCD』が生まれたかもしれないんですね。

 


■さて、早速この曲について考えていきたいと思います。

 

まず、ずばり曲のタイトルにもなっている"夕焼け"という言葉についてです。スピッツの曲をザッと見渡してみると、タイトルや歌詞の中に、"夕焼け"や"夕暮れ"などというような言葉(直接ではなくても、それに関する言葉も含めて)が多く出てくることが分かります。

 

多く使われているので、草野さんの中で、"夕焼け"や"夕暮れ"などの言葉は、何か特別な思いを込めているのではないかと察します。

 


少し書き出してみますと…

 

タイトルからそのまま使われている曲だと、"アカネ"、"大宮サンセット"、"恋は夕暮れ"、"夕陽が笑う、君も笑う"、"夕焼け"…この辺りでしょうか。

 

歌詞の中の表現だと、すごくたくさんあると思うので、全部あげるのはキリがないですが、例えば、

 

(※プチクイズ!何の曲の歌詞か分かるかな?)

 


カレーの匂いに誘われるように
夕闇を駆け出す生き物が

【ジュテーム?】より

 


駆け出した 風に逆らい
夕焼けが 僕らを染めていた

 


目覚めてすぐのコウモリが 飛びはじめる夕暮れに

 


押し寄せる人波に 流されないように
夕暮れ ホームへ駆け上がった

 


晴れて望み通り投げたボールが 向こう岸に届いた
いつも もらいあくびした後で 涙目 茜空

 

きっと、もっと細かく見ていくと、情景として夕方っぽい感じの表現もたくさんあると思います。

 


■あくまで僕の印象ですが、多くの場合、"夕暮れ"や"夕焼け"という言葉には、"恋愛"がセットでくっついているように思うのですが、どうでしょうか。

 

しかし、その曲その曲によって、受け取る意味合いや情景は変わって感じます。

 

【アカネ】からは"失恋や別れ"を、【大宮サンセット】からは"浮気などの不穏な雰囲気"を、【夕陽が笑う、君も笑う】からは"君と過ごす日々の希望"を、【ジュテーム?】からは("夕"というより"闇"に注目して)"忍んで会いに行く"…などなど、色んな情景が浮かびます。

 

何か特定のことを表している、というわけではなさそうですが、大別すると、やはり"恋愛"の様々な側面を表していることが多いのではないでしょうか。

 


■ということで、【夕焼け】という曲です。

 

まず、この歌も歌い出しの歌詞が素晴らしいんですよ、ちょっと読んでみてくださいよ!

 


言葉ではっきり言えない感じ 具体的に
好きでは表現しきれない 溢れるほど
例えば夕焼けみたいな サカリの野良猫みたいな
訳わからんて笑ってくれてもいいけど

 

もうね、もう…これだけでおなかいっぱい!笑 なんていうか、この辺りは、草野さんの書く詩自体の説明にもなっているような気がします。つまり、草野さんの詩って、具体的に"好き"とかいう言葉は使わずに、違う表現で匂わす感じが多いじゃないですか。そういうのを総括しているようにも感じます。

 

そして、その何て説明していいのか分からない、"君"への特別な想いを表す言葉として、"夕焼け"(みたいな)という言葉を使っています。

 


■もう少し具体的に読んでみると、例えば、

 


君のそばにいたい このままずっと
願うのはそれだけ むずかしいかな
終わりは決めてない 汚れてもいい
包みこまれていく 悲しい程にキレイな夕焼け

 


遠くから近づいてる 季節の影を
忘れさせてくれる 悲しい程にキレイな夕焼け

 

ここの"悲しいほどにキレイな夕焼け"という言葉が、もうグッと胸に刺さるんですよ。"キレイ"というカタカナ表現も、僕にとっては色々考えてしまいます。

 

悲しいけどキレイなんです、キレイなんだけど悲しいんです。つまり、好きだけど悲しいんですよね、悲しいんだけど好きなんですよね。

 


この辺りを読むと、この歌の2人は、一筋縄に結ばれているわけではないのかなとも思ったりします。

 

2人の関係性は、色々考えられると思います。僕が一番に考えたシチュエーションは、特別な想いでつながっているとどこかでお互い感じているんだけど、なかなか恋人関係にはなれない2人…という感じでしょうか。長く友達関係を続けてきて、いまさら恋人?あり得ないよ!みたいな感じではあるんだけど、そこにちょっと恋愛が絡んでくる…みたいなね。一番残酷ですよ…

 

…あ、失礼、解釈ではなくて、筆者の実体験ですわ、苦笑。

 


あとはまぁ、2番の歌詞を読むと、やっぱり結ばれている2人なのかな、とも思ったりしますが、どうでしょうか。

190時限目:夕陽が笑う、君も笑う

【夕陽が笑う、君も笑う】


 

■アルバム『インディゴ地平線』に収録されている曲です。個人的ランキング、195曲中39位でした。この曲、僕はとても好きなんですが、あんまり目立ってないんですかね。まあ、確かに派手な曲ではありませんが、優しい曲だと思います。

 


■もうここでも何度も話している話ですが、またしますね、笑。

 

まず、【チェリー】という曲に出会ったことをきっかけに、スピッツに興味を持ち始めた小学生時代の僕は、当時はレンタルが中心でしたが、スピッツの作品を少しずつ集め始めるわけです。

 

もちろん、iPodなどのデジタル音楽プレイヤーはおろか、MDすらない時代で、レンタルしたスピッツの作品はカセットテープに吹き込んでいきました。僕が小学生~中学生の頃だと、スピッツ作品としては大体、『インディゴ地平線』『フェイクファー』『花鳥風月』辺りでしょうか。

 

当時の僕は、兄からカセットウォークマンを譲り受けていましたが、そのカセットウォークマンで、『インディゴ地平線』『フェイクファー』『花鳥風月』の3作品のカセットテープを、もう何度も何度も聴いたものです。多分、一番スピッツを聴いたのがこの時期だったんじゃないかなと、今になっては思うのです。

 

だから、この3作品は、スピッツを好きになった頃の、最古の記憶として、とても思い入れのある作品たちなんですよ。

 


■当時は、このブログを書いている今の僕のように、グダグダと歌詞の意味を考えて…などということにはこだわらずに(笑)、割とフィーリングで、楽しい曲だとか、悲しい曲だ、とかいう風に聴いていた気がします。

 

やっぱり、明るくて楽しい曲の方が好きだったと思いますが、その中でもこの【夕陽が笑う、君も笑う】とういう曲は、特にお気に入りの曲でした。3作品の全曲の中だと、一番好きな曲だったと思います。

 

歌詞の意味は考えなかったですが、とにかく軽快なメロディーが、何となく希望や幸福を感じさせてくれて、この曲を聴くといつも元気が出ました。

 

今思い返せば、当時のこういうあからさまに前向きで明るいラブソングって、珍しかったんですかね。

 


■さて、この曲について、何か情報をと探してみるのですが、あまりうまいこと見つかりませんでしたが、書籍「スピッツ」には、アルバム『インディゴ地平線』の頃のインタビュー記事にて、こんなやり取りがなされていました。

 


インタビュアー「今回、すごくびっくりしたのは、”受け止める”って歌詞がたくさん入ってるんですよね。」

 

(中略)

 

草野さん「ああ、”受け止める”多いんだあ。逃げないように(笑)それは無意識、無意識…」

 

例えば、【ほうき星】の”祈りを受け止めて”、【バニーガール】の”ゴミ袋で受け止めて”、そして、今回の【夕陽が笑う、君も笑う】にも、”甘いしずく 舌で受け止めてつないでいこう”。確かに、割と多いですよね。意味は…まぁ曲によって違っている印象を受けます。

 


■ということで、この曲の解釈を語ってみます。

 

とにかく、細かいことはさておき、先ほどから書いている通り、この曲からは、希望や幸福を感じることができるんです。そしてそれは、”君も笑う”というタイトルや歌詞に出てきている表現から、”君と居られることで得られる”希望や幸福のように思うのです。

 

つらいことや悲しいことがあっても、きれいな夕陽や、無邪気に笑う君を見ていると、それが生きる希望になって、また明日も頑張るかと、そういう気持ちにさせてくれる…何か、あんまり良い今日じゃなかったけど、夕陽が綺麗だし、君も笑ってるし、まぁ良いかなっていう感じでしょうか、笑。

 

それは、ひょっとしたら、ただ漠然とした希望なのかもしれませんが、案外そういうのも大事だったりするような気がします。

 


具体的には、例えば、サビの歌詞。

 


夕陽が笑う 君も笑うから 明日を見る
甘いしずく 舌で受け止めてつないでいこう

 

例の”受け止める”が出てくる部分ですが、とても綺麗な歌詞ですよね。”甘いしずく 舌で受け止めてつないでいこう”なんて、ちょっとエッチなのかな?とか一瞬ですが思いましたが、さすがにあまりそういう方向に関連はなさそうに思います。単純にここは、些細な希望や幸せも(=甘いしずく)、大切に明日へとつないでいこう(=舌で受け止めてつないでいこう)ということなんじゃないかなって思っています。

 


■あと特徴的なのは、こういうの何て言えばいいんだろう、聴いてもらえたら早いんですけど…Aメロの繰り返し表現、とでも言っておきましょうか。

 

”ここにいる 抱き合いたい ここにいる”
”求める 胸が痛い 求める”
”怖がる 愛されたい 怖がる”
”さまよう 何も無い さまよう”

 

同じ言葉2つに、別の言葉が挟まれている形の表現が多用されています。これも面白いですよね。意味というか、こういう表現の効果としては、僕の複雑な胸中を表すことを狙っているように思えます。

 

「愛されたいと思っているけれど、あんまり押し付けすぎると愛想つかされそうで怖い」だとか、「疲れている君に対しても、愛を求め過ぎてしまう」だとか、そういう一筋縄ではいかない、愛の示し方を表しているような感じですかね。

 


■まぁしかし、この記事を書くに当たって、久しぶりに何度も繰り返し【夕陽が笑う、君も笑う】を聴いてみましたが、やっぱりいい曲ですな。

 

恋愛などにこじつけずとも、今でも確かに、明日への希望を感じることができて、明るい気持ちになれる曲です!

189時限目:野生のポルカ

【野生のポルカ


野生のポルカ

野生のポルカ

 

■アルバム『小さな生き物』に収録されています。

 

まず、タイトルに使われています”ポルカ”とは、wikiの説明を引用させていただくと、「ポルカ(英語・チェコ語など polka)は、1830年頃おこったチェコの民俗舞曲である。速い2拍子のリズムに特徴がある。」だそうです。

 

野生の”ポルカ”というその名前通り、上述の説明にあるような、ヨーロッパの民族舞踊を思わせる、軽快で疾走感のあるリズムが特徴的の曲です。

 


■この記事を書きながら、改めて、LIVE”醒めない”ツアーのDVD収録の、【野生のポルカ】を流して見ていました。

 

クージーがアコーディオンを弾いていたり、草野さんもアコギを軽快に弾いていたりして、何ていうかお祭りみたいな楽しさがありますよね。最後の、メンバー全員でのシンガロングも珍しくて、こういうのはファンにとっては嬉しいです。

 

それから、この歌の中には、”武蔵野”という地名が出てくるのですが、ここの部分は、ライヴをやっているその土地々々に関係のある地名に置き換えられ歌われています。先のDVDに収録されていたのは、千葉公演の様子でしたが、武蔵野を”九十九里”に置き換えて歌われていました。

 

最近のスピッツのライヴでも、割と後半の方で演奏されていて、盛り上がり曲の一角を成している(というより、そういう曲を作ろうとしたのかな?)ような気がします。そういうわけで、【野生のポルカ】は、新「後半盛り上がり曲」として、認知されつつあるような気がしますが、どうでしょうか。

 


■ということで、【野生のポルカ】は、どんなことを歌っているのか、自分なりに考えてみました。

 


まず、タイトルにも使われていますが、この歌に込められた大きなテーマは、何と言っても”野生”でしょう。”野生”とは、まぁ言うならば”文明”などとは対極にある言葉です。歌詞の中にも、この”野生”という言葉が出てきています。

 


エサに耐えられずに 逃げ出してきたので
滅びた説濃厚の 美しい野生種に
戻る がんばる こんなもんじゃないよな
生まれ変わる前の ステージで

 


細道駆ける最高の野生種に
細道駆ける最高の野生種に…

 

それぞれ、出だしの部分、最後のシンガロングの部分の歌詞です。そして、特に前者の歌詞には、(野生種に)”戻る”という言葉が使われています。

 


■という風に考えていくと、真っ先に思い出すのは、やはり震災のことです。

 

アルバム『小さな生き物』という作品について、このブログでも何度も紹介していますが、毎回のように震災との関連やつながり(があるんじゃないかと)を指摘しています。亡くなった方への鎮魂、被害に遭われた方を労わる気持ち、災害に際して感じた悲しみや寂しさの表現、そして、復興に対する希望…色んな想いがこのアルバムには詰め込まれている(のではないか)と…。

 

そこへ来て、”野生”ですからね。あの自然の驚異を目の当たりにして、多くの人が感じたかもしれません…自然の前には、僕らはあまりに無力だ、と。”命”や”人の生き死に”という、人間の根元的なものを突き付けられました。

 


ただ、この【野生のポルカ】については、その辺りを”乗り越えた感”、もしくは”乗り越えようとしている感”を受けとります。

 


長かった夜が 間もなく明けるよ
生まれ変わる前のステージで

 


駆け巡りたい くねった細道を
さよなら僕の 着ぐるみ達よ
飛び回りたい 武蔵野の空を
さよなら僕の 抜け殻達よ

 

特に後半、自分の”着ぐるみ”や”抜け殻”を、ちゃんと客観視していることが見て取れます。人間的に、一枚皮がむけたと言いますが、そういうことですよね。色んなことを考えていた(はずです)けど、悩んでいた自分にさよならを告げて、また気持ち新たに生きていこう、歌っていこう、という、草野さんの決意の表れでしょうか。

 

そして、最後の全員での”細道駆ける最高の野生種に…”をシンガロング。その決意を、その覚悟をぶつけるかのように、力強くメンバー全員での熱唱がとても印象的です。そういえば、”細道”とは、スピッツ主催のイベントの名前(その名も、”ロックの細道”)にも使われていますよね。

 


■とまぁ、少し大袈裟に書きましたが、別に震災などと関連付けずとも、要するに”野生”とは”ありのままの自分”ということですよね。何か、色んなモヤモヤとか余計な物を省いていって残ったもの…スピッツにとっては音楽ということになりますか。

 

それは僕たちにとっても同じですよね、きっと誰にでも、最後の最後に、自分の中に残るものが、大なり小なりあるはずですから。

 

スピッツとして・ミュージシャンとして、音楽を続けていく気持ち。ひいては、人間として生きていく気持ち。そんな決意を、高々と宣言している歌なのでしょう。

188時限目:野生のチューリップ

【野生のチューリップ】


野生のチューリップ

野生のチューリップ

 

スペシャルアルバム『花鳥風月』に収録されている曲です。個人的ランキング、195曲中126位でした。

 

同アルバムには、カップリング曲が多く収録されていますが、この【野生のチューリップ】という曲に関しては、当時は未発表曲でした。wikiの説明によると、この曲はアマチュア時代からあった古い曲だそうですが、作品として世に発表されることはありませんでした。そして、1995年に、遊佐未森さんという方に提供されたそうです。

 

ちなみに、女性が歌うということで配慮され、“サカリの頃の”という詞は問題があるとして、“祈りを込めた”に変えてあるんだそうです、笑。

 

そして、それから時を経て、『花鳥風月』に、本家スピッツの【野生のチューリップ】が収録され、ようやく日の目を見ることになったわけです。これはあれですかね、【流れ星】がたどった道と全く同じですね。(アマチュア曲→他アーティストに提供→自身で発表 という流れ)

 


■さて、早速、この曲の解釈ですが…さすが初期の曲、意味が解りません!

 

まぁ、全体的なイメージは何となく浮かび上がりそうなんですが、最大の謎というのが、タイトルになっている、”野生のチューリップ”ですよ。

 


真夜中の風に乗って
野生のチューリップ探しに

 

これがサビに出てくる歌詞ですが、まず”真夜中の風に乗って”って、真夜中に探しに行くのも謎ですし、”野生のチューリップ”を探す?何で?何のために?って感じですよね。

 

そして、調べてみたんですけど、日本にはチューリップは自生しないみたいなんですね。あくまで日本にあるチューリップは、栽培されたものであり、現生地はスペイン、北アフリカ、イタリア…まぁその辺りですね。中でも原産地としては、トルコが知られているそうです。

 

とにかく、日本には”野生のチューリップ”は無いわけなんですよ。この辺りをどう考えるかですよね。日本で作られた日本語の歌なので、歌の舞台として、日本を自然と思い浮かべるわけですけど、じゃあ、日本にない野生のチューリップを探すってどうなのさ?見つからないじゃん?ってね。そしたら、ひょっとしたら、チューリップは何かを比喩したものなのかな?とも考えたりします。

 


■ひとまず、全体的に読んでみますか。ということで、最初の歌詞がこんな感じです。

 


夜空にいつもの星が見えない
ポケットに破れた地図をつめ込んで

 

僕は、ここから何となく、この主人公には”何も残ってない”感が溢れているなって思ったんです。”星が見えない”=願いをかける星が見えない=夢や希望が絶たれてしまった、そしてそこからの、”破れた地図”=もう行き先が残っていない、という流れ。

 


で、この後、先ほどの”野生のチューリップ”の部分に繋がるわけです。

 


僕の目はどこへ行く 君のにおいがする
真夜中の風に乗って 野生のチューリップ探しに

 

夢や希望が絶たれてしまった、そして、行き先も残っていない…それでも、主人公は、夜中に”野生のチューリップ”を探しに出かけるわけです、何か奇妙ですよね。

 

そして、ここで唐突に”君”の出現です。ただし、実態としての君ではではなくて、君の”におい”になっています。

 


あとは、

 


いますぐ行くよ まわっているよ
いますぐ行くよ 壊れた時計の力で

 

それから、最後の”さよなら さよなら…”の連呼。”いますぐ行く”の主語は僕(主人公)でしょうね。とすると、”さよなら”と言っているのも、僕だと考えられるでしょう。

 


■これらをつなげて考えてみます。

 

真っ先に思い浮かべたのは、君は故人であり、僕(この歌の主人公)も自ら命を絶って、君の居るあの世へと行こうとしている、という解釈でした。

 

まぁ、上述の断片的な解釈を繋げると、そうなりますよね。冒頭で、夢や希望が絶たれた、行き先が残っていないと言っているのは、君を失くしたからなのか、それとも、別の要因があったのか…自然なのは前者ですかね。

 

君を失くした、という根拠は、やはり実態として君が出てこないこと。あくまで、”君のにおいがする”なんですよね。生きていた頃の名残りを思い出すしかない、ということになるわけです。

 

そこから、最後の”いますぐ行くよ”や”さよなら さよなら”の部分。命を絶って君の元へ”いますぐ行くよ”、だから現世に”さよなら さよなら”、という流れです。

 


あとは、駆け落ち説や、隠れて君に会いに行く説などを思い浮かべました。

 

この2つの解釈だと、例えば、真夜中に出かけたのは忍んでいるからだとか、”さよなら…”は、今の自分の生活に別れを告げ、君と過ごすことを選んだとか、色々考えられると思います。

 


■メロディーだけ聴くと…まぁタイトルに”チューリップ”と入っていることとも相まってですけど…どこかピクニックにでも行くような、メルヘンで楽しそうな感じですよね。僕もそうでした、少年少女の冒険物語みたいなものも思い浮かべたりしました。しかし、歌詞を読むと、やっぱり一筋縄ではいかないんですよ。

 

もっとも、これは他アーティストに提供された曲ですので、上述のような解釈は相応しくないかもしれませんね、苦笑。

 


ちなみに、チューリップの花言葉は、全般的には「思いやり」、あとは色によって異なりますが、赤は「愛の告白」、黄は「望みのない恋」、白は「失われた愛」、紫は「不滅の愛」などがあります。全体的に、”愛”に関する花言葉になっていますかね。

 

無理矢理、タイトルの意味を回収してみるとすると、例えば、”野生のチューリップ”は日本には無い、つまり、いくら探しても見つからない…これは、もう自分の恋愛は叶うことはないんだ、ということ。だってそれは、根本的に、その対象である君がもう居ないのだから。もう”この世”には野生のチューリップはない、だから僕は君への「不滅の愛」を胸に抱いて命を絶ち、”あの世”に野生のチューリップを求めよう、と…こんな感じでしょうか。

187時限目:優しくなりたいな

 【優しくなりたいな】


優しくなりたいな

優しくなりたいな

 

■アルバム『スーベニア』に収録されている曲です。個人的ランキング、195曲中94位でした。

 

アルバム『スーベニア』には、割とロックな曲が多く入っている中、この【優しくなりたいな】が静かな曲であり、アルバムの中では逆に目立っています。アルバム発売前のツアーにおいて弾き語りコーナーをしたのをきっかけで、同アルバムは(wikiやインタビュー記事によると)、「伝わりやすいストレートな言葉を重視」「メロディーにおいても歌においても、ストレートなものを選ぶようになってる」などの試みから生まれた作品であったそうです。

 

【優しくなりたいな】などは、まさしくそれを体現しているような曲ですね。草野節は健在ですが、歌詞もシンプルであり、ほとんどピアノと草野さんのボーカルのみで構成されているため、美しい草野さんのボーカルが存分に堪能できる1曲となっています。

 


また、パーカッションの音(多分、ボンゴだと思われます)が入っていますが、これは崎山さんによる演奏のようです。ドラムだけじゃなく、パーカッション全般に興味を示していた崎山さんは、これを機会にボンゴを購入したんだそうです。

 


■ということで早速、この曲の解釈について考えてみます。まぁ正直なところは、この曲こそ、堅苦しい考えなどは抜きにして、すんなりと聴くのが醍醐味の曲であると思うんですけどね、苦笑。

 

まず、タイトル”優しくなりたいな”…この歌の主人公がしきりに、「優しくなりたいな」という心情を吐露していますが、僕が思うのは、優しくなりたいと思っていること自体が、そもそも優しいんですよね。優しさの始まりとでも言いますか。

 

ただ、結局のところ”優しさ”ってなんだ?という話なんですよね。それで、さらに僕は思うのは、”優しさ”ってのは、”自分”のためじゃなくて、いつも”誰か”や”何か”の為にあるものだ、ということです。BUMP OF CHICKENの歌に【ひとりごと】という歌がありますが、この歌詞の中にも、優しさについては”人と人の 心の外の中だけにあるんだ”と出てきます。

 

優しくなりたい、と思うのは、いつも大抵”誰かの為”や”何かの為”なんです。

 


■そういうことを踏まえて、この歌について歌詞を読んでみると、まず出だし、

 


君のことを知りたい どんな小さなことも
真昼に浮かぶ僕を 桜色に染め上げて

 

と出てきます。”真昼に浮かぶ僕”というフレーズがとてもきれいですよね。何ていうか、恋に落ちたことで、精神的に浮わついて、ふわふわと心地よい気分になっているような感じでしょうか。”桜色”という表現も、恋愛に繋がる表現だと思います。

 

”君のことを知りたい”と思うようになるのは、恋愛の入り口ですよね。趣味はなんだろう、好きな音楽はなんだろう、好きな異性のタイプはどんなのだろうなど、”どんな小さなことも”知りたいと思うのです。

 


そういうことがあって、主人公が心情を吐露するわけです。

 


優しくなりたいな 難しいと気づいた
だけどいつか届くと 信じてる

 

ひょっとしたら、想っている人の好きな異性のタイプに、「優しい人」なんかがあったかもしれません。そうなると、もう優しさについて考え、優しい人になろうとするでしょう。

 

ただ、僕はその辺りは少し違うことを考えています。

 

この歌の主人公は、割と恋愛には”不器用”なんだと思えるのです。恋愛をして、意中の人に近づきたい=自分が優しくならないと!なんてね、そう単純には恋愛は進みませんからね。優しすぎる!なんて言われて、フラれることもありますし(筆者談、笑)

 

優しさなんて、にじみ出るくらいでちょうどいいんです。優しくなりたいな、なんて言って迷っても出てきませんよと、この歌の主人公にそう教えてあげないといけません!優しくなりたい、と思っている君には、もうすでに”優しさ”は備わっているので、それがさりげなく溢れるように自然に振舞いなさい!とね、笑。

 


■あと、気になったフレーズを少しだけ抜き出してみると、

 


水の音を聞くたび いけない想像めぐらす
嫌いなはずのメロディ 繰り返し口ずさんでる

 

1行目は、何をいきなりさらっと変なことを言っているんだ!とも思いますが、まぁスルーします。

 

2行目は、まさに恋愛のひとつの側面ですよね。スピッツの恋愛ソングでは、【恋のはじまり】では”花屋のぞいたりして”、【スターゲイザー】では”ひとりぼっちがせつない夜 星を探してる”、【テクテク】では”優しすぎる君のメール 読み返してる”など、恋に落ちている僕の心情を表す表現がたくさん出てきます。やけに気持ちがセンチメンタルになって、普段はしないようなことをするようになるってことですよね。花や星なんて、普段きっとそんなにきにして見ないでしょうに。

 



はきだめのドブネズミとビスケットでも分け合おうか

 

この辺りは、優しさや、恋愛には関係ないように思えてきますが、どういう意図なんでしょうね。

 

個人的には、THE BLUE HEARTSの【リンダリンダ】という曲において、”ドブネズミみたいに美しくなりたい”という、一読すると、どこがどう結びついて、ドブネズミに美しさを感じるんだろうって思うフレーズがあるんですけど、何となくそれを思い出しました、笑。ひょっとしたら、草野さんも?

200万PV突破記念 スピッツカバー#8:恋のうた & 少しだけ挨拶

スピッツ大学200万PV突破&
スピッツ大学読者さん200人突破&
スピッツ30周年ライヴツアー完走&
3050ライヴツアー映像作品発売決定記念

 

youtu.be

 

【恋のうた】をカバーさせていただきました!分かりにくいかもしれませんが、スピッツTシャツを着て演奏しております。ライヴ本番で着替えて以降、一度も着たことがなく、せっかくなのでね。

 

 

■さて。

 

冒頭の通りでございますが、スピッツ大学の総PV数が200万を突破しました。加えて、少し前に読者さんの数も200人を突破しました!

 

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これも一重に、読んでくださっている方々のおかげでございます。本当にありがとうございます!

 


何となく最近、曲紹介の記事も、前にもうすでに書いたことのあるようなことを重複して書いている感じになってしまっていますけどね、苦笑。

 

全曲紹介も、50音順に進めていって、最近”や行”に突入しました。いよいよ終盤…と言っても、思ったよりまだまだだったりするんですけどね。”や行”も、名曲が多いですよ、書くのがまた楽しみでございます。

 


今後とも、スピッツ大学よろしくお願いいたします!!!

186時限目:桃

【桃】


桃

 

■アルバム『さざなみCD』に収録されている曲です。個人的ランキング、195曲中177位でした。

 

自分の中では、あまり順位が振るわない結果になってしまいましたが(でも、好きな曲ですからね!)、ここスピッツ大学で現在進行で行っています、スピッツ大学ランキング企画において、途中結果ではありますが、第6位でした。他のスピッツファンの方のランキングでも、決まって上位に入っている人気曲だという感じなんですけど、どうなんですかね?

 

シングル曲などではなく、アルバム曲でそれもノンタイアップにも関わらず、こんなにも評価されるとは、すごいですよね。やっぱりスピッツには、シングル曲じゃなく目立っていなくても、アルバム曲にもカップリング曲にも、本当に名曲が多いということに改めて気づかされます。

 

これからスピッツをたくさん聴いてみようとしていらっしゃる方には、こういう曲を探すのも、ひとつの楽しみ方だと思います。ぜひ、自分に合う曲を探してみてください!

 


■この曲の情報については、あまり見つけることができませんでしたが、excite musicにおける、『さざなみCD』のインタビュー記事について、ほんの少しではありますが、【桃】について書かれていました。
(引用元http://ent2.excite.co.jp/music/interview/2007/spitz/interview01.html

 

”アルバムを作っていくうちに柱になりそうな曲は見えてきましたか?”という質問に対して、草野さん曰く、「曲っていうより、サウンド的には「桃」がそういう役割だったですかね…」だそうです。これに、田村さんが同意しています。

 

サウンドの柱…っていうのは、どういうことなんでしょうか。別な部分で、草野さんが「割とパキッとした音」という表現もされていますが、うーん…独特な表現ですね。

 


パキッと…潔いってことですかね?アルバム『さざなみCD』という作品は、前作『スーベニア』、そして前々作『三日月ロック』とともに、三部作だという風によく言われます。(例えば、書籍「旅の途中」などで)そして、その三部作の中で、アルバム『さざなみCD』が、一番バンド以外の音が少ない…つまり、バンドサウンドが多く占めていて、それゆえシンプルだという印象ですかね。

 

そして、【桃】に関しては、それに加えて、懐かしい感じがしますよね。スピッツのアルバム曲にはおなじみの、カッコかわいい恋愛ソングと言う感じですか。シングルでも全然違和感無いような感じですけどね。

 


■ということで、【桃】の解釈です。まず、個人的には、出だしの歌詞が印象に残っています。

 


切れた電球を今 取り替えれば明るく
桃の唇 初めて色になる

 

早速、”桃”という言葉が出てきています。”桃の唇”って、ちょっと…エッチなのかい?

 

そして、何より独特なのは、最初の”切れた電球を今 取り替えれば明るく”という表現ですね。いきなり唐突に、電球を替える話から入りますからね。でも、これは精神的な表現なのでしょうか。何ていうか、”心”の電球を取り替えると、世界が明るくなったように見える、という感じでしょうか。

 

今までは切れていた電球…とは、恋愛をしていない状況、または、恋愛が終ってしまった状況(失恋したとか、付き合っていた人と別れたとか)などをイメージしました。そして、その切れていた電球を取り替えるわけですから、これはつまり、新しい恋愛の始まりを意味しているのだと思います。

 

で、そこへきて、”桃の唇”です。まぁ、細かいことはとにかく、これは君を象徴しているものなんですかね。自分が、君に恋に落ちているということに気がついたということですかね。

 


■じゃあ、どんな恋愛をイメージするか、ですよね。歌詞を読んでみると、

 


つかまえたその手を 離すことはない

 


他人が見ればきっと 笑い飛ばすような
よれよれの幸せを追いかけて

 

など。前者だけを読むと、ひょっとしたら、もう意中の人と想いを共にすることができたのかもしれない、とも感じます。後者はどうでしょうか、”よれよれの幸せ”が、何を指すのか。前者と同様に、意中の人と過ごす日々を指すのかもしれませんし、または、まだ想い人を追いかけている途中なのか。

 

ただし、先述した出だしの歌詞からは(”切れた電球”云々の話)、何となく”恋のはじまり”を思い浮かべるんですけど、どうでしょうか。

 


■あとは、冒頭で少しふれましたが、”桃”という言葉についてです。

 

桃色(ピンク)は、その言葉自体も、桃尻とか、ピンク映画とかっていう風に、ちょっとエッチなイメージですよね。なので、この曲にも、エッチな解釈を当てはめても面白いかもしれません。その場合は、どうなるんでしょうか、”桃の唇”…うーん、ムフフ。

 

”桃”の花言葉は、「私はあなたのとりこ」「天下無敵」「気立ての良さ」などがありますが、この曲に似合うのは、一番最初の「私はあなたのとりこ」でしょうか。

185時限目:メモリーズ

【メモリーズ】

 


この記事は、【メモリーズ】と【メモリーズ・カスタム】両曲の紹介のつもりで書かせていただきました。
それで、記事のタイトルをどうしようかなと思ったんですが、書いてみた結果、全体的に【メモリーズ】に触れている部分が圧倒的に多くなったので、記事のタイトルは、【メモリーズ】にさせていただきます。ご了承を。


メモリーズ

メモリーズ

 



■まず、【メモリーズ】という曲が、【放浪カモメはどこまでも】とともに、両A面収録の22作目のシングルとして発売されました。その後、スペシャルアルバム『色色衣』に収録されました。

 

さらに、【メモリーズ】は、アルバム『ハヤブサ』のプロデューサーの石田ショーキチさんにより、新しいメロディーと歌詞(”大サビ”という位置づけ)が加えられ再アレンジされ、【メモリーズ・カスタム】が作られました。この【メモリーズ・カスタム】の方は、アルバム『ハヤブサ』に収録されました。

 

…というより、アルバム『ハヤブサ』に収録する用に、【メモリーズ・カスタム】が作られた、ということだそうです。
(どこで読んだか忘れましたが、アルバム『ハヤブサ』に収録するには、【メモリーズ】は合わないと、確か判断したんじゃなかったですっけ?それで、アルバムに似合うようにアレンジしたとか…定かではありませんので、情報求ム!)

 


■【メモリーズ】と【メモリーズ・カスタム】の相違点としては、

 


〇イントロ
【メモリーズ】にはギターのイントロがあるのに対し、【メモリーズ・カスタム】にはイントロが無く、ノイジーな音が最初に鳴ったあとに、すぐに曲がはじまります。

 


〇大サビ
先述した通り、【メモリーズ・カスタム】には、【メモリーズ】には無い大サビが付け加えられています。その部分の歌詞だけ載せておきますと、

 


嵐が過ぎて 知ってしまった 追いかけた物の正体
もう一度 忘れてしまおう ちょっと無理しても
明日を描いて 幾つも描いて

 

この部分が加えられ、アレンジし直されています。

 


〇全体的に…
一番顕著で印象的なのは、【メモリーズ・カスタム】はドラムがとても激しくなっています。Aメロから、もうこれでもかっていうくらい、ドカドカと手数の多いドラムの音が鳴っています。そして、極めつけは大サビです。大サビの終盤で、崎山さんの、もうどうなってるのか分からない程の、高速のタム回しが炸裂しております。

 

その他、【メモリーズ】は鍵盤の音が目立って聴こえていますが、【メモリーズ・カスタム】ではその代わりに、ギターやドラムの音が目立って聴こえ、ロックな曲をさらに引き立てています。全体的に、音が歪んでいるのが、【メモリーズ・カスタム】の特徴ですかね。

 


■上述のような曲のアレンジなどの理由があって、ライヴで演奏されるのは、【メモリーズ】よりも、【メモリーズ・カスタム】が多いです…というより、もう【メモリーズ・カスタム】しか演奏していませんよね。いつも、すごく盛り上がっている印象です。ライヴDVDなどでも、その演奏を見ることができますが、ほんとすごいんですよ、特に崎山さんのドラムプレイは必見です!

 

ということで、僕の中では【メモリーズ】は、【メモリーズ・カスタム】として馴染んでいます。

 


■僕が高校生の頃、シングル『メモリーズ / 放浪カモメはどこまでも』が発売になり、リアルタイムで購入して聴いていたんですけど、ただでさえ【放浪カモメはどこまでも】がすごくロックな曲であったのに、【メモリーズ】は同じロックな曲でも、またちょっと路線が違っていました。

 

僕の中でずっとスピッツは、当たり前と言えば当たり前ですが、メロディーと歌詞がきれいな歌を作るバンド、というイメージでした。それまでの作品…ここでいう”それまで”とは、アルバム『フェイクファー』やスペシャルアルバム『花鳥風月』あたりまでですが、ほとんどの曲と言って良いほど、メロディーと歌詞が心地よかったのです。

 

そこへきて、【メモリーズ】ですが…Aメロには、メロディーの抑揚は無く、従来の心地よさという意味では、それはあまり感じられませんでした。サビもサビで、同じメロディーの繰り返しでした。歌詞に関しても、意味が分からない…という感じとも少し違っていて、何て表現したらいいんだろう、意味はあんまり無いんだろうなっていう感じでした。


そういう部分に違和感を感じて、【メモリーズ】は最初は好きになれませんでした。

 


■でもね、やっぱり不思議なんですよね。これがまた、徐々に好きになっていくんですよ。

 

当時、この【メモリーズ】は、僕の仲間内でもブーム…と言えば大げさになりますが、ちょっと話題になったんです。この曲の中に、”右手に小銭ジャラジャラ”という部分があるんですが、この部分を、ある友だちが”替え歌”して歌ってたんです。…何だったかな、”焼肉食べに長州長州”だったかな(”長州”じゃなかったかもしれませんが、地元にあった焼肉屋の名前が入ります)。そういうフレーズを、メロディーに合わせて歌ってたんですよ、笑。

 

僕は、何でかツボにはまって、頭から離れなくなって一緒に歌ってたんです。そこだけを延々ですよ、今となっては、何が楽しかったんだろうっていうね、笑。

 


でも、その時に感じたんだと思います。そうか、ここのメロディーって、こんなに耳に馴染むんだなぁって。スピッツの作る(草野さんの作る)メロディーって、そういうところありますよね、気付いたら耳に馴染んでいるというか、ふと頭の中を流れてるというか。

 

その時くらいからですかね、一気に【メモリーズ】だったり、この後に発売になるアルバム『ハヤブサ』などを好きになることができたのはね。すんなりと受け入れ始めて、大好きになったんです。違和感だったものが、スピッツらしさに変わるなんて、すごく不思議ですね。

 


■個人的なエピソードはこれくらいにしておいて、じゃあ『色色衣座談会』に少し書かれている、【メモリーズ】の情報をまとめてみます。僕なりに要約させてもらうと…

 

まず、スピッツにとって、アルバム『ハチミツ』は一つの壁だったそうです。これは、スピッツも、また、プロデューサーの笹路さんやエンジニアの宮田さんも一番ノリに乗っていた、という理由をひとつ上げています。

 

しかし、これ以降、スピッツは曲作りに悩むことになるわけです。具体的には、音に迫力を出したいのにそれができない、と感じていたようです。その一つの原因として、草野さんは自分の声が変わってきているから?と、自分の声のせいだと思うようになるわけです。

 

そこへきて、【メモリーズ】は、草野さんの声が目いっぱい歪められています。それについては、”聴く人が一番驚いたのは…”という風に書かれていました(僕もその一人ですね、笑)。

 

でも、草野さんはこれに対して、「助けられた」と表現しています。そして当時、インターネットの某掲示板にて高評価されているのを見て、「シメタな」とも思ったそうです。


要は、ミックスやアレンジに可能性を発見したというのもあると思いますが、自分の声でも、迫力のある曲を作ることができるいうことに気がついて(見つけることができて)、ふっ切れたんでしょうか。この辺りから、まぁマイアミショックなども起因となり、スピッツは新たなロックバンドとして、生まれ変わるわけです。

 


■ああ、長いですね。

 

この曲は、歌詞の解釈はやめときましょう。あとは、君の耳で確かめてくれ!

 

しかしまぁ、結局全体的に思うことは、遊んでいるな、って感じですね。ところどころで韻を踏んでいたり、言葉のリズム重視で作っている感が強いので、僕はこの曲の歌詞こそ、あまり意味を考えながら聴いたことがありません。そういう楽しみ方も、ありなんでしょうね。

 

もちろん、最後にMVは貼っておきます。曲同様、かなり謎で、遊んでいるMVですね。三輪さん、なんつー頭してるんだよってね、笑。ちなみに僕は、全草野正宗の中でも、このMVの草野正宗が一番イケメンだと思うんですけど、どうですか?

 

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