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スピッツ大学

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22時限目:海を見に行こう

【海を見に行こう】

 

アルバム『三日月ロック』に収録されている曲です。そのまま、弾き語りでもきっといい曲なんだろうな、って感じの、アコギの音がここちよい曲です。

 


明日 海を見に行こう
眠らないで二人で行こう
朝一番のバスで行こう
久しぶりに海へ行こう

 

いきなり、歌詞の一部分です。ここの部分だけ見れば、その通り、明日海を見に行こう、と約束している、おそらく恋人同士の歌、というイメージが浮かんできます。

 

ただ、単純にそんな歌に収まりますかねー、マサムネさんの歌が…?と、深読みしようとしてしまう、悪い癖です。

 


しかし、気になるのは…またこの歌詞でも出てきていますね、漢字で書けるのに、カタカナで書かれているフレーズが。

 


何もない? 何かある? この道の彼方に
フツウだけど 確かに僕の目の前に広がる

 

この中の、”フツウ”というフレーズですね。一般的には、”普通”と書きますよね。

 

時々こういうのあるんですけど、何なんでしょうね?カタカナにする意図ってのは、マサムネさんの中に何かあるのでしょうか?僕の印象では、そのものが本来持つ言葉の意味とは少し違う意味合いで、その言葉が使われてる場合にカタカナにしているのかな、と思っています。

 

ともすると、この”フツウ”はどうなんでしょう?”普通”という言葉の意味を、一般的な意味では使っていない、とはどういうことなんでしょうか?

 


あるいは、この歌詞の中に出てくる人たち(恋人同士?)にとっての普通が、世間一般の普通とはかけ離れている、とかでしょうか。

 

道の彼方に広がっている…おそらく海の景色だと思われますが、この景色を見ることが、二人にとっては普通じゃない、特別なことなんだということを表しているとしたら、どんなことが考えられるだろうか。

 

例えば、彼女が病気で、その病床で男の方が、明日海を見に行こうか、と言っていたとかだったら…。海を見る、という、そんなに特別ではないことも、二人にとっては特別なことに変わるのでしょう。

 

この詩の中でもうひとつ気になるのは、明日海を見に行こう、と言っているだけで、海を見ている描写が無い、というところです。二人は、本当に海を見に行けたのでしょうか?



とまぁ、こんな風に、深読みしてしまう、悪い癖ですね。

 

この曲は、JR東日本のキャンペーンソングに起用された曲ということで、シンプルに考えて、変な解釈をくっつけるのはやめた方がよさそうですかね。この曲に関して、深読みが過ぎましたでしょうか。