スピッツ大学

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61時限目:サンシャイン

【サンシャイン】


サンシャイン

サンシャイン

 

■アルバム『空の飛び方』のトリを飾る曲です。

 

個人的には、あまり熱心に聞いた記憶はなかったんですが、個人的ランキングでは、195曲中40位と、結構上位に位置していました。その結果を受けて聴き直してみると、いい曲だなって、改めて感じました。良い再発見をして、うれしく思います。

 

曲調は、イントロからかなり渋い感じです。少しレトロな感じというか、何となくくぐもった感じ、でも今聴いても色あせていない、そんな懐かしさと新しさを両方兼ね備えるのが不思議ですね。これぞスピッツの第二期!と感じる曲です。

 


■毎回こんなこと言って申し訳ないんだが、この歌もまた色んな状況を想像できそうな歌詞ですねぇ。

 


僕が、まず注目したのは、これらの部分でした。

 


サンシャイン 白い道はどこまでも続くよ
サンシャイン 寒い都会に降りても
変わらず夏の花のままでいて

 

こげた臭いに包まれた
大きなバスで君は行く

 

それぞれ、サビ、2Aメロに出てくるフレーズです。これらの歌詞をつなぎ合わせると、まず”白い道…”や”寒い都会…”などから、季節は冬と想像しました。(とすると、”白い”は雪が積もっている様子であろう。)

 

そして、”大きなバスで君は行く”という描写から、君が旅立っていく様子が思い浮かびました。歌詞が前後しますが、”寒い都会…”ということで、行き先は都会になるでしょうか。”夏の花のままでいて”とは、都会の波にもまれても、自分らしくいてね、温かい心を失わないようにね、ということだと思います。

 

ひょっとしたら、君は、雪がたくさん降る山奥の田舎から、都会へと出ていくのかもしれません。

 


■ということで、上述の解釈で事足りるような気もしますが、例によって深読みをしてみます。

 

まず、君に対して、”夏の花のままでいて…”と願っている人は、一体どこのだれなのでしょうか。便宜上、そいつを”僕”と呼ばせていただきます。まぁ、男だという根拠はどこにもないけれど、やっぱり男女の組み合わせがしっくりきます。

 


”僕”の情報としては、この部分、

 


すりガラスの窓を あけた時に
よみがえる埃の粒たちを 動かずに見ていたい

 


許された季節が終わる前に
散らばる思い出を はじめから残らず組み立てたい

 

これらのフレーズの主語は、”僕”と捉えることができそうです。どちらのフレーズも、何となく意味深というか、不思議な表現ですね。それは深読み過ぎだと言われることを恐れずに言うと、何となくこのあたりから、”死”のイメージが膨らんできます。

 

では、亡くなってしまったのは、”君”か”僕”か…ということになりますが、これ関しては、何とも言えません。どちらともとれそうな気がします。

 

もしも、”僕”が亡くなっているのだとしたら、上述で、君が旅立っていくという解釈を書き連ねましたが、その理由が、”僕の死”であるということになりますね。”白い道は続くよどこまでも…変わらず夏の花のままでいて”、とは、亡くなった僕からの君への言葉であり、意味合いとしては、僕が居なくなって、苦労が色々とあるだろうけど、でも君は君のままでいてね、という最後の願いなのでしょう。

 

 

■もしも、”君”が亡くなっているのだとしたら、上述で、君が旅立っていく場所こそが、あの世、ということになります。だとすると、”白い道”とは、現世からあの世へと続く道ということでしょうか。

 

”よみがえる埃の粒たちを”…これは、君の遺品や、ひょっとしたら君が過ごした部屋そのものを、君が亡くなった後もそのままにしていて、そこに降り積もった埃が、窓を開けた時に舞い上がっている様子を想像しました。その埃を見て、僕は君のことを思い出しているのでしょう。

 

”散らばる思い出”…この辺りも同様に、色んな所に残っている、君が生きていたという痕跡から、君のことを思い出している、ということでしょう。


”死”をイメージするなら、何となくこっちの方がしっくりくるかと思いますが、どうでしょうか。

 

 

■まぁ、君が旅立っていくのを僕が見送る、という単純に解釈を止めたほうが自然かもしれません。失恋かも知れないし、そもそも恋人ではないかもれません。ひょっとしたら、巣立っていく自分の子どもを見送る親の気持ちかも知れませんしね。