【渚】
■14枚目のシングル曲で、アルバムとしては、『インディゴ地平線』に収録されています。というより、この曲は、『インディゴ地平線』のリードトラックとして、発売された曲だそうです。
個人的ランキング、195曲中125位でした。”スピッツの夏の曲”と言えば、真っ先にこれが思い浮かびますかね。
昔、ポッキーのCMで使われていました、何となくよく覚えています。そして、最近(2016年)になって、何故か車のCM(スバル「NEW FORESTER」のCM曲)で使われていましたね。お父さんが、急にサーフィンをはじめるってさ!よし、じゃあ、車で海へ出発!…なんていうCMですね。
まぁ、それだけ、今聴いても耳になじむ曲であるということでしょう。
■wikiの情報を少しまとめてみます。
まず、この曲は、草野さんがシーケンスで遊びながら作った曲らしいです。まぁ当然、演奏はメンバーですけど、元になっているのは、草野さんが作った、シーケンスでの音源だということですかね。
シーケンスとは、辞書から言葉を借りてくると、”MIDI音源を自動演奏させるための機械またはコンピュータ用のソフトをいう(シーケンサー)。音楽用語で同形反復のフレーズのことをゼクェンツ(シーケンス)という。”ということだそうですね。
要は、機械で、自動で繰り返し演奏させたり、それを組み合わせたりすることにより、音源を作っていくってことでしょうかね。
草野さんにとって、この曲は自信作なんだそうです。「シングル曲として、はじめて何度も聴き直した曲」と書いてありました。
確かに、これまで出されていたシングル曲とは、何となく違う雰囲気を感じる曲ですね。スピッツとしても、色々と苦悩していた時期だったらしいので、この辺りのスピッツは、変化の時期にあったのかもしれませんね。
■また、これも少し有名な話ですけど、この頃のギターの三輪さんは、突然ギターが弾けなくなるというスランプに陥っていたそうです。
これに関しては、【旅人】の曲紹介のブログで少し触れましたので、そちらへお任せします。
書籍『旅の途中』を読んでも分かるんですけど、『インディゴ地平線』辺りのスピッツは、その輝かしい売上とは裏腹に、苦境に立たされていた、という感じが読み取れます。それが、具体的な事象として現れたのが、この「三輪さんスランプ事件」だったのでしょう。
しかし、どうでしょう、この時期の曲もまた、素晴らしい曲が多いですよね。そういう逆境が、スピッツを成長させたということでしょうか…と、僕が偉そうに語るものではありませんが、本当にそう思います!
■ということで、曲の感想・紹介です。
まず、先に述べたように、この曲は草野さんが、シーケンスで遊びながら作った曲だということです。その音源を元にしているので、一番にベースが入っていなかったり、ドラムも同じリズムでずっと続いていたりしています。
ドラムのリズムなんかは、とても印象的ですね。民族音楽というか、なんかそういうものを感じるリズムだと、個人的に思っているんですけど、どうでしょう。キャンプファイヤーみたいな、大きなかがり火を囲んで、人々が踊っているような、そんな印象です、笑。
あとは、ボーカルも印象的です。何と言っても、”醒めないでー”と”輝いてー”の所で、急にキーが上がって、長く伸ばすところですよね、本当に耳に残ります。カラオケで歌うと、そこまで順調に歌えるんですけど、この部分が高くて、何とも不自然になってしまう、個人的に悔しい曲です。
■歌詞に関して、話してみます。
これもwikiに書いてあったことですが、草野さんが受けた大学の授業で先生が、「渚は陸海空のどれでもなく、しかしその全てが関係しているエリア」と語っていたことが、歌詞のヒントとなったそうです。
単純に説明すると、渚は、”波打ち際”だとか、”砂浜”や”浜辺”ということになると思うんですけど、僕はずっと、草野さんが書く詩で、”浪打ち際”だとか、とにかく、海と陸の境界にある場所は、とても重要な意味を表している、と思っていました。ここのwikiの説明を読んで、合点がいきました。
ここで以前に書いた曲だと、例えば、【いろは】、【今】、あと、【漣】なんかもそうですかね。他にもあったっけな、今すぐ思いつくのは、このあたりだと思います。
【いろは】と【今】では、”波打ち際”や”浅瀬”という言葉が出てきましたが、僕はそれを、”過去は陸、未来は海、そして、波打ち際(浅瀬)は、今を表している”と書きました。【漣】は、個人的には、入水自殺という解釈を与えましたが、ともすると、”死と生の狭間に居る”と考えることができます。
■それでは、【渚】はどうでしょうか。
全体的に読んだ雰囲気では、恋愛のイメージですかね。出だしの部分で、
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ぼやけた六等星だけど 思い込みの恋に落ちた
初めてプライドの柵を越えて
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というフレーズが、まさに恋愛のイメージを起こさせます。ただ、全体的に読んでみて、個人的にはこの恋愛は、期間限定と言いますか、ひと夏の思い出的な、そういうイメージが浮かんできました。
例えば、夏にたまたま訪れた、リゾート地で、現地の子に恋に落ちた、とかね。自分は、夏が終わればその地を離れなければいけないので、この季節限定だけの恋愛に溺れている、ということですね。
サビを読んでみても、
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柔らかい日々が波の音に染まる 幻よ 醒めないで
渚は二人の夢を混ぜ合わせる 揺れながら輝いて
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となるので、ここからも、上述のようなイメージを思い起こさせます。
■ということで、ここまでの解釈で十分に成り立つと思いますが、もう少し読んでみると、2番の歌詞が気になるんです。
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ねじまげた思い出も 捨てられず生きてきた
ギリギリ妄想だけで 君と
水になって ずっと流れるよ
行きついたその場所が 最期だとしても
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この部分を読んで、”心中”や、”恋人を失くした男が、入水自殺を図っている”という解釈もあります。そう言われると、そう読み取ることもできそうですね。
”思い出も捨てられず”…君が生きていたことを忘れられずに生きている、と解釈できます。
”水になって~最期だとしても”…文字通り読むと、水に飛び込んで、最期、つまり君がいるあの世に行こう、という解釈もできます。
など。こう読むと、サビの解釈もそういう方向に持っていけると思います。
■ということで、先の【いろは】や【今】などでの解釈と同様、【渚】という場所が、”境界”としての役割を表していると思います。
”ひと夏の思い出”編だと、季節の変わり目として、思い出(ひと夏の恋)と現実(いつかは帰らないといけない)の狭間を表していると考えることができます。
”自殺”編だと、君なしで生きていかないといけない現実(これを陸の方と例えると)と、死んで君の元へ行くという悲しい未来(こっちは海になります)の狭間と考えることができます。
なるほどね、「陸海空のどれでもなく、しかしその全てが関係しているエリア」か…特別な場所に思えてきます。現実と夢、過去と未来、文明と野生、死と生。そういう意味で、人は、自分が何かの”狭間”に立たされた時に、海に行くのかもしれませんね。
渚 MV