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144時限目:日なたの窓に憧れて

日なたの窓に憧れて


日なたの窓に憧れて

日なたの窓に憧れて

 

■アルバム『惑星のかけら』に収録されている曲で、後に5作目のシングル曲としてシングルカットされました。個人的ランキング、195曲中112位でした…こんなに低いのかぁ、全く無意識でつけたのでしょうがないですが、この曲は結構好きです。

 


■この曲についての情報を…まずは、いつも通りwiki頼りですが、色々書いてみたいと思います。

 


まず、スピッツはこの曲で初めて、テレビ番組のスタジオ出演をしたそうですね。

 

アルバムやシングルが発売になったのは1992年のことなので、今(2016年)からさかのぼること、実に24年前のことですか。もちろん、記憶にはないですし、見たこともありません。

 


あと、バックで終始流れ続けるシーケンスが印象的ですが、これは草野が発案したものである、とありました。

 

ここでいうシーケンスとは、バックでなっている、電子音とでもいうんでしょうか、同じリズムで繰り返し鳴り続けているのが聴こえますね。何となくこれがあるおかげで、全体的に明るく聴こえるような気がします。

 


■続けて、この曲についての解釈を、自分なりに語ってみます。

 


まず、サビの部分から。

 


君に触れたい 君に触れたい 日なたの窓で
漂いながら 絡まりながら
それだけでいい 何もいらない瞳の奥へ僕を沈めてくれ

 

まず、これもwikiにあったことですが、「歌詞は、当時日の当たらない家に住んでいた草野の思いが込められている。」とのことです。

 

ここで、”君”という言葉が使われていて、”君に触れたい”と歌われています。草野さんの思いが込められていると考えると(まぁどの曲にも草野さんの思いは込められているのは当たり前な話の気がしますが)、”君に触れたい”と思っているのは、他でもない、草野さん自身であると考えることができるかもしれません。

 


あとは、出だしやCメロの歌詞などを読んでみると、

 


君が世界だと気付いた日から 胸の大地は回り始めた
切ない空に浮かべていたのさ かげろうみたいな二人の姿を

 


メリーゴーランド メリーゴーランド 二人のメリーゴーランド
メリーゴーランド メリーゴーランド 二人のメリーゴーランド
ずっと このまま ずっと ずっと

 

この歌にはひとつ、”回る”という言葉がキーワードになっているのかもしれません。具体的には、”胸の大地は回り始めた”、”メリーゴーランド”などのフレーズが出てきます。

 

特に、”メリーゴーランド”というフレーズは、あんまり草野さんの曲では聞かないフレーズなので、気になるところです。確かに楽しそうでメルヘンチックなものですが、その場でグルグルと同じところを回っているだけのもの、という印象は何かを象徴しているのでしょうか。

 

例えば、追いかけているものにいつまでたっても追いつけない状況、とかどうでしょうか。そうなると、”君”は恋人というより、想いを寄せている相手として妄想している、と考えることができます。

 

あるいは、【ロビンソン】風にいうと、誰も触れない二人だけの国、とでも言いますか。そう読み取ると、やっぱり恋人同士なんですかね。先述した、”日の当たらない家に住んでいた草野の思い”を考えると、決して満足のいく生活をしていたとは言い難いですが、”君”という存在を支えに、細々と生きている様子も感じることができます。

 


■別に恋愛に絡めなくても、自分の生活に光が当たるように願っている草野さんの状況は変わりはないと思います。具体的には、自分たち(スピッツ)の活動に対してでしょうか。

 

アルバム『惑星のかけら』は、いわゆる初期のスピッツでは、一つの終着点であったと、書籍の中でも語られています。やりたかったことは、全てやりつくしたんだと。

 

しかし、この後に、売れ線を意識した作品『Crispy!』を作るわけですから、そうはいっても、やはりタイトル通り、自分の作品に光が当たること…つまり”日なた”に憧れはじめたんでしょうか。

 


その辺りに関して、書籍『スピッツ』によると、かつて草野さんは、以下のように語っています。

 


日なたの窓に憧れて”の歌詞も、最初は少し違ってて。(中略)そっちに近づいていくと最後には痛い目に遭うというような言葉を入れちゃってたんですよ。どっかで人を憎むとか死ぬとか、そういう言葉が入っていないと気が済まない。

 

幸せとか、安定した状況の中にいると、ちょっとお腹痛いのが胃癌じゃないかと思えてきたり、ホントに気が狂いそうになってきちゃうんですよ。

 

あと、これは特に恋愛に関してだけど、ある程度不安材料を与えてくれる人の方がいいんですよね。イライラさせるような、とか。急にいなくなっちゃうんじゃないか、とかね。

 


まぁ、何となく分かる部分もあるにはありますけどねぇ…。

 

どこかでメンバーが語っていたことで、(確か【チェリー】がヒットした頃だったですが)、”陰のスピッツ、陽のミスチル”というのがありました。何ていうか、自虐的に、自分達には”日なた”は似合わない、とでも思っていたのでしょうか。

 

きらびやかなところに安心するのではなくて、あくまで自分たちは細々とやっていくこと。”日なた”とは、ぬくぬくと安心して留まる場所ではなくて、憧れる場所であるくらいがちょうどよい、だからそこに居ることに慣れてしまってはダメだ、と。何ていうか、活動に対する、草野さんなりの美学やこだわりみたいなものを感じます。