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アルバム講義:Mini Album『オーロラになれなかった人のために』

オーロラになれなかった人のために

Mini Album『オーロラになれなかった人のために』
発売日:1992年4月25日

 

■収録曲(→の先より、各曲の紹介へと飛べます)

 

01.魔法

→ 171時限目:魔法 - スピッツ大学

 

02.田舎の生活

→ 13時限目:田舎の生活 - スピッツ大学

 

03.ナイフ

→ 110時限目:ナイフ - スピッツ大学

 

04.海ねこ

→ 21時限目:海ねこ - スピッツ大学

 

05.涙

→ 119時限目:涙 - スピッツ大学

 


■2ndアルバム『名前をつけてやる』は、1stアルバム『スピッツ』が発売されてから、実に8ヵ月という短いスパンを経てから発売されましたが、続いて発売されたミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』も、2ndアルバムが発売されてから、さらに短い5か月というスパンを経て発売されました。改めて、発売順にまとめておくと、以下の通りです。

 

1991年3月25日 『スピッツ』発売
1991年11月25日 『名前をつけてやる』発売
1992年4月25日 『オーロラになれなかった人のために』発売

 


およそ1年の間で、実に3枚のアルバム(2枚のフルアルバムと、1枚のミニアルバム)を制作・発売させたということに関しては、今では考えられないほど、非常にアグレッシブなリリースペースですよね。まぁ、全ての作品が25日発売になっているのは、何か狙いがあってのことなのかは分かりませんが…。

 

2ndアルバム紹介の記事にて、1stアルバムと2ndアルバムは、発売時期も近いため、精神的には繋がりを感じているというようなことを書きましたが、今ミニアルバムも同様に、発売時期が近く、前2作品との繋がりを感じます。

 


■ミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』という作品は、スピッツにとって実験的な作品であるとされています。それどころか、ところにより、スピッツ作品の中でも、異質な作品であると言われることもあります。

 

まず、"ミニアルバム"という形を取っていることが珍しいですよね。1999年にスピッツは、ep盤として『99ep』を発表するのですが、結局その作品にしたって3曲入りであるので、あんまりepとかミニアルバムとかいう実感はありません。ですので、『オーロラになれなかった人のために』は、今のところ(ちゃんとした)ミニアルバムという形で発売された唯一の作品であると言えるかもしれません。

 


そして、このミニアルバムの一番の特徴は、何と言っても、そのほとんどの楽曲において、”ロックサウンドとオーケストラサウンドの融合”を狙いとしているという点です。

 

2ndアルバムに、【魔女旅に出る】という楽曲があります。この曲は、編曲者に長谷川智樹という方を招き、その方のプロデュースにより、オーケストラサウンドが大いに導入されています。実際に聴いてみると分かると思いますが、バンドサウンドに合わせて、ストリングスの音が響いて聴こえますよね。間奏のストリングスの演奏とか、本当に綺麗なんですよ。

 

そして、『オーロラになれなかった人のために』は、そんな【魔女旅に出る】において試みた、ロックサウンドとオーケストラサウンドの融合というものをコンセプトとして、それをさらに推し進めて作られたミニアルバムなのです。アルバム全編を通して、ストリングスやホーンや打楽器といった色んな楽器の音が、ロックサウンドに合わせて聴こえてきます。

 

全体的に、イントロやアウトロ、間奏の演奏が長くて、目立って聴こえる曲が多いので、極端な言い方ですが、バンド隊の演奏はメインではなくて、草野さんのボーカルと、オーケストラの演奏の方がメインなのかなと思えてきます。

 


■先述の通り、前2作品と発売が近いので、今作品もまたセットで、つながりを感じる作品ではあります。また、入っている曲数は5曲と少ないですが、少ないからこそ、オーケストラサウンドなどの、コンセプトをしっかりと体感できる作品だと思います。

 


そして、特徴的なアルバムのタイトルである”オーロラになれなかった人のために”ですが、「アラスカの北極圏に住む先住民の『死んだ人はオーロラになる』という言い伝えからとったタイトル」なんだそうです。死んだら”オーロラになる”のならば、”オーロラになれなかった”は何を表すのでしょうか。

 

例えば、これはこのブログで前に書いたことですが、オーロラになれる人というのは、何ていうか人生を全うして死んだ人のことを指すのではないか、とかいう解釈を与えました。そうなると、オーロラになれない=人生に未練を持っているため成仏できない、あるいは、不遇な死を遂げてしまった(例えば、自ら命を絶った)、などでしょうか。

 


…と考えていて、今回またひとつ新しく思ったことがありました。それは、オーロラになれなかった人=”大切な人を亡くして、この世に残された人”でもあるのかなってことでした。大切な人は死んでオーロラになった、だけど残された人は生き続けなければならないので、まだオーロラになれないと、そういう流れですね。

 

それを物語るかのように、別れの場面や残された人の歌が、今アルバムに入っています。まぁ、そればかりではないので、何とも言えないんですけどね…。

 

【田舎の生活】は、愛する人を亡くして田舎に籠ってひとり寂しく暮らす男の姿、【海ねこ】は、死別という解釈は与えませんでしたが、この歌にも別れの場面が描かれており、残された人の気持ちが表現されています。最後の【涙】は、個人的には、”死んで成仏していく様子”と”赤子の誕生”という真逆の解釈を与えましたが、前者であれば、これも残された人の姿が見えてきますし、後者であっても、赤子が母体から別れて、ひとりで生きていくようになると考えると、これもひとつの別れの場面であると(多少無理やりでが)考えることができるのかもしれません。

 


必ず届くと信じていた幻
言葉にまみれたネガの街は続く
さよなら さよなら 窓の外の君に さよなら言わなきゃ

【田舎の生活】より

 


今日 一日だけでいい
僕と二人で笑っていて

【海ねこ】

 


そして君はすぐに歩きはじめるだろう
放たれた魂で
月のライトが涙でとびちる夜に

【涙】より

 


■ということで、1stアルバム、2ndアルバム、そして、今回のミニアルバムと、この辺りの作品が、一番スピッツの・草野正宗さんの、濃厚で不思議な世界観が反映されているのではないでしょうか。

 

ただ、この作品あたりから、自分たちの活動に対して、少しずつ心情は変わっていったようで、書籍「スピッツ」には、この作品周辺のインタビューにて、草野さんのこんな語りが載っています。

 


あと、もっとなんでもやれるんじゃないかっていう、何やっても結局、スピッツっていうのから逸脱することはないのかなっていうか。もうちょっと広く、思いっきりいろいろやっちゃってもスピッツになるっていう自信があるから、そういう意味でもっといろいろやれんじゃないかって気がする。まだちょっと視野が狭かったなって

 

こういう心境の変化っていうのは、大きかったんじゃないでしょうか。オーケストラサウンドを導入してみたこともそうですが、新しいことを色々と取り入れるようになったということでしょうね。マニアックな世界は、もちろん残しつつも、それを自己完結されるのではなく、プロとして、しっかり外へ発信していくことへの自覚や覚悟を感じられます。