スピッツ大学

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212時限目:エスペランサ

エスペランサ】

 

■アルバム『小さな生き物』に収録されている曲です。ただし、当曲が収録されているのは、アルバムのデラックスエディション盤のみなので、聴きたい方はご注意を。アルバムの最後に入っていますが、一応”Bonus Track”という扱いになっています。

 

エスペランサ”という言葉自体は、スペイン語で”esperanza”と書き、意味は”希望”だそうです。

 

このブログでも、アルバム『小さな生き物』と、東日本大震災の関連についてずっと書かせていただいておりますが、そんなアルバムの最後に(ボーナストラックではありますが)、”希望”を意味する曲が入っているのは、何か意味があるのではないかと勘ぐってしまいます。「最後に残るのは希望」「希望をもって諦めずに生きていこう」という想いが込められていると、勝手ながら思わざるを得ません。

 

ちなみに、スピッツとスペイン(語)に、何か関係があったのかと探してみると、映像作品『ソラトビデオ COMPLETE』に収録されているボーナスディスクにおいて、スピッツがスペインに撮影旅行に行ったことは確認できます。おそらく時期としては、アルバム『とげまる』発売の前あたりでしょうか。ただし、”エスペランサ”という言葉との関連は不明ですけどね…苦笑。

 


■とりあえず一旦、曲のタイトルや歌詞は置いておいて、曲を聴いてみると、ちょっと懐かしい感じなんですよね。

 

何ていうか、白昼夢というか幻というか、そういうのを見ているような、不思議な心地を感じる曲なんです。昔の曲ですけど、【プール】とか【アパート】とか、そういう系統の最新曲というイメージです。

 


ギターの音は三種類聴こえてきますかね…アコギの音と、イントロなどに鳴っているちょっと気の抜けたような音と、鐘の音のようなギターの音と…。

 

メロディーにも抑揚は無くて、Aメロ(同じメロディーの繰り返し)とサビ(ウーウーウーという歌詞の無い部分)のみという構成になっています。

 

あんまり、そんな目立った曲ではないですけどね、あくまでボーナストラックですので、アルバムの最後はしっかり、【僕はきっと旅に出る】で締めくくられ、その後にひっそりと入っている感じです。

 


■さて、じゃあ歌詞の解釈はどういう感じになるんでしょうか。どういうことを歌っているのでしょうか。

 


まず、出だしの歌詞が結構変わってますよね。こんな感じです。

 


カモメにだって 悩みはあって
無理のない程度に 話してみよう
同じようなこと 僕にもあるよ

 

いきなり、”カモメにだって 悩みはあって”という言葉が出てきて、”カモメ”という言葉が何かを象徴しているのかなって考えてしまいます。

 


僕ら人間は、”空を飛ぶこと”を”自由の象徴”のように考えますよね。地を這ってしか生きることができない人間にとって、何の障害もない(ように見える)空を飛ぶことはいつだって憧れであり、自分たちの人生と対比させて、自由なことと考えるかもしれません。

 

”空を飛ぶ”というと、もちろん虫や雲や、人工的なものだと飛行機なんかも連想するかもしれませんが、やっぱり”鳥”ですかね。翼を羽ばたかせて、風に乗って高い空を自由に飛んでいる鳥の姿を、自然と思い浮かべるんじゃないかと思います。

 


で、”カモメにだって 悩みはあって”というフレーズですが、個人的な解釈ですけど、そんな風に自由に空を羽ばたくことができる(と勝手に僕らが思っている)カモメにだって悩みはあるんだよ、と歌っているということで、ここはつまり、悩みがないように生きている人にだって、実際は、その人なりに悩みを抱えて生きているんだよ、ということを比喩しているのかなと思いました。

 

まぁ、「隣の芝生は青い」じゃないですけど、自分と比べて順調に生きている(ように見える)人にだって、悩みはあるよと、そういうことを歌っているのではないでしょうか。

 

そして、そこから”同じようなこと 僕にもあるよ”というフレーズに繋がっていきますが、”同じようなこと”というのは、先述の”カモメ”の話だと思われます。つまりは、悩みが無いようによく思われるけど、僕にだって悩みはあるよ、ということでしょうか。

 


■それから、もう一つこの歌詞の中に出てくる言葉として印象的なのが、”ガラスの玉”という言葉です。何度も出てくる言葉で、これも何かを象徴しているのかなと考えます。

 


ガラスの玉は 割れそうで割れず

 


みんなの想定より 弱いと思う
ガラスの玉が 坂を転がる

 

こんな風なフレーズで出てきます。

 


まず考えたのは、”カモメ”との対比です。つまり、この”ガラスの玉”は、我々”人間(の命や人生)”を表しているのではないか、と考えたのです。

 

特に、”ガラスの玉が 坂を転がる”なんて表現は、まさに僕らの人生を例えているように思えますよね。何ていうか、僕らの力だけでは、どうすることもできないことがあって、ただ坂を転がっていく=流れに任せるだけみたいなところがある、ということなんですかね。

 

さらに、”みんなの想定より 弱いと思う”というフレーズもくっついていますからね。これは、”ガラスの玉”にかかっている言葉なんでしょうか。さらにいうと、アルバムタイトルの”小さな生き物”にもつながっているようなフレーズですよね。まぁ、ここは読んでの通り、みんなが(僕らが)思っている以上に、人の命ってもろくて弱いんだよ、ということなんでしょうか。

 


あとは、草野さんは、丸いものを”死”の象徴として考えているような節があり、ともすると、この”ガラスの玉”も、そういう”死”の象徴のひとつとして使っているのかもしれません。

 

”ガラス”っていうのが、また余計に意味ありげなんですよね。”ガラスの玉は 割れそうで割れず”という表現もありますが、”ガラス”というものは、割れるものでも、透明で透けて見えるものでもありますからね。

 


■ということで、うまく説明はできないですけど、この歌で切り取っているのは、あの出来事の後の世界で、物思いにふけっているような、そういうシーンでしょうか。

 

順調に生きているようでも、誰もが悩みを抱えていて、いつ何が起こるか分からないような世界で(これはあの出来事の後だから余計に考えてしまいますが)、生きているというより”生かされている”というような状況…何かこう書くと、悲しいことのように思えるかもしれないけど、結局それが、この世の中の一つの真理なんですよね。

 


ただ、この歌には、”エスペランサ(希望)”というタイトルがつけられています。先述のようなことはあるけど”希望”を持って生きていこう…というより、だからこそ”希望”を持つべきなんだと、そういう方がしっくりきますかね。

 

どうですか、この歌から、”希望”を感じますか?