39時限目:君が思い出になる前に
【君が思い出になる前に】
■アルバム『Crispy!』に収録されている曲です。そこからシングルカットされて、7作目のシングル曲になりました。
いつか詳しく書こうとは思っていますが、僕がスピッツを好きになったのは、シングル曲の【チェリー】を聴いてからでした。その同時期、この【君が思い出になる前に】も聴いていた記憶があります、ひょっとしたら、【チェリー】以前に聴いていたかもしれません。とにかく、この時期のシングル曲が、自分のスピッツに関する、最も古い記憶です。
確か、もう廃盤になってしまった、ベストアルバム『RECYCLE Greatest Hits of SPITZ』の一曲目が、この曲でしたね。案外古い曲なんですよね。
君が思い出になる前に(草野さんの頬がすごくこけて見える)
■もともと、パンクロックバンドだったスピッツですが、その片鱗は、メジャーデビューした後も垣間見えていました。そこから草野さんは、ドノヴァンという、スコットランドのミュージシャンを意識してかららしいですが、フォークギターを演奏しながら歌うようになるわけです。
個人的には、アルバム『Crispy!』辺りにはもう、第二期のスピッツ(オリジナルアルバムで言うと『Crispy!』~『フェイクファー』までを、個人的にはそう呼んでいます)に差し掛かっていて、いわゆる、草野さんがフォークギターを演奏しながら歌い、それを他のメンバーの演奏が引き立てる、というスタイルが定着し始めた時期だと思っています。
そういう意味で、【君が思い出になる前に】は、第二期の入り口として、スピッツの中で重要な意味を持つシングル曲なのではないでしょうか。
■前置きが長くなりました、曲の感想・解釈ですね。
正直で分かりやすいタイトルだと思います。そのタイトル通り、別れの場面において、君が思い出になる前に…と、君との別れを惜しんでいる様子が見て取れます。
出だしの歌詞を載せると、こんな感じです。とてもきれいで、そして切ない歌詞ですね。
*
あの日もここではみ出しそうな 君の笑顔を見た
水の色も風のにおいも 変わったね
明日の朝僕は船に乗り 離ればなれになる
夢に見た君との旅路は かなわない
*
まず、”あの日もここで…”というフレーズから、何処か、二人の思い出の場所でのワンシーンであると察しました。
場所としては、”海”が思い浮かびます。”水の色も風のにおいも 変わったね”という表現において、水は海の水、風は潮風を表していて、時間の流れも感じます。
”明日の朝僕は船に乗り…”というところは、日時も手段もちゃんと示されていて、すごく具体的だな表現だな、と思いました。この具体的な表現からも、草野さんが、売れ線の曲を作ろうとしていたということが見て取れます。この曲は、全体的に具体的で分かりやすいのが特徴なんですよね。
■そして、サビはこんな感じです。
*
君が思い出になる前に もう一度笑ってみせて
優しいふりだっていいから 子供の目で僕を困らせて
君が思い出になる前に もう一度笑ってみせて
冷たい風に吹かれながら 虹のように今日は逃げないで
*
”もう一度笑って見せて”というフレーズは、出だしの歌詞の”あの日もここではみ出しそうな 君の笑顔を見た”にかかっているのでしょうね。別れを明日に控えて、悲しい顔をしている恋人に対して、そんな顔をしないでよ、あの日みたいに笑ってよ、と、男は言ったのでしょう。
”優しいふりだっていいから”とか、”子供の目で僕を困らせて”とか、ここのフレーズも素敵です。きっと、二人にしか分からないたくさんのエピソードがあるのでしょう。
■少しまとめてみます。
何らかの理由で、僕は住み慣れた土地を去っていくことになった(例えば、就職や大学に通うためか、あるいは夢を追うために上京するとか)。その別れを明日に控え、恋人と二人で、思い出の場所である海へとやってきた。思い出の海にたたずんで僕は思う。
「この場所はいつ来てもきれいな場所だな。でも水の色も風のにおいも変わった、同じように見えて、実は色んな物事は、時間の流れとともに変わってしまうんだ。僕たちの関係もそうかもしれないな。」
そして、別れを目前に控えて、恋人はずっと悲しい顔をしている。
「何だよ、いつものお前らしくないじゃないか、いつものように笑って見せてくれよ」
君が思い出になる前に、今日という日を心に閉じ込めて、僕は旅立つから。
とまぁ、こんな感じですね。
解釈に心残りがあるとするならば、この後の二人の関係です。具体的には、男が旅立つことを機に、二人は恋人関係を解消したのか、あるいは、遠距離恋愛により恋人関係を継続させたのか、という2通りの結末がありそうです。個人的には、悲しいですが、前者の方がしっくりきます。それでも、それぞれの心の奥にはきっと、ずっと二人の思い出が残っているのでしょう。
38時限目:聞かせてよ
【聞かせてよ】
■アルバム『とげまる』に収録の曲です。個人的には、何となく一昔前のスピッツの曲を思い出させる曲だな、と最初に聴いた時から思っていました。
アルバムでは、後半の方に収録されている曲ですが、LIVEDVD『とげまる20102011』では、トップバッターを飾っていたので、曲の印象がずいぶんと違って聴こえたのは覚えています。
まずタイトルが潔いですね、【聞かせてよ】ですからね。そのタイトル通りのまっすぐな、すんなりと心に入ってくる、優しい曲だと思います。
■歌詞の内容は、一聴するところ、ラブソングだと捉えました。まず、サビの歌詞が、例えばこんなフレーズです。
*
聞かせてよ 君の声で 僕は変わるから
新しい甘い言葉で 愚かになりたい
*
片思いをしている段階か、ひょっとしたらもう恋人関係になっているのかもしれませんが、とにかく、想い人の声が聞きたい、声を聞かせておくれ、と、想いを吐露している光景が浮かんできます。
他の部分で、「偶然の世界 どう動いたらいいんだろう?」や、「小さすぎる窓から 抜け出せる時が来る」など、これもまた少し独特な表現があります。何となく、恋愛や人生に対して、縮こまって、臆病になっている人の姿が浮かんでくるフレーズではあります。
そこで改めて、サビのフレーズを振り返ってみると、「君の声で 僕は変わるから」ですからね。想い人の声を聴くことで、一歩踏み出す勇気を得て、自分を奮い立たせようとしているのでしょう。恋愛ってそういうもんですよね、想い人の声を聴くだけで、何だか勇気や元気が湧いてくるみたいな。
以上が、”CDで聴いた時”に、この曲に対して抱いた印象でした。
■最初に書いたように、CDでこの曲を聴いた時と、DVDで、LIVEで草野さんが歌っている映像で聴いた時とでは、違う印象を受けました。まず、CDで聴いた時は、先述のとおり、ラブソングだという解釈に落ち着きました。
一方で、LIVEDVDで聴いた時は、この歌はファンに向けて歌っている曲みたいだな、という印象を受けたのです。聴いているうちに、【聞かせてよ】というフレーズは、紛れもない、草野さんがファンへの想いを歌っているのではないか、という印象に変わっていきました。
それは、これも先に述べましたが、DVDではトップバッターにこの曲が収録されていますが、それも相まっての印象なのかもしれません。
最後のサビに、こんなフレーズがあります。
*
そして僕も答えるように つぎはぎしながら
ありふれた愛の歌 歌い始める
*
何度も出てくる”聞かせてよ”というフレーズは、紛れもない、草野さんが、LIVEに来てくれたファン、ひいては、自分たちの音楽を愛してくれているファンに向けて、声を”聞かせてよ”と歌っているように感じました。
ともすると、”そして僕も答えるように…歌い始める”の部分は、そのファンの声に答えるように(声援に応えるように)、草野さんが歌い始める、と捉えることができそうです。”ありふれた愛の歌”というフレーズも、またにくいですね。
■過去の記事で、アルバム『とげまる』について書いたことがありますが、その中で、アルバム『とげまる』は、スピッツの活動20周年を目前に控えた、記念すべき、重要な一枚だった、と書きました。
ともすると、この歌には、もっと言えば、このアルバムには、ファンへの想いが込められている、としても、何ら不自然ではないと思っています。
アルバム『とげまる』には、何となくラブソングが多いような気がします。想い人への愛を歌っているとしても、ファンへの愛を歌った歌だとしても、どちらもラブソングと言えるでしょう。
37時限目:ガーベラ
【ガーベラ】
■シングル『さわって・変わって』にカップリング曲として、そして、アルバム『三日月ロック』にも収録されている曲です。前回、【楓】について書かせてもらいましたが、この【ガーベラ】も、【楓】と同様、スピッツ屈指の名バラードであると思います。個人的にはこっちの方が好きです、飽きが来ないというか。
■wikipediaの、『三日月ロック』の情報によると、この【ガーベラ】は、”亀田誠治と初めてセッションをした思い出深い曲”とのことです。亀田さんと言うと、アルバム『三日月ロック』あたりから、スピッツをプロデュースするようになって、スピッツには欠かせない人物になります。
亀田さんがスピッツをプロデュースすることに関して、批判的な意見も見かけます。よく聞く意見だと、例えば、スピッツの音楽を、いわゆる売れ線の、ありきたりなJ-POPに変えてしまう、というのがありました。
まぁ、僕は、アルバムでは『スーベニア』とか『さざなみCD』なんかも大好きなんですけどね。最近スピッツを知ったわけではなく、20年近く聴いてきて、総合的に聴いてみて、別に悪くなったとは思っていません。少しは”ファン補正”というやつが働いているのかもしれませんが、まぁこの辺りは、個人の趣向に任せます。スピッツのコアな部分は決して失われていない、とは思ってますが、どうでしょうか。
■大分話が逸れましたが、【ガーベラ】についてですね。
この曲を聴いて、全体的に僕は”宇宙”が思い浮かびました。なんか、空間に広がりを感じるような、壮大で不思議な気持ちになります。プラネタリウムみたいな、星が輝く夜空をひとり見上げて歌っているような、そんな光景が浮かんできます。
この歌に関してですが、僕は大きく2種類の解釈を考えました。その2つの解釈が、今曲に関しては、あまりにかけ離れているため、面白いな、と思っている次第です。両方紹介しておきます。
■まず、一つ目の解釈。
”携帯電話やパソコンなどによる、ネットやメールを介しての恋愛”
これは、歌詞をそのまま読んでいけば、割と成り立つのではないか、と思います。(まぁ、現代では、スマホが主流ですけどね)
まず、何度も繰り返し出てくる、「ハロー ハロー ハロー」というフレーズですが、何となく機械的に聴こえてきます。これをそのまま、携帯やパソコンを介してのあいさつと捉えることで、まずこの解釈が生まれました。
あとは、
「闇の中 手が触れた 白い闇の中で」
”白い闇”という言葉で、真っ暗な部屋で、携帯やパソコンのディスプレイが、ぼんやりと灯っている光景が浮かびます。
「アンテナ拡げて あてもない空 扉ふたつ開いて」
”アンテナ”という言葉は、携帯やパソコンが電波を飛ばしている、あるいは受信している様子が浮かびます。”扉ふたつ…”の、ふたつとは何なのでしょう、例えば、ひとつは”心の扉”、もうひとつは”インターネットの扉”、つまりネットにアクセスした、という感じでしょうか。
などなど。割と、しっくりくるところもあると思います。
■二つ目の解釈。
”赤ちゃんの出産”
そのものずばり、これが”出産”のことを歌っている歌である、という解釈になります。
この解釈のきっかけにきっかけになったフレーズが、「よろしくね 繋がってる 命に甘えて」というところです。ここで、へその緒で繋がれた、母親と赤ちゃんが浮かんできたところから、こっちの解釈は生まれ、歌詞の印象ががらりと変わってきました。
「アンテナ拡げて あてもない空 扉ふたつ開いて」
分娩台の上で足を開いている妊婦さん、が思い浮かびました。
「闇の中 手が触れた 白い闇の中で」
産道を通って出てきた赤ちゃんに手が触れた瞬間でしょうか。
「匂いのある花園」
”子宮”のことでしょうか。(女性器のことを、花園、と隠喩するケースもありますし)。
などなど。こうなってくると、この解釈の方に似合うように、フレーズを解釈した者勝ちみたいになってしまいそうであれですが、恥を恐れず書きました。まぁ、どちらかの解釈が正しい!とも思ってはいませんので、この歌はSEXの歌だ、という解釈もあるくらいですから。
■最後に、一番謎である、この曲のタイトルが【ガーベラ】であることに関してです。結論から言うと、なんでこの歌が【ガーベラ】というタイトルなのかは、よく分かりません。
曲中には、何か呼びかけるように、”ガーベラ”という言葉が繰り返し出てきます。一つ目の解釈につなげて、ネット上でのハンドルネームか、とも考えましたが、さすがに無理やりっぽく感じます。
ガーベラ(Gerbera)は、花の名前なんですが、調べてみると、どうやらたくさんの色がある花らしいです(ピンク、赤、白、黄色など…)。
その花の色の違いで、花言葉もまた違ってくるわけですが、代表的な花言葉を紹介しておくと、『神秘』『神秘の愛』などがあげられます。神秘…赤ちゃんが生まれるということで、人間の神秘を歌っているのだとしたら、二つ目の解釈につながるか…と想おうとしましたが、これもしっくりこないですね。
36時限目:楓
【楓】
19作目のシングル曲として、両A面シングル『楓 / スピカ』に収録されています。オリジナルアルバムとしては、『フェイクファー』に収録されています。
シングル御三家(空も飛べるはず、ロビンソン、チェリー)と同じくらい、スピッツファンならずとも、人気のある曲なのではないでしょうか。
スピッツ屈指の名バラードとして、広く世に知られていると思いますが…正直なところ、聴き飽きた感があります、好きですけどね。もっと言えば、両A面のもう一面、【スピカ】の方が好みです。
しかし、僕はまず、この曲のタイトルが好きなんです。というより、この漢字が好きなだけかもしれませんが。”木”へんに”風”=”楓”で、かえで、ですからね、きれいな漢字だと思います。もしも将来、自分に子供ができたなら、こんな名前を付けたい、と密かに思っております。
歌詞の解釈です。
まず、サビの歌詞を読んでみます。例えば、こんな感じです。
*
さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
ああ 僕のままで どこまで届くだろう
*
ここらへんの歌詞から察するに、まずは、男女が別れを迎えた、という解釈ができます。何らかの形で別れを迎えた男女ですが、その男の方の心情を歌っている、あるいは、思い出を振り返っている歌だというところまでは、容易につなげることができるのではないでしょうか。
しかし、その別れが、”死別”であるのか、”恋人関係の終わり”であるのか、解釈は人により分かれるようです。全体的に読んでみても、どちらとも解釈できそうですが、本当のところはどうなんでしょうか。
この歌詞の中で、自分の中で引っかかった、解釈のポイントとなるのは、ここです。
*
風が吹いて飛ばされそうな
軽いタマシイで
他人と同じような幸せを
信じていたのに
*
また出てきました、漢字で書けるのに、カタカナで書いちゃうシリーズです。もう何度も出てきましたが、僕はこういう時は、草野さんが、その言葉を本来の意味では使っていない時だ、ということを思っています。
漢字で”魂”と書けばよいところを、カタカナで”タマシイ”と書いています。つまり、魂という言葉を、本来の意味で使っていないのではないか、ということです。
僕は、ここで言う”タマシイ”=”命”、だと思っています。この辺りは、宗教的な話にもなりそうですが、本来は、厳密には”魂”と”命”というものは違うそうです。簡単に言うと、”魂”は心に宿るもの、”命”は体に宿るもの、という印象です。ある人が、生きているのに、死んだように生気を感じられないのは、その人に”命”はあるけど、”魂”がないということです。
何か、喋っている僕の方が難しくなりそうですが、単純に、”タマシイ”=”命”と訳してみるとどうでしょう。
”風が吹いて飛ばされそうな 軽いタマシイで”
イメージとしては、もう尽き果てそうな命、という意味でしょうか。これに、”風が吹いて”というフレーズと、タイトルの【楓】をつなげてみると、ベットの上から窓の外を眺めていて、木の枝に一枚だけぶら下がっている葉っぱを眺めている光景が浮かんできました。「あの葉っぱが落ちたら、私の命も尽きてしまうんだわ」みたいな、悲しい光景が浮かんできます。その葉っぱが、もしかすると【楓】なのでしょうか。
”他人と同じような幸せを 信じていたのに”
”信じていたのに”ですからね、”のに…”に繋がる言葉は、逆の意味を持つフレーズですよね。つまりここでは、信じていたのに、それも叶わなくなった、と繋がるのでしょう。
ということで、僕の解釈は、”死別”ということになります。おそらく彼女の方が、病気か何かで、危険な状況だった。だけど、ずっと信じていた、彼女の病気が良くなり、別に特別ではないけど、人と同じような幸せを築ける、と。でも結局、彼女は死んでしまった、もう願いは叶わない、という悲しい結末ですね。
改めてサビを読むと、”君の声を 抱いて歩いていく”ですからね。それでも前向きに歩いて行こう、という気持ちも見て取れますが、”君の声を抱いて…”ですから、彼女のことを、いつまでも忘れられないのでしょう。
あと印象に残ったフレーズとしては、
”ガラスの向こうには 水玉の雲が”
調べてみると、巻積雲、高積雲、という名前の雲がありました。これは、秋によく見られる雲で、水玉状の雲です。つまり、”水玉の雲”で、秋の様子を表わしているのだと思います。
”かわるがわるのぞいた穴から”
ここのフレーズの意味が、よく分かりません。穴を覗く…例えば、望遠鏡でしょうか、変わりばんこして、望遠鏡で何かを見ていたのでしょうか。ここの解釈は分かりませんが、印象に残るフレーズではあります。
などなど。
ちなみに、この解釈だと、死んだのは女性の方ではなく、男性の方だという解釈も出来そうです。この解釈だと、男が歩いて行こうとしている方向は、あの世、ということになります。
まぁ、死別でなくても、ただ単に、恋人関係の解消からの、男の未練を歌ったものと捉えてもよいと思います。いずれにせよ、物悲しい歌です。
【楓】(カラフル草野さん!)
35時限目:俺のすべて
【俺のすべて】
シングル『ロビンソン』のカップリングとして、そしてアルバム『花鳥風月』に収録されている曲です。タイトルからワイルドな雰囲気が漂っていますが、曲の内容ももちろんワイルドです。
この曲は、本当にLIVEで化ける曲だと思います…まぁ、生では見たことなのですが、ライヴ映像などを、いつも盛り上がっているなぁって思いながら見ています。
まず、タンバリン草野さんですよね。この曲では草野さんは、いつもギターを握らず、タンバリンを振りながら歌っているんです。めずらしいですよね。
そして、リーダー(ベースの人です)のはっちゃけぶりですよ。まぁ、リーダーは色んな曲ではっちゃけてはいますが…この曲に関しては、そのはっちゃけぶりが最高潮に達しますよね。まるでギターかと思うようなフレーズを弾いたり、高いところに上ってパフォーマンスをしてみたり、弦を素手でぶっちぎったりしています。
リーダーだけじゃなくて、草野さんも崎山さんも三輪さんも、本当に楽しそうに演奏しているのが印象的な曲です。何度も言うように、スピッツ屈指のLIVE曲だと思います。
さて、曲の感想・解釈です。
この曲は、タイトル通り、”俺”という人間のワイルド生き方を歌った歌になっています。出だしから、
*
燃えるようなアバンチュール うすい胸を焦がす
これが俺のすべて
*
と、もうすでに言い切ってくれているので、もう何にも言うことはないんですけどね。アバンチュールとは、フランス語で”aventure”と書いて、その意味は”恋の冒険、火遊び”です。それが、俺のすべてだ!と言い切っていますのでね…それはそれはワイルドな人なのでしょうね。
「歩き疲れて へたり込んだら崖っぷち」
もう常に、崖っぷちの人生なんでしょうね。その日その日を生きることに精いっぱい、というか、そういう状況に追い込んでいるのは、紛れもなく自分自身なのかも知れません、ワイルドだろ。
「そして今日も 沈む夕日を背にうけて」
なんかかっこいいですよね、そして夜の街に溶け込んでいくんでしょうか、ワイルドだろ。
「俺の前世は たぶんサギ師かまじない師」
こういう言い方をする時って、今の自分(現世の自分)がそういうことをしている時ですよね。言葉通り、サギ師まがいの、インチキなまじない師まがいのことをして生きているのでしょう。ギャンブルにはまってお金がなくなっていたり、もしかしたら、金とかふんだくったりして、あっちこっちに敵を作っているのかもしれませんね、ワイルドだろ。
「何にも知らないお前と ふれてるだけのキスをする」
特定の女はつくらない主義的な、その土地その土地に女が居るみたいな、あるいは、その日ごとに違う女を抱くみたいな、ワイルドだろ。
など。ワイルド尽くしですね。
日ごと違う女を抱き、ギャンブルにはまって常にぎりぎりの生活を送っていると…例えば、具体的には誰が思い浮かぶだろう。
ギャンブル好きでぎりぎり、というところだけ切り取れば、”カイジ”が思い浮かびました。あとはイメージだげでですけど、”ルパン三世”とか、”ゴルゴ13”とか、現実の世界だと誰でしょう、”勝新太郎”とか”みのもんた”とか…もっと若いイメージですけどね…。
34時限目:俺の赤い星
【俺の赤い星】
アルバム『ハヤブサ』に収録の曲です。イントロもなく、いきなり草野さんのボーカルで始まって、ドキッとします。
スピッツの曲で、歌詞の中の一人称が”俺”で表されている曲は、ワイルドな曲だと思っています。…と言って、他に何がありますかね、【俺の赤い星】【俺のすべて】【旅人】【バニーガール】…あら、案外思いつかないもんです。
さて、この【俺の赤い星】なんですが、聴くといっつも思い出す漫画があるんです。それは、”北斗の拳”です。もう知らない人も多くなってきそうな、ちょっと古い漫画です。
漫画の内容の話は置いといて、この”北斗の拳”と【俺の赤い星】の個人的な類似点ですが、”北斗の拳”の中には、”死兆星”なるものが出てきます。名前の通り、星の名前なんですが、この星は”見えた者は死んでしまう”という不吉な星なのです。
北斗七星の横に、寄り添うように光る星なのですが、通常は見えない、というのが、漫画の中の設定です。しかし、もしもそこに光る”死兆星”が見えた暁にはもう大変、「おい、お前死兆星が見えてるのか?そいつぁやばいだろー」とこういう展開です。
ただ、”死兆星”を見ても死ななかったキャラクターも居ますが、まぁ不吉な運命を背負った星だということです。ちなみに、”死兆星”は蒼い恒星です、色の部分では、タイトルとは異なっていますね。
(今回調べてみて、”死兆星”の話は実在した(?)ことを初めて知りました。何でも、古代の徴兵時の視力検査に使われていた星だそうです。この星が見える=視力が良い=徴兵される=戦争で死ぬ、という、何となく、風が吹けば、桶屋が儲かるシステムですが…。他にも、逆に見えると長生きするとか、色んな逸話があるそうです。)
曲の話に戻ります。
この曲の中では、男が”赤い星”を探している描写が繰り返し出てきます。この星が、もしも”死兆星”だとしたら、この男は死にたがっているということに繋がります。出だしの歌詞を見てみると、
*
一度だけ現れる 誰にでも時が来れば
あくびするフリをして 空を見た
*
となっていますが、”誰にでも時が来れば”という表現が、人はいつか死ぬ運命だということを示唆しているように思えます。
ただ…こんなピンポイントで”死兆星”のことを書くだろうか、という疑問もあります。
ということで、別の解釈としては、例えば、探している星は、”自分の願いを叶えてくれる星”である、というのがあります。
しかし、いずれにせよ、この歌からは、あまり希望は感じられないです。”死兆星”ならば、死にたがっているわけですが、”願いを叶えてくれる星”だとしても、結局は見つけられてないんですからね、男は救われていないことになります。願いが叶わないのならば、救われない人生ならば、いっそのこと死んでしまおう、と、結局は”死兆星”と同じような結末をたどることになりそうです。
他、気になるフレーズとしては、
「他人のジャマにならぬように生きてきた」…生きてきた、と過去形ですからね、もうそんな生き方はうんざりだ、と思っているのかもしれません。
「プロペラをまわす夜の果て すぐに撃ち落されるとしても」…この描写を読むと、なんか”願いを叶えてくれる星”を探している解釈の方が当てはまるような気がします。すぐに撃ち落される=そんなもんはねーよ、探すだけ無駄だって、みたいな感じですかね…。
「よく似た石 百種類」…空に輝く無数の星のことでしょうか。しかし、やはりその中に、【俺の赤い星】はないようです。
その他、【俺の赤い星】で、女性のことを表している、という解釈をどこかで見かけました。つまり、この男性は、運命の人を探していんですね。それもありかもしれません。
まぁ、いずれの解釈にしたって、何となく物悲しい歌だと思います。赤い星を探して、フラフラと街を彷徨っている男の姿が浮かんできます。
33時限目:オパビニア
【オパビニア】
アルバム『小さな生き物』に収録されている曲です。このアルバムには、生き物の名前を冠したタイトルの曲が多いんですが、このオパビニアも、どうやら生き物の名前らしいです。
どんな姿か想像してみてください。そして、その想像と本物があっているか、確かめてください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%91%E3%83%93%E3%83%8B%E3%82%A2
オパビニア、学名は”Opabinia”らしいです。どうでしょうか、風の谷のナウシカに出てくる、王蟲(オウム)などを思い浮かべるのは、きっと僕だけではないはずです。
そこに書いてある説明で事足りると思いますが、少しそのまま引用させてもらうと、オパビニアは、約5億2,500万~約5億500万年前の海に生息していた動物だそうです。
体長はおよそ4~7センチメートル程度…もっとでかいイメージですけどね、案外『小さな生き物』なんですね。頭部にゾウの鼻のような管状の器官や5つの眼といった、他には全く見られない独特の形態を持つ…以下略ということで、想像図を見る限りでは、現代に似たような生き物が思いつきませんね。滑稽と思うか、奇妙と思うか、一周回って可愛いと思うかどうかは、個人的な趣向に任せます。
曲に関してですが。
まず、曲調が少し面白くて、最初はゆったり始まったかと思えば、サビに入ってテンポアップするという、加速を見せる曲です。Aメロ・Bメロ・サビは4/4拍子、間奏は3/4拍子…で合ってますかね。変拍子が特徴的な曲調です。
(※追記 間奏は、7/4拍子?それとも、3/4拍子と4/4拍子の組み合わせ?そもそも、この2つは同じ?違う?)
歌詞に関してですが、まず、歌詞の出だしの部分で、”オパビニア”という言葉が使われているところがあるので、載せてみます。
*
巡りあいはただ あくびもらったあとの
両目閉じる感じの ヘタなウィンクからどれくらい?
誇り高きあの オパビニアの子孫
俺は生きていた 妄想から覚めてここにいた
*
というふうに使われています。全体的に読んでいくと、恋愛が絡んでくる歌になっているようですが、ここの部分は何となく、長いこと恋愛をしていなかった、いわゆる恋愛ニートが、恋に落ちたという描写のように思いました。
最初の2行なんかは、とても素敵な表現ですよね。「あくびもらったあとの 両目閉じる感じの…」というフレーズは、偶然に、そして一瞬にして恋に落ちた、という表現でしょうか。
そして、肝心の”オパビニア”という言葉を使っている意図ですが、”自分はオパビニア(の子孫)だ”と表現する意図は2つ考えられました。
①先のオパビニアの想像図を見ていただけると分かるように、少なくとも、美しい姿をしていません。それと自分を重ね合わせることで、自信の無さを、自虐的に表現している。
②オパビニアが生きていたのは、遥か昔、当然今は絶滅していて、おそらく、この歌で気になって”オパビニア”という言葉を調べなければ、到底知っていた方は少ないでしょう。そんな風に、自分は時代から取り残されていた存在だったのだ、という、これもやはり自分を自虐的に言っている。
これらの可能性を考えました。
その他、「デートに向かない坂道を 君の手を引いてかけあがり」とか、「イカした贈り物 探してる」とか、「にぶい男でも さすがにわかった 盗まれていたこと」などのフレーズもありますが、共通して見えてくる人物は、不器用にも、恋愛に立ち向かって、必死に頑張っている姿でした。
そんな、かわいい歌の印象ですが、気になるのは、この部分。
*
あそこへとつづく坂道を 息を切らしてかけ上がり
恋も希望も取り返す ちょっとやそっとじゃ終われない
*
うーん、また悪い癖ですが、ちょっと卑猥?って思いました。あそこって…どこ?そういう歌なら、”オパビニア”の長い鼻って…何を表してる?など。深読みしてしまいました。まぁ、草野さんのことだから、それも込みで、この歌を作ったと、考えられなくもないです、それがデフォルトですからね。
32時限目:おっぱい
【おっぱい】
アルバム『花鳥風月』に収録されている曲です。もともとインディーズ時代の曲らしいですが、申し訳ない、その頃のバージョンの曲については聴いたことがありません。イントロ部分などが、一部違っているらしいですけど、大部分は違っていないと察していますが、どうなんでしょうか。
個人的に、スピッツ変態ソング四天王の一角を担う曲です…ここまでで、【海とピンク】【おっぱい】の2曲がでてきました、あとの2曲はお楽しみに、ということで。
しかし、変態変態、と言いながらも、すごく良い曲なんです。愛すべき名曲だと、僕は強く強く思っています。一聴すると、「お、おう…」的な、言葉を失う感じ、あるいは、思わず笑ってしまう感じになりますが、何度も聴いてみたくなる、中毒性を有しているスルメ曲であります。変態を通り越して、むしろ爽やかな気分になってくるのが、不思議です。一周回って、まっすぐなラブソングに感じてきます。
タイトルを書いただけで、出オチ的な感じが否めないですけどね。この曲が、一体どんな曲なのか。ここはまず、サビの歌詞を見ていただけると一番解ってもらえると思いますので、早速載せます。
*
君のおっぱいは世界一
君のおっぱいは世界一
もうこれ以上の 生きることの喜びなんかいらない
あしたもここで 君と会えたらいいな
*
もう、ここの部分に関しては、あんまり言うことはありません、読んで字の如しだと思うんですが、どうでしょうか。”世界一”ですからね、よっぽどおっぱいを見れて、触れて、うれしかったんでしょうね。
そして、改めて、全体的に歌詞を読んでいくと、この歌は男女のSEXシーンを歌った歌であるかのような描写が、多く出てきていることが分かります。しかし、少し言葉を変えて、ぼかしているようなイメージです。タイトルを、あんだけストレートに掲げて、何をいまさら…とも思いますけど。
具体的に、いくつか挙げてみると…
”やっとひとつわかりあえた”
出だしの歌詞であるが、やっと君と性的な行為に及ぶことができる、と、そういう意味でしょうか。
”急ぎ過ぎても仕方ないし ずっと続けたいな”
ゆっくり、行為を楽しみたい、という願望でしょうか。
”痛みのない時間が来て”
もしかしたら、初体験なのかもしれませんね。最初は痛かったけど、徐々に快楽を感じられるようになってきた、ということでしょうか。
”君の身体じゅうに 泥をぬりたくった”
泥、というのが、何かの隠語になっていると察します。例えば、唾液、あるいは、精液か。
など。個人的な解釈ではありますが、タイトルから察しても、そんな見当違いのこと言っているとは思いません。
おっぱいを見ることに、至高の喜びを感じること、これは、男の、ひいては人間の本質的な部分を歌っているのだと思います。この曲に関しては非常にわかりやすいですが、スピッツの曲、つまり草野さんが書く詩の中に潜んでいる、「セックスと死」という概念を探ること、これは人間の根源を探ることにつながっているのです。そういう意味では、スピッツの中でこの曲は、重要な役割を果たす曲だということが言えます。
もっとも、こういう曲を愛せるか愛せないかということが、本当のスピッツファンになれるかなれないかの境界線になるのではないでしょうか。
31時限目:オケラ
【オケラ】
シングル『君は太陽』のカップリング曲であり、アルバム『おるたな』にも収録されてします。これぞ、ロックって感じがしますよね、スピッツが、確かにロックバンドだと示している曲のうちの1曲だと思います。
まず、タイトルの【オケラ】についてですが、童謡『手のひらを太陽に』に出てくる、”みんなみんな生きている”例えとして出てくる生き物ですね。昆虫なんですけど、案外実物を見たことがそんなにない…僕はどうだろ、あったっけな、ちっちゃい頃見たことあるような気がしますが…そんなに美しい姿の昆虫ではないです。(オケラのファンの方がおられましたら、申し訳ないです)
wikipediaの情報を参考にすると、正式名称は『ケラ』だそうですね。日本で呼ばれている『おけら』は俗称だそうです。ちなみに、ケラを漢字で書くと、”螻蛄”だそうです、難しいですね。どうやら、コオロギの仲間だそうですが、その中でも、穴を掘って地中で生活することに特化した昆虫です。どおりで、あまり見かけないんですかね。
ちなみに、【オケラ】と聞いて、僕はMOTHER3というゲームを思い出しますが…知らない人は結構です。
曲の感想・解説です。
まず、タイトル【オケラ】ということなんですが、出だしが「もっと自由になって 蛾になってオケラになって」という風に始まります。オケラの他に、もう一種類、蛾、という、これもオケラと同様、あまり美しくない生き物が出てきます(蛾のファンの方がおられましたら、申し訳ないです)。並べてある以上、何か意味はあるのでしょうか。
サビの歌詞を載せると、こんな感じです。
*
本当に必要かどうか そぎ落としていって
残っていったものは 身体だけ
苦しみ乗り越えて 新たな場所へ
月のあかりで 生き延びる
*
何か、良くも悪くも、”信念”を感じる歌詞だと思いました。何となく、すごくワイルドな生き方をしている人が思い浮かびます。ということで、そう思って色々読んでいくと、ある共通項が見出されるフレーズがいくつかあることに気づきます。
具体的には、これらです。
”君が出そうなカード めくり続けてる”
トランプを使った賭博のことかなって思って、例えば、ブラックジャックとか、ポーカーとか、そういうものが浮かびました。
”前金でっていうんで あきらめかけてた”
「前金で、〇円払ってもらいましょか!?」みたいな、任侠映画(?)に出てくる、ヤクザの取り立てが思い浮かびました。
”短めにバット持って 期待裏切って”
何か、賭け事に挑戦して、慎重になったが、結局は駄目だった、というイメージ。(バットを短く持つ、ということは、一般的にはホームランのような大きな当たりよりも、次につなげるヒットを狙う、ということですので)
これらをつなげると、この歌に出てくる人は、賭け事、ギャンブルにはまっていて、借金もあるのでしょうか、その日その日暮らしをしている、という人物像が浮かんできます。ワイルドと言えばワイルドですが、まぁ褒められたもんじゃないです。
ちなみに、所持金がない状態のことを、「おけら」というそうです。この辺からも、ひょっとしたら、上述のようなイメージにつなげられるかもしれませんね。
ただ、こういう解釈に固めても良いですが、僕としてはその後、もうちょっと解釈を広げてみました。
この歌詞の人物像を、「何かに無謀にも挑戦し続けている人」と解釈してみるとどうでしょうか。最初に書きましたが、オケラも蛾も、あまり美しい生き物とは言えません、むしろ虫嫌いの人からすれば忌み嫌われる存在だと思います。(オケラ、蛾のファンの方、あるいは昆虫愛好家の方がおられましたら、もうしわk…ってくだりはもういいか)
それでも、オケラになること、蛾になることを、”自由になって”と草野さんは歌っています。外見なんて関係ない、自分の思う道を進んでいくような、そういう強い気持ちをもつ人、というイメージにもつながります。
自由で自分の道を信じて進んでいくことと、醜くて忌み嫌われることは、ひょっとしたら、紙一重なんでしょうか。この歌は、そういうことを歌っているのかもしれません。
30時限目:大宮サンセット
【大宮サンセット】
シングル『夢追い虫』にカップリング収録されていて、また、アルバム『色色衣』にも収録されています。タイトルの「大宮」とは、埼玉県大宮市のことですが、それも”かつて”の話です。2001年に大宮市を含む3市が合併し、さいたま市が生まれました…つまり、今は大宮市自体はなくなっちゃっているんですね。
スピッツと大宮の関係ですが…ごめんなさい、詳しくは分かりません。色々情報を探してみましたが、昔スピッツが大宮にあるライブハウスでライブをやっていた、という情報しか得られませんでした。地名をタイトルにするくらいなので、何か思い入れがあってのことでしょう、住んでいたこともあったりするのでしょうか。
ただ、なんでも、全国ツアー『SPITZ JAMBOREE TOUR “隼2001”』の、5月12日大宮ソニックシティ公演の際に、この曲は作られたそうです。
大宮市が合併されたのが2001年5月1日、そして【大宮サンセット】を作って披露したのが、2001年5月12日ということで、何か思い入れのあった土地である大宮市がなくなってしまうことを知って(地名がなくなってしまうという意味ですが)、レクイエム的な感じで、この曲は作られたのかもしれません。
ちなみに、先日発売されたLIVE DVD 『JAMBOREE 3 “小さな生き物”』は、埼玉は大宮ソニックシティで公演されたライブが収録されたDVDで(大宮という名前は、ここには生きているのですね!)、まさに大宮で歌った【大宮サンセット】を見ることができます。もちろん、素晴らしかったです。
さて、曲の感想・解釈です。
曲自体、草野さんの弾き語りが存分に楽しめる曲になっています。草野さんの声は、つくづく弾き語りで映えますね、本当にきれいなボーカルです。
そして、【大宮サンセット】というタイトルについてですが、前述のとおり、大宮に思いをはせて作った歌ではありますが、歌詞の中に、直接その大宮を感じられるフレーズはないように思います。大宮という地名はあっても、大宮サンセットという名前の場所があるわけではないらしく、大宮で見たサンセット(夕陽)という意味合いだと思います。
歌詞を読んだ限りでは、まずは、”若い男女がデートしている”光景が浮かんできます。タイトル通り、大宮でデートしている、とイメージしても良いかと思います。
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大宮サンセット 手をつないで
歩く土曜日
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夕陽を見ながら、大宮をデートしているのでしょうか。こういうところだけ読むと、非常にほほえましいカップルのように思えます。
しかし、少し不穏な雰囲気が漂うフレーズも、歌詞の中に含んでいます。そもそも、一番から”今のところ俺以外 君のかわいさを知らないはず”となっているので、”はず”っていうところで、まず、ん?ってなります。
その他、”君は何故 悲しい目で微笑む”とか、”小さなことが気がかりで 何度も繰り返し考える”などという歌詞とかもそうですね。幸せな雰囲気に、少しずつ陰りが見えはじめます。
もしかしたら、男の方が彼女の黒いうわさを、どこかで聞いたのかもしれません。あるいは、何かの拍子で、そういうことに勘付いたのかもしれません。あれ、俺の彼女、浮気してる?みたいな不安が、胸に渦巻いてきたわけです。そういう気持ちが、”はず”っていう言葉に凝縮されているような気がします。一見幸せそうにデートしていても、心底は、本当は気が気でなかったのかもしれません。
のんびりとしたメロディーの中にも、こんな不安が渦巻いているわけですね、うわべだけの幸せと言いますか、腹黒さと言いますか。
大宮という地名に草野さんが込めた想いはどんなだったか、大宮という場所から何をイメージしたのか、それは分かりません。そういうわけで、なぜ、【大宮サンセット】というタイトルで、こんな曲が作れたのかは、謎のままです。草野節、ということでしょうか。