16時限目:いろは
【いろは】
アルバム『ハヤブサ』に収録されている曲。前回の記事では、同じアルバムに入っている【今】という曲を紹介させてもらったが、僕としては、曲調は違っているとしても、同じ意味合いを持つ曲だと思っています。ということで、前回書いた【今】の記事も合わせて読んでいただければ、今回の記事もより深く理解していただけると思います。
この【いろは】もまた、これまで(「ハヤブサ」以前)のスピッツには、あまりなかった曲だと思っています。【今】と同様、違和感を感じ、当時はあまり好きになれなかった曲でした。
【今】と【いろは】、この二つの曲の詞には、同じようなフレーズが出てきます。具体的には、【今】に出てくる「浅瀬」という言葉と、そして【いろは】に出てくる「波打ち際」という言葉です。
「浅瀬」という言葉の解釈は、前回記しましたが、僕のイメージでは、「波打ち際」という言葉も、同じような意味合いで使われているんではないか、と思っています。
つまり、「浅瀬」も「波打ち際」も、どちらもスピッツの「今」を表しているということです。(前回から気になってはいましたが、ここでいう「今」は、『ハヤブサ』発売当時のことですからね。)
出だしと終わりが、全く同じこんな歌詞でした。
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波打ち際に 書いた言葉は
永遠に輝く まがい物
俺の秘密を知ったからには
ただじゃ済まさぬ メロメロに
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特に印象に残っているのは、最初の2行の表現です。
「波打ち際に書いた言葉」…僕はこれを、スピッツがこれまで歩んできた軌跡だったり、残してきた曲を表している、と解釈しました。
そして、続く「永遠に輝く まがい物」という表現。まず、まがい物…これの本来の意味は、偽物、本物に似せて作られた全く別の物、というものですが、歌詞の中で流れを読むと、上記の「波打ち際に書いた言葉」を指していると思われます。つまり、これまでのスピッツ=まがい物だった、ということになります。
そして、まがい物、という言葉の前に、「永遠に輝く」という表現がくっついています。これは良い意味でも悪い意味でも、まがい物だとしても、これまでのスピッツはこれまでのスピッツとして、残っていくよ、という表現でしょうか。諦めなのか、それともそう決意したのかは分かりませんが。
これも先日書いたことですが、当時のスピッツは、世間の抱くスピッツ像と、自分達が目指すスピッツ像との矛盾や差異に苦しんでいました。そして、アルバム『ハヤブサ』で、ひいては【今】や【いろは】という曲で、そこからの脱却を試みました。
まさに、これらの心情を、先の2行は歌っているのではないでしょうか。これまで、色々やってきたけど、それはそれで置いといて、違うんだよ、俺たちがやりたいことは、そういうんじゃないんだ、と。
そして、サビの部分。ここは短く、こんな風に歌われています。
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まだ 愛はありそうか?
今日が最初のいろは
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僕のイメージでは、「最初のいろは」とは、これからのスピッツの始まりを表しているものだと思います。それを、この曲で、このアルバムで見せていきたい、という決意の表れでしょうか。
愛はありそうか?…これは誰に向けて放った言葉でしょうか。
もしも、ファンに向けた言葉であるならば、変わっていくスピッツを、まだ愛してくれるか、という意味になりますね。
もしも、自分やバンドメンバーに向けた言葉であるならば、言い聞かせる意味で、まだスピッツをやっていけそう?という問いの投げかけになりますね。
いずれにせよ、ここの愛とは、スピッツへの愛、を表していると思っています。
何度も言うようですが、【今】と【いろは】、そしてそれらを収録しているアルバム『ハヤブサ』、これらはスピッツの中でも、とにかく重要な作品であると言えるでしょう、勝手な解釈もたくさんありますが…。