スピッツ大学

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28時限目:エンドロールには早すぎる

【エンドロールには早すぎる】


 

アルバム『小さな生き物』に収録の曲。まず、タイトルから、あんまり聞かないようなタイトルの付け方だな、と思いました、長いですしね。

 

ダンスナンバーというか、ディスコ調といいますか、こういう曲はスピッツには新しいのかな、と思う反面で、やっぱり草野さんのボーカルが乗っかるだけで、紛れもなくスピッツだなと感じられます。まるで、ミラーボールが回り出しそうな雰囲気です(実際、アルバム『小さな生き物』に付属DVDでのLIVEでは、そうなっていました)。

 

ちなみに、wikipediaによると、ギター以外は、打ち込みらしいです。

 


エンドロール(end roll)とは、映画が終わって、最後にキャストやスタッフの名前などが流れるあれのことですね。ということで、エンドロールには早すぎる、とは、何かの終わりを惜しんでいる表現、と取れます。

 


映画でいうなら 最後の場面
終わりたくないよ スローにして

 

出だしの歌詞ですが、先述のとおり、まだ終わらないでよ、スローモーションにして引き伸ばして、と、何かが終わることを惜しんでいます。

 


そして、先を読んでいくと、この歌には、君と僕という二人の登場人物が出てきています。「二人浜辺を 歩いてく」、「抱き合って追いかけっこしてさ」などという表現から、二人は恋人同士、もしくはそれに近い友達関係?であることが見受けられます。

 

ということで、必然的に、エンドロールを迎えようとしているのは、この二人の物語である、ということが読み取れます。それは、恋人同士の解消としての別れなのか、それともただ単に、この日のデートが終わって、今日の日はさようなら、という感じなのかもしれません。何となく、前者のような気もしますけど。

 


ひとつ比較事項として、一番のBメロと、最後のBメロにおいて

 


<一番>
こんな当たり前が大事だってことに
なんで今気づいてんの

 

<最後>
あんな当たり前が大事だってことに
なんで今気づいてんの

 

という風に…お気づきでしょうか、”こんな”から”あんな”に変わっています。一番では、まだ二人でいる時で、最後では、ひとりになってしまっている、という時系列の流れにおける書きわけでしょうか。いずれにせよ、君といるという”当たり前”のことが、どれだけ大事だったか、思い返してるのでしょう。

 


そして最後の表現、僕ここの表現結構好きなんですけどね。こんな風に締めくくられています。

 


エンドロールには早すぎる 君のくしゃみが聞きたいよ
意外なオチに賭けている

 

君のくしゃみが聞きたいよ、ですよ、なんかいいですよね。たまに、変なくしゃみする女の人、いますよね(まぁ、男の人にもいますけど)。かわいいくしゃみの仕方だったんでしょうか。まさに草野節、面白い表現だと思います。

 

そして、意外なオチにかけている…映画の大どんでん返しのようなことが起こって、何とか君と別れなくていいように、願っているのでしょう。ここの表現もなかなかにくいですね。