99時限目:テレビ
【テレビ】
■アルバム『スピッツ』に収録されている曲です。これぞまさに、奇曲中の奇曲、僕の中では、数あるスピッツの奇曲の中でも、”キングオブ奇曲”だと思っていますが、どうでしょうか。
個人的ランキング、195曲中18位です。アルバム『スピッツ』に収録されている曲の中でも、ずば抜けて僕はこの曲が好きなんです。最初は何とも思わなかったんですが、何度も聴くうちに、クセになってきました。そして、後述の解釈が出来上がった頃から、この曲は本当にすごい曲だなって思うようになりました。
■メロディーに関しては、爽やかなイメージです。初期の頃から、もうすでにスピッツのメンバーの演奏技術は高かったことも思い知れる一曲だと思います。
そして、奇曲奇曲言っていますが、その所以は、この歌が何を歌っている歌なのかというところなんです。僕がこの解釈のことを知ったのは、ネット上で、どこかの誰かが、少しだけ書いているのを読んで、すごいなぁ!と思ったことがきっかけでした。その解釈を元に、自分でも考えてみたら、なるほどな、と思えてきて、その解釈を確かなものにしました。
ずばり、この歌は、”お葬式”や”墓参り”について歌っている歌だと解釈しました。タイトルを【テレビ】と掲げて、こんな陽気なメロディーで、テーマが”葬式”とはね、本当に変態です。もちろん、良い意味で言っています、笑。
■いくつか、その根拠となるフレーズを載せてみます。
”世界で最後のテレビを見てた”
いきなり、”テレビ”という単語が出てきますが、この詩に出てくるテレビは、いわゆる一般的に知られているテレビではなく、”棺桶の窓”のことだと思います。”最後のテレビ”ですから、棺桶の中に横たわっている”君”の顔を見ている、というシーンですね。最後のお別れの言葉を、君の顔に送っているのでしょう。
”パンは嫌いだった”
これは、仏様に備えた白飯のことだと思います。仏様に、パンを備えることはしませんよね、通常は白飯と決まっています。そういうところから、パンは嫌いという表現になっているのだと思います。
”さびたアンテナ…市松模様”
これは、火をつけて供えられた線香のことかな、と思いました。
”不思議な名前”
これは、死んだ人につける名前、戒名のことですかね。僕は、この戒名っていう制度が、あんまり好きではないんです。高校の時に、僕の父親が死んだんですけど、法事の度に、勝手につけられた戒名で呼ばれるのを聞いて、いつも変な気持ちになるんです。どうして死んだからと言って、本名を捨てなければならないのでしょうか。
…まぁ、とにかく、その戒名のことを、”不思議な名前”と表わしているのだと思います。
”マントの怪人 叫ぶ夜”
袈裟を纏って、お経を唱える住職のことだと思います。それを、”マントの怪人”と表現しているんですね。本当に、草野さんの書く詩は唯一無二だと感じることができるフレーズだと思います。
”耳ふさいでたら”
これは例えば、君が死んだことを認めたくない、ということかもしれません。
あるいは、僕は子どもの頃、お経が何となく怖いイメージを持っていました。今でもあんまり、お経にいいイメージは持っていませんが…まぁ、お経が好きだという人自体、あまりいないと思いますが。
何となく僕は、この歌に出てくる”僕”は、子どもの姿をイメージしているんです。なので、想像ですが、君が死んだことを認めたくない、と言うよりは、死の概念すらまだ出来上がっていないんじゃないのでしょうか。よくありますよね、「ねぇ、おねえちゃん何で箱の中に眠っているの?いつ起きるの?」みたいな、ドラマなどの展開が。死ぬ、ということがどういうことか、まだ”僕”は理解していないのはないでしょうか。
”去年の秋に君が描いた 油絵もどき…”
遺影のことでしょうか。もしくは、生前の元気だった頃の君が写った写真のことでしょうか。
”カボチャとナスは…”
これは、お盆に仏様に供えるものだと思います。お盆とは、古くから日本にある行事で、あの世から一時的に現世に帰ってくるご先祖様を迎える行事です。
お盆には、仏様にお供え物をします。それぞれのお供え物に、どんな意味があるのかは、詳しくは分かりません。
きゅうりとなすの話ならば知っています。きゅうりは、細い形=早い馬を意味していて、先祖様に早く来てほしい、という思いを込めて供えるもので、なすは、ずんぐりした形=遅い牛を意味し、先祖様に少しでも長く居てほしい、という思いを込めてお供えするものらしいです。
かぼちゃは、どんな意味でしょうか。そして、それらが仲良しとは、どういう意味でしょうか。そこら辺は分かりません。
”小舟に乗って 暗闇の外へ”
”暗闇の外へ”とは…なんでしょう、現世から離れてあの世に向かっている、ということでしょうか。”小舟”という表現で、”三途の川”を渡っているイメージもわいてきます。
”ブリキのバケツに水を汲んで”
ここら辺は、お墓参りのシーンかな、と思いました。墓石を磨くための水を張ったバケツを持ち、お墓参りにやってきた、ということでしょうか。
”おなかの大きなママ…まぶたを開けても…”
古くから、妊婦さんがお墓参りにいくことは、不吉なこととされているそうです。まぁ、葬式も同様なのですが。お腹にいる赤ちゃんに、悪い霊がうつったり、霊感の強い子どもが生まれてくる、などという迷信があるからだそうです。
ちなみに、妊婦さんがお葬式にでる場合は、お腹に鏡を忍ばせるとよいそうです。鏡が、悪い霊から赤ちゃんの身を守ってくれるんだそうです。
”おなかの大きな”という表現で、妊婦さんを思い浮かべますし、”まぶたを開けても”と迷っているのは、上述のような迷信があるから、ということかなと思いました。
などなど…深読みをすれば、もう本当にほとんどのフレーズが、そういう意味を含んでいる、と解釈できるんですが、どうでしょうか。
■変な言い方かもしれませんが、僕はこの歌を、早く紹介したかったんです、すごく楽しみにしていました。それが、99時限目にして、ようやく叶いました。
草野さんの不思議な詩の世界が、この詩には詰まっています。それが伝わっていれば、本望です。この解釈が合っているのか、むしろ合っているか合っていないかは別としても、こんなぶっ飛んだ解釈ができる歌を紹介することは、この上なく楽しいことです。