スピッツ大学

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123時限目:虹を越えて

【虹を越えて】


虹を越えて

虹を越えて

 

■アルバム『インディゴ地平線』に収録されている曲です。個人的ランキングは、195曲中136位でした。アルバムの中では目立ってないかもしれませんね、好きな曲ではあるんですけどね。

 


■この曲を一言で表すとするならば、”ざわざわ感”です。なんかこの曲を聴くと、心がざわざわしてくるんです。

 

まず印象的なのは、イントロや間奏のメロディーですが、一回聴いただけで、すごく印象に残ります。昭和っぽいというか(そんなに昭和は生きていないですが)、歌謡曲っぽいというか、なんか心がざわざわするメロディーだと思います。

 

そういうイントロがあって、Aメロに入っていくわけですけど、このはじまりがメジャーコードってのも、なんか怪しい雰囲気というか、そういうのを感じ取って、またざわざわしてきます。

 


■そういう、ざわざわした気持ちで聴いていくと、歌詞もまたやはり、ざわざわしてくるんですよ。


1番のAメロの歌詞は、下のような感じです。

 


モノクロすすけた工場で
こっそり強く抱き合って
最後の雨がやむ頃に
本気で君を連れ出した

 

まず、実際に、”モノクロすすけた工場”で会ったのか、もしくは、工場が何かを例えたものになっているのか、それは分かりません。しかしながら、何となく、男女がこっそり会っている、というイメージだけは残ります。

 

また、”最後の雨”とは、何を指すのでしょうか。もう雨を見るのが最後になる、ということなのでしょうか。

 


■という風に読んでいくと、ひょっとするとこれは、”許されない恋愛をしている男女の心中”、あるいは、”駆け落ち”を歌った歌かもしれない、と思うようになりました。

 


すぐ届きそうな熱よりも
わずかな自由で飛ぶよ 虹を越えて

 

Cメロにこんな歌詞が出てきますが、”すぐ届きそうな熱”と”わずかな自由”が対比されています。”届きそうな熱”とは、今の暮らしを表しているのでしょうか。ということは、”わずかな自由”は、わずかな可能性しかないけど、それでも”自由”になれるかもしれない方法、ということでしょうか。

 

普通に暮らしていても、二人の恋愛は許されることはない。ならば、心中をして、あの世で一緒になるという”自由”を手に入れよう。もしくは、自分たちを認めてくれないこんな生活は、こっちからさよならして、何処か遠くへ行こう、と。そういう解釈が浮かんできます。

 

”飛ぶ”って言葉が出てきてるので(飛び降り自殺か、精神的にどこかへ行ってしまうことを"飛ぶ"と表しているか)、スピッツの曲で”飛ぶ”は、結構”死”を思わせることが多いので、この曲もそうかもしれません。

 


まぁ、とにかく全体的に、”こっそり感”を感じます。”ざわざわ感”の正体は、それだったのかもしれません。

 


■それはそうと、草野さんの書く詩の中に、”虹”という言葉が使われるのって、なんか珍しい気がするんですがどうでしょうか。草野さんの中で、”虹”とはどういうイメージなのでしょうか。

 

僕自身、”itukamitaniji”(いつか見た虹)と名乗って、ここのブログを書かせてもらっています。一応、スピッツ大学の学長、というキャラ設定です、笑。下の記事の最後の方に、”虹”の話には少し触れています。

http://itukamitaniji.hatenablog.com/entry/2016/06/20/215848

 

 

”虹”という言葉には、僕自身も結構思い入れがあって、自分で詩を書くときに、使ったりするんですが、自分の中で”虹”という言葉に込める思いはいつも、”予想すらできない未来”や”運の象徴”というものです。

 

そういうものを”越えて”いくわけですからね。草野さんの中での解釈はあるとは思いますが、やっぱり、見えている未来、本来約束された未来とは別の場所に行く、ということで、駆け落ちや、そこからもっと飛躍させて、あの世へと旅立つ、心中と解釈が進みます。