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163時限目:僕のギター

【僕のギター】


僕のギター

僕のギター

 

■アルバム『さざなみCD』の一曲目を飾る曲です。個人的ランキング、195曲中57位でした。これもまたいい曲ですよね、これが1曲目というのが、またにくいですよねー、絶対良いアルバムですもんね。

 

草野さんのイメージによると、「雨の中のストリートシンガー」ということらしいです。誰も見ていない中、路上に独り立って演奏しているという、そういう光景が浮かんできますね。まぁ、雨が降っちゃってるのでね、ギターが傷んじゃいそうですけど、笑。

 

曲自体も、最初は草野さんの弾き語りから始まって、なおさら路上ライヴ感が出てますよね。

 


■雨の中、というのはともかく、何ていうか、すごく神々しい曲だと思っています。

 

僕のイメージは、真っ暗な場所(ステージ)に、演者がたった独りだけ立っていて、そこに少しずつ光が当たっていくような感じです。そこから少しずつ、少しずつ音が増えていって、微かだった光が、やがて大きな眩しい光になっていくというようなイメージです。

 


これらの光景が浮かんでくる歌詞としては、この辺りですね。

 


霧雨にぬれてたら 汚れた心も
洗い流されていく 少しずつ

 


そして 君を歌うよ 小さなことが
大きな光になってくように
かき鳴らしては かき鳴らしては 祈ってる

 

先述のイメージに加えて、後者(サビ)の歌詞の中に、”君を歌うよ”というフレーズが出てきていますが、ここからこのシンガーは、誰かを思い浮かべながら歌っている、という想像もできます。

 

例えば、自分が想いを寄せている相手かも知れません。路上で、決して届くはずもない相手に向かって、がむしゃらに歌っている、という感じですかね。

 

そういう、”誰かに対する想い”が溢れて、何ていうか、シンガーズハイといいますか、最初は小さかった光…自信がなかったり、ちょっと恥ずかしいという気持ちもあったかもしれません、そういう気持ちが少しずつ吹き飛んで、大きな光を放つようになる、という感じですね。

 


■ということで、以上が【僕のギター】に対する、個人的な解釈でありますが、ちょっとここで、いつものごとく、個人的な話をまた少ししてみます。ズバリ、”僕のギター”というタイトルにちなんだお話です。曲には、全く関係ありません。

 


時々、弾き語り動画を載せている僕ですが、それに映っているアコースティックギター(以下、ギターと表記)については、もうかれこれ17~8年前に、僕が中学2年生くらいの時に、父親が急に買ってきたものなんです。

 

残念ながら、父親はもう亡くなってしまっているので、このギターは、父親の形見になってしまいました。何年も使っているので、それこそ”ミーコのギター”ばりに手垢まみれで、動画では見えないですけど、ボディに穴が開いちゃってますからね。フレットなんてすっかりすり減って、弦を押さえることが困難になっています。

 

いい加減、ギターを買い換えよう、とか長いこと思いつつも、結局はこの一本をずっと使い続けています。もう、本当にいい加減、新しいのを買いたいですけどね、まぁそれでもこのギターを手放すことはないとは思いますけど…。

 


■ギターを買ってきてくれた当時の父親は、もうすでに病魔に侵されていました…まぁ、それを僕自身が知るのは、割とあとのことになるんですけどね(当時は詳細に、親からそれを教えられていなかったので、薄々察している、というような感じでした)。

 

生前の父親は、音楽が好きでした。まぁ、美術も好きで、絵をかくのも上手でした。音楽については、特に好きだったのが、THE BEATLESザ・ビートルズ)でした。他にも、サイモン&ガーファンクルとか、ザ・ローリングストーンズとか、とにかく、今では”オールディーズ”などと呼ばれる洋楽・邦楽の音楽が好きだったみたいです。

 

(もっというと、母親も歌うことが好きだったようです。というより、親族に結構音楽が好きな人が居て、今ではあまり開催されませんが、正月などに親族で集まったとき、カラオケに行くことが恒例行事でした。親族にも、かなりの歌うまが揃っていましたよ、笑。)

 

父親も、ギターは基本的には弾けるので、一応は僕に買ってきたという名目でしたが、そのギターを父親自身も弾いていました。

 

そういうことを踏まえると、父親がギターを買ってきたのには、何か意味があったのではないかと、今になって思うようになりました…当時は、そんなに深く考えることはなかったですけどね。

 


■中学生の頃は、僕の家は、友だちのたまり場みたいになっていました…僕が眠っている休日に、母親が僕を起こす前に友だちを家に上げて、僕ん家で友だちがすでに遊んでいる、なんていうことも何回かありました、笑。

 

遊びはもっぱらテレビゲームでしたが、そのゲームの待ち時間に、(僕も含めて)手空きの者はギターを弾いて待っている、というような感じでした。それで興味を持って、友達の数人は、自分のギターを買ったりしていましたね。

 

僕自身は、大学に入ると、ギターを手にいよいよ動き出します。弾き語りサークルに入って、定期的にライヴを自分たちで開催したり、調子に乗ってオリジナル曲まで作ったりしていました。路上ライヴを行っていた時期も、実はあるんですよ(社会人になってもやってた頃ありますが、現在はさすがに…)。

 

 

そして今も、一向にうまくならないまま、それでもずっと僕はギターを弾き、歌い続けています。未だに、Bコードとか押さえられませんからね…まぁバレーコードは、全般的に苦手ですけど、笑。この広いインターネット世界の片隅に、自分の歌をこっそりと残して、自己満足しています。

 

僕が属する一族に、もしも、少しでも音楽好きの血が流れているのだとしたら(才能は無いとは思いますが、笑)、それを守るのは、今はもはや僕くらいしか居ないな、だからちゃんとこの血は守らなくちゃと、勝手に思っております。…なーんてこと、誰にも言ったことないんでね、ここだけの話にしておいてくださいよ、笑。