【野生のポルカ】
■アルバム『小さな生き物』に収録されています。
まず、タイトルに使われています”ポルカ”とは、wikiの説明を引用させていただくと、「ポルカ(英語・チェコ語など polka)は、1830年頃おこったチェコの民俗舞曲である。速い2拍子のリズムに特徴がある。」だそうです。
野生の”ポルカ”というその名前通り、上述の説明にあるような、ヨーロッパの民族舞踊を思わせる、軽快で疾走感のあるリズムが特徴的の曲です。
■この記事を書きながら、改めて、LIVE”醒めない”ツアーのDVD収録の、【野生のポルカ】を流して見ていました。
クージーがアコーディオンを弾いていたり、草野さんもアコギを軽快に弾いていたりして、何ていうかお祭りみたいな楽しさがありますよね。最後の、メンバー全員でのシンガロングも珍しくて、こういうのはファンにとっては嬉しいです。
それから、この歌の中には、”武蔵野”という地名が出てくるのですが、ここの部分は、ライヴをやっているその土地々々に関係のある地名に置き換えられ歌われています。先のDVDに収録されていたのは、千葉公演の様子でしたが、武蔵野を”九十九里”に置き換えて歌われていました。
最近のスピッツのライヴでも、割と後半の方で演奏されていて、盛り上がり曲の一角を成している(というより、そういう曲を作ろうとしたのかな?)ような気がします。そういうわけで、【野生のポルカ】は、新「後半盛り上がり曲」として、認知されつつあるような気がしますが、どうでしょうか。
■ということで、【野生のポルカ】は、どんなことを歌っているのか、自分なりに考えてみました。
まず、タイトルにも使われていますが、この歌に込められた大きなテーマは、何と言っても”野生”でしょう。”野生”とは、まぁ言うならば”文明”などとは対極にある言葉です。歌詞の中にも、この”野生”という言葉が出てきています。
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エサに耐えられずに 逃げ出してきたので
滅びた説濃厚の 美しい野生種に
戻る がんばる こんなもんじゃないよな
生まれ変わる前の ステージで
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細道駆ける最高の野生種に
細道駆ける最高の野生種に…
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それぞれ、出だしの部分、最後のシンガロングの部分の歌詞です。そして、特に前者の歌詞には、(野生種に)”戻る”という言葉が使われています。
■という風に考えていくと、真っ先に思い出すのは、やはり震災のことです。
アルバム『小さな生き物』という作品について、このブログでも何度も紹介していますが、毎回のように震災との関連やつながり(があるんじゃないかと)を指摘しています。亡くなった方への鎮魂、被害に遭われた方を労わる気持ち、災害に際して感じた悲しみや寂しさの表現、そして、復興に対する希望…色んな想いがこのアルバムには詰め込まれている(のではないか)と…。
そこへ来て、”野生”ですからね。あの自然の驚異を目の当たりにして、多くの人が感じたかもしれません…自然の前には、僕らはあまりに無力だ、と。”命”や”人の生き死に”という、人間の根元的なものを突き付けられました。
ただ、この【野生のポルカ】については、その辺りを”乗り越えた感”、もしくは”乗り越えようとしている感”を受けとります。
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長かった夜が 間もなく明けるよ
生まれ変わる前のステージで
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駆け巡りたい くねった細道を
さよなら僕の 着ぐるみ達よ
飛び回りたい 武蔵野の空を
さよなら僕の 抜け殻達よ
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特に後半、自分の”着ぐるみ”や”抜け殻”を、ちゃんと客観視していることが見て取れます。人間的に、一枚皮がむけたと言いますが、そういうことですよね。色んなことを考えていた(はずです)けど、悩んでいた自分にさよならを告げて、また気持ち新たに生きていこう、歌っていこう、という、草野さんの決意の表れでしょうか。
そして、最後の全員での”細道駆ける最高の野生種に…”をシンガロング。その決意を、その覚悟をぶつけるかのように、力強くメンバー全員での熱唱がとても印象的です。そういえば、”細道”とは、スピッツ主催のイベントの名前(その名も、”ロックの細道”)にも使われていますよね。
■とまぁ、少し大袈裟に書きましたが、別に震災などと関連付けずとも、要するに”野生”とは”ありのままの自分”ということですよね。何か、色んなモヤモヤとか余計な物を省いていって残ったもの…スピッツにとっては音楽ということになりますか。
それは僕たちにとっても同じですよね、きっと誰にでも、最後の最後に、自分の中に残るものが、大なり小なりあるはずですから。
スピッツとして・ミュージシャンとして、音楽を続けていく気持ち。ひいては、人間として生きていく気持ち。そんな決意を、高々と宣言している歌なのでしょう。