2nd Album『名前をつけてやる』
発売日:1991年11月25日
■収録曲(→の先より、各曲の紹介へと飛べます)
01.ウサギのバイク
→ 19時限目:ウサギのバイク - スピッツ大学
02.日曜日
→ 124時限目:日曜日 - スピッツ大学
03.名前をつけてやる
→ 118時限目:名前をつけてやる - スピッツ大学
04.鈴虫を飼う
→ 75時限目:鈴虫を飼う - スピッツ大学
05.ミーコとギター
→ 182時限目:ミーコとギター - スピッツ大学
06.プール
→ 153時限目:プール - スピッツ大学
07.胸に咲いた黄色い花
→ 183時限目:胸に咲いた黄色い花 - スピッツ大学
08.待ち合わせ
→ 169時限目:待ちあわせ - スピッツ大学
09.あわ
→ 12時限目:あわ - スピッツ大学
10.恋のうた
→ 49時限目:恋のうた - スピッツ大学
11.魔女旅に出る
→ 168時限目:魔女旅に出る - スピッツ大学
■前アルバム『スピッツ』の発売が、同年3月25日でしたが、そこから、実に半年ちょっとという、非常に短いスパンを経て、今アルバム『名前をつけてやる』は発売されました。
書籍「旅の途中」に、そのアルバムレコーディング周辺の話が書いてあるので、少しまとめさせていただきます。
まず、前アルバムにおいて、計画性もなく、基準がよく分からないレコーディングを繰り返したということを反省して、今アルバムでは、プリプロダクション(通称:プリプロ。レコーディング前に、作品の方向性を確認したり、簡単なレコーディングや練習を行っておくこと)をきちんと行った上で、レコーディングに臨んだんだそうです。
当時、自分たちのライヴの出来に満足がいっていなかったようで、そのフラストレーションみたいなものをプリプロにぶつけたようで、その勢いはすさまじいものがあったそうです。しかしながら、その一方で、レコーディングに対しては、”記憶にないレコーディング”と表わされていました。
ちなみに、このアルバム収録曲に、何気に一曲もMVがないという…シングル曲にすらありませんからね。
■上述の通り、前アルバムからの制作が、短いスパンであるからか、前アルバムと今アルバムには、どこか繋がりを感じます。いわゆる、"セックスと死"の世界観はもちろん色濃く、同じ世界・時間軸の中に居るみたいに感じるので、2枚セットひとつながりで聴きたいアルバムです。
じゃあ、具体的に『名前をつけてやる』は、どういう内容のアルバムなのでしょうか。とりあえずは、印象的な歌詞を少し抜き出してみますと、
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脈拍のおかしなリズム
喜びに溢れながら ほら
駆け抜けて 今にも壊れそうな
ウサギのバイク
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【ウサギのバイク】より
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晴れた空だ日曜日 戦車は唾液に溶けて
骨の足で駆けおりて 幻の森へ行く
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【日曜日】より
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名前をつけてやる 残りの夜が来て
むき出しのでっぱり ごまかせない夜が来て
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【名前をつけてやる】より
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ミーコのぎこちないギターもいい すごくせつない
そしてミーコのうたう恋のうたもいい なぜかうれしい
憧れるだけで憧れになれなかった
手垢まみれのギターと今日も
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【ミーコとギター】より
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君に会えた 夏蜘蛛になった
ねっころがって くるくるにからまってふざけた
風のように 少しだけ揺れながら
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【プール】より
どうですかね?個人的には、なんてあからさま!イヤーン!とか思ってしまうんですが、笑。
先ほども言ったように、前アルバムと今アルバムはひとつながりであると思っているが故、同じ世界観であるとは言ったものの、似ている部分も違っている部分もあり、聴き比べると結構面白いんです。
■まず、個人的に、両アルバムの根本的なイメージとして、前アルバムは"死"のイメージが強く、今アルバムは"性"(恋愛系?)のイメージが強いように感じます。
ただし、言いたいことを、色んなものに置き換えているという点でいえば、相変わらず"分かりにくい"んですけどね、苦笑。例えば、個人的には、上述の歌詞群はすべて性的な表現を置き換えたものだと思っています。
【ウサギのバイク】はそのまま"SEXの描写"、【日曜日】は戦車は"男性器"で幻の森は"女性器"、【ミーコのギター】も、載せている部分だけは何とも言えないですが、全体的に読んでみると、ギターは"男性器"ではないか…などなど、それぞれ置き換えて読んだりしています。
そういう理由からか、曲調はともかくとして、全体的に今アルバムの方が、前アルバムより明るい感じがします。アルバムのジャケットの色が表している通り、『スピッツ』のイメージカラーが青色や水色などの寒色だとしたら、『名前をつけてやる』のイメージカラーは、赤色や桃色といった暖色でしょうか。
■あと、今アルバムは、全体的にメルヘンチックですよね。前アルバムも、妄想的という部分は同じなんですが、メルヘンという感じではないんですよ。メルヘンというより、暗号的というか、謎々でも解いている感じなんですよね。
その点、今アルバムは違うんです。上述のように、"言葉の置き換え"は相変わらず行われていますが、全体を通して、何かやけに物語っぽい気がするのです。前アルバムが、バラバラな静止画を並べてひとつの世界を作っているとすると、今アルバムは、動画で物語を流している感じなんですよね。
■この頃のスピッツは、プロミュージシャンになったことに対する重責を背負いつつも、良いか悪いか、まだ売れることに対してはこだわっておらず、まだプロとアマチュアの間をさまよっている感じであったのだと、書籍のインタビューなどから読み取れます。
そして、この頃のスピッツは、あくまでも、とにかく控えめなんです。マイナス思考なわけではないとは思いますけど…書籍「スピッツ」における、発売当時のインタビューにおいて、
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レコードを出すっていうのは、自己顕示かな、わかんない(笑)。でも、おおっぴらに目立ちたいっていうのもそんなにないしなぁ。やっぱり、聴いてくれる人がいたら気持ちいいっつうのはあるかな…………うん、そうですね。人が聴いてくれて気持ちいいっていうのはあるとは思いますよ、人並みに。
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と語られています。要は、作品のリリースも、ライヴについても、全て自己完結してしまっていたんですよね。その一方で、書籍「旅の途中」においては、
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いま振り返ると、草野マサムネの作詞家としての独特な感じは、もしかしたら二枚目の『名前をつけてやる』で終わっていたのかもしれない。
(中略)
人がやっていないことをやっているっていう自負が、売れていなくても、反響がなくても精神的な支えになってくれていたんだろう。
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とも語られています。
今でこそ、爆発的なヒットを記録して、国民的に名前を知られるようになったロックバンド・スピッツですが、しっかりと、今アルバム『名前をつけてやる』も、前アルバム『スピッツ』も評価されています。この2作こそ、スピッツや草野マサムネの深い詩の世界観が一番表されている作品であるとして、未だにコアなファンも多いのではないでしょうか。
僕も、最初こそ苦手ではありましたが、歌詞を読むことに興味を持つようになってからは、この2作品も大好きになりました。どちらかというと、僕は『スピッツ』派ですかね。でも、『名前をつけてやる』だったら、【プール】とか【あわ】とか【魔女旅に出る】とか、すごく好きですけどね。