スピッツ大学

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199時限目:りありてぃ

【りありてぃ】


りありてぃ

りありてぃ

 

■アルバム『小さな生き物』に収録されている曲です。

 

前講義の【ランプ】に引き続き、『小さな生き物』に収録されている曲の紹介ですが、【ランプ】とは打って変わって(当曲を、僕は震災に関連付けて"悲しい曲"だと紹介しましたが)、【りありてぃ】は、スピッツ特有の控え目でマイナスな発言はありますが、曲調はロックで疾走感があり、基本的には明るく聴こえて、随分と【ランプ】とは印象が違います。

 


■まず、タイトルの"りありてぃ"ですよ。英語で書くと、"reality"となり、その意味は、現実、真実、事実、あるいは、現実性、現実味のあるもの、などと訳されます。まぁ、単純に”現実”と訳しておきましょうか。

 

平仮名になっているのは、まぁその方が柔らかい感じには見えます。”reality”っていうと、何か差し迫った感じに見えますし、スピッツの曲のタイトルには、何となく合わない気がしますよね。

 


■早速、歌詞を読んでいくのですが、まずこの歌には、"僕"と”君”という人物が出てきます。他にも、”あの娘”という人物が出てくるのですが、これは"君"と同一人物なのか、それとも別人なのかは、正確には判断がつきません。それでも、ここでは同一人物として、解釈を進めていこうと思います。

 


まず、”りありてぃ”という言葉が出てくる、1番と2番のサビを読んでみます。

 


変わった奴だと言われてる 普通の金魚が2匹
水槽の外に出たいな 求め続けてるのさ
僕のりありてぃ りありてぃ

 


正しさ以外を欲しがる 都合悪い和音が響き
耳ふさいでも聴こえてる 慣れれば気持ちいいでしょ?
君のりありてぃ りありてぃ

 

先述したように、"僕"と"君"が出てきています。普通に考えると、サビの歌詞が、それぞれの”りありてぃ”つまり”現実”を表していると考えることができます。

 


■”僕のりありてぃ”を考えてみます。

 

”普通の金魚が2匹”が面白いですね。”2匹”というと、先述したとおり、この歌には”僕”と”君”が出てくるので(というより、それしか出てこないので…)、自然と両者を”2匹”に当てはめました。

 

さらに面白いのが、「”変わった”奴だと言われてる ”普通”の金魚が2匹」という表現です。あくまで”普通”であるのに、”変わった”奴だと言われている2人なわけですよ。何か、取るに足らない個性や違いで、人を判断するような、そんな(日本)社会の歪みみたいなものを感じますね。

 


で、”金魚”については、これは比喩表現ではあるとしても、その先の”水槽の外に出たいな”という表現は、つまり、今の窮屈な生活から抜け出したいと思っているということを表しているのでしょう。

 

”金魚”という例えにしないといけなかった理由はなんでしょうか。そもそも、アルバム『小さな生き物』の歌詞カードの表紙には、金魚の絵が添えられています。同アルバムの中には、生き物や、生き物を思わせるような表現はいくつか出てくるのですが、その中で金魚を選んだわけですよね。

 

(ちなみに、またいずれ書くことになると思いますが、アルバム『醒めない』の収録曲に【コメット】という曲がありますが、コメットは英語で、金魚を表す言葉です。両曲に繋がりがある?)

 

まぁ、歌詞を読んだ限りだと、”狭い世界で生きている(生かされている)生き物”の象徴なのかな、という印象を受けます。金魚って大抵、ちっさい水槽に入れられてるじゃないですか。あんな風に、小さい世界に閉じこもっていることを、”僕”や”君”にも当てはめたかったのかな、と感じます。で、そこから抜け出したいと思っているのだと、そういうことですよね。

 


■”僕”の情報については、他にも表れています。

 


あの娘が生まれ育った 街は今日も晴れ予報
まったく興味なかった ドアノブの冷たさにびびった

 

ここは、”僕”が”あの娘”(君)のことを気にかけている表現ですね。だから、ひょっとしたら、抜け出したいと思うきっかけをくれたのは、"あの娘"自身だったのかもしれません。

 

しかしながら、”ドアノブ”が冷たくてビビったと、笑。これもまた比喩表現かもしれませんが、ここからは、僕が長いこと、物理的にも精神的にも、自分の世界に閉じこもっていた、ということを示しているのでしょう。久しぶりに、ドアノブを握りしめて抜け出そうとしたはいいけど、ちょっと躊躇してしまったと。

 


■一方で、じゃあ”君のりありてぃ”はどうでしょうか。

 

サビを読んだ限りでは、何ていうか、世間や物事に対して疑心暗鬼になっており、簡単には信じないような、頑なな人間像が伺えます。この様子は、冒頭の歌詞にも表れています。

 


まるで見えないダークサイド それも含めて愛してる

 

個人的に言葉を足してよいのならば、”まるで見えない君のダークサイド それも含めて僕は君を愛してる”となるかと思います。”ダークサイド”っていうのは、”暗黒面”なんていう訳を見つけましたが、要は、まだ見たことも無い、その人の本性みたいな感じでしょうか。どこか”君”には、そういう暗い本性がある、ということでしょう。

 


あとは、2番のAメロ。

 


犠牲の上のハッピーライフ 拾って食べたロンリネス
終わらない負の連鎖は 痛み止めで忘れたけど

 

ここは、”君のりありてぃ”であると同時に、現実の僕らの世界のことも風刺しているようにも読み取れますよね。

 

"犠牲の上のハッピーライフ"とは、自分の幸せが誰かの犠牲の上に成り立っていることを表わしているのでしょうか。

 

"拾って食べたロンリネス"とは…何でしょうか???

 

"終わらない負の連鎖は 痛み止めで忘れたけど"は、負の連鎖を根本的には止めてはいなくて、ただその場しのぎで忘れた(ふりをしている)だけだということを表しているのでしょうか。

 

などなど。これらは、”君のりありてぃ”に当てはめてもいいし、現実の僕らにも当てはまるような印象を受けます。それこそ、震災後の世の中ですよね。”犠牲の上のハッピーライフ”なんて、まさにね…そんなことも普段は意識しない僕らですからね。

 


■ということでまとめてみます。筆者的”りありてぃストーリー”です。

 

”僕”は、長いこと、物理的にも精神的にも閉じこもって生活をしていました。まさに、”水槽の金魚”状態です。誰かに生かされて、狭い世界に閉じこもって生活していたわけです。

 

そこで、”君”(あの娘)に出会うわけです。特に触れてはいませんが、出会いの形は何だったのでしょうか。面と向かって出会ったということも考えられますが、この時勢、ネットでの出会いなども考えられます。さらに考えると、ネット上”だけ”の付き合いで、面と向かっては出会ったことのない2人なども考えられます。

 

まぁとにかく、”君”と”僕”は、似た者同士だったのでしょう。”君”もまた、”水槽の金魚”だったのです。そういう”君”の暗い部分も含めて、”僕”は”君”のことが気になるようになります。そんな”君”との出会いが、”僕”を変えていくのです。あれほど閉じこもっていた世界から、抜け出そうと思うようになるわけです。

 

”あの娘が生まれ育った 街は今日も晴れ予報”という表現は、まさしく、”君”に会いに行こうとしている描写なのかもしれません。とすると、”僕”と”君”は面と向かっては一度も会ったことことがない状態説がさらに浮かび上がってきそうですが。

 

一人では変えられなかった生活を、”君”となら変えられるかもしれない。つまはじきにされた世界に、もう一度飛び出そうと、勇気を振り絞って冷たいドアノブに、今まさに”僕”が手をかけたところです。さぁ、果たして2人の物語はどう続いていくのでしょうか。