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アルバム講義:9th Album『ハヤブサ』

ハヤブサ

9th Album『ハヤブサ
発売日:2000年7月26日

 


■収録曲(→の先より、各曲の紹介へと飛べます)

 

01. 今
→ 15時限目:今 - スピッツ大学

 

02. 放浪カモメはどこまでも album mix
→ 157時限目:放浪カモメはどこまでも - スピッツ大学

 

03. いろは
→ 16時限目:いろは - スピッツ大学

 

04. さらばユニヴァース
→ 59時限目:さらばユニヴァース - スピッツ大学

 

05. 甘い手
→ 8時限目:甘い手 - スピッツ大学

 

06. Holiday
→ 162時限目:Holiday - スピッツ大学

 

07. 8823
→ 138時限目:8823 - スピッツ大学

 

08. 宇宙虫
→ 209時限目:宇宙虫 - スピッツ大学

 

09. ハートが帰らない
→ 128時限目:ハートが帰らない - スピッツ大学

 

10. ホタル
→ 159時限目:ホタル - スピッツ大学

 

11. メモリーズ・カスタム
→ 185時限目:メモリーズ - スピッツ大学

 

12. 俺の赤い星
→ 34時限目:俺の赤い星 - スピッツ大学

 

13. ジュテーム?
→ 71時限目:ジュテーム? - スピッツ大学

 

14. アカネ
→ 5時限目:アカネ - スピッツ大学

 


スピッツ史に残る、特に重要な作品、9枚目のアルバム『ハヤブサ』です。

 

個人的に、オリジナルアルバムでスピッツの活動時期をいくつかに分けているのですが、5th『空の飛び方』~8th『フェイクファー』を、スピッツの活動時期として、第二期に位置付けています。

 

ということで、9th『ハヤブサ』からは、スピッツは新しく第三期へと突入したと思っています。この間で、ガラッとスピッツの音楽が変わったことを、アルバム『ハヤブサ』を聴いてみると感じるのではないでしょうか。

 


スピッツの第二期は、まさに”スピッツ黄金期”というべき時代でした。

 

100万枚を大きく越える売上を果たした、シングル『空も飛べるはず』『ロビンソン』『チェリー』をはじめ、出す作品出す作品がもれなくヒットを果たし、スピッツの名前が、どんどん日本全国に広まっていった時期を、第二期に位置付けています。”スピッツバブル”とも言われたりしますね。

 


しかし、そんな黄金期の陰で、スピッツは自分たちの音作りに長いこと悩んでいたという様子が、書籍「旅の途中」などから読みとることができます。特に、アルバム『インディゴ地平線』を経て、アルバム『フェイクファー』で顕著になっていったようです。

 

具体的には、ライブでの自分たちの演奏のような、ダイナミックな音作りをしたかったのだと、書籍の中で語っておられます。特に、ミックスダウン(楽器やボーカルの音を調整して、一つの音源にまとめること)にうまくいかずに、音が暗く、沈んだ感じになってしまったと感じたようです。

 

個人的にも、アルバム『インディゴ地平線』とアルバム『フェイクファー』は、少し音がくぐもって聴こえる気がするのですが、どうでしょうか。

 


■ということで、スピッツは、音作りについて試行錯誤するようになります。特に、ミックスダウンについて、大きな課題を感じていたようで、色んな人にミックスダウンを頼んだりしてみたようです。

 

日本での試行錯誤の結果(この辺りのことも、書籍「旅の途中」には詳しく書かれていますので、興味がありましたら読んでみてください)、海外の音楽・エンジニアまで興味が広がっていきます。その結果、全員一致の意見で、アメリカのエンジニアである、トム・ロード=アルジという人に白羽の矢が立ちます。

 

そういうわけで、日本でミックスダウンした曲と、アメリカでミックスダウンする用の曲を用意して、スピッツは渡米します。自分たち(日本チーム)で行ったミックスダウンと、海外で行ったミックスダウンに、どんな違いが出るのか、試そうとしたんですね。

 

アメリカでレコーディングやミックスダウンされた曲としては、シングル曲【メモリーズ】を含め、【船乗り】や【ムーンライト】や【春夏ロケット】などが挙げられます。

 


アメリカでの音作りの旅は、一定の成果を見せ始め、順調に活動を続けているように思えたスピッツでしたが、ここで思わぬ大きな出来事が起こってしまいます。それが、”マイアミ・ショック”と呼ばれている出来事です。

 

マイアミ・ショックを簡単に説明すると、レコード会社が、スピッツのいないところで、スピッツのベストアルバムを発売させることを強行的に決定、そして実際に発売させてしまう、という出来事です。

 

スピッツが、ベストアルバム発売の話を、アメリカのマイアミ滞在中に聞いたということから、この出来事を”マイアミ・ショック”と呼んでいます。

 


スペシャルアルバム『花鳥風月』を紹介した時にも書きましたが、スピッツは”アンチベストアルバム”を貫いていました。それは、「ベストアルバムは解散するときに出す」と語るほど強い考え方でした。

 

そもそも、カップリング曲や、インディーズ曲・未発表曲を収録したアルバム『花鳥風月』こそ、ベストアルバムブームに抵抗して作られた作品だったのです。

 


そういうわけで、この出来事に、スピッツメンバーは憤りと悲しみを感じます。

 


 スピッツはレコード会社といい関係が作れていると思っていたから、アーティストの意向を無視してベスト盤を出されるような騒動とは無縁だと考えてきた。なによりも、俺たちがベスト盤を出すことを、快く思わないことがわかっているはずなのに、どうしてそんな企画が出てきたんだ…俺は、正直、カチンと来た。

 

書籍の中で、田村さんはこのように語っています。

 


この出来事で発売されたアルバムが、『RECYCLE Greatest Hits of SPITZ』ですね(1999年12月15日発売)。シングル曲として、7th【君が思い出になる前に】~19th【楓】の13曲を収録したベストアルバムになりました。

 

このアルバムのタイトル”RECYCLE”という言葉は、せめて自分たちでつけたいという意向の下、スピッツで決めた名前だそうです。意味は、”使い回し”ということで、皮肉も込めてつけられた名前だったのでしょう。

 

ちなみに、後にシングルコレクション『CYCLE HIT Spitz Complete Single Collection』を発売させ(こっちは、”シングルコレクション”だからOK!)、2006年に『RECYCLE Greatest Hits of SPITZ』の方は製造中止になりました。

 


僕はと言うと、このベストアルバム『RECYCLE Greatest Hits of SPITZ』を、発売直後に買いました。中学生の時ですね、唯一のスピッツ仲間と一緒に街まで買いに行きました。その当時は、上述のような、スピッツの苦しみがあったことは知らなかったこともありましたが、スピッツの名曲がこれでもかと入っており、とても好きな作品でした。

 

ちなみに、大学の時に、このアルバムを友達に貸したのですが、そのまま返してもらうことなく、大学卒業を迎え、離ればなれになってしまいました。まぁ、この頃にはもう、マイアミショックのことを知っていたので、まぁいっか…という感じですね。でも、どうだろうな、廃盤になるんだったら、初回限定盤だったし、手元に置いておきたかったかな…。

 


スピッツの、長い間の苦悩としてもう一つ、世間が抱くスピッツ像と、自分たちの抱くスピッツ像に差異を感じていた、というものもありました。

 

僕自身の想像も含めますが、世間のスピッツ像は、どうしても『空も飛べるはず』『ロビンソン』『チェリー』を含めた、何ていうのか、世間受けするような、ポップで明るいスピッツだったと思います。

 

スピッツはかつて、インディーズ時代ではパンクロックバンドとして活動をしていたこともありましたが、バンドの方向性を変えたとしても、根底にあったのは、いつだって”ロック”だったのでしょう。あくまで、自分たちはロックバンドなのだという思いが、強くあったのだと思います。

 


マイアミショックで、スピッツは一度”死”を迎えました…というのは大げさかもしれませんが、書籍の中でも”死と再生”という表現があります。

 

マイアミショックの反動もあり、(おそらく)アメリカで本場のロックに触れたことも影響して、スピッツはこれを機に、もう一度ロックバンドとしてのスピッツに立ち返ることを決意します。これが”再生”の意味するところですかね。

 


■ということで、長くなりましたが…

 

今まで感じていた世間と自分たちのギャップへの違和感が、マイアミショックによって弾けて、アメリカでの音作りの経験が合わさって、純粋なロックへと気持ちが立ち返ります。

 

その結果、アルバム『ハヤブサ』という、非常にロックで攻撃的なアルバムが出来上がったのです。

 

僕は、このアルバムも、リアルタイムで高校生の時に購入して聴いたのですが、いやぁ、驚きましたね。当時の僕でも、スピッツは割と長く聴いてきていて、第二期のスピッツにどっぷり慣れ親しんでいたので、アルバム『ハヤブサ』を聴いた時に、これが今まで聴いてきたスピッツなのか!?と驚くほど、ロックで激しいアルバムでした。

 

それは、最初は違和感を感じる程でしたが、ちょうど僕自身も少しずつ邦楽ロックを好んで聴くようになった頃だったので、程なくしっくりきて、これもお気に入りの作品になりました。

 


■まず、何と言っても、印象的な最初の3曲です。

 

【今】→【放浪カモメはどこまでも】→【いろは】というこの流れ…本当に大好きな3曲です。何ていうか、スピッツがずっとため込んだ”鬱憤(うっぷん)”を、いきなり爆発させているように聴こえてなりません。「うぉお、お前ら!スピッツはこれからこんな風にやっていくからなー!あいさつ代わりで、メロメロにしてやる!」的な、とても強い気持ちを感じます。

 

 

その中でも、やっぱり【放浪カモメはどこまでも】がお気に入りです。アルバムの名前であり、表題曲にもなっている”ハヤブサ(8823)”という言葉もそうですけど、”カモメ”という鳥の名前が使われていて、スピッツの特別な気持ちがこもっていると思わざるを得ません。



悲しいジョークでついに5万年
オチは涙のにわか雨

 

でも放浪カモメはどこまでも
恥ずかしい日々 腰に巻きつけて 風に逆らうのさ

 

出だしの歌詞を書いてみました。

 

この曲をスピッツは、マイアミショックの直後、日本に帰ってきてから、レコード会社との予定が白紙の時期に、4人でスタジオ入りした時に原型を完成させたそうなのですが(仮タイトル「ギターポップNo.1」)、そんなエピソードを聞くと、ピンチの状態でも、スピッツの4人の絆だけは少しも揺らがなかったんだなと、とても嬉しく思い、感動してしまいます。そういう時期に作った曲なので、やっぱり自分たちのことを書いた曲なんですかね。

 


■そして、何と言っても、アルバムの表題曲である【8823】ですよ。

 

これはもう紛れもなく、スピッツの魂…と言うより、”魂の叫び”が聴こえてくるような曲ですね。ライヴでのマスト曲の一つであり、とても盛り上がる曲です

 

先程も紹介しましたが、スピッツの”鳥ソング”ですからね、これにもやはり特別な想いをこめていることは間違いないと思うのですが、何となく、スピッツのデビュー曲である【ヒバリのこころ】と比べてしまいます。

 


ところで、これは皆さんにも聞いてみたい話なんですけど、多分僕がアルバム『ハヤブサ』を購入した頃だと思うんですけど、その時に、

 

「小さかったヒバリは 大きなハヤブサに進化したのだ」

 

というフレーズをどこかで見かけたんです。微かに、購入したCDショップに飾られていたポップに書いてあったんだっけ…と思ってるんですが、かなり記憶があいまいです。

 

何かの雑誌に書いてあったかもしれないし、そのポップにしたって、何かに書かれてあった言葉を取ってきたのかもしれないし、ひょっとしたらショップ店員が個人的に作った言葉かもしれないし(だとしたら、良いセンスですね!)、よく分からんのです。

 

しかし、これだけ強烈に覚えているのに、こんなインターネットが発達したこの時代でも、情報を見つけ出すことができないのです!だから、ポップを書いた人の自作説か、僕が白昼夢でも見ていた説が濃厚なのですが…もし、見かけたことのある方がおられましたら、情報ください。

 

まぁ、こういうことがあったから余計に、”ヒバリ”と”ハヤブサ”を比較してしまうんですけどね。

 


この歌も、やはり出だしの歌詞が印象に残っています。

 


さよならできるか 隣り近所の心
思い出ひとかけ 内ポケットに入れて

 

あの塀の向こう側 何もないと聞かされ
それでも感じる 赤い炎の誘惑

 

さよならを言おうとしているのは”スピッツ”で、塀は”今までのスピッツを縛り付けていたもの”、例えば、レコード会社や世間が思うスピッツ像などを表していると考えると、ここはそのまま、そういう今までの自分たちに別れを告げて、新しく生まれ変わることへの決意を表明しているように聴こえてきます。

 

最初はちょっと静かに始まって、サビで爆発するところとか、助走をつけて、鳥が飛び立っていくような、そんな力強さを感じます。

 


■あとは、個人的に一番アルバムの収録曲で好きなのが、【アカネ】ですかね。初めて聴いた時から、アルバムの中で一番好きな曲だったんですけど、20年以上経った今でも、それは変わりませんね。アルバムの最後に入っていて、ロックな曲ではないんですけど、とても綺麗な曲だと思います。

 

その他、公認(?)のストーカーソングである【Holiday】、これも衝撃を受けました【メモリーズ・カスタム】、ロックなアルバムだからこそ逆に引き立って異質に思う【ジュテーム?】など、本当に個性的な曲が溢れています。

 

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