12th Album『さざなみCD』
発売日:2007年10月10日
■収録曲(→の先より、各曲の紹介へと飛べます)
01. 僕のギター
→ 163時限目:僕のギター - スピッツ大学
02. 桃
→ 186時限目:桃 - スピッツ大学
03. 群青
→ 46時限目:群青 - スピッツ大学
04. Na・de・Na・deボーイ
→ 116時限目:Na・de・Na・deボーイ - スピッツ大学
05. ルキンフォー
→ 201時限目:ルキンフォー - スピッツ大学
06. 不思議
→ 150時限目:不思議 - スピッツ大学
07. 点と点
→ 100時限目:点と点 - スピッツ大学
08. P
→ 148時限目:P - スピッツ大学
09. 魔法のコトバ
→ 172時限目:魔法のコトバ - スピッツ大学
10. トビウオ
→ 103時限目:トビウオ - スピッツ大学
11. ネズミの進化
→ 127時限目:ネズミの進化 - スピッツ大学
12. 漣
→ 56時限目:漣 - スピッツ大学
13. 砂漠の花
→ 57時限目:砂漠の花 - スピッツ大学
■スピッツが結成されたのは1987年のことになりますが、そこからちょうど20年という節目を迎えた2007年に発売になったのが、この12枚目のアルバム『さざなみCD』です。
結成20周年という時期に発売になり、”記念すべき”という感じはあるとは思いますが、個人的にはそんなに特別なものという感じではなく、改めて並べて聴いてみても、いつも通りのオリジナルアルバムだなという印象です。
元々は、このアルバムは”夕焼け”という名前になる予定だったそうですが、【夕焼け】は曲のタイトルとして使われてしまいました(ちなみに、シングル『群青』のカップリング曲です、超名曲です!)。
そこから、”大和言葉”にこだわって、収録曲の【漣】から、アルバムのタイトルを”さざなみ”としようとしたところで、インパクトに欠けるということで、”CD”をつけて『さざなみCD』ということになったようです。
ちなみに、『三日月ロック』も同じような感じでしたようね。”三日月”だけではインパクトに欠けるということで、”ロック”を付けたはずです。
■書籍やインタビューに書いてあるアルバムの情報を少しまとめてみます。
まず、前作のアルバム『スーベニア』は、作品自体を短期集中で3ヶ月くらいで作ったのに対して、アルバム『さざなみCD』については、プロデューサーの亀田誠治さんやエンジニアの高山徹さんなどとの時間の兼ね合いもあって、実に1年以上もかけて作ったアルバムなんだそうです。
長い制作期間だっただけに、いくつかのスパンに分けられてレコーディングされたそうなので、それだけに全体的に曲の雰囲気がバラけていて、色んなタイプの曲が独立して入っている作品であると、草野さん自身も語っています。
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草野さん「曲の向かっていく方向が、アレンジは別にしても、なんとなく同じ方向に向いてたかもしれないですね、『スーベニア』の方が。今回は(これは『さざなみCD』のことですね)そういう意味では、良くも悪くもバラけてる、1曲1曲独立した雰囲気を持ってるアルバムになってるんじゃないかとは思いますね。」
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個人的には、『三日月ロック』や『スーベニア』の方がロックなアルバムだとは思っているのですが、それらに比べて『さざなみCD』の方が、バンド以外の演奏が少なくて、バンドっぽい作品なんだそうです。
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『さざなみCD』は、亀田さんとやった三枚のアルバムの中ではいちばんアディショナル(バンド以外の楽器演奏)が少なくて、バンドっぽいアルバムだと思う。ライブを意識した内容になっているから、これから始まるツアーでどんな反応があるか、すごく楽しみだ。
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書籍「旅の途中」の中で、草野さんはこのように語っています。そう言われると、『スーベニア』には、確かに色んな音が入っていて、ロシアっぽかったり、沖縄っぽかったりする曲が入っていましたが、『さざなみCD』は、素直にスピッツの演奏と草野さんのボーカルで構成されており、シンプルな印象は受けます。
■ところで、話題に挙げました、『三日月ロック』と『スーベニア』、そして、今作の『さざなみCD』の三枚は、亀田さんと作った最初のアルバム三枚ということで、”三部作”という風に語られています。
個人的に、オリジナルアルバムでスピッツの活動時期をいくつかに区切っているのですが、この『さざなみCD』で以って、アルバム『ハヤブサ』から続いていた、スピッツの第三期(個人的に「スピッツの死と再生」という風に呼んでいます)が終わったと思っています。
マイアミショックを経て、ロックに目覚めたスピッツが発表した、スピッツ史上最も攻撃的で激しいアルバム『ハヤブサ』。ここから、スピッツの第三期が始まりました。
9・11テロに影響され、草野さんが一時は音楽をする意味を見失ったものの、だからこそ人々を慰めるような曲を作ることを使命として、世の中を応援するように歌ったアルバム『三日月ロック』。
三部作の中では、一番ロックな作品だったと思っていますが、色んな場所へ旅をするみたいに、色んな曲調の曲が入っている『スーベニア』。
そして、今作『さざなみCD』は、マイアミショックを経て一度”死”を迎えたスピッツが、本当の意味でロックに目覚め、そこから始まった”再生”の長い旅の、その集大成であるような作品です。
第三期の作品を経ていく度に、最初はロックの激しい部分が全面に出ていた印象でしたが、少しずつ研磨されていったという印象です。
草野さんが・スピッツが持つ本来の”優しさ”が、”ロック”にちょうどよく混ざっていき、激しいだけではない、まさに”スピッツロック”というしかない、これはもう唯一無二のジャンルですよね、そういうものが確立されていったのです。
第三期後期あたりを経て、また次回より話すことになる、第四期の作品からは、新しさはもちろん感じるのですが、どこかその中に”懐かしさ”を感じることが、個人的には多くなってきたと思っています。
■さて。ここからは、アルバムの紹介というより、個人的な思い出話になりますが…。
スピッツ結成20周年の時を迎えたはずなのですが、個人的には、僕はスピッツ20周年の記憶が全くないんですよ。喜んで祝った記憶も、感慨に浸った記憶も全くないのです。ミステリーとか、そういうのではないですけどね。
スピッツはずっと子どもの頃から聴いてきたし、もちろんこれまでもこれからも、一番そばに居る存在だと思っているんですが、スピッツをそんなに”熱心に聴いていなかった時期”というのがあるんです。新作のリリースなどを、チェックしていなかった時期があって、それがちょうど20周年前後の時期でした。
当時の僕は大学生でした。それも、最後の卒業研究に追われる5回生でした…何だって?大学は4年で終わりじゃないかって?ま、まぁ、そこは色々あったんすよ。
単純にスピッツを聴かなかったのは、研究・勉強が忙しかったからっていうのが、一番の理由だったと思います。あとは、他のアーティストの音楽の方を熱心に聴いていたというのもあると思いますね。とにかく、スピッツのことを頭の片隅に追いやってしまって、その当時のスピッツの活動や、作品のリリースなどを追っていなかったんです。
それで、忘れもしない、まさに勉強の合間に、大学の近くにあったコンビニに昼飯か何かを買いに行った時でした。コンビニの有線から、何やら知らないスピッツの曲が流れていました。何だろう、新曲かなって思って、研究室に帰って早速探してみると、youtubeか何かで、【群青】と【ルキンフォー】のMVを見つけることができました。その時に、両曲とも(フルで)初めて聴いたんです
コンビニで流れていたのは、どうやら【ルキンフォー】の方だったようです。そして、【群青】のMVでは、何故かアンガールズが踊っていて、何だこれ?って笑ったのを覚えています。【ルキンフォー】は何か新しい感じがしましたが、【群青】はどこか懐かしさを感じたのを覚えています。
どちらも本当に素晴らしい曲で、久々にスピッツを聴いたなって感じでした。何となく、久しぶりに友達に再会したような気分でした。そして、その友達は、何ら変わらず歌い続けていたのです。
その時に、アルバム『さざなみCD』がすでに発売になっていることを知り、すぐにレンタルショップでアルバムをレンタルして、研究室でせっせとCDに焼いたりして聴いたんです。だから、アルバム本体は未だに持ってないんです。
とまぁ、こういう経緯があって、アルバムを聴くことを後手後手に回してしまったし、結成20周年は全然感慨に浸らず、淡々と過ぎていきました。
しかし、僕の中でアルバム『さざなみCD』は、”スピッツとの再会”を果たした大事なアルバムです。
■このアルバムで印象に残っている曲は、最後の2曲です。【漣】からの【砂漠の花】という流れが、もう本当に大好きなんです。
まず、【漣】についてなんですが、この曲は、僕自身がこのスピッツ大学を始めたきっかけにもなっています。
僕は、スピッツの曲を個人的に聴くときも、ここで話すときもそうなんですが、歌詞に一番重きを置いているんです。スピッツ楽曲の最大の魅力は、草野さんが描く歌詞の世界観にあると思っています。もう子どもの頃からですね、正しい正しくない、しっくり来る来ない、そういうのはとりあえず置いておくとして、そういう歌詞のストーリーを想像するのが好きでした。
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こぼれて落ちた 小さな命もう一度
匂いがかすかに 今も残ってるこの胸にも
翼は無いけど 海山超えて君に会うのよ
*
【漣】の歌詞の一部ですが、何度も聴いていくうちに、色々と世界というか、ストーリーが広がっていくのを感じた瞬間があったのです。個人的には悲しい解釈でしたが、深い歌詞の世界観に触れたような気がしたんです。
そうして、まだスピッツ大学など存在しない頃は、どこかの掲示板にそういう解釈を書いては自己満足していた、通称”暗黒時代”を経て、書きたい欲みたいなのが湧いてきて、少しずつスピッツ大学のようなことをしていったという感じです。
■それから、【砂漠の花】という曲について。
これも、何ていうか、すごく長い長い旅の果てに辿りついた場所というような感じがして、スピッツの歩んできた長い歴史をも感じることができます。
この【砂漠の花】にも、個人的に大好きな名フレーズがあります。
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ずっと遠くまで 道が続いてる
終わりと思ってた壁も 新しい扉だった
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先程もしゃべった通り、歌詞に重きを置いてスピッツの歌を聴くと、自分がその時に置かれている状況だったり、抱いている感情だったり、そういうものの違いによって、同じ歌詞でも、全然違って聴こえることがよくあります。だから、スピッツの歌詞は、何度も読むのが楽しいんです。
上述の歌詞も、例えば今の自分が、何かが終わることを望んでいなくて、諦めたくないと思っている状況であれば、"扉"は希望になり得ると思うんです。壁を越えていく方法として、"扉"を見つけることができて、まだその歩みを続けることができるわけですからね。
しかし逆に、今の自分が、何かが終わることを望んで居るのだとしたらどうでしょうか。"扉"は絶望になり得るかもしれません。ここまで、ずっと悲しいことや苦しいことが続いてきたけど、ようやくその終わり(壁)に辿りついた…と思ったら、そこに扉があったわけですから、それは悲しみや苦しみが、まだ続いていくということを表すことになるわけです。
■その他、草野さんがストリートシンガーをイメージして作られた【僕のギター】や、人気曲の【桃】、シングル曲だと【群青】、【ルキンフォー】に加えて、映画「ハチミツとクローバー」の主題歌になってヒットした【魔法のコトバ】などが収録されています。
何ていうか、全体的に爽やかな曲が多いですかね。シンプルに、スピッツの純粋なバンドの演奏と、草野さんのボーカルが楽しめる、良アルバムです。