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234時限目:ラジオデイズ

【ラジオデイズ】

ラジオデイズ

ラジオデイズ

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■アルバム『見っけ』の4曲目に収録されている曲です。

 

とにかく、アルバム『見っけ』のアルバム曲(アルバムで初めて聴ける新曲)には超名曲が多くて、あれもこれも大好きなんですけど、【ラジオデイズ】はその中でも特に大好きな曲です。初めて聴いた時から、これは良い曲だ!って瞬発的に感じました。

 

それで、曲名が”ラジオデイズ”と、そのものずばり”ラジオ”という言葉が使われているので、この曲を聴く前から…何なら曲名が初めて解禁された時から、この曲には、何らか”ラジオ”が関係しているんだろうと…つまり、草野さんやスピッツメンバーの、ラジオに対する想いが込められているのではないかと、自然と想像したんです。

 

 

 

■ということで、音楽雑誌「MUSICA」のインタビュー記事には、草野さんやスピッツメンバーが、【ラジオデイズ】に対する想いを語っていますので、個人的に印象に残ったところを引用させていただきます。

 


草野さん「そうですね、しかも完全にラジオ世代で(笑)。情報源がまずラジオだったところが凄く大きかったので。…(中略)…俺が暇があれば聴いてたTBSの『デイ・キャッチ!』という番組が終わっちゃったのが結構ショックだったのもあったし……そういうのもあってできた曲ですね。でもやっぱり、自分がラジオ番組を始めたのがこの曲のきっかけとしては大きいかな。”ラジオ・スターの悲劇”(The Bugglesの1980年の曲)みたいな、ラジオをテーマにした曲を作ってみたいと思ってた」

 


三輪さん「ガキの頃から。土曜になると『今日は深夜まで起きてるぞ』って思うんだけど、でも寝てるんだよ。だから俺は19時から22時ぐらいの間の番組をよく聴いてたかな」

 


田村さん「他に情報がなかったから、DJが紹介してくれるもので音楽が広がっていった部分は大きかったよね。で、この曲の歌詞は結構ストレートじゃないですか。ここまで草野の気持ちがストレートに出る曲ってなかった気がするの」

 

※ちなみに、Video Killed The Radio Star(ラジオ・スターの悲劇)/ The Buggles

youtu.be

 


それから、書籍「スピッツ」にも、草野さんの幼少期のエピソードとして、ラジオの話が少し出てきます。

 


草野さん「だから小学校5年ぐらいから洋楽とか聴き始めて。やっぱり最初はチャートものですね。ウチは家の中にずっとAMラジオが鳴ってて。お袋もずっと鼻歌を歌ってたりとか、親父もカラオケが根づく前にもうデッカいカラオケ装置を買ってきて部屋で歌ってたから」

 


などなど、各メンバーに、それぞれのラジオの思い出を語っていますが、やはりこの曲の制作について一番大きな影響を及ぼしたのは、草野さん自身が、”自分がラジオ番組を始めたのがこの曲のきっかけとしては大きい”と語っているように、ご自身のラジオ番組「SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記」だったのでしょう。

 

その昔は、今のようにYoutubeなどの動画サイトはおろか、インターネットやコンピューターも発達していなくて、テレビはもちろんあったのでしょうけど、音楽番組などが今ほど盛んだったかはよく分かりません。

 

そういう時代に、音楽の情報を得るのにラジオは重要なツールだったのでしょう。まさしく、スピッツメンバーが音楽に触れはじめた、その原点だったと察します。

 

 

 

■では、【ラジオデイズ】に対して、個人的な想いなどを語ってみます。

 

冒頭に書いた通り、僕はこの曲が本当に好きなんですけど、特に印象に残ったところなどを語ってみますね。

 


まず、イントロとアウトロ。ここがね、僕はすごい好きなんですよ。この部分を聴いただけでも、胸がグッとなります。甲高い感じに聴こえるギターのメロディーが余計に琴線に触れます。

 

特にアウトロは、何ていうか、思い出のスライドショーとでも言いますか、自分の思い出の場面が、一枚一枚の写真となってパッ、パッ、と次々に変わっていくところを想像しました。

 

イントロも、ノリノリで疾走感があるんですけど、そこからAメロの始まりで、そのノリが少しトーンダウンする(気がする)んですよね。そういう、ちょっとひねくれ、一筋縄ではいかないようなところも好きなんです。

 


それから間奏には、これもスピッツでは初めてのことですよね、”ラジオデイズ”というタイトルにちなんでいるのでしょう、ラジオのチューニング音がした後に、ラジオで草野さんがしゃべっている音源が聴こえてきます。

 

はっきりとしゃべっている言葉は聞き取れないんですけど(断片的に「さぁここでリスナーからのお便りを紹介しましょう…」、「今人生の岐路に立っている」、「ラジオネーム、夜の…」などが聴こえる?)、おそらくこの音源は、「SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記」のだと思うんですけど、こういう遊び心も面白い曲ですよね。


※追記。今ちょうど「ロック大陸漫遊記」を聴いていたのですが、【ラジオデイズ】の間奏のラジオ音源は、この曲のために、新たに録音したものだそうですね!で、少し切れて聞こえているラジオネームは「夜に咲く朝顔」と言っているそうです!

 

そこから続く、個人的には”さだまさしさんっぽい”(何か、スピッツ大学でよく使ってる表現のような気がする苦笑)って思った、しゃべっているように歌っているCメロも、また珍しいですね。

 

 

 

■あとは、何と言っても歌詞ですよ。

 

一番印象に残るのは、やっぱりサビにおける、これでもかってくらい貫いている”ラジオ”という言葉での体言止めです。サビの一節一節の終わりが、全て”ラジオ”という言葉で終えられていて、草野さんのラジオに対する想いが、色んな言葉に変えて歌われています。

 

例えば、こんな風に歌われています。先述のとおり、”ラジオ”という言葉で締めくくられているサビの歌詞です。

 


どんな夢も近づけるように 道照らしてくれたよラジオ
危なそうなワクワクも 放り投げてくれるラジオ

 


こんな雑草も花を咲かす 教えてくれたんだラジオ
したたかに胸熱く 空気揺らしてくれるラジオ

 

前者の2行は、これはまさしく草野さんが幼少時代に、ラジオを通じてロック(を初めとするたくさんの音楽)に触れ、やがてご自身がミュージシャンへの夢を持ち始めたところから始まり、そこから”道照らしてくれた”と、つまりは自分が進む道を”ラジオ”から流れる音楽が導いてくれたと歌っているのでしょう。

 

後者の2行も良い表現ですよね。特に”こんな雑草も花を咲かす”という表現がすごい好きです。”雑草”という言葉からは、色んなものを想像できるのですが、例えば、自分が抱いた夢や目標が、最初は何の色も個性も無かったところから始まって、そこから少しずつ育てていくことで、やがてそれが”花”を咲かせたというのを考えたとすると、これはスピッツの物語と重なる部分もあります。

 


その他、印象に残ったフレーズをもう少し紹介しておきます。

 


笑顔を放棄して そのくせ飢えていたテンダネス
美しい奴らを 小バカにしてたのに変だね

 

Aメロの歌詞ですが、気にっている2番の歌詞を紹介しておきます。まず、韻を踏んでいるのが分かりますよね、ここでは”テンダネス”と”変だね”ですか。ちなみに1番では、”貴族”と”記憶”で韻を踏んでます。

 

”テンダネス / tenderness”で、優しさ、親切さ、という意味ですが、ここの部分は、この歌の”歌い手”のひねくれ人生を物語っているようですよね笑

 

つんつんととがっていて、誰かの優しさや親切心も、うざったく思うだけ…それでも、どこかでそういう優しさに飢えていた、と。いわゆる反抗期や思春期と呼ばれる時期を思わせますが、こういうこともきっと、子どもが大人に成長していくためには必要な過程なんですよね。この辺りは、ロックンロールにも通じる部分があるような気がします。

 



遠い国の音楽 多分空も飛べる
ノイズをかき分けて 鼓膜に届かせて
同じことを思ってる 仲間を見つけたよ
何も知らないのに 全てが分かるんだ

 

先述の、しゃべっているように歌っているCメロの歌詞ですけど、ここもストレートな歌詞ですよね。

 

国を越えて、ジャンルを越えて、ラジオから流れてくる様々な音楽に触れていた幼少時代・少年時代。そこから、少しずつ自分の夢を育てていった、ちょっとひねくれている青年は、やがて同じ夢を共にする仲間たちと出会い、本格的に夢を追いはじめた、と。

 

そういう風に考えると、やっぱりこの【ラジオデイズ】も、物語的な曲なんですよね。

 

 

 

■という風に、この曲の解釈としては、草野さんやスピッツメンバーのラジオに対する想いが込められている、いわば原点回帰な曲だという解釈で十分なのですが、最後に前提を崩すようですが、こんな風に思うわけです。

 

おそらく、この歌の中に出てくる”ラジオ”という言葉は、聴き手によって色々と違うものに変換できるのでしょう。

 

子どもの頃からいつもそばにあって、くじけそうになった時に励ましてくれたもの、自分へ道を示してくれたもの、夢を与えてくれたものなど、聴き手のそれぞれの心の中にある大切なもの…それらに変換してこの曲を聴くと、この曲との距離が、よりぐっと近づくような気がします。

 

例えば、好きなスポーツだったり、好きなゲームだったり、好きな音楽だったり…あるいは、自分が夢を持ち続け、今の就いている仕事なんかも当てはまると思います。何でもいいんだと思います。

 

そして、僕(ら)にとっては、他でもなくスピッツそのものが、この歌の”ラジオ”とすり替わって聴こえてきます。僕にとっては、20年以上も長くずっと好きで居続けられているものは、スピッツ以外にはありませんからね。

 

そういう、自分にとって長く好きで居続けられている”大切なもの”を思い出させてくれる、大切なものの大切さに、改めて気づかせてくれる、優しいロックナンバーだと思います。

 

 

 

■というところで、【ラジオデイズ】という曲に対する研究を終えたいと思います…

 

…が、ここからは、少し趣旨を変えて、せっかくですから、「僕とラジオデイズ」というテーマで語ってみたいと思います。楽曲とは、まったくかけ離れた話になりますので、もう十分だと思われる方は、ここで回れ右をしてくださいね。

 

とは言っても、僕は決して、いわゆるラジオが大好きで毎日聴いている人間というわけではなくて、その時その時に、特定のラジオ番組を聴いていた程度になります。

 

それでも、自分とラジオの距離が近づいた時期っていうのが、この人生の中で何度かあったので、少し話をさせていただきます。

 

 


■おそらく、僕とラジオの距離が一番近かった時期は、中学生・高校生の頃ですね。結構、家で学校の勉強をしながら、ラジオを聴いてました。

 

僕は中学生の頃、L'Arc~en~Cielがすごく好きだったんです。ちなみに、初めて買ったCDは、ラルクの『DIVE TO BLUE』でした。

 

それで、当時やっていたラジオ番組で、「やまだひさしのラジアンリミテッド」(1999年4月~2002年9月 月曜~金曜 22時〜23時25分)というのがあったんですけど、そのラジオ内に、FLYING~L'Arc~ATTACK(フライング ラルク アタック)というコーナーがあり、それを聴く目的を主として、ラジアンリミテッドを毎回聴いていました。

 

割と、新曲がそのコーナーで初解禁されたり、下ネタ多めでしたが、メンバーの話も面白く聴いていました。

 

【Pieces】が新曲として解禁された時は、何か記憶に残っていますね。ちょうど初解禁(ではなかったかも…?)の日に、僕は中学校の修学旅行に行っていたので、夜にホテルの部屋でラジオをつけて(本当は禁止行為だったんですけどね…)、友達と聴いたことを思い出します。

 

あと【NEO UNIVERSE】とかね、確か1999年が終わって、2000年になった瞬間に初解禁されたんじゃなかったですっけ?なんか、そういう記憶もあるんですけど、曖昧です。

 

まぁ、当ラジオ番組は、そもそもがやまだひさしさんの語りが面白かったですし、他にも「モーニング娘。スーパーモーニングライダー」というコーナーを、モー娘。のなっちこと安倍なつみさんが務めていたので、それなんかも聴いていました。友達がなっちの熱狂的ファンで、毎回番組に電話をかけていたんですが、一回も選ばれませんでした笑。

 

ちなみに現在は、「やまだひさしのラジアンリミテッドF」という後継のラジオ番組が、めっちゃ深夜にやっています。

 

 

 

■その他、記憶に残っているのは、例えば「SCHOOL OF LOCK!」なんかは、大学生~社会人になってから聴いてましたね。

 

バンプの新曲とか結構解禁になったり、バンプのメンバー自身が番組に出たりして、そういう情報を得た時なんかは聴いたりしました。amazarashiがスタジオライヴをしたのも、この番組内でしたね。

 

あとは、「ミュージック・スクエア」とかね、確かこれは、先述の「ラジアン…」の前に放送されていたので、流れで聴いていました。

 


そして、最近は何と言っても、「SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記」ですよね!

 

もうすっかり、毎週ラジオを聴く習慣が、再び定着しましたよ。(広島では)日曜が終わる瞬間の0時からっていうのも良いですよね。月曜から始まる戦いの1週間を前に、日曜最後の景気づけって感じで聴いてます。これが終わったら、あ、日曜も終わりか、寝よ…ってなるんです。

 

あんまり興奮して、記事でも書いていますが、「BUMP OF CHICKENで漫遊」の回なんかは、永久保存版です。

 

 

 

■そう言えば、僕は一度、ラジオ番組に出たことがあるんです。と言っても、ローカルのラジオ番組で、その地域でしか聴けない感じのラジオ番組でした。

 

ちょうど、以前の仕事を辞める辞めない辺りの頃、僕はバンドを組んだんですが、僕はボーカル(時々ギタボ)を務めました。GREEN DAYMr.BIG(ボーカルが死ぬ)やメタリカ(メタルは僕には合わないと分かりました笑)などをやったりしました。スピッツは…やりませんでした、てか邦楽すら全くやりませんでした。

 

それで当時、地域の祭りのステージでアマチュアのバンドが集まって行われるライヴフェスのようなものがあって、それに僕たちのバンドが出ることになったんです。その時に、そのフェスの主催団体が放送するラジオ番組に出たことがあるんです。時間にして、30分~1時間くらいでしたかね。貴重な体験でしたよ。

 

 

 

■昔なんかは、ラジオのスピーカーに、カセットに録音できる機械を直接近づけて録音したもんです。

 

今は便利になりましたよね。僕はもっぱら、radikoでラジオを聴いているんですけど、タイムフリーで少しさかのぼったりして、たまに聴きそびれた新曲なんかを聴いたりしていますよ。

 

ちなみに、中学生の頃、とある学校の企画で、自作のラジオ番組をテープに吹き込んで作ったことがあります。その時に流行っていた、ラルク宇多田ヒカルやB'zや、ゆずや19なんかの楽曲も入れたりしてね。

 

その時は、なんか調子に乗って、しばらくの間、「俺は将来、ラジオのパーソナリティーになる!」みたいに豪語してましたね。懐かしいなぁ。