247時限目:死にもの狂いのカゲロウを見ていた
【死にもの狂いのカゲロウを見ていた】
■もともとは、スピッツがインディーズ時代に発表した、ミニアルバム『ヒバリのこころ』に収録されている曲であり、2021年に発売になったSpecial Album『花鳥風月+』にも収録されました。
ミニアルバム『ヒバリのこころ』は、1990年3月20日に発売になったミニアルバムで、スピッツのデビューが1991年であるので、結成~メジャーデビューの間でこのアルバムは発売されたことが分かります。
ミニアルバム『ヒバリのこころ』の収録曲は、
01.ヒバリのこころ
02.トゲトゲの木
03.353号線のうた
04.恋のうた
05.おっぱい
06.死にもの狂いのカゲロウを見ていた
という計6曲ですが、このうち、【ヒバリのこころ】【トゲトゲの木】【恋のうた】【おっぱい】の4曲は、スピッツがメジャーデビューした後に音源化され、CDで聴くことができたのですが、残りの2曲、【353号線のうた】と【死にもの狂いのカゲロウを見ていた】は、メジャー後の音源化はなく、聴くことができませんでした。
それが、スピッツがメジャーデビュー30周年を迎えた今年(2021年)、デビュー30周年の記念的な作品として発表された、Special Album『花鳥風月+』に、【353号線のうた】と【死にもの狂いのカゲロウを見ていた】が初音源化されて収録されました。
ということで、今回の記事では、【死にもの狂いのカゲロウを見ていた】について語ってみたいと思います。
■まず、先述の通り、今回のアルバム『花鳥風月+』にて、【死にもの狂いのカゲロウを見ていた】はメジャーデビュー後に初めて”フル”音源化されました。
しかし、実は2001年6月6日に発売になった、映像作品「ジャンボリー・デラックス LIVE CHRONICLE 1991-2000」にて、”DELUXE 1 -EARLY YEARS-”と称して収録されている特別映像にて、1991年の【死にもの狂いのカゲロウを見ていた】のライヴ映像を見ることができます。
ただ、このライヴ映像は、2番のみの短めのライヴ映像となっており、ちょっと物足りない感じはします。それでも、上半身だけ見ると囚人服を着ているように見える、でっかいフォークギターをかき鳴らし歌う、若かりし頃の草野さんの歌唱姿が見られるだけでも、超貴重ですけどね。映像だけ見ると、やっぱりここから草野さんは、かなり爽やかにイメージチェンジしたんだなということが、よく分かります笑
ちなみに、映像作品「ジャンボリー・デラックス LIVE CHRONICLE 1991-2000」には、その他にも貴重なライヴ映像が満載で、しかもボリュームもすごいので、超おすすめです。僕はこのDVDを、3050LIVEを観に行った時に物販で見つけて購入しました。以前に、このDVDを見た感想も書いているので、良かったら読んでみてください。
■では、曲自体についての情報や感想を語ってみます。
まず、イントロは、個人的には【アパート】っぽいなって思いました。ギターのフレーズが似てるんですよね。どこか空想的な世界に入っていくような、不思議な感じのするイントロです。
この曲も、前回書いた【353号線のうた】と同時期の曲ですので、パンクロックからの脱却を図っている、その過渡期にあるような曲ですかね。ライヴ映像で草野さんが弾いているように、フォークギターの音が前面に聴こえます。ただ、曲調としては、【353号線のうた】の方がゆるい感じです。【死にもの狂いのカゲロウを見ていた】の方が、何ていうか、緊迫して切羽詰ってる感があります。
あと、何と言っても印象的なのは、アウトロ。4分52秒の歌に対して、およそ2分くらいをアウトロが占めています。このアウトロがメインなの?と思ってしまうほどの力の入れっぷりです。ラッパやキーボードの音が、徐々に派手に盛り上がっていき、イントロと同様、どこか違う世界にでも連れて行かれるような、不思議なアウトロです。
■そして、歌詞の世界観も…【353号線のうた】と同様、かなりの謎です。さすが初期…というより、インディーズ時代の曲、独特でマニアックな詩の世界観です。
そもそも、ここまで普通に書いてきましたが、”死にもの狂いのカゲロウを見ていた”ってタイトル自体がもうヤバいっすからね。タイトルの長さも一番なんですかね?
このタイトルが出てくるフレーズとしては、最後のサビの部分です。
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死にもの狂いのカゲロウを見ていた
時間のリボンにハサミを入れた
ひとりじゃ生きてけない
*
もう、何か危うさ満載の歌詞ですよね。合わせて、1番の歌詞には、こうあります。
*
殺されないでね ちゃんと隠れてよ
両手合わせたら涙が落ちた
ひとりじゃ生きてけない
*
で、解釈のベースとしては、”殺されないでね”、”両手合わせたら”、”死にもの狂いのカゲロウを見ていた”などの詩を繋げて、誰かが誰かの死に際に立ち会っていて、死なないように願っている、という構図が浮かんできました。
タイトルにもなっている”カゲロウ(蜉蝣)”ですが、虫の名前ですね。卵から成虫に成長するまでの期間は、数か月~1年(2、3年という記述もありました)ほどありますが、成虫として生きられる時間は、長くても1週間ほど…短くて数時間~1日ほどしかないという、”儚い命の象徴”としてよく引き合いに出される生き物です。
(ちなみに、蜉蝣、蜻蛉、陽炎…全て”カゲロウ”と読みますが、蜻蛉はトンボ、陽炎は夏の暑い日に道の上に見られるもやもやのアレですね。この歌では、上述のように”蜉蝣”という字を当てはめています)
だから、”死にもの狂いのカゲロウを見ていた”は、今まさに消えようとしている命の側にいる、という表現だと考えました。
…ただ、不穏なのは、”時間のリボンにハサミを入れた”という表現ですね。この辺りの解釈としては、大きく2つの方向に分かれたので、それぞれを紹介しておきます。
①まず、”(自分で自分の)時間のリボンにハサミを入れた”と読んだタイプの解釈です。大切な人の死に際に立ち会って、”ひとりじゃ生きてけない”ですからね…単純に考えたら、大切な人が死んだら一人じゃ生きてけないな=だから自分も死んで一緒にあの世に行こう、という解釈になりました。
”時間のリボン”という表現も独特ですよね。これは、別のところで”輪廻”という言葉も出てきますが、”輪廻”とは、生き物が生死を繰り返すこととですが、何となくひとつながりの帯がくるっと輪になっているようなイメージですよね。
なので、(時間の)”リボン”=”輪廻”という風に捉えると、それにハサミを入れるわけですから、”輪廻”を断ち切る、つまり、”命”を絶ってしまう解釈に繋がっていきます。
②この曲を最初に聴いた時に、真っ先に近いイメージを感じた曲がありました。
それは、【夏の魔物】という曲です。【夏の魔物】は、個人的な解釈も含めますが、赤ちゃんを中絶する・流産する、という不穏な解釈が割と広まっている曲です。
要は、【死にもの狂いのカゲロウを見ていた】という曲も、【夏の魔物】と同様のことを歌っているのではないか?と思ったのです。
先程の、カゲロウ(蜉蝣)の説明を思い出してほしいのですが、要は蜉蝣は、成虫になるまでの期間が長くて、成虫になってからの人生が短い、という生き物です。これを、ちょっと無理やりですが、赤ちゃんに例えるならば、お腹の中に居る期間が長くて、生まれてきて過ごした期間が短い…ということになります。
つまり、赤ちゃんが頑張って生まれてきたは良いけれど、何らかの原因で、生きられる時間はわずかである…と。
そう考えると、また”時間のリボン”という言葉の捉え方も変わってきます。例えば、”時間のリボン”=”へその緒”という考え方…赤ちゃんは、最初は母親とへその緒で繋がった状態で生まれてきます。母親を、唯一の生の寄るべとして、赤ちゃんが存在していたとしたら、それを断ち切るということは、そのまま”死”へとつながるかもしれません。
あとは、”時間のリボン”=”点滴などの管”とすると、延命措置を断ち切る、という解釈などにもつながります。
■いずれにしても、不穏な解釈なのですが、じゃあ他の部分の歌詞は…というと、まずは冒頭の歌詞。
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流れる水をすべって
夕暮れの冷たい風を切り
ほおずりの思い出が行く
うしろから遅れて僕が行く
*
これが冒頭の歌詞です。まだ、この辺りは、情景が浮かんできそうですよね。何となく、”水”や”夕暮れ”という歌詞から夏のイメージが浮かんできます。そもそも、カゲロウが夏の昆虫なので、なおさらこの曲に夏のイメージを感じます。
あとは、”ほおずり”という言葉については、言わずもがな、自分の頬を相手にすりつけることを表す言葉ですが、個人的にほおずりをする対象としての勝手なイメージとしては、”小さな子ども”か”小さな動物”が浮かびました。いずれにしても、その対象への愛情表現ですよね。
なので、この冒頭の部分は、大切な人と過ごした日々の思い出を表わしてる部分とまとめることができそうです。
あとは、2番のAメロ~Bメロの歌詞ですね。ここでね、一気に歌詞の解釈を見失ってしまうんですよ笑
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ピカピカ光る愉快な
顔の模様が浮かんだボールが
ポタポタ生まれ落ちては
心の窓ガラスたたいてる
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*
歩道橋の上から
カンシャク玉をバラまいたら
空の星も跳ねた
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ね、意味が分からないでしょ?お手上げです笑
■ということで、【353号線のうた】と同様、とても解釈の難しい歌だというイメージです。あなたは、この歌からどんな解釈を紡ぎますか?