スピッツ大学

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集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第1回

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片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ
いつもの交差点で 見上げた丸い窓は
うす汚れてる ぎりぎりの 三日月も僕を見てた

 

 

■トップバッターは、スピッツの全楽曲の中でも一番知られているであろう曲、【ロビンソン】の歌詞です。

 

草野正宗さんの書く詩について、スピッツ大学でも度々取り上げていることですが、草野さんは、”とがっているもの”を”性の象徴”として、また”丸いもの”を”死の象徴”として、歌詞の中で使っているのではないか、という考察があります。

 

僕は、この話を大学時代に友人から聞いたんですけど、その友人にしたって、何かの本に書いてあったと言っていました。確か、スピッツには関係ない、第三者が書いた本だったような気がしますが、よく覚えていません。(詳細を知っている方が居られましたら、コメントなどで教えていただけたら幸いです)

 

とにかく、”とがっているもの”は”性の象徴”、”丸いもの”は”死の象徴”、という考察は、草野さんがそう語ったわけではなく、ましてや自分が初めて発見したわけでもないのですが、大学時代に友人から聞いた後、改めて草野さんの歌詞を読んでみて、僕も割と腑に落ちるところもあったので、1つのポイントとして注目してきました。

 


■上述のようなことを踏まえて、【ロビンソン】の歌詞について考えてみます。

 

【ロビンソン】は、スピッツでは一番有名な歌だとか言いながら、歌詞の意味がはっきりとは分かりません。そもそも、タイトルの”ロビンソン”も謎ですからね笑


紹介している歌詞は、2番のAメロに出てくるのですが、まず冒頭、

 


片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ

 

主人公に何があったのか、自分を”片隅に捨てられてそれでも必死に生きようとしている猫”に重ね合わせている描写です。

 

素直に考えると、これは1番の流れから考えると、主人公には恋人らしき人が居るのが読み取れるのですが、例えば、主人公もその恋人から捨てられて独りぼっちになってしまった身である、と考えることができます。だから、同じように、捨てられて一匹で必死で生きている猫の姿に、自分を重ねているんですかね。

 


そして、そこから、

 


いつもの交差点で 見上げた丸い窓は
うす汚れてる ぎりぎりの 三日月も僕を見てた

 

と続いていきます。ここで、先述のことを踏まえたいのですが、ここの歌詞は結構珍しいんです。

 

具体的には、”丸い窓”=丸いものなので”死”の象徴、そして”三日月”=とがったものなので”性”の象徴という風に、”死”と”性”の両方の概念が出てきていると解釈できます。さらに、”性”というのは、人間が生きていく上での根元的なものになるので、ここでは”生”と置き換えてみます。するとここの表現は、主人公が”死”と”生”の間で揺れ動いている描写とも捉えることができます。

 

で、そもそもここの歌詞って、皆さん日本語的にどう読んでますか?ちょっと違和感があると感じるのは僕だけでしょうか。個人的には、「うす汚れている丸い窓に、ぎりぎりの位置に三日月が映っている」と読みましたが、どうなんでしょうか。

 

僕の読み方でいくと、”丸い窓”に”三日月”がぎりぎり映っている…三日月は”生”の象徴で、それがぎりぎり映っている、と。これはつまり、”生”が消えかかっている、そして、それがやがて消えていくことを表していて、後に残るのは丸い窓だけ、つまり”死”だと…そういう風に考えることができます。

 

つまり、主人公の”生”に対する気持ちが消えていっており、”死”に向かっていると、そういう風に捉えることができます。

 


■ちなみに、【ロビンソン】の考察としては、不穏ですが、「恋人を追って後追い自殺をする」だとか、「恋人と心中する」などが知られているのですが、その真偽は分かりません。

 

ただ、草野さんが書く詩のテーマとしては、”セックスと死”というものが知られているのですが、先述のような考察に立てばの話ですが、この【ロビンソン】からは”性(生)”も”死”も両方感じることができるので、草野さんの死生観が色濃く表現されている詩として、最初に紹介させていただきました。