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集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第15回

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会いに行くよ 赤い花咲く真夏の道を 振り向かず
そしていつか 同じ丘で遠い世界を知る 感じてみたい君のとなりで

 

 

■アルバム『スーベニア』に収録されている【会いに行くよ】という曲の歌詞です。

 

アルバム『スーベニア』には、割とロックな曲が多い中、最後から2番目に入っている【会いに行くよ】はゆったりとした曲で、ストリングスの演奏もとても気持ちがよく、何か心が浄化していくような気分になります。

 

タイトルが”会いに行くよ”と、やけに具体的なので、必然的に誰かが誰かに会いに行く物語を想像すると思います。

 

全体的な歌詞を読んだ感じだと、何となく恋愛が絡んでいるような気がしていて、例えば、遠距離恋愛で遠くに暮らしている恋人に会いに行くとか、自分の気持ちを伝えるために片思いの相手に会いに行くとか、色んな想像ができると思います。

 

で、個人的な解釈なんですが、この曲を聞くといつも思い出すことがありまして、めっちゃ個人的な話に脱線しますが、ちょっと話しますね。

 


■僕の母方の祖父母の家は、広島は瀬戸内海に浮かぶ島にあります。潮の匂いがする漁村にあり、子どもの頃は、お盆や年末年始になると、家族で祖父母の家に帰省するのが恒例でした。いとことも会ったりして、祖父母の家は海の間近にあるので、夏はみんなで海に遊びに行ったりしていました。

 

そこで暮らす祖母と祖父。特に祖父は、今考えても昔堅気の人で、常に日本酒を水のように飲んでいる、非常に酒豪で豪快な人でした。祖父は、漁師ではなかったけど、船を持っていて、よく兄といとこと僕を、釣りに連れていってくれたりしました。

 

もう何年前になるか、昔過ぎて正確には覚えていませんが、その祖父は亡くなりました。おそらく、僕が小学生か中学生の頃だったでしょうか。自分の身近な人が死ぬというのを、初めて経験したのがその時ですね。きっと、誰もがその頃なのではないでしょうか。

 

それで、祖父のお墓なんですけど、小高い丘の上に立てられたのです…お参りに行くのが、割と大変なレベルの小高い丘です、坂がきつくて登ると息が切れます。その丘の上からは、僕らがよく遊んだ、そして祖父にとっては、もう数え切れないくらい訪れたであろう海が一望できました。

 

なんか、子ども心にすごいなぁって思ったことを覚えています。こんな風に、自分が愛した海を眺めることができる場所にお墓を作ってもらって、きっとじいちゃんも喜んでいるだろう、とも思いました。

 


■そういうことを踏まえて、改めて紹介している歌詞を読んでみると、

 


会いに行くよ 赤い花咲く真夏の道を 振り向かず
そしていつか 同じ丘で遠い世界を知る 感じてみたい君のとなりで

 

という感じで、何となくじいちゃんのお墓の話を、ここを読むと思い出すんです。だから、僕にとって【会いに行くよ】は、”墓参り”のイメージなんです。

 

”赤い花咲く真夏の道”…ちなみに【会いに行くよ】の記事は、スピッツ大学の全曲研究セミナーの実は記念すべき一発目の記事なのですが、そこではこの”赤い花”というのを”彼岸花”なのでは?と書きました。彼岸花は、実は球根に毒があるようで、小動物や虫に荒らされることを防ぐために、お墓の周りに植えることがあるそうなのです。

 

ただ、彼岸花の咲く季節を調べてみると、どうも夏の終わり~秋にかけてのようなので、真夏にはふさわしくないということで、さらに調べて見ると、我々がよく知っているハイビスカスが、これが沖縄では故人の死後の幸福を願い、お墓に植えたり、お供えしたりする習慣があるようです。何となく、”真夏”というイメージにも、ハイビスカスが合うような気がしました。

 

”そしていつか 同じ丘で遠い世界を知る”…遠い世界とは死後の世界であり、丘には故人の墓があるので、いつか自分が死んだときに、一緒にそのお墓に入って、死後の世界でまた君に会いたい、と歌っているという解釈です。

 

”会いに行くよ”…つまり、誰に会いに行くのか、ということについてですが、故人に会いに行くという解釈になります。それも、故人はお墓に入っているので、お墓参りをするということで、故人に会いに行く、という意味になりますね。

 


■不穏なのは、他の部分の歌詞で、”捨てそうになってた ボロボロのシャツを着たら”や、”全てを捨てるバカになれる”などの表現から、自分も命を絶って、無理やり故人の居る世界へ行こうとしているのではないか、とも考えることができるということですかね。