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集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第16回

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生きるということは 木々も水も火も
同じことだと気付いたよ
愛で汚された ちゃちな飾りほど
美しく見える光

 

 

スピッツの楽曲の中でも、知名度の高いと思われる、シングル曲【青い車】の歌詞です。

 

スピッツの楽曲には、正しい正しくないは別にして、ひとつの考察・解釈がすでに広く広まっている楽曲があります。

 

これまでにこの集中講義で紹介した歌詞ですと、【夏の魔物】(赤ちゃんを流産・堕胎する)なんかそうですよね。他にも、この集中講義では紹介をするつもりはない楽曲であれば、【スパイダー】(女性を犯す、誘拐する)、【冷たい頬】(頬が冷たいのは、女性が亡くなっているから)、【アパート】(女性をアパートに監禁していた)などがあります。

 

何度も言いますが、あくまで”広まっている”ということですからね。草野さん自身が実際にそういう歌だと語ることは、ほとんどありません。

 

だから、そのほとんどの解釈は、最初はどこかのファンの方が語ったものが、少しずつ広まっていき、あたかもそれが正解であるかのように振る舞っているだけに過ぎません。

 


■今回の【青い車】も、特にひとつの考察が広く広まっている楽曲の1曲ではないでしょうか。

 

その広まっている考察とはずばり、「僕の手によって死に至らしめた彼女を、青い車に乗せて、一緒に海に入水して心中する」というものです。

 

死に至らしめた方法が絞殺であるとか、彼女が死んでから僕だけが入水自殺をしたとか、車自体が青いのではなくて、海中に沈んでいくところを"青い”と表現しているとか、色々と尾ひれがついているものも読んだことがあります。

 

この解釈は、出だしの歌詞、

 


冷えた僕の手が君の首すじに
咬みついてはじけた朝

 

からはじまり、他にも、”永遠に続くような掟に飽きたら”とか”輪廻の果てに飛び下りよう”などの言葉を繋げて膨らんだのだろうと思われます。

 


■ただし、上述のように、具体的に物語を想像できそうな部分もあるのですが、そういうところから切り離されて、やけに哲学的というか、草野さんの死生観や恋愛観により近いことを言っているような歌詞が、2番の始まりに出てきます。

 


生きるということは 木々も水も火も
同じことだと気付いたよ
愛で汚された ちゃちな飾りほど
美しく見える光

 

青い車】を初めて聴いたのは、僕が中学生の頃で、その頃にこの歌詞にも出会い、何度となく読んできたはずなのですが、大人になった今でも、この歌詞が示す意味を未だに考えている、そして、まだまだ考える余地がある気がするのは、恐ろしいと言うか、面白いと言うか…つくづく草野さんの歌詞の世界は、一体どこまで広がっているんだろう、と思うわけです。

 


まず、前半部分。

 

”生きるということは 木々も水も火も同じ”とは、どう読めばいいんでしょうね。

 

僕はいつも、少し言葉を加えて、”我々人間が生きるということは 木々や水や火が生きているということと同じ”みたいな感じで読んでいます。

 

これはどうなんですかね、我々の命が特別なものだと言っているのか、それとも、自然に存在してるだけで何も特別なものじゃない、と言っているのか…皆さんはどう思いますか?

 


■そして、後半部分。

 


愛で汚された ちゃちな飾りほど
美しく見える光

 

青い車】の歌詞で、ここが一番印象に残っています。そして、この歌の、ひいては草野さんの恋愛に対する価値観などの根幹になるような歌詞だと思っています。

 

まず、”ちゃちな飾り”とは、具体的なものでも、何か思い出や言葉など、形には見えないものでもイメージができそうです。

 

どうしても、この歌を恋愛に絡めて聴いているので、前者であれば、何か恋人からプレゼントしてもらった、例えば、指輪だったり服だったり、色々考えられると思います。後者であれば、単純に恋人と過ごした時間や、一緒に訪れた場所や眺めた景色などがあるかと思います。

 

で、それにくっついている言葉がポイントで、”愛で汚された”となっているんです。

 

普通だったら、愛で”満たされた”とか”彩られた”とか”溢れた”など、前向きな言葉がくっつくように思うんですけど、そうじゃなくて、愛で”汚された”となってるんですよ、決していい言葉ではないですよね。

 

具体的なものであれば分かりやすいんですけど、例えば指輪なんかを考えていくと、時間が経てば経つ程、汚れていってしまいますよね。

 

思い出なんかもそうですね、我々は過去の思い出を美化する傾向にある生き物で、あの頃は良かったなぁと、時間が経つ程、余計にそれが素晴らしかったと思ってしまいがちです。

 

ただ、最初の”生きるということは…”の下りと合わせて考えると、本来は生きることだけが人間に課せられ、それだけしかなかったところに、人を”愛”することや人に”愛”されることなどの要素が加わることは、まっさらな状態をあくまで”汚す”ことなのだと言っているように思えます。

 

しかし、そのことを最後には”美しく見える光”と表現しているので、良い悪いを含めて、そういう”汚れ”こそ美しいのだと歌っていると考えることができます。



■ということで、【青い車】でしたが…何て言うか、考えれば考えるほど、その度に違う解釈の仕方が見つかるような歌詞ですね。


さて、最初に語ったように、この【青い車】には、「僕の手によって死に至らしめた彼女を、青い車に乗せて、一緒に海にダイブして心中する」という考察が広まってるのは事実です。

 

ただ、何を思うかは結局は、僕ら一人一人次第です。先ほどの、”生きるということは”の下りを読めば逆に、僕は彼女への愛に改めて気づき、青い車で迎えに行っている、という風にも読めなくもないですね。