スピッツ大学

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集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第19回

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こぼれて落ちた 小さな命もう一度
匂いがかすかに 今も残ってるこの胸にも
翼は無いけど 海山超えて君に会うのよ

 

 

■アルバム『さざなみCD』に収録されている、表題曲である【漣】の歌詞です。

 

自分の中で、あんまりスピッツを聴いてなかった時期ってのがあって、それがちょうど『さざなみCD』発売前の頃でした。このアルバムは、久しぶりにスピッツをまとめて聴いた作品で、やっぱりスピッツって良いなって改めて感じた、思い出深い作品です。

 

その収録曲の中でも、一番印象に残っているのが、この【漣】でした。ただ、聴いた当時にはそんなに印象には残ってなくて、割と時間が経ってから、改めて色々と考えさせられました。

 


■この【漣】という曲は、スピッツの歌詞を解釈することを一番の目的とした、このスピッツ大学というブログを書こうと思った、一番大きなきっかけになった曲なのです。

 

第2回の【テレビ】の集中講義でも書いたように、このスピッツ大学ができる前に、色々とスピッツの歌詞について調べたりしていた、放浪期(今名前をつけました笑)がありました。

 

そして、自分でもスピッツの歌詞を読んで、その解釈を勝手にm○xiや●chに書き込んだりしてたのですが、その頃書いていたプライベートの日記や自作の詩など、雑多に色んなことを書く個人的なブログにも、個人的にスピッツの歌詞の考察を書いたりしていたんです。これが一応、スピッツ大学のプロト版になったわけです。

 

その頃に、何気なく【漣】を聴いていた時に、急にふとこの曲がどういうことを歌っている曲なのか、はっと気付いた瞬間があったんです。

 


■ということで、この【漣】の歌詞の解釈ですが、個人的には、ずばり”入水自殺”を表しているのではないかと思っています。

 

冒頭の歌詞の前に、他の部分を紹介しておくと、例えば2番の歌詞に

 


街は今日も眩しいよ 月が霞むほど

 

というのがあるんですけど、ここの”月が霞む”という部分が、まさに”死”を匂わせるような表現だなって思うんです。

 

この集中講義でもずっと言っている、草野さんは丸い物を”死”の象徴として、歌詞で用いている説に当てはめると、”月”というのは、まさに丸い物ですよね。その丸い物である”月”が霞んでいる、ということで、つまり”死”が霞んでいる。

 

これは、死のうと思っていた気持ちが消えていっている、と考えることもできるかもしれませんが、考えようによっては、”死”への恐怖心が消えていっていると、つまりは、”死”への決心を表した表現であるかもしれません。

 


■そして、冒頭で紹介している歌詞へと繋がっていきます。

 


こぼれて落ちた 小さな命もう一度
匂いがかすかに 今も残ってるこの胸にも
翼は無いけど 海山超えて君に会うのよ

 

まずは、最後の”翼は無いけど 海山超えて”という表現。翼も無いのに、何で海や山を超えることができるんだよ、って思いますよね。考えられるのは、物理的には超えることはできなくても、精神的に…例えば、夢や心の中で超える想像をしているのだということが考えられます。

 

そうやって考えていくと、先程の”死”のイメージとここの部分が繋がりました。例えば、”君”はもう故人であり、あの世に居ると。だから、この世に居るままでは、”俺”は”君”に会うことはできないから、命を絶ってあの世にいる君に会いに行こうというという物語です。

 

あとは、”こぼれて落ちた”や、他の部分では”キラめくさざ波 真下に感じてる”を繋げて、命を絶った手段として、海へ飛び込んで入水自殺を図ったと考えたのです。翼も無いのに飛ぶとなると、そりゃ真下に落っこちていくだけですからね。

 


■ということで、あんまり幸せな解釈にはなっていませんが…何度も言うように、あくまで個人的な解釈です。他にも、赤ちゃんを流産したという解釈や、普通に遠距離恋愛の相手に会いに行くという解釈もあります。

 

僕が一番言いたいのは、こんな風に、一つの歌で人によって色んな解釈が生まれるというところが、草野さんの歌詞の面白いところだなってことです。

 

スピッツの曲って、そういうところも魅力で、それが正しい・正しくないなどは別として、何度も読んだ歌詞のはずなのに、その時の自分の状況であったり、聴いていた時の感情だったりで、ふと何かを感じるときがあるんです。

 

特に、草野さんが書いた歌詞は、この曲はこういう曲だと、具体的には分からないような曲も多いため、色々と想像が膨らむんです。そういう思いから、もっとスピッツの歌詞を、1曲1曲深く読んでいきたい、そして、その解釈を(勝手に)語ってみたい、と思うようになって、ここスピッツ大学が生まれたのです。