集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第24回
分かち合う物は 何も無いけど
恋のよろこびにあふれてる
■アルバム『フェイクファー』に収録されている、表題曲【フェイクファー】の歌詞です。
ここスピッツ大学でも何度も話してますが、僕がスピッツに出会ったのが、もうかれこれ25年くらい前、当時僕は小学生でした。シングル曲【チェリー】を聴いて、スピッツの存在を知り、そこからずっと活動を追い続けています。
特に、自分がスピッツ愛を深めたきっかけの作品としては、アルバム『インディゴ地平線』『フェイクファー』『花鳥風月』でした。
この三作品を、当時中学生の自分は、何度も何度も聴いていました。今までで、一番スピッツを聴いていた時期かもしれません。その時期があったからこそ、スピッツ愛が深まったんだと思います。
■ここスピッツ大学では、まぁこの集中講義がその最たる例ですが、この曲はどういうことを歌っているのだろう、どういう物語なのだろう、とあれこれ考察し、そしてそれを発表することに重きを置いています。
ただ、スピッツの楽曲でそういう聴き方をし始めたのは、高校生や大学生の頃で、中学生や、ましてや小学生の自分は、やはり曲の表面的な雰囲気を感じ取りながら聴いていました。この曲は、何だか楽しい雰囲気だなとか、悲しい雰囲気だなとか、そういう感じ方を重視して聴いていたんです。
それでも、件の三作品を聴きながら…おそらく小6~中3の頃に聴いていたと思うのですが、少しずつ、歌詞から何かを感じ取りながら聴き始めていたのだと思います。
■その三作品の中でも、特別な想いを持って聴いていたのが、アルバム『フェイクファー』、特に、表題曲の【フェイクファー】でした。
僕が、子どもの頃にこの曲に抱いたのは、怖いという感情でした。何か、子どもの自分には読んではいけないもの、大人の世界にあるものを読んでいるような気持ちでした。
そもそもタイトルが、フェイク=fakeで意味は偽物、ファー=furで意味は毛皮、ということで、繋げて意訳すると、”偽物の温もり”となり、この曲が最後に入っていることもあり、何て言うか小説で言うところの、結末の大どんでん返しという感じ、幸せだった物語は実は全くの偽物だった、というオチのように思えたのです。
■ただ、この歌で一番重要だと個人的に思うことは、例えば紹介している部分の歌詞が示しています。
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分かち合う物は 何も無いけど
恋のよろこびにあふれてる
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全体的な歌詞の内容から、大きくは恋愛がテーマであることは想像できるのですが、歌の主人公は、自分が相手と”分かち合う物は 何も無い”と歌っているのです。
これは、この歌で描かれているのは、特殊な形の恋愛…例えば、僕が想像したのは、お互いに正式な相手が居る状態での恋愛、つまりは浮気や不倫などだったり、個人的には、体を売る女性との恋愛なども想像しました。
そういう、叶えることが難しい…それ以前に、そういう形の恋愛自体が許されないような状況の中でも、はっきりと主人公は、”恋のよろこびにあふれてる”と歌っているのです。
ここの部分を読むと、何とも言えない気持ちになるんですよ…これを、気持ちの強さの表れと捉えるか、はたまた、不貞な恋愛へ堕ちた愚かさと捉えるか、どうなんでしょうね。
しかし、”偽物”と名付けられてしまった恋愛でも、当事者にとっては、好きになったという気持ちは、やはり”本物”であり、純粋であり、何か切ない恋愛ドラマでも見ている気持ちになります。