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229時限目:晴れの日はプカプカプー

【晴れの日はプカプカプー】

 

晴れの日はプカプカプー

晴れの日はプカプカプー

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スピッツのインディーズ時代の楽曲です。1989年4月に発売になったらしい、自主制作カセット『ハッピー・デイ』に収録されているようです(ちなみに、スピッツの結成は1987年、スピッツのメジャーデビューは1991年)。

 

インディーズ時代のカセットのため、今では手に入れることがほとんど不可能である作品です。ネットオークションに、時々現れているようですが…。

 


カセット『ハッピー・デイ』の収録曲は、A面が【僕はジェット】【晴れの日はプカプカプー】、B面が【クモ少年が走る】【ハッピー・デイ】の全4曲。

 

これらの収録曲のうち、カセット以降で音源化(CDやDVDで聴くことができる)されているのは、【僕はジェット】と【晴れの日はプカプカプー】のみで、【クモ少年が走る】と【ハッピー・デイ】は、音源化されていないはずです(よね?)。

 

【僕はジェット】は、スペシャルアルバム『色色衣』にも収録されていて、聴くことができます。

 

そして、今回の【晴れの日はプカプカプー】についても、2016年1月1日に発売になった、映像作品『THE GREAT JAMBOREE 2014 “FESTIVARENA” 日本武道館』において、DVD・BDにライヴ映像が、そして、限定盤のCDにはそのライヴ音源が、それぞれ収録されています。僕自身は、通常版しか持っていないので、CD音源ではプカプカプーすることができないので、もっぱらライブ映像を見てプカプカプーしています。

 

おそらく、インディーズ時代の音源は、また違う感じの曲になっているのでしょうけど、スピッツ大学の原則として、インディーズ時代の楽曲は、”正当な方法”で僕自身が聴くことができる曲のみ、紹介させていただこうと思っていました。

 

ですから、【晴れの日はプカプカプー】は、映像作品『THE GREAT JAMBOREE 2014 “FESTIVARENA” 日本武道館』で聴くことができるので、そちらの音源を基にして書いています。

 


■それにしても、この【晴れの日はプカプカプー】は、インディーズ時代の楽曲ながら、とても素晴らしい曲です!

 

インディーズ曲の中でも、この【晴れの日はプカプカプー】は人気が高く、ライヴで演奏された回数が、比較的多い曲だそうですね(一番多いんですかね?)。この武道館ライヴだったり、ファンクラブイベント、通称・ゴースカでもやったことがあるようです。

 


まず、イントロからワクワク感が止まらないですね。最初は草野さんのアコギの音から始まって、そこからギター、ベース、ドラムが少しずつメロディーを変えながら集まっていく感じがたまりません。

 

特に、僕はアコギの音がすごく好きなんですよ、イントロとサビで、同じコード進行を繰り返しているだけなのに(アコギで、ミュートなしのパワーコードを弾いているか?)、すごい気持ちがいい音なんです。

 

この辺りはあれですかね、かつてスピッツはパンクロックバンドで活動していたわけですが、そこから少しずつ草野さんがアコギを弾きながら歌うという形に音楽性が変わっていったということを鑑みると、その変革期に生まれたような曲ですよね。全体的に、演奏もボーカルも優しいんですけど、パンクロックっぽさがその後ろに見え隠れしているような、何とも不思議な曲です。

 


そして、さすがはインディーズ時代からあった古い楽曲、やはり歌詞の世界観のクセがすごいんです。そもそも、タイトルから”晴れの日はプカプカプー”なんて、常人離れしたものになっていますからね。

 

ということで、さわやかなようで、どこか怪しい雰囲気が漂う歌詞…どういうことを歌っている曲なのか、ここからはそこら辺をメインに考えてみます。

 


■まず、この歌の現状が分かりそうな、2番Aメロの歌詞から。

 


変わっていく空の色と
消えていく大好きな匂い
だけどこんな日にはせめて
僕の周りで生き返って

 

何だか、悲しくて寂しいんですけど、好きな歌詞ではあります。

 


まず気になるのが、”僕の周りで生き返って”という部分です。”生き返って”は、”君”にかかっている言葉になるのですが、素直に読むと、”君”はもう亡くなってしまっており、故人である”君”に会いたいという気持ちから、”生き返って”という表現になっていると思われます。

 

もちろん、例えば「思い出が甦ってくる」みたいな言い方もあるので、”生き返って”という表現についても、別に故人を当てはめなくても、何らかの理由で別れた人と、せめて思い出や夢の中だけでも会わせてほしい、と願っている表現であると考えられなくもありません。

 

ただ、やっぱり全体的な流れを読むと、前者の、”君”は故人であるという物語の方が自然なのかな、と思います。何より、”変わっていく空の色と 消えていく大好きな匂い”というフレーズを受けての、”生き返って”の部分ですからね、思い出を振り返るだけにしては意味深すぎかなと思うのです。

 


それから、気になる表現としては、3行目の”こんな日にはせめて”の”こんな日”というフレーズです。タイトルには、”晴れの日”という言葉が使われているので、”こんな日”=”晴れの日”ということになるわけですが、もっと具体的にどういう日なんだろうって思うわけです。

 

しかも、”こんな日にはせめて 僕の周りで生き返って”という言葉があるので、何ていうか、故人である”君”が生き返って欲しいと願う特別な日である、という感じに捉えられます。

 


そういう風に考えていくと、”こんな日”としては、例えば、”お盆”が挙げられますかね。お盆というのは、日本の伝統的な風習であり、要するにこの日には、亡くなった人があの世(浄土)からこの世(現世)に帰ってくる日とされており、墓参りに行ったり、仏壇に線香を焚きお祈りをしたり、あとは精霊牛・精霊馬と言って、なす(牛に見立てる)ときゅうり(馬に見立てる)を飾ったりします。

 

まさに、この歌の歌詞でいうところの、”僕の周りで生き返って”と願う大義名分のある日ではあります。

 

あとは、ただ単に、故人の命日とかですかね。命日に、在りし日のその人のことを思い出して、悲しみに暮れながらも、命日という特別な今日一日だけでも、”君”に会いたいなという気持ちを吐露しているのかもしれません。

 


どういう日なのか、というヒントになりそうな言葉としては、同じく2番に、こんなフレーズがあります。

 


踏切の向こう側に
君の蜃気楼が映る

 

ここも、色々と想像できそうですが、一先ず”蜃気楼”という言葉から、夏の暑い日を思い浮かべます。タイトルには、”晴れの日”という言葉が含まれますので、夏のとても晴れた暑い日を当てはめることができます。

 


■そこからの流れとしては、出だしの歌詞、

 


自転車走らせてる
僕は空気に溶けていく
雫の落ちる音がする
終わらない下り坂で

 

この辺りは、”僕”の行動や様子を表わしている描写です。

 

”雫の落ちる音”という表現は、先程の”夏の暑い日”という解釈を思えば、”雫”とは滴り落ちる汗のしずくのことか、もしくは、”君が亡くなった”という解釈を思えば、悲しみから流している涙か、そういうものを表していると考えました。

 

”自転車”という言葉は、何となく、子どもの姿を思い浮かべさせられます。草野さんの少年時代の思い出なのか、それとも、架空の物語を書いているのか。

 

それから、ここの”終わらない下り坂”については、個人的にひとつ思い出すことがあって、それは「サイレントヒル」というホラーゲームにおいて、長い下り坂(多くは階段ですが)を下っていくことは、”精神世界へ潜っていく”ということを表わしている、ということが言われています。

 

曲に戻って考えれば、”終わらない下り坂”というのは、ただ単に自転車でとても長い坂道を下っている、と考えられるし(”終わらない”は、とても長いことを表わしている)、先程の「サイレントヒル」のように考えれば、自分の妄想や想像の世界に入り込んでいる描写とも取れます。

 

例えば、”君”という大切な人を亡くしたが、お盆や命日という特別な日を迎えて、その人との思い出の世界に浸っている、ということになります。

 


■その他、気になる表現としては、

 


今日は眠りの奥深く
逃げ込んだりしなくていい

 

逆に考えると、今日までは、眠りの奥に逃げ込む日々を過ごしていたと。それは、君を亡くした悲しみから、せめて夢や妄想の世界で会えるようにと願い、自分の精神の中に閉じこもっていた、と考えられます。

 

しかし、ここでも”今日”という、特定の日を表す言葉が出てきますが、これも先ほどと同様、お盆や命日といった特別な日を表しているため、夢や妄想ではなく、現実の世界で、君に会えるということを願っていると考えられます。

 



見えない翼で舞い上がる
それでも雲さえ掴めないかもね

 

不穏なのは、ここの部分です。ここを、”飛び下り自殺”などと考えると、またこの歌の世界観がガラリと変わってきます。要するに、”こんな日”や”今日”は、”僕”が死ぬことを決めた日であり、だからこそ”生き返って”や”逃げ込んだりしなくていい”という歌詞が散らばっていると考えられます。自分が死ぬんだから、故人である”君”に会えるから、もう自分の妄想に逃げ込まなくていい、とこういう流れですね。

 


■あとは、最大の謎…”プカプカプー”という言葉についてです。

 

曲の随所で、曲のタイトルにも使われています、”プカプカプー”という言葉が連呼されています。この言葉は、どこかの情報で得たことによると、”タバコを吸っている描写”であると草野さんが語ったそうです。”プカプカ煙草を吸う”とか言いますからね。

 

とすると、単純につなげれば、タバコをプカプカ吸いながら、今まで書いてきたようなことを思い出している、と考えられます。

 


ただ、僕は全然別のことを思ったんです。というところで、色々散らかったので、まとめてみます。

 

まず、”僕”は、自分にとって大切な人物であった”君”が亡くなって、悲しみに暮れていました。その悲しみから、夢や妄想に入り込んで、”君”との思い出の世界へと逃げ込んで、心を閉ざしてしまいます。

 

そんな時、”晴れの日”(”こんな日”や”今日”などと同意)が訪れるわけです。ここからの解釈は2つあって…

 


① 晴れの日=お盆や命日など、死者との距離が近い特別な日

 

この解釈に立てば、”僕の周りで生き返って”や”眠りの奥深く 逃げ込んだりしなくていい”という言葉は、そのまま素直に読んで、故人との思い出を振り返って懐かしみつつ、今日と言う日だけは、この世に戻ってきてください、と願っているという解釈になります。

 

そして、この場合の”プカプカプー”は、故人の魂が空に浮かんでいるという描写をイメージしています。暑い夏の日、とても晴れた空に浮かぶ雲…そういう光景を見上げて、この世に戻ってくる、あるいは、あの世へ帰っていく魂の姿を想像しているのかもしれません。

 


② 晴れの日=自分が命を絶って、個人の元へ行こうと決意した日

 

この解釈に立てば、先ほどの説明通りですが、”僕の周りで生き返って”や”眠りの奥深く 逃げ込んだりしなくていい”という言葉は、自分が命を絶ってあの世へ行くわけですから、”君”と会えるから、もう妄想の世界に逃げ込む必要はない、という意味になります。

 

そして、この場合の”プカプカプー”については、浮かんでいくのは、”僕”の魂になりますね。晴れた空にプカプカと、”君”のいるあの世へと浮かんでいく描写になると思います。

 


個人的には、①の解釈ですかね。矛盾するようですが、

 


見えない翼で舞い上がる
それでも雲さえ掴めないかもね

 

という部分で、結局は掴めなかったと歌っているわけですから、これは”あの世”へは届かなかった、という風に読み取ったからです。

 


■ところで、”僕”と”君”はどういう関係だったのでしょうか。

 

ここら辺は、特に僕個人的な想像が強いですが、”自転車”の下りで言ったように、個人的にこの歌の”僕”については、少年の姿を当てはめています。具体的には、小学生の低学年~中学年くらいでしょうか。要は、”死”というものが何なのか、そういうものを考え始めるお年頃という感じです。

 

おそらく、それくらいの時期に多くの人が、おじいちゃんやおばあちゃんなどが亡くなるという、最初の”死”に向きあう体験をすると思います。僕自身も、そうだったと記憶しています。

 

仮に、この歌の”僕”が草野さんであるとしたら、草野さんは、自分が子どもの頃に、おじいさんを短い期間で2人亡くされたという経験をしており、それが”死”を考える最初のきっかけになった、と書籍のインタビューにて語っておられました。ひょっとしたら、その辺りのことを思い返しながら歌った歌だったのかな、と思ったりしました。

 


そんな風に、【晴れの日はプカプカプー】は、誰しもが経験あるであろう、子どもの頃に、身近な人物を亡くした経験が思い出されるような、そういう不思議な歌であると、最終的な解釈として締めさせていただきます。