スピッツ大学

ステイホームしながら通える大学です!

特講:全身の毛が逆立って鳥肌がビンビンに立った

■誰が読んでくれているのか分からないが、たった一人むきになって、スピッツの全曲を紹介・解説しようと、息巻いてはじめたのが、およそ3か月前。まぁ最初の方は、書き溜めがあって、それを移植しただけに過ぎないので、新たに記事を書き始めたのは、2ヶ月前くらいからになると思う。

 

そもそも、こういうブログを作ろうとしたことすら初めてではなく、もう何度目かの挑戦となっている。書き始めては、途中で面倒臭くなって止めて、それでまた気まぐれに初めては止めて、を繰り返してきた。今回こそは書き切ると気負っているものの、どうなることやら分かりません、笑。

 


■さて。

 

あいうえお順に曲紹介を初めて、この記事を書いている現在、【漣】という曲の紹介をしようとしているところ。そこで、改めて、このブログ自体の意義を振り返りたいと思う。

 

なぜこのタイミングかと言われれば、【漣】という曲を聴いて、とある解釈に行きついた時に、こういうブログをやってみたいと思い立った、つまり、【漣】という曲が、このブログを作るきっかけになったから、というのが理由だ。

 


■何度も言っているように、草野さんの書く詩のテーマは「死とセックス」というものだ。”死”とは命の終り、そして、”セックス”とは人間の根源である”性”、つまり”性”=”生”として、命の始まりを表している。よって、「死とセックス」で、命の始まりから終わりを表していることになり、そういう命の根源の部分を、草野さんは歌い続けているのだと…個人的には思っているんだが、どうだろうか。

 

しかしながら、その「死とセックス」は、歌詞の中に巧妙にカモフラージュされて、隠されている場合が多い。よくよく読まなければ、あるいは少し視点を変えなければ、「死とセックス」に出会えない場合もある。時に、その中から、暗号を解読するみたいに読み進めていって、やっと出会えることだってある。

 

要は、”分かりにくい”のである。しかし、これは決してディスっているのではなくて、それが草野さんの詩の世界で、魅力のひとつなのである。草野さんの詩ほど、読むのが楽しいアーティストは、僕の中では居ないと思う。

 


■僕は、スピッツを聴き続けていって、もう20年くらいになるが、今でもスピッツの曲を聴いて、あぁ、この歌はこういうことを歌っているのか、と、今でも”はっと気づく瞬間”に出会うことがある。特に、現在このような、全曲紹介ブログを書いていて、正直あんまりちゃんと聴いてなかった曲を聴くことがあったりして、そういう機会が増えた気がする。

 

それは、僕が成長(あるいは、ある意味退化していく部分もあるかもしれないが、笑)していくと同時に、曲も成長しているから…ううん、正確には、僕が成長したことにより、今まで気づかなかった歌の新たな側面に、手が届くようになると、そういうことだと思う。

 

まぁこれは、スピッツの曲に関してのことじゃないけど。例えば、同じくらい好きな、BUMP OF CHICKENの曲だって、同じようなことが言えるけど。

 


■そこで、この【漣】である。

 

曲の紹介・解説に関しては、まぁ別記事に任せるとするが、まさに、この曲で、先ほど言った”はっと気づく瞬間”があったのだ。

 


実はね、もう20年もスピッツを聴き続けていると先述したが、これには間違いはないのだが、あえて言うなら、自分の中で、あんまりスピッツを聴いていなかった時期ってのが存在するのだ。

 

それが、確か、アルバム『さざなみCD』が発売になる前後の頃だった。このアルバムには、シングル曲は【魔法のコトバ】【ルキンフォー】【群青】の3曲だが、それこそ発売されたこと自体が、当時知らなかったほどだった。それまでは毎回、スピッツの情報はチェックしていたのにだ。

 

それで、たまたま動画サイトで【群青】のMVを見て、あ、アンガールズじゃん、スピッツ何やってんの、笑、ってなって。そんで、あ、スピッツがアルバム出してるじゃんってなって。それで、ようやくアルバムも聴いた感じだったと思う。

 


■というわけで、『さざなみCD』との出会いは、あんまりいいものじゃなかったと思う。なんか、後手後手で片手間になってた感じ。あんまり、ちゃんと聴いてなかった気もする。

 

だから、表題曲にもなっている【漣】という曲も、その時はそんなにいい曲には思えなかった。だけど、ある時聴いていて、急に、あ、この曲すげぇ良い曲じゃん、って思えた。発売から、結構時間が経ってからだった。個人的ランキングでも、2位になるほどなのだから、その想いは相当なもんだったんだろう。

 


そして、さらに聴いていて、先述の”はっと気づく瞬間”に出会えた。その時は、全身の毛が逆立って鳥肌がビンビンに立ったのを覚えている。

 

最初は、【漣】という歌は、遠距離の恋人に会いに行くような、そんな歌だと思って聴いていた。しかし、違った。ある時、この歌の中に、”死”を見つけたのだ。(何度も言うが、僕の解釈としてね)

 

その時に、この気づきを、この震えた瞬間を、誰かに話したいと思った。そして僕は、どこかも分からない掲示板に、必死に書き込んだのだ、笑。それでも、そのことを、分かる、と言ってくれた人がいて(本当にいました)、それもとても嬉しかった。

 


■と、同時に、スピッツの曲に、もっとこういうのがあるかもしれないな、と思うようになったのだ。

 

草野さんの詩の世界を、色んな人に知ってもらいたいと思うようになった…いや、違うな、僕自身が喋りたいって思うようになっただけか。それが、このブログを作ろうとした、そもそもの始まりだ。スピッツファンであるかないかは別として、1人でも多くの人に目に留まれば、本望です。

 


■くれぐれも言っておきたいけど、これは僕の解釈ですからね。まぁ、今は便利な世の中で、ネットでちょちょいと調べると、その曲その曲の情報だったり、違う人の解釈だったりってのを手に入れることができる。そういう情報や解釈を、ふまえることもあるけど、個人的な解釈になっているのには変わりない、と思う。

 

なので、それを受け入れるか、いや違うだろ、馬鹿か、と思うのも、読んでくださったあなた次第でございます。

 

それを踏まえて、ブログ、よろしくお願いいたします。全曲紹介セミナーと称している、本編でお会い致しましょう。【漣】の紹介も、そこに書き記します。

 


全曲と言うが、現時点で、約4分の1の曲を紹介し終わったところ、先は長いなぁ…笑。