スピッツ大学

ステイホームしながら通える大学です!

スピッツ3050 × 僕2030 part5

■大学を卒業してから。

 

当たり前と言えば当たり前だが、僕は就職して、(一つ目の)仕事を始めたわけだけど、まぁ出鼻をくじかれたね、苦笑。遠距離だった恋人といきなり別れる羽目になっただとか、その仕事がとんでもなくきついのなんので、日々憔悴していった。

 

そんな頃、今一度、スピッツの大切さを思い出すんです。大学の頃、一旦は離れていたスピッツとの距離が、また近づいた。

 

何か、疲れた時にスピッツを聴くと、気持ちを元に戻してくれるような、そんな心地を、この頃急激に感じるようになった。やっぱり、長いことスピッツは自分の側に居たんだということを実感するとともに、スピッツの音楽が、草野さんの声が、自分にこんなにも馴染んでいたんだということに、改めて気づかされた。

 


■当時は、通勤時間が2時間くらいかかっていて、しかも、公共の交通機関(バスと電車の乗継ぎ)を利用しての通勤だったので、通勤中は、常に音楽を聴くことが習慣になっていた。

 

もちろん、スピッツばかり聴いていたわけではないけど、とにかく、通勤時間に聴く音楽だけが、僕にとっての救いだった。

 


その頃の自分は、本当にスピッツの歌に救われていたと思う。

 

例えば、気合いがいまいち入らない時は、【けもの道】を聴いていた。不思議とパワーが湧いてきて、頑張ろうという活力になった。苦しい時に、バスの中で聴いて、ひとりこっそり涙を流したこともあったっけ。

 

例えば、【ビギナー】。この曲は、確か就職して2年目くらいに新曲として聴いていたと思うんだけど、当時僕は、会社説明会か何かで、先輩社員としてスピーチを任されたことがあった。だからというわけではないが、個人的にはこの【ビギナー】という曲を、”新入社員に向けた応援歌”として、今でも聴いている。

 

などなど。

 


■結局、その仕事は4年間続けた。本当は3年で辞める予定だったけど、3年目の会社の様子が、これまたとんでもない状況で…じゃあまぁ、もう少し会社の様子が安定するまで居ようか…と思い、あれよあれよと、追加で1年多く働いた。

 

仕事を辞めたのは、2012年の春のことだった。仕事を辞める時、次に就きたい仕事は一応決めていたので、その後、その仕事に就くために動きはじめた。

 


ただし、すぐに次の仕事に就けるわけではなく、色々と準備が必要だった。そういうわけで、次の仕事に就くのは、それからおよそ2年後になるわけなんだけど、その2年間は、アルバイトをしながら、資格を取るために学校に通ったり、もちろん自分で勉強をしたりしていた。

 

その頃の自分は、本当に孤独だった。どこまでも独りだった。信頼できる親友は少なからずいて、しょっちゅう遊んだりしていたけど、自分だけが、仕事に就くためとは言っても、未だにフリーターのようなことをしていて、とてもじゃないけど、胸は張って生きていなかった。(フリーターを否定しているわけではないぞ。)

 


■そういう時も、やはりスピッツに助けられたんです。

 

まさに、そういう孤独の時期に、【僕はきっと旅に出る】というスピッツの新曲が発表された。

 

youtu.be

 

 

この曲に関しては、本当に本当に話したいことがたくさんあるので、長くはなっているけど、この記事にまかせます↓

 

itukamitaniji.hatenablog.com

 

僕は、この曲に、ずっとお礼が言いたかった、僕を励まし続けてくれてありがとう、ってね。

 

だから、ここスピッツ大学で、この曲の記事を書ける時を、ずっと待っていたんだけど、このスピッツ大学のルールで、「”スピッツ全曲研究セミナー”では五十音順に曲を紹介していく」としたので、【僕はきっと旅に出る】という曲に行き着くまでに、時間が経ってしまった、笑。

 

まぁとにかく、この曲について、何か自分で書かなくちゃ、と思っていた。いや、この曲だけじゃないな、前回書いた【漣】もそうだし、【けもの道】もそうだし、他にもたくさんある。

 


…そうか、僕がこのスピッツ大学を書く理由として、もうひとつ…”恩返し”というものを忘れていたね。まぁ、勝手にやってるだけだけどね、笑。

 


■そういうわけで、今に至ります。

 

こうやって書いてみると、いつの時代にも、その傍らにはスピッツが居たんだってことに気づかされる。もちろん、スピッツだけじゃなく、色んなバンドの色んな曲に、これまで励まされてきたわけだけど、その中でも、間違いなくスピッツは特別だと思う。

 

(なんと、まだ続くんじゃ。)