スピッツ大学

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206時限目:Y

【Y】


Y

Y

 

■アルバム『ハチミツ』に収録されている曲です。個人的ランキング、195曲中78位でした。

 

曲名の読み方は、アルファベットをそのまま”ワイ”と読みます。ちなみに、スピッツの楽曲で、アルファベット一文字のタイトルは、今のところ、【Y】と【P】の2曲です。

 

比較的明るい収録曲が多いアルバムだからこそ、印象に残るバラードですよね。少し寂しげでしんみりと、しかし壮大でしっかりと、このアルバムの中に、ワンポイントで目立っています。草野さんの、高らかなボーカルが存分に堪能できる、名バラードだと思います。

 


wikiの情報によると、この”Y”というタイトルには、「道が分かれるという記号的な言葉で別れの意を含むが、メンバーによると他にも様々な意味があるという」とあります。

 

その説明の通りイメージしてみるならば、いわゆる”Y字路”が思い浮かびますね。今まで一本道を歩いてきて(Yの下の部分)、あるところで左右に道が分かれている(Yの上の部分)という景色です。

 

他には、僕は個人的にはずっと、鳥が翼を広げて羽ばたいている姿も想像していました。これは、この歌の中に、”鳥”というフレーズがでてくるので、そこから想像していたんですけど、まぁそうなると、Yの下の部分が少し余分なんですよね。

 

いずれにしても、”別れ”という表現があるように、今居る場所や一緒に居た人の元を離れていくようなイメージです。

 


合わせてwikiには、「途中で阪神・淡路大震災があったため、応援の意味をこめて前向きな歌詞となった」という記述もありました。

 

このブログで、【ロビンソン】の紹介記事を書いた際にも、阪神・淡路大震災のことに触れさせていただきましたが(【ロビンソン】をレコーディングした日が、まさに被災日になったというお話…詳しくは記事をご覧ください)、アルバムが発売になった1995年は、大震災の他にも、地下鉄サリン事件もあったりして、日本中が恐怖と悲しみに包まれた年でした。

 

【Y】や、ひいては、アルバム『ハチミツ』は、そんな日本を応援する気持ちがこもった作品だったのです。

 


■さて、じゃあ【Y】がどんなことを歌っている曲なのか、解釈してみます。

 

先述したように、”Y”という形から、”別れ”というイメージを浮かべます。ただ、”別れ”と言っても色々な形があるわけで、死別などの悲しい別れもあれば、(離れてしまうことに寂しさを感じるけど)お互いの想いを尊重し合った前向きな別れもあると思います。

 

この歌はどうでしょうか。

 



小さな声で僕を呼ぶ闇へと手を伸ばす
静かで 長い夜
慣らされていた 置き去りの時から
這い上がり 無邪気に微笑んだ 君に会うもう一度

 


やがて君は鳥になる ボロボロの約束 胸に抱いて
悲しいこともある だけど夢は続く 目をふせないで
舞い降りる 夜明けまで

 

何となく、この辺りから想像が膨らみますが、つかめそうでつかみにくい歌だなという印象です。”僕”と”君”が出てくるので、必然的に”僕と君の別れの物語”を想像しますが、具体的にはどういうストーリーがイメージできますかね?

 


■まず、最初の4行を読んだ時に、個人的にはまず、”君”に先立たれた”僕”が後追いををしようとしている状況を想像しました。

 

”小さな声で僕を呼ぶ闇”とは、まぁこれは文字通りですけど、自分の周りを”暗闇”で取り囲まれているイメージですね。そして、その暗闇の中から、自分のことを呼ぶ声が聞こえると…暗闇なので、その声の主の姿は見えていないということになります。

 

そこから、”慣らされていた 置き去りの時”へと続いていくわけですが、置き去りにされているのは、”僕”であると考えます。ここに、”慣れた”ではなく、”慣らされていた”という言葉があるのも、考えさせられます。決して前向きには読めない感じで、どこか受け入れるしかない状況、そういうものだと思うしかない状況を思い浮かべました。

 

じゃあ、誰に・何に置き去りにされたのかと考えていた時に、必然的に”君”に置き去りにされたのかな、と繋げて考えてみました。”置き去り”といっても、これにも色々な理由があるわけで、例えば、ただ単に、恋人関係を解消して別れただけだとしても、未練がある方には、置き去りにされたと感じるかもしれません。

 

ただ、最初の”小さな声で僕を呼ぶ闇”というところの解釈と繋げて考えて、声の主は”君”で、”闇”と比喩されているのは、”君”にはもう実体がない、つまり、もうこの世には居ないということを表していると想像したのです。となると、ここの”置き去り”は、”君”を失って”僕”だけがこの世に置き去りにされてしまった、という状況になりそうです。

 

そして、最後の”君に会うもう一度”という言葉。”君”はもうこの世には居ない存在であり、そんな”君”に会うために、”僕”も命を絶って、”君”が居るあの世へ向かおう、という結末をイメージしました。

 


■という感じの流れでストーリーを組み立ててみるのですが、そうすると、”やがて君は鳥になる”で始まるサビの3行へのつながりが難しいんですよね。

 

ここの部分はどちらかというと、”君”が主語になっている文章だと思いますが、例えば、ここが”僕”が主語となっていたら、”鳥になる”という表現を飛び降り自殺などに訳して、ああ、やっぱり後追いだ!と語れるんですけど、”君”が主語なので、整合性がとれません。

 

それどころか、この3行はむしろ、”君”の方が置き去りにされたのかな、とも読めたりしますよね。だから、ひょっとしたら、最初の4行は、先述の話とは全くの逆で、”僕”の方が亡くなっているのかな、と考えたりもしました。

 


■じゃあ、サビの3行だけ、切り離して読んでみるとどうなるでしょうか。

 

まず、出だしに”やがて君は鳥になる”という歌詞が出てきます。草野さんの歌詞には、”飛ぶ”とか、あとは”鳥”に関係のある言葉(カモメ、ヒバリ、つぐみ、ハヤブサ、スワン、トンビ…ダイレクトには”鳥になって”など)がよく出てきますが、これらは、その時その時によって意味は違うと思いますが、何か精神的な状況を比喩しているものだとは考えています。時には、スピッツそのものを表しているのではないか、とも思ったりします。

 

ならば、”やがて君は鳥になる”という表現はどういう意味なのでしょうか。僕は、この”やがて鳥になる”というフレーズを、”人はいつか死んでしまう”という意味で捉えました。根本的に人は鳥ではないので、じゃあ、鳥になる状況は?と考えた時に、鳥は空を自由に飛ぶ生き物であることを考慮すると、死んだ人の”魂”が空に浮かび上がっていく情景、つまりは”成仏”ですよね、そういうものを思い浮かべました。

 

ただ、”やがて”という言葉がついているので、今はまだ”君”は生きているということになります。

 


”ボロボロの約束 胸に抱いて”、この表現もすごいですよね。何らかの形で、約束が果たされたとしたら、”ボロボロの約束”なんて表現はしないと思うんです。だからここは、”信じ続けたけど、最後まで果たされることはなかった約束”と個人的には解釈しました。

 

そこから繋がるのは、”悲しいこともある だけど夢は続く”というフレーズです。”悲しいこと”とは何でしょうか、もちろん、ここの意味は受け手によって違うと思っていますが、そのひとつはやはり”大切な人との死別”でしょうか。

 

そういうところまで読んで、はたと気付くのです。”ボロボロの約束”とは、大切な人と生前交わした約束なのではないか、と。つまり、大切な人は亡くなってしまって、もう2度と果たすことが出来なくなった約束、ということですね。

 


大切な人が居なくなっても、残された人の人生が終わるわけではないので、いつまでも故人を想いながら生きていく(しかない)。ただ、その残された人の人生もいつかは終わってしまうわけで、いずれは大切な人の元へ行くことができるから(ここを多分、”舞い降りる 夜明けまで”と表現している?)、それまでを精一杯生きていこう、と歌っているのだと思います。

 


■先述の通り、前後の整合性が取れていない感じですが…どうですかね、寂しい感じですけど、”君”にとっては、前向きな歌詞なっているんですかね?

 

まぁ、別に”死別”などを持ち出さなくても、単に”僕”と”君”が別れて別々の道を歩んでいくことになったという場面を思い浮かべて、それぞれ精一杯生きていこうというような、”僕”(草野さんやスピッツ)から”君”(リスナー)への応援歌と考えることもできますね。