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181時限目:未来コオロギ

【未来コオロギ】


未来コオロギ

未来コオロギ

 

■アルバム『小さな生き物』に収録されている曲です。これがアルバムの1曲目に入っているということに、何か特別な意味を感じてしまいます。

 

ただ単に、”コオロギ”とするだけではなく、”未来コオロギ”としているところに、何か特別な想いを込めたのでしょうか。…というより、そもそもこのタイトル自体が、アルバムタイトルの予定だったそうですね。

 


■あまり大した情報は得られないので、早速、曲の解釈へ入っていきます。

 

まず、歌詞に関して思ったのが、何かファンタジーだな、ということでした。

 

タイトルの”未来コオロギ”という言葉自体、どこかファンタジーなんですが、例えば、”パラレルの国”とか、”チョコレートは いかがでしょう”とか、あとは”不思議な絵の具”とかね、何となく、でたらめに塗り潰されたような…そう、「チャーリーとチョコレート工場」とか「アリスインワンダーランド」とか、そういう世界観を感じました。

 


出だしの歌詞が、

 


描いてた パラレルな国へ
白い河を 飛び越えて

 

となっているので、何となく、そういう不思議な世界へと、主人公が誘われてやってきた、とかいう物語を想像しました。

 


■それで、やっぱり気になる、”白い河”という表現です。

 

最近、【水色の街】の解釈を述べたばっかりですが、そこでは、河=三途の川として、それを渡るわけですから、水色の街を”死後の世界”、つまり”あの世”という風に繋げて解釈しました。

 

それと同じように考えるとすると、つまり、白い河=三途の川と訳すとどうでしょうか。

 


他に、気になる歌詞を繋げて考えてみると、例えば、

 


未来コオロギ 知らないだろうから
ここで歌うよ 君に捧げよう

 


顔上げて 遠くを見てくれよ
生き返った 鳥の群れを

 

この辺りは、前者は、知らないだろうから=主人公は死んだことにまだ気づいていない、みたいに考えると、それを知らせようとしている、という感じでしょうか、”歌うよ”となっているのは少し違和感がありますが。

 

後者は、これはそのまま”あの世”ということで、死んでしまった鳥が、あの世にやってきて、また生き返って(ただし、あの世で)羽ばたいているという描写でしょうか。

 


■…というような解釈もできそうなんですが、個人的には、もうちょっと考える余地があるような気がして、うーんうーんと唸っていました。

 

ここでいう”未来”とは何なのか、誰に対しての・どんな”未来”なのか、というところをね、ずっと考えていたんです。しかも、それに”コオロギ”がくっついていて、余計によく分かんなくなっていました、苦笑。

 


それでも色々と考えて、歌詞を繋げて考えてみた時、まず思いついたのはこういう解釈でした。

 

例えば、主人公はひょんなことから、未来の国へと迷い込んでしまったと。しかしながら、ここがどこなのか、主人公が分かっていないので、”未来コオロギ”なる…これは未来の自分とかでしょうか、それとも、未来の国のマスコットキャラクター的なやつとか…それが出てきて、主人公に知らせるわけですよね。ここは未来だけど、慌てないで、とりあえずチョコでも食って落ち着けや、と。

 

もちろん、きっとこれらは、主人公の精神的な世界の中で繰り広げられたものだと思いますが、この解釈だと、ここから上手く繋げられなかったんです。例えば、

 


行ったり来たり できるよこれから
忘れないでね 大人に戻っても

 


消したいしるし 少しの工夫でも
輝く証に 変えてく

 

とか、意味分かんないなってなって詰まってしまいました。

 


■そうしてさらに考えたのが、上述とは逆で、主人公が迷い込んだのは”過去”か、あるいは、そもそも「パラレルな国」なので、”違う現在”(言葉通り、時間軸の違う”パラレルワールド”)なのではないか、と。

 

ただし、これもやはり主人公の精神的に繰り広げられてることだと思うので、考えられるのは、現状に希望が持てずに、自分の妄想の世界に逃げ込んでしまった、という感じになると思います。

 


ということで、ちょっとまとめて書いてみますと…

 

主人公にとって、何か現在の自分や世界の状況に、受け入れたくない、目を背けてしまいたいことがあった。それでついに、自分の殻に閉じこもってしまった…自分の過去や都合の良い現在を妄想して、そこに閉じこもってしまった、と。”大人に戻っても”という表現があるので、自分が子どもだった、無邪気で楽しかった頃を思い出している、という解釈が合うのでしょうか。

 

そして、”未来コオロギ”です。”未来”とは、つまり、その主人公が元々いる現在のことだと考えると、”未来コオロギ”とは、主人公に対して、そんなところに閉じこもっていないで、早く現在に戻ってこいよ、と言っている(歌っている)存在であると考えられます。

 


時の流れ方も 弱さの意味も違う
でも最後に決めるのは さっきまで泣いていた君

 


消したいしるし 少しの工夫でも
輝く証に 変えてく

 

前者は、これは”未来コオロギ”が、泣いている主人公に向けて言ったものでしょうか。立ち直って、閉じこもっている世界から抜け出すことを決めるのは、結局は自分次第だよということですね。

 

後者も、忘れたい出来事があるけれど…なかなかそれを、”輝く”証に変えることは難しそうですが、まぁ…そういう出来事も乗り越えていくという表現になるんですかね。

 


ただ、まぁなぜコオロギなんですかね。コオロギが鳴くということが、”泣いている”にかかっているとか、はたまた”歌うよ”にかかっているとか…どうなんでしょうね。

 


■ちなみに、今回は特に触れませんでしたが、アルバム『小さな生き物』は、東日本大震災の後の一番近い時期に発売された作品なので、どうしても両者の関係を考えてしまいます。

 

【未来コオロギ】と震災にも、何らかの関係があるのかもしれませんね。例えば、主人公が泣いているのは、震災に際したからであって、そこから立ち直れなくなってしまっている…という解釈につなげられそうです。