スピッツ大学

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226時限目:こんにちは

【こんにちは】

 

こんにちは

こんにちは

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■アルバム『醒めない』の14曲目に収録されている曲です。アルバムでは、これが最後の曲になります。

 

”こんにちは”なんていう、一見すると何の変哲もないタイトルですが、普通過ぎるが故、一周して奇妙に思えてくるのです。最後の曲だからこそ余計に、”こんにちは”という言葉が浮いているように見えてきますよね笑

 


個人的には、GREEN DAYを彷彿させる、ギターのリフが特徴的なポップパンク風の曲調であると感じました。若々しく、ひいては、ちょっと前時代的に懐かしく聴こえるのは、(当時)30周年を控えたスピッツが、その長い活動を振り返るように、原点回帰的な曲を狙ったんだろうかと想像しています。

 

そして、アルバム『醒めない』のプロデューサーは亀田誠治さんなのですが、【ブチ】とこの【こんにちは】に関しては、スピッツのセルフプロデュース曲になっています。【ブチ】がスピッツとクージーによって編曲された曲で、【こんにちは】がスピッツによって編曲された曲であるようです。

 


■さて。

 

アルバム『醒めない』に、草野さん・スピッツが込めたテーマは、”死と再生”というものでした。これについて、草野さんはMUSICAのインタビューの中で、このように語っています。

 


草野さん「(シングル『雪風』について)ドラマのお話をいただいてから作った曲だったからね。まぁ、『小さな生き物』が旅に出る前の不安と期待が入り混じったアルバムだとすると、”雪風”は再生を匂わすものになっていたと思うんで、そういう意味ではアルバムのスタートになってると思いますね」

 

草野さん「…再生の物語みたいなものを匂わせるコンセプトで作ってもいいかもって思ったところはありましたね。毎回あんまりコンセプトとか考えずに、できた歌をまとめましたみたいなアルバムになっちゃってたんだけど、今回は『死と再生』みたいなコンセプトを貫けているかな」

 

個人的には、もっと長い目で見て、アルバム『小さな生き物』からアルバム『醒めない』までが、長い長い物語だったと思います。そして、悲しいけれど、その中心にあるのは、東日本大震災ということになるのでしょう。インタビュー記事の中でも、直接の明言は避けていたものの…まぁ、影響がなかったということの方が不自然ですよね。

 


■アルバム『醒めない』には、ここスピッツ大学でこれまで紹介した曲ですと…

 

【みなと】は、もう会えなくなってしまった人を、それでも帰ってくることを待ちながら想っている状況を思い浮かべました。

 

【子グマ!子グマ!】は、親と子の関係だろうか、自分にとって愛おしい人が自分の元から旅立つことに対して、寂しく思いつつも、応援する気持ち・幸せになって欲しいという気持ちが歌われています。

 

【コメット】も、別れの場面で、送り出す側の気持ちを歌っているような描写があります。

 

そして、先程紹介した【雪風】についても、これも個人的な解釈では、もう会えなくなってしまった人のことを、回想や夢の中で思い出しているような、そんな状況を思い浮かべました。


などなど…これらのように、これまでの曲では、結局は、別れの場面や誰かを想っている状況が多くあったような気がします。

 

 

”別れ”というものは、当事者同士(二人)の物語の”一旦の休止”を意味するところがあります。その別れが、予め決まっていたことなのか、あるいは、予期せぬことだったのか、というものはあるとは思いますが、とにかくお互いが離ればなれになっている間は、それぞれがお互いに干渉し合うこともないまま、別々の生活を送るようになるわけです。

 

そういう風に思っていけば、”別れ”の反対にあるのは、新しい”出会い”や、離れていた人との”再会”というものが考えられると思います。なので、このアルバムで語られているところの”死と再生”というストーリーは、悲しみに打ちひしがれた状況(これが”死”ならば)から、立ち直ってまた歩き出す(こちらが”再生”)という物語とは別に(あるいは平行して)、”別れと出会い・再会”の物語に置き換えられるのかもしれません。

 


■そこへきて、今回の【こんにちは】という曲。

 

これは紛れもなく、”再会”の歌になっています。先程も少し紹介したとおり、ポップパンク風で明るい気持ちになるような曲調ですが、それは僕が(お互いが)”再会”を喜んでいることを表しているのでしょうか。

 


まず、そういう気持ちは、出だしの歌詞にも表れています。

 


また会えるとは思いもしなかった
元気かはわからんけど生きてたね
ひとまず出た言葉は「こんにちは」
近づくそのスマイルも憎らしく

 

アルバム『小さな生き物』から続いた物語を想えば、ここの歌詞は非常に感慨深いものがありますよね。今までは、会えなくなった悲しみや、遠くで暮らす人のことを想っているような曲が多かったのですが、これは紛れもなく”再会”の喜びを歌っている様子が見えるからです。

 

”また会えるとは思いもしなかった”、これに関しては、ただたまたま偶然に街で、友だちに出会い懐かしんでいる状況かもしれませんが、今までの流れを鑑みると、本当に”また会えるとは思いもしなかった”人、もう会うことはできないだろうと思っていた人に出会った状況という方がしっくりきそうです。

 

例えば、先程の震災の話に絡めれば、災害によって故郷を追われ、離ればなれになった人などもそうですよね。極端な話、お互いの生死も定かではない状況、何処へ行ったのか分からない状況であったならば、”また会えるとは思いもしなかった”という気持ちが、余計に高まると思います。

 

そうでなくても、とにかく長く会えなかった人、しかも、もう会うことはないだろうと思っていた人との再会に喜んでいる状況だという風に読めます。しかし、そこで出てくる第一声が、「こんにちは」とはね笑 「久しぶり!」とか、「元気しとった?」とか繋がっていきそうですが。

 


それから、最後のここの表現。

 


心に生えた足でどこまでも
歩いて行けるんだと気がついて
こんな日のために僕は歩いてる
おもろくて脆い星の背中を

 

アルバム『醒めない』の最後の曲の、そのまた最後のフレーズで、ここにたどり着くとは、何だか泣きそうになりますね。ようやく会えたんだって、長い物語の結末を想像します。

 

比較対象としては、アルバム『小さな生き物』の最後の曲が、【僕はきっと旅に出る】でしたが、この曲はタイトル通りですが、いつか旅に出ることへの憧れだったり、その準備段階のことを歌った曲でした。

 

そこから時が経って、【こんにちは】のここのフレーズです。”心に生えた足でどこまでも 歩いて行けるんだと気がついて”、ここが本当に好きなんですよ。身体的なパーツとしての足ではなく、”心に生えた足”という表現なので、ちょっと妙な表現にも思えますけどね。

 

長く続く悲しみの中に居たところから(今も完全には癒えていないかもしれないけど)、ちょっとずつ前を向くようになったんですよね。心が少しずつ歩き出す気持ちを取り戻していったことを、心に足が生えていくという、独特にも思えますが、言い得て妙な表現をしたんでしょう。

 


”おもろくて脆い星”という表現も、良いですよね。人間の心も比喩していて、簡単に壊れてしまうほど、脆いものであるかもしれないけど、気の持ちようで、前向きに生きていれば、思いがけない再会があることもあったり、中々人生も捨てたもんじゃないぜ、という思いを受け取ることができます。