スピッツ大学

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233時限目:ありがとさん

【ありがとさん】

ありがとさん

ありがとさん

  • provided courtesy of iTunes

 

■アルバム『見っけ』の3曲目に収録されている曲です。

 

この曲に関しては、アルバム曲(アルバムで聴ける新曲)の中では、確か一番早くフルで解禁になった曲でしたね。改めて調べてみると、10月9日がアルバムの発売日だったのに対して、9月2日にラジオで【ありがとさん】のフル音源が解禁されました。

 

今の時代は、かなり便利な世の中になりましたよね…僕は、ラジオでのフル音源をリアルタイムで聴くことができなくて、ラジオのタイムフリー機能を使って、過去に流された【ありがとさん】の音源を聴きました。

 

初めて聴いた時の感想は、優しい曲ではあるんだけど、ドスの効いたベースの音と、鍵盤の音が印象に残る曲だなって感じでした。あとは、”ありがとさん”というタイトルについても、不思議なタイトルだなと思いつつ、断片的に聴き取れた歌詞から考えて、詳しくは後述しますが、”死”によって訪れる別れを歌った曲なのかな、と感じ取っていました。

 


それから時間が経ち、アルバムの発売を間近に控え、MVも解禁になりました。



スピッツ / ありがとさん

 

色んな装飾物でごちゃごちゃしている、狭い部屋の中で演奏をしているのが印象的なMVです。リーダーの、ヘッドレスベースでのアグレッシブな演奏が目立ちますね。(特に、イントロ・アウトロ)

 

そんで、こういう時には、そのごちゃごちゃの中にスピッツに縁がある物が隠されていないだろうか(見つけてやるぜ!)…という目線で見てしまうのですが、特に発見には至ってません。

 

まぁ強いてあげるならば、時々差し込まれる金魚に関しては、アルバム『醒めない』では【コメット】という曲があったし(そのものずばり、comet/コメットで金魚という意味)、アルバム『小さな生き物』ではジャケットに金魚が写っていたり、【りありてぃ】の歌詞の中にも”金魚”という言葉が出てくるので、スピッツに縁があるものと考えても良いんですかね。

 

スピッツとの縁から離れて考えてみると、リーダーの側に置いてあるカラフルな頭蓋骨は、メキシコで「死者の日」(日本で言うお盆のような日)に飾る”カラベラ”というものを思い浮かべます。これも、この曲における”死”のイメージにも繋がっているのかなと、ちょっと思ったりしました。

 

それにしても、このMVの4人とも、本当に50歳過ぎかよ…これこそ何より貴いと言えることですよね!

 

他に、何か発見はありますか?何かあれば、コメントください。

 


ちなみにタイトルについては、”ありがとさん”という曲名が解禁されて初めて目にした時に、個人的には、先にTHE BLUE HEARTSの【ありがとさん】という曲を思い出しました。

 

 

この曲自体は、THE BLUE HEARTSが解散を決定した後に発表した、最後のアルバム『PAN』に収録されている曲で…まぁこれをTHE BLUE HEARTSの曲と言って良いのか…ヒロトマーシーもこの曲に参加していないし…色々あったアルバムなので…は割愛します。

 

ただ実際には、”ありがとさん”というタイトルについては、例えばNHKの「SONGS」に出た際に語っていたこととしては、”ありがとう”というと恥ずかしいので、ちょっと近しい感じで”ありがとさん”という言葉を使ったとのことです。

 

 

 

■先述した通り、この曲については、最初に聴いた時からもう”死”のイメージがありました。音楽雑誌『MUSICA』でも、やはりそのことには触れていました。

 


草野「そうね。”雪風”を作った時もそうだったんですけど、死んじゃった人の目線で曲を作るのっていうのはドラマとしては作り甲斐があると思って。でも”雪風”をリリースした時、感想をいっぱいSNSで見たけど、死者目線っていうことに気づいた人がいなかったんですね。だからもっとわかりやすく、<化けてでも>っていう言葉を入れたんですけど(笑)」

 


草野「もしくは死んじゃった愛犬のことを思いながら歌ってるとかにも取れるだろうし、あと聴き進めていくうちに『パートナーが死んじゃった……え、死んじゃったの俺かよ!?』みたいな、歌い手が死んじゃったのか!とも取れるだろうし。…」

 

こんな感じで語っています。”死者目線”というのは、結構キーワードになりそうですよね。

 


これまでのスピッツだったら、”死者目線”というと、どんな曲がありましたかね…【雪風】は公式であるとして、あくまで勝手な解釈ですが、スピッツ大学的には、【Y】とか【ローランダー、空へ】とか【月に帰る】とか【サンシャイン】とか、そういう風に語っていたような気がします。何かもっとあったかもしれませんけど。

 

普通だったら、大切な人を亡くして残された側の人間の目線で曲を作りそうなんですが、その逆で、亡くなった人の目線に立って歌詞を書くということですよね。生きている人には、決して”死ぬ”という経験はできることではないので、そういう意味でも、草野さんの詩の世界観や想像力は、とても広く深いものなのでしょう。

 

 

 

■そういうことを踏まえつつ、歌詞を読んでみます。

 


君と過ごした日々は やや短いかもしれないが
どんなに美しい宝より 貴いと言える

 

これが始まりの歌詞ですが、ここを読んだだけではどうでしょうか。別に無理矢理、死別に繋げなくても、今まで長く一緒に居た友達や恋人が居て、その友達の別れと、単に読めるかもしれません。例えば、通っていた学校の卒業だったり、恋人関係の解消だったり色々考えられるかもしれません。

 

とにかく、何らかの理由で”君”と過ごした日々が終わりを迎えて、それが何よりも”貴い”ものだったと振り返っている様子が分かります。

 

”やや”短いという表現と、”貴い”という言葉を選んだところも、目立たないかもしれないけど、何か良いですよね。

 



あれもこれも 二人で 見ようって思ってた
こんなに早く サヨナラ まだ寒いけど
ホロリ涙には含まれていないもの
せめて声にして投げるよ ありがとさん

 

この辺りから、何となく死別のイメージが湧いてきました。まぁそれでも、先述と同じく、離ればなれになってしまう友達や恋人との別れ、と単に読むこともできるのですが、やっぱり”こんなに早く サヨナラ”というフレーズが浮いていて、何か悲しいなって思ったんです。”サヨナラ”もカタカナで表記されているので、何か特別な意味を持たせているのかな、と考えられます。

 

しかし、僕は”死者目線”として読むことができなかったんです。単に、”こんなに早くあなたを亡くしてしまった、まだ二人で見たかったものがたくさんあったのに…”という感じで、生きている人が、大切な人を亡くした悲しみを吐露していると読みました。それは、大切な人が若くして亡くなってしまったのでしょうか、それとも、単に二人が一緒に居た時間が短すぎたのでしょうか。

 



いつか常識的な形を失ったら
そん時は化けてでも届けよう ありがとさん

 

草野さんが語っているように、”死者目線”であることを強調したいがための、”化けてでも”というフレーズが出てきている部分です。

 

この辺りを読んでから、改めて振り返って歌詞を読んだときに、あぁやっぱり死別なのかな、と個人的には思ったんです。しかし、”化けてでも”というフレーズが出てくるので、ん?となるわけです。

 

”化けて”出てくるということは、化ける側(この歌の歌い手)が亡くなってしまっており、とすると逆に、”君”の方が生きているということなんだと考えられるわけですね。これが、”死者目線”が意味することなんでしょう。

 

 

■これはきっと、アルバム『見っけ』をこれからスピッツ大学で語っていく上でも、何度も僕が出すであろうキーワードだと思うんですけど、『見っけ』の収録曲は、どれも割と”物語性”が強いような気がするんです。1曲1曲の短編の物語が、たくさん入っているって感じでしょうか。

 

それは、この【ありがとさん】にも当てはまっていると思います。最後まで読むと、一気に解釈が逆転するのは、いかにも物語って感じがしますよね。

 

何ていうか、最後の最後に自分が死んでいることに気がついて大どんでん返しの、あの映画の主人公的な感じですかね?…ちょっと違うか笑。