スピッツ大学

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243時限目:ブランケット

【ブランケット】

 

■アルバム『見っけ』の、初回限定盤、アナログ盤、デラックスエディション Spitzbergen会員限定盤にのみ、ボーナストラックとして収録されています。これはあれですね、アルバム『小さな生き物』のデラックスエディション盤などにボーナストラックとして、【エスペランサ】が収録されたのと同じ感じですかね。

 

【ブランケット】に関しては、元々は2017年に発売になった、平井堅さんのベストアルバム『Ken Hirai Singles Best Collection 歌バカ2』に付属している、Special Disc『歌バカだけに』に入っている、平井堅さんが歌っているバージョンが先のようです。

 

Special Disc『歌バカだけに』は、敬愛するミュージシャンに書き下ろしてもらった曲を、平井堅さんが歌うという趣旨で作られたディスクだそうですが、そのディスクの収録曲の一曲が、スピッツ草野正宗さんが書き下ろした【ブランケット】だったようです。

 

で、今回のアルバム『見っけ』にて、スピッツがその【ブランケット】をセルフカバーした、というのが流れのようです。

 


平井堅バージョンの【ブランケット】は、バンドサウンドではなくて、電子音っていうんですかね、エレクトロニカサウンドで、割と明るく聴こえてきます。ここのアプローチまで、草野さんのアイデアだったのでしょうか?ちなみに、少し聴くことができますが、こんな感じです↓

 

youtu.be

(※4:13あたりから【ブランケット】)

 

一方、スピッツバージョンの【ブランケット】ですが、さすが、バンドサウンドとして生まれ変わってますね。ただ、歌詞の雰囲気とも相まって、明るいという感じではなく、どこか重苦しく寂しい感じで、退廃的にさえ聴こえてくるのは、平井堅バージョンとは異なるような気がします。

 

この曲がアルバム『見っけ』の”ボーナストラック”になっていることについて考えてみるんですけど、まぁ元々は平井堅さんに提供された曲で、それをセルフカバーしたので、そこで線引きしたということはもちろんあると思うんですけど、そうでなくてもアルバム『見っけ』に入れるには、雰囲気は合わない感じはします。

 

先程言った通り、寂しく退廃的な感じは、アルバム『見っけ』では感じることはありませんでした。まぁ、あるとすれば【ブービー】がありましたが、何となく種類は異なるような気がします。そういうところもあって、アルバムの中では、あくまでボーナストラックとしたのかなと思っています。

 


■では、歌詞を読んで、印象に残った部分を繋げていってみます。

 


わかってんだ みんなが言うような 幸せ
そんなもんは 手に入る時 しぼんでく

 

まず、出だしがこんな感じです。ここからもう、すでに恵まれたような物語は想像し難いですよね。”僕”が、幸せを掴むことへの諦めの気持ちを持っているという描写に読み取れるような気がします。

 

しかも、”手に入る時 しぼんでく”ですからね。何ていうか、幸せに届きそうなところまで、届く寸前まで到達して、期待させておいてからそれが打ち砕かれたような物語も想像できそうです。

 

さらに、最初に”わかってんだ”という強い言葉で始まっているところから、そういうことをすでに経験したことがあるとか、そうでなくでも、これまで生きてきた世の中を鑑みると、そういうものだろうという、どこか達観したような心情も読み取ることができます。

 



人間は 飛べるもんだとか 思ってた
ゆらゆらと 君の街まで 行けるはず

 


色のある明日 もしも来るのなら
定めを外れて 落ちていこう

 


ありがとう 心がまとまり
ついに僕は 姿を変える

 

続いて、Aメロ、サビ、Bメロに出てくる歌詞を、それぞれ抜き出して載せてみました。これらを繋げて読んでみると…。

 

まず、最初の2行については、”人間は 飛べるもんだとか 思ってた”の部分がひっかかります。ここは、出だしのところからのつながりなので、”飛べるもんだと…”=幸せに届くような気がしていた、と訳すこともできるかもしれませんが、”君の街まで…”という描写とつなげると、もしかしたら”飛び降り自殺”などの、自ら命を絶った描写とも考えられるかもしれません。

 

次の2行については、”定めを外れて 落ちていこう”という表現があからさまに読めます。先ほどの、”飛べるもんだとか 思ってた”という表現ともつながり、結局人間は飛ぶことができないから、落ちていくだけなので、これもそのまま”飛び降り自殺”を想像させます。

 

しかもここには、”定めを外れて”という言葉がくっついているので、”定め”というものを、”この世で生きていくという運命”というものに置き換えて考えると、そこから”外れて”しまうので、つまりこれも”死”を意味するのではないかと考えることができそうです。

 

で、そこから最後の2行に繋がっていくわけですが、ここには”ついに僕は 姿を変える”という言葉があります。ここに関しては、タイトルにもなっていますが、”ブランケット”という言葉が出てくるサビの歌詞に繋がっていきます。

 



わがままな望み 今カタチを持って
それだけのために生きていこう
気付かれなくても こごえそうな君を
優しく包める ブランケットに

 

これがサビの歌詞ですが、”姿を変える”=”こごえそうな君を 優しく包める ブランケットに”と読むことができるかもしれません。”カタチ”という、カタカナ表現もひっかかりますね。

 


■まず、この歌詞でいう”僕”にとっての”幸せ”とは、”君”という存在がこの歌詞には出てくるので、”君”と過ごす時間だったり、”君”への気持ちの成就と考えることができます。

 

ただ、冒頭にあるように、”僕”はもう、現世ではその幸せを掴むことができなくなってしまった、あるいは、幸せを掴むことを諦めてしまいました。

 

そこで、”僕”は命を絶つ決意をします。現世でこの想いが叶わないのなら、命を絶ち、姿を変えて”君”の側に居ようとしたんですね。つまり、ここが”ブランケット”の下りだと思っています。

 

死んでいく者が生きている者に向けて、少しでも安心させるために、「僕が死んでも、星になって君をずっと見守ってるからね」などという言葉をかけるシーンがありますよね。ああいう感じのことを、この歌の”僕”はまさに実行しようとしたのではないでしょうか。

 

”ブランケット”とは比喩表現であるとして、つまりは、”君”がこごえそうなとき…つらく苦しい時に、それを少しでもなぐさめてあげられるような存在になって、ずっと見守っているよ、ということだと思います。

 


■…という風に、こんな物語を想像していたんですけど、それと同時に、アルバム『見っけ』の中の、とある曲のこともダブって考えていたんです。

 

それは、【ありがとさん】という曲です。【ありがとさん】は、いわゆる”死者目線”で書かれた歌詞だと、雑誌で草野さんが語っていました。そして、【ありがとさん】には、こんな歌詞が出てきます。

 


いつか常識的な形を失ったら
そん時は化けてでも届けよう ありがとさん

 

【ありがとさん】は、自ら命を絶つという感じでは読めないので、両曲が同じ物語であるとは考えていませんが、【ブランケット】の”僕”とは、心情的には同じなのではないかと思ったんです。つまり、”死してもなお君を見守っている”という心情です。そういうものを、両曲とも描写しているのではないか、と想像しています。