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246時限目:353号線のうた

【353号線のうた】

353号線のうた

353号線のうた

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■もともとは、スピッツがインディーズ時代に発表した、ミニアルバム『ヒバリのこころ』に収録されている曲であり、2021年に発売になったSpecial Album『花鳥風月+』にも収録されました。

 

ミニアルバム『ヒバリのこころ』は、1990年3月20日に発売になったミニアルバムで、スピッツのデビューが1991年であるので、結成~メジャーデビューの間でこのアルバムは発売されたことが分かります。

 


ミニアルバム『ヒバリのこころ』の収録曲は、

 

01.ヒバリのこころ
02.トゲトゲの木
03.353号線のうた
04.恋のうた
05.おっぱい
06.死にもの狂いのカゲロウを見ていた

 

という計6曲ですが、このうち、【ヒバリのこころ】【トゲトゲの木】【恋のうた】【おっぱい】の4曲は、スピッツがメジャーデビューした後に音源化され、CDで聴くことができたのですが、残りの2曲、【353号線のうた】と【死にもの狂いのカゲロウを見ていた】は、メジャー後の音源化はなく、聴くことができませんでした。

 

それが、スピッツがメジャーデビュー30周年を迎えた今年(2021年)、デビュー30周年の記念的な作品として発表された、Special Album『花鳥風月+』に、【353号線のうた】と【死にもの狂いのカゲロウを見ていた】が初音源化されて収録されました。

 

ということで、今回の記事では、【353号線のうた】について語ってみたいと思います。

 

 


■まず、タイトルにもなっている”353号線”について調べてみました。

 

”〇号線”とあるので、おそらく日本の国道のことを指しているんだろうと思い、そういうつもりで調べてみると、353号線はwikiによると、群馬県桐生市から新潟県柏崎市に至る一般国道であると情報を得ました。

 

何か特徴的なことはないか、この353号線について調べてみるのですが、特に何も見つかりませんでした。そもそも、なぜこの353号線をタイトルに曲が作られたのか、メンバーと何か関連があったのか、さっぱり分かりませんでした…。

 


ただ一つ思ったのが、【353号線のうた】の中に、

 


地図にない道を選んで
海の見える街へ行こう

 

という歌詞が出てくるのですが、群馬県は皆さんもご存じの通り、海に接していない県であるので、353号線の一端である群馬県桐生市にも海はないのですが、もう一端にある新潟県柏崎市は海に面しています。

 

なので、”海の見える街へ行こう”と言っているこの歌の主人公(たち)は、群馬県側から新潟県へと、車を走らせているのだろうと想像することができます。ただ、それが何を意味することなのか、それは分かりません。そもそも、本当に車を走らせているのかということ自体が怪しいですが。

 

 

 

■曲自体についての感想や情報についてまとめてみます。

 

まず、さすがインディーズ時代の曲、一癖も二癖もある曲ですね。ただ、同時代に発表された【恋のうた】が、”スピッツがパンクロックから転向するきっかけになった曲”とよく語られるので、スピッツ自体が音楽的に変わっていった時期の曲であることは分かります。

 

イントロがフォークギターのストロークから始まっているのは、そういうパンクロックからの脱却の象徴でしょうか。ボーカルの草野さんは、この頃からフォークギターを握って歌っていたということが、色んな所で語られています。

 

続いて聴こえてくるのは、印象的なベースのリフです。スピッツは、ライヴでメンバー紹介のコーナーがあり、その中で田村さんがベースをソロで弾くのが恒例になっているのですが、何のライヴでかは忘れてしまいましたが、ここのベースのリフを演奏していたのを聴いたことがあります。すごい印象に残るベースのリフですよね。

 

その後、草野さんのボーカルが入ってくるのですが、やはりインディーズ時代の草野さんのボーカルは、今と雰囲気が全然違って聴こえます。曲が曲なだけに余計に、ちょっととぼけた感じに聴こえてきます。どこか、甲本ヒロトっぽく聴こえるところもありますね。ブルーハーツ時代のヒロトも、例えば【TRAIN-TRAIN】とか【リンダリンダ】など、力強く歌っている歌が多い一方、力を抜いて歌っている歌なんかは、優しくもちょっととぼけた感じに聴こえることがあります。

 

それから、サビで「パーパーパパ―パパーパー」というコーラスが入るのも印象に残りました。このコーラスについてですが、よく聴くと女性の声も聴こえてきます。クレジットによると、コーラスの欄に”アサコ&サナエ_CHICKS”とあります。

 

今回調べてみて初めて知ったことですが、CHICKSというバンドは、アニメ『キテレツ大百科』のオープニングテーマソングである【すいみん不足】を歌っていたバンドだそうですね。「すいみんすいみんすいみんすいみんすいみん不足」という歌詞が今でも記憶に残っています、ぶち懐かしい笑

 

とにかく全編が派手で、楽しそうな雰囲気を感じる曲です。特に、アウトロ辺りは、まるでお祭りみたいに、かなり自由に盛り上がっています。そして、この頃からもうすでに、メンバーの演奏技術の高さを感じることができます。

 

 

 

■という感じで、さすがインディーズ時代、曲の感じはかなり今と印象が違って聴こえるのですが、やはり一番注目したいのが、歌詞の部分です。

 

ただし、結論から言ってしまうと、どういう意味なのか、さっぱり分かりません笑 本当に難解です。なので、これで終了!で(あきらめて笑)もいいかなとも思えましたが、ここはスピッツ大学…一番はやはり、歌詞の解釈にこだわってやってきたつもりなので、頑張って語ってみたいと思います。これこそ、色んな解釈ができそうな歌詞なので、皆さんの解釈も聞いてみたいですね。

 


そもそも、草野さんの書く詩のテーマとしては、よく「セックスと死」というものが挙げられます。特に、それは初期のころの楽曲に顕著だと個人的には思っていて、極端にいうと、”性”か”死”か、大抵の曲はどちらかに分けられるのではないかと考えています。

 

で、今回の【353号線のテーマ】についてですが、とても不思議な歌詞であり、”性”の方向にも、あるいは”死”の方向にも、解釈が進められそうだなと感じたので…というより、どちらにも絞ることができなかったので…それぞれの方向に向かって、別々の2つの解釈をしてみました。

 


①”性”の解釈

 

こちらの解釈に進むきっかけになった歌詞として、サビの部分がまず挙げられます。

 


裸になれたらいいな
きのうよりはずかしくても
僕らのうたは止まらない

 

この辺りの歌詞が、何やらイヤーンだなと思いました。”裸”とは、文字通りに”裸”と捉えても良いですし、お互いの素を見せ合うという意味での”裸”と訳しても良さそうです。

 

”きのうよりはずかしくても”…例えば、付き合い初めの男女でしょうか、少しずつ愛を深めていって、いよいよ初めてのイヤーンにたどり着いた、という感じにも読めます。

 

”僕らのうた”…ここの”うた”は、例えば、”喘ぎ声”の隠語と捉えてみるとどうでしょうか。

 

…という風に流れで考えてみると、ここはイヤーンな行為について歌っていると読むことができるかもしれません。

 


こういう解釈に一旦至ってしまえば、冒頭の

 


月まで続いてそうな
坂を登りつめたあとは
地獄の入り口みたいな
真暗な森に入った

 

という謎の歌詞も、何となく”挿入”の描写に読めてしまいました。

 


②”死”の解釈

 

個人的には、こっちの解釈の方がしっくりきています。1番のAメロは、どうしても男女が2人で死に場所を探しているように読めて仕方がありません。個人的には、何となく【死神の岬へ】を思い出させるような歌詞だなと感じました。

 


月まで続いてそうな
坂を登りつめたあとは
地獄の入り口みたいな
真暗な森に入った

 


缶ジュースを飲みたくて
車を止めて探したよ
だけどもここでは多分
空き缶さえ見つからない

 

草野さんの書く歌詞の中に出てくる”丸い物”は、”死”の象徴として描かれていると言われています。

 

とすると、いきなり冒頭で”月まで続いてそうな”という歌詞が出てきますが、これこそまさに、”死”に近づいて行っている、と読むことができるかもしれません。

 

あとは、”地獄の入り口”とか”真暗な森”、続く歌詞として、”空き缶さえ見つからない”などの部分は、どこか俗世を離れていってる感じがします。

 


2番のAメロでも、なかなか意味深です。

 


小さくなってく僕ら
なんだかすごくいい気持ち
つまらない悩みごとに
二度と苦しむこともない

 

 

ここも、実は”性”の解釈としても読むことができそうなんですが…”つまらない悩みごとに 二度と苦しむこともない”というところで、やはり、悩みごとを”死”でもって解決させるという風に読むことができそうです。

 

”小さくなってく僕ら”という歌詞も、例えば、車ごと崖から落ちていって、崖下へ小さくなって消えていく様子も想像できそうですし、あるいは逆に、成仏した魂が空に帰っていく様子にも想像できます。

 


■ということで、はっきりとどちらかに絞ることができませんでしたが…さすが、インディーズ時代の謎曲ですね。

 

皆さんは、この歌からどんな物語を想像しましたか?”性”の解釈?”死”の解釈?はたまた、全く別の解釈でしょうか?