■【ヘビーメロウ】のMVがYouTubeにて公開されたようなので、取り急ぎ貼っておきます。
(リアルタイムで)深夜に聴く【ヘビーメロウ】も、中々良いね、笑
この曲を聴いていて思ったのが、もちろん、明るいな、さわやかだな、とは思うんだけど、サビでガラッと雰囲気が変わるのが面白いよね。サビの始まりは…これ何のコードだろう、分からないけど、何か不思議な感じ。そう単純にはいかない感じが、何か段々クセになってきた。
【魔法】
■ミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』に収録されている曲です。個人的ランキング、195曲中191位でした…うーん、正直、完全に「こんな曲あったっけ?」と忘れていた曲です…すみません。何だか、この記事を書くために、久しぶりに聴いた曲でありました。
■『オーロラになれなかった人のために』の解説としては、【魔女旅に出る】の記事あたりに、少し詳しく書いたと思いますので、良ければそちらを参照してください↓
【魔女旅に出る】
http://itukamitaniji.hatenablog.com/entry/2017/05/14/143916
まぁ、短く説明しておくと、【魔女旅に出る】によって、ロックとオーケストラサウンドの融合というものを試みたスピッツが、それをさらに進めていった作品が、『オーロラになれなかった人のために』というアルバムでした。スピッツにとっては、ミニアルバム(5曲入り)として発売された作品というだけでも珍しいですが、コンセプトが強いため、他の作品とは一線を画して異質なアルバムであるとされています。
しかしながら、この”ロックとオーケストラサウンドの融合”というものは、その後のスピッツの楽曲にも時々反映されるようになり、それまでのパンクロック路線から、いわゆる今のスピッツロック路線への移行の素地になったということはあると思います。
あと、これはあれから調べていて初めて知ったことですが、このアルバムのタイトルについては、「アラスカの北極圏に住む先住民の『死んだ人はオーロラになる』と言う言い伝えから採ったタイトル」ということだそうですね。
じゃあ、”オーロラになれなかった…”とはどういう意味なんでしょう。死に切れなかった、もしくは、死んでしまったけど、うまく成仏することができなかった、つまりはこの世に何らかの未練を残したまま死んでしまった…などという意味を、個人的に考えましたが、どうなんでしょう。
■ということで、【魔法】という曲を考えてみます。
wikiによると、”序曲としてあとで作られた曲”ということだそうですが、この曲でまず特徴的なのは、長いイントロとアウトロですよね、特にアウトロは、1分30秒くらいあります。両方ともやたらと壮大で、何となく”何処か遠くへ旅立っていく”様子を思い浮かべます…長い旅の始まり、とでも言いますか。
じゃあ、それはどんな旅なのか。歌詞を読んでみると、まずはサビで
*
もう離さない 君がすべて
風は冷たいけど
*
と書かれていることから、これは君と僕(歌詞中には、”僕”などの一人称は出てきませんが)の旅である、と考えることができます。”もう離さない”とあるので、恋人同士とか、あるいは夫婦でしょうか、とにかく二人の強い絆を思い浮かべます。”もう”離さない…となっているのが、少し気になるところですけどね…”もう”ということは、かつては離れそうになったことがあるということでしょうか。
あと、”風は冷たいけど”などという表現も、単に季節的なことを表しているとは、安直には考えにくく、これは何ていうか”向かい風”的な、二人の旅に障害があるということを表しているのかな、と思いました。
あとは、
*
消えてしましそうな 老いぼれの星も
最後の祈りに 耳をすませてる
*
という表現については、”星”や”祈り”と聞くと、ほとんど僕は、自動的に”流れ星”のような、願いを叶えてくれるものの象徴として思い浮かべますが、ここが”老いぼれの星”となっているので、もう星には願いを叶える力は残っていない=二人の願いは叶わない、という流れの解釈になりました。
■そういう風に読んでいって、ここの歌詞に行き着きます。
*
あの河越えれば君と二人きり
*
何か、突然”河”が出てきて、ん?って思うんですけどね。僕は、ここの”河”については、”死線”といいますか、”生と死の境界線”のようなものを思い浮かべました、”三途の川”なんていう言葉もありますしね。
つまりは、この二人は今まさに、生と死の境界線を越えようとしていると…まぁ普通に考えて、それが”生”→”死”の方向であるとして、二人は命を絶とうとしていると考えることができます。
■ということで、まとめてみると…
まず、二人の人生を阻む障害がなんであったのか…これに関しては、具体的にはなんであるかは分かりませんが、それが二人にとっては、この世で生きていくことさえをも困難にさせていた、と考えるとします。もう、二人の願いも叶える手立ても残されていなく、後がない状況に陥ってしまった、と。
それでも、二人の手は、固く握られて離れないまま、信じられるのは、お互いの存在だけ。もう、この世で生きていくことはできない、二人で死んで、一緒にあの世に行こう…。
このような、悲しい解釈になってしまいます。
先述の通り、この曲は、『オーロラになれなかった人のために』の序曲として作られたそうなので、”オーロラになれなかった人”とは、この曲の2人のような人を指しているのかもしれません。
アラスカの逸話がどんなであるのかは知りませんが、自ら命を絶った人が、オーロラになれるのでしょうか。何となく、自らの人生を全うして死んでいった人が”オーロラ”になる、という感じを想像していたんですが、どうでしょう。
まぁ、二人で繋がったまま、あの世に行った、というのは、考えようによっては純愛というか、救いだったのかもしれません。
■ということで、「スピッツと僕の歴史」篇は前回で終了…一応語りつくしたということで、いい加減もう終えればいいじゃん!と思ったりしますが…まぁキリがないので、”今回で”終わりにします。最後です!
ずばり、最後に書きたいのは
「何で僕は20年以上もスピッツを聴き続けてきたのか?」
「そこまで好きで居続けられるほどのスピッツの魅力って何なんだろう?」
などです。
■僕らスピッツファンからしてみればそうは思わないんだけど、世間体でのスピッツ像は、やっぱり【ロビンソン】や【チェリー】などのイメージが、ずっと強かった。きっとそれは、スピッツメンバーたちも感じていたことなんじゃないかなって思う。
今はどうだろ…「スピッツはロックバンドだ!」というイメージも、割と認知されてきたと思うし、そこは別に、あまり気にしなくてもいいのかもしれないけれど…。
でも、もしも、【ロビンソン】や【チェリー】で、スピッツのイメージが止まっている人が居るのならば、ぜひとも、アルバム『ハヤブサ』以降のアルバム曲を聴いてもらいたいよね。きっと、驚くんじゃないかな、【8823】に【けもの道】に【みそか】に【トビウオ】に【TRABANT】に…挙げるときりがないけどね、笑。
■で、まさに、僕自身もリアルタイムで聴いてきて、そこか驚いた瞬間だったんだ。だって、『フェイクファー』からの『ハヤブサ』だもん、振り幅がすごいことになってた。
そこで、改めて思う。
スピッツも長く長く活動してきたけど、何となく、変わらず同じように活動を続けてきたように思えるんだけど、全然そんなことなくてね。時代とともに変わっていったバンドなんだなぁって。
きっと、変わらずに居ると思ってしまう要因は、一重にメンバーの…特に草野さんの人間性にも関係あるのかなとも思うんだけど…僕の想像が追い付かないくらい苦労をしてきたと思うんだけど、草野さんはいつも飄々としているように見えるよね。だけど、メンバ―が苦悩した分、その都度スピッツは変わってきたんだと思う。
■で、一番言いたいのは、ここから。
じゃあ、スピッツは変わりました。あー、変わっちゃったか、何だかあんまり好きじゃなくなっちゃったな…と、僕は一度もならなかったんですよね。
というのが、多分、自分が好む音楽性の変化と、スピッツの音楽性の変化が、割と一致していたのかな、って今になって思う。
具体的には、例えば、音楽に興味を持ち始めた小学生高学年・中学生低学年の頃の僕は、その入り口として、J-POPに興味を示していたような気がする。その時分に、スピッツでいうと、『インディゴ地平線』『フェイクファー』『花鳥風月』などの作品を聴くわけだけど、その頃にそれらの作品を聴けて、色んな意味で自分にちょうど良かったと思っている。
また、僕は高校生になって、ブルーハーツなどの影響で、次第に邦楽ロックというものに興味を示し始めたんだけど、その頃、今度は『ハヤブサ』が発売になった。これは、スピッツがロックに再び目覚めた作品であり、これまたその頃の自分に、びたっと合う作品だった。
さらに、自分が歳を取っていくごとに、当然のことながら、スピッツのメンバーも歳を取っていくわけだけど、最近のスピッツの音楽は、もちろんロックを基調にしているのは変わらないが、割と原点回帰というか、どこか懐かしく感じる曲も多くあったりして、そこがまた、自分の心情的に合っていた。
こんな風に、何となく、スピッツと一緒に成長してきたという感じが、とても強い。
何ていうか、これを表現する言葉があるとしたら、「スピッツと一緒に歳を取ってきた」っていう感じかな。自分が好きで居るバンドで、これは結構珍しいことなのかもしれない。どっちがズレてもダメなんだよね、僕の方も、アーティストの方も。
■あと、僕が結構気に入っている動画として、ひとつ紹介したい。
これはいわゆる、スピッツに近い関係にある人物にインタビューをするという動画で、この動画では、レコーディングエンジニアの高山徹さんという方にインタビューをしている。
この方のインタビューの中に、とても好きな話…というか、あぁそうか、僕はきっと、こういうことを言いたかったんだな、と逆に思わせてくれた話があるので、紹介しておきます。(動画内では、6:50辺りから、その話ははじまっています)
それはこんな話。
「…マサムネくんの声が、ボンっと乗るともう、あ、スピッツだってなっちゃうのが、すごいですよね。逆に、そこがあるから、他の楽器がふり幅が、色んな…ロシア行ったり(これはおそらく【TRABANT】のこと)、沖縄行ったりしても(こっちは【ナンプラー日和】のこと)、スピッツだなって…。」
これはすごい分かるなぁって思ったんだよね。まぁ個人的には、草野さんの作る歌詞と、草野さんの声が乗っかれば、どんな音楽のジャンルになっても、スピッツだなって感じるなぁ、って思った。
■つまり、スピッツはきっと、変わっても良いところと、変わっちゃいけないところ(変えるべきではないところ)が、はっきりと分かっていたのかな、と思った。変わっちゃいけないところ(変えるべきではないところ)がはっきりとあったからこそ、『ハヤブサ』における大胆なロックへの目覚めも、すぐにスピッツらしさに変わっていったんだと。
変わっていないようで変わっている、あるいは、変わっているようで変わっていない、スピッツって、きっとそんなバンドなんじゃないかな、って思う。
■さぁ、まだまだ語りつくせないけど、この辺にしておきます。
30周年は、もう少し先だけど、長きにわたって、スピッツへの自分の想いや歴史を書かせていただきました。良かったら、part1~part5もよろしくお願いします。
ということで、ちょっと早いですが、
スピッツ30周年おめでとうございます!会いに行くけーね、広島で待っとるよ!
■大学を卒業してから。
当たり前と言えば当たり前だが、僕は就職して、(一つ目の)仕事を始めたわけだけど、まぁ出鼻をくじかれたね、苦笑。遠距離だった恋人といきなり別れる羽目になっただとか、その仕事がとんでもなくきついのなんので、日々憔悴していった。
そんな頃、今一度、スピッツの大切さを思い出すんです。大学の頃、一旦は離れていたスピッツとの距離が、また近づいた。
何か、疲れた時にスピッツを聴くと、気持ちを元に戻してくれるような、そんな心地を、この頃急激に感じるようになった。やっぱり、長いことスピッツは自分の側に居たんだということを実感するとともに、スピッツの音楽が、草野さんの声が、自分にこんなにも馴染んでいたんだということに、改めて気づかされた。
■当時は、通勤時間が2時間くらいかかっていて、しかも、公共の交通機関(バスと電車の乗継ぎ)を利用しての通勤だったので、通勤中は、常に音楽を聴くことが習慣になっていた。
もちろん、スピッツばかり聴いていたわけではないけど、とにかく、通勤時間に聴く音楽だけが、僕にとっての救いだった。
その頃の自分は、本当にスピッツの歌に救われていたと思う。
例えば、気合いがいまいち入らない時は、【けもの道】を聴いていた。不思議とパワーが湧いてきて、頑張ろうという活力になった。苦しい時に、バスの中で聴いて、ひとりこっそり涙を流したこともあったっけ。
例えば、【ビギナー】。この曲は、確か就職して2年目くらいに新曲として聴いていたと思うんだけど、当時僕は、会社説明会か何かで、先輩社員としてスピーチを任されたことがあった。だからというわけではないが、個人的にはこの【ビギナー】という曲を、”新入社員に向けた応援歌”として、今でも聴いている。
などなど。
■結局、その仕事は4年間続けた。本当は3年で辞める予定だったけど、3年目の会社の様子が、これまたとんでもない状況で…じゃあまぁ、もう少し会社の様子が安定するまで居ようか…と思い、あれよあれよと、追加で1年多く働いた。
仕事を辞めたのは、2012年の春のことだった。仕事を辞める時、次に就きたい仕事は一応決めていたので、その後、その仕事に就くために動きはじめた。
ただし、すぐに次の仕事に就けるわけではなく、色々と準備が必要だった。そういうわけで、次の仕事に就くのは、それからおよそ2年後になるわけなんだけど、その2年間は、アルバイトをしながら、資格を取るために学校に通ったり、もちろん自分で勉強をしたりしていた。
その頃の自分は、本当に孤独だった。どこまでも独りだった。信頼できる親友は少なからずいて、しょっちゅう遊んだりしていたけど、自分だけが、仕事に就くためとは言っても、未だにフリーターのようなことをしていて、とてもじゃないけど、胸は張って生きていなかった。(フリーターを否定しているわけではないぞ。)
■そういう時も、やはりスピッツに助けられたんです。
まさに、そういう孤独の時期に、【僕はきっと旅に出る】というスピッツの新曲が発表された。
この曲に関しては、本当に本当に話したいことがたくさんあるので、長くはなっているけど、この記事にまかせます↓
僕は、この曲に、ずっとお礼が言いたかった、僕を励まし続けてくれてありがとう、ってね。
だから、ここスピッツ大学で、この曲の記事を書ける時を、ずっと待っていたんだけど、このスピッツ大学のルールで、「”スピッツ全曲研究セミナー”では五十音順に曲を紹介していく」としたので、【僕はきっと旅に出る】という曲に行き着くまでに、時間が経ってしまった、笑。
まぁとにかく、この曲について、何か自分で書かなくちゃ、と思っていた。いや、この曲だけじゃないな、前回書いた【漣】もそうだし、【けもの道】もそうだし、他にもたくさんある。
…そうか、僕がこのスピッツ大学を書く理由として、もうひとつ…”恩返し”というものを忘れていたね。まぁ、勝手にやってるだけだけどね、笑。
■そういうわけで、今に至ります。
こうやって書いてみると、いつの時代にも、その傍らにはスピッツが居たんだってことに気づかされる。もちろん、スピッツだけじゃなく、色んなバンドの色んな曲に、これまで励まされてきたわけだけど、その中でも、間違いなくスピッツは特別だと思う。
(なんと、まだ続くんじゃ。)
■さて、僕が大学時代に、最後に聴いたスピッツのアルバム『さざなみCD』。
本当に素晴らしい作品だった。個人的な解釈では、この作品は一応、第三期の終わりの作品と位置付けている。
どういうアルバムだったか…個人的には、ロックなスピッツを追及して追究して、それで一番良いところが詰まっているのが、このアルバムなんだと思っている。
■そこで、僕は【漣】という曲に出会うわけです。
そもそも、僕がこのブログ「スピッツ大学」を作ってみよう、と思ったきっかけが、この曲だった。まぁ、正確にいうと、第1・第2のスピッツ大学があったわけだけど、とにかく、スピッツの曲について、あれこれ書いてみたいなって思ったきっかけだった。
あくまで、色んな解釈がある、と断っておくけれど(ということは、きっとスピッツファンの方々が一番よく分かっていることだと思うけどね、笑)、同じ曲でも視点を変えれば、色んな解釈の仕方というか、見方ができるんだ、と感じることができたのが、この【漣】という曲が、ひとつのきっかけになった。
■例えばね、【青い車】っていう曲。
あれって、今ではもう、”男性が女性と心中する歌”という解釈が、ほとんど染み付いちゃってるじゃないですか。まぁ、僕もその解釈に基づいて、記事を書いちゃっているわけだけど…。
草野さんが、そうだと語ったことはないんだと思うんだけど、歌詞を読んで、まぁこういう場合は、歌詞を抜き出してストーリーを作っていくわけだよね。
「僕の手が君の首筋に…」
「海へ行こう…」
「飛び降りよう…」
あ!これは!男性が女性の首を絞めて殺して、海へ飛び降りたんだ!タイトルが、”青い車”だから、車に乗ったままか!じゃあ、死んだ女性と一緒にか!
…とかいう感じね。そういう意味では、うまく繋げた者勝ちじゃん!ってなっちゃうけどね、笑。
■でもね、ちょっと待てよ、と。他の部分の歌詞はどうしたんだ、と。【青い車】の歌詞の中でも、他にも色んな歌詞が出てくる。例えば、
*
生きるということは 木々も水も火も
同じことだと気付いたよ
愛で汚された ちゃちな飾りほど
美しく見える光
*
とかね。この辺りを読むと、むしろ逆で、僕が”愛の美しさ”に改めて気がついて、君を迎えに行く、という場面にも見て取れませんか?木も水も火も、生きていることには違いないが、”愛”というものがあるから、人は人で居られるんだ、とかね。
■【漣】という曲に対しても、同じなんだけど、僕は僕の解釈として、物語をつなげたよね、笑。
でもね、何かドキドキしたんだよね、一聴すると、どこか楽しそうな曲の裏にも、全然違うことが隠されていて(隠されているように感じて)、気づいてはいけないことに気づいてしまった気がした。
最初は、そういう解釈を、どこかのスピッツ掲示板…確か、某SNSのスピッツコミュニティーの掲示板だったと思う…に書き込んで、それで反応してもらって楽しんでいた。
でも、色々と調べてみると、【漣】にも、もちろん他の曲もそうだけど、人の数だけというか、たくさんの解釈があって、なるほどな!と思う解釈から、いやぁ、(それでもそれはあまりにも)こじつけ過ぎじゃないか?という解釈もあったりなんかして、読んでいて色んな意味で楽しかった。
■それで、自分が色々と書くことが好きだという想いと、スピッツが好きで色々と語ってみたいという想いが合わさって、こういうブログを書こうと決意したんです。
まぁ、それは、アルバム『さざなみCD』をリアルタイムで聴いて、ずっとずっとあとになるわけだけどね。ちなみに、『さざなみCD』が2007年に発売になって、スピッツのことを色々と書きはじめたのが、多分2010年とかそこらだと思う…まぁ、スピッツ大学に至っては2015年に始めたものだけどね。
■それで今、時々思うのが、このスピッツ大学をどうしたいのか、ということ。
それはつまり、このブログで書きたいことが、”真実”なのか、”自分の想い”なのか、と大別したと言い換えても良い。
”真実”を書くならば、根拠のない自分の解釈など邪魔なわけで、曲の情報や、実際にメンバーが語ったことを本や記事を参考に集めて書いたりする、ということになるわけですね。
”自分の想い”を書くならば、極端に言うと、それは何を書いても自由だ、ということになるわけだけど、自由というのは一番難しくて、あまりに奇をてらって書いて、押しつけてしまっても、それはそれで何かまずい。そもそも、”解釈”という言葉自体が、本当は結構都合の良い言葉だったりするしね。
だから、あくまでそのバランスが大事なんだよね、”真実”と”自分の想い”のその真ん中くらいが、一番ちょうどいいのかな、って今は思っている。
…と言うのは格好つけで、笑。
まぁ、曲毎に、良い”ネタ”を仕入れることができれば、それに基づいて書いていくと。で、”ネタ”がなければ、まぁじゃあ、個人的に自分勝手に書いていこうと、そういうことですよね。
(多分、まだ続くぞ!)
■僕が、中学3年生(もしかしたら、2年生かも?)の頃だったと思う。スピッツのベストアルバム『RECYCLE Greatest Hits of SPITZ』が発売になりました。
ちょっとここも記憶が曖昧なんだけど、買って聴いてみると、一度も聴いたことがない曲が入っていたりして、まぁとにかくシングル曲がたくさん聴けて嬉しかった。
ただし、ここではまだ、「マイアミショック事件」というものについては、知らないままだった…つまり、このベストアルバムが、スピッツの意向に反した作品だった、ということをね。
「マイアミショック事件」については、このあたりの記事を↓
後に、そういうこと(マイアミショック事件のこと)があったことを知って、まぁ当たり前だけど、あーそういうことがあったんだって思った。
実は、大学生の時に、このアルバム『RECYCLE Greatest Hits of SPITZ』を友達に貸したんだけど、そのまま返してもらわずに、現在に至っている。
ここで全部を書くつもりはないが、その友だちとは色々あって、何ていうか、最後の方はあんまりいい思い出がなくてね。だからというわけではないんだけど、もうその時はマイアミショックのことも知った後だったし、何となく、返してもらわなくてもいいかって思って、そのまま卒業してしまった、笑。大切にしてくれただろうか。
そういう意味では、まぁ、思い出に残っていると言えば、残っているんだけどね。
■高校生になって、アルバム『ハヤブサ』が発売になった。
このアルバムを買って、聴いた時の衝撃は大きかった。それは、今までのスピッツにない、とても攻撃的でロックなアルバムだったからだ。
後々振り返ってみると、個人的に呼んでいるところもあるけれど、このアルバム『ハヤブサ』から、スピッツは第三期に入ったんだろうなって思う。
(ちなみに、第二期は『空の飛び方』~『フェイクファー』で、第三期は『ハヤブサ』~『さざなみCD』という、個人的な認識です。)
最初は違和感を感じたことを覚えている。そう感じること自体、多分、僕の抱いていたスピッツ像と、スピッツが目指しているスピッツ像に、多少のズレがあったのかもしれないね。
それでも、何度もアルバムを聴いていくにつれて、徐々に馴染んでいくのが、何とも不思議。まぁ、【アカネ】とかは最初から好きだったけどね、【今】、【いろは】、【8823】、【放浪カモメはどこまでも】、【メモリーズ・カスタム】あたりは、今までにないロックな曲で、最初は馴染まなかったけど、今はちゃんと「スピッツらしい曲」として思えるようになっているからね。
■その後のアルバム…高校生の時に聴いたのは、『三日月ロック』と『スーベニア』、あと『色色衣』もあったかな。この辺りのアルバムは、どれも本当に良いアルバムだよね。高校生の、あの何とも言えない血気盛んな時期には、どれもピタリな作品だったと思う。
高校生の時は、周辺でやたらインディーズだとか、青春ロックだとか、パンクロックだとか、そういうものが流行っていてね。僕も、そういう経緯で好きになったバンドもあったんだけど(例えば、GOING STEADYとか、リアルタイムではなかったけど、THE BLUE HEARTSとか)、あんまりそういうのばっかりだと、ちょっとうんざりすることもあった。そういうノリっていうのかな、もちろん僕自身もそういうノリの真っただ中にいたのは事実だけど。
そういう意味で言えば、スピッツを聴くと、何か安心できたような気がする。この時期から、もうすでに、スピッツというバンドが自分にとって、原点となっていたんだ、と今になって思い返すことができる。
■大学生になって。
正直なところ、スピッツからは、ちょっと離れていた時期だったかもしれないね。というのも、この時期は、本当に色んなアーティストを見つけては聴いていった時期だったので、わざわざスピッツに手が伸びなかったのよ。
例えば、BUMP OF CHICKENやthe pillowsやGOING UNDER GROUNDやELLEGARDENや…言い出せばキリがないけど、そういう新しく発見して好きになったバンドの方が、ずっと新鮮に感じていて、そっちの方をたくさん聴いていた。
そんなある時、「あれ…そういや、スピッツって今どうなってるんだっけ?」的なことを思った。忘れもしない、ゼミの研究室での休憩時間だった。
それで、Youtubeで検索してみると、新曲として【群青】のMVを見ることができた。何故かアンガールズがウサギに扮して踊っていて、「何だ、このMVは?笑」って思ったけど、曲は相変わらず良いなって思えた。
それで、失礼な言い方だけど、「なんだ、スピッツはやっぱりいいじゃん?」って思って、アルバム『さざなみCD』をレンタルした。アルバムを”買った”となっていないところが、またこの時期ならではなんだよね、これまではちゃんと買っていたのにね。だから、今でもオリジナルアルバムでは、実は『さざなみCD』は持っていない。中古ショップで見かけるたびに、買おうかな~って思うんだけど、結局は買わずに現在に至っている。
■前回(part1)で書いた通り、僕は、小学高学年で【チェリー】を聴いたことで、スピッツにはまったわけです。
さて、その後のお話。
(正直、とても古い記憶なので、よく覚えていないことがたくさんある、笑。なので、曖昧な部分もあるけど、覚えている限り、書きます。)
■小学校でスピッツにはまった、と言っても、色んなことに興味を示すお年頃だったため、例えば、中学校に上がると、L'Arc~en~Cielにもハマったり、B'zも好きだったので、ファンクラブに入ってる友達のおかげで、B'zのライヴを見に行ったりしていた。(ちなみに、それが初のライヴ参戦だった)
それでも、スピッツへの想いは、着実に深まっていった。
それを最もよく思い出せるものが、こちらです↓
よく手元に残っていたな、と思うけどね、笑
ちょっと平面的に撮影したので分かりづらいかもしれないけれど、古き時代の遺産、カセットテープです。録音しているタイトルは、『インディゴ地平線』『フェイクファー』『花鳥風月』の3タイトル…当時まだ小学生であった僕の、幼いけれども、丁寧に書こうとした文字が、それを懸命に伝えている。
おそらく、自分のもっとも古くて強い思い出が詰まっているのが、この3本のカセットテープなんだと思う。小学生~中学生(調べてみると、2年生で『花鳥風月』が発売されているようで)の間で、少しずつレンタルショップで借りては、録音を繰り返して集めてきた。多分、平行して、アルバム『ハチミツ』とアルバム『空の飛び方』あたりは買っているんだとは思うんだけど、圧倒的にこのカセットの方が記憶が強い。
兄から譲り受けたカセットウォークマンで、何処へ行くにも、この3本のカセットテープと一緒だった。本当に、何度も擦り切れるくらい、いや、きっともう擦り切れていると思うけど、それくらい繰り返し繰り返し聴いていた。
多分、今よりもずっと…というよりこれまで生きてきて、一番スピッツをよく聴いていた時期だったと思う。
■この頃のスピッツの曲を聴くと、今でも中学生の頃の自分を思い出す。その中でも、特に思い出すのは、受験勉強である。
家でも、もっぱらスピッツのカセットテープやCDを流しながら(それか、ラジオで、ラジアンリミテッドやミュージックスクエアなども聴いていたけど)、夜は勉強に励んでいた。
『花鳥風月』に収録されている、【スピカ】という曲の歌詞に、
*
この坂道もそろそろピークで
バカらしい嘘も消え去りそうです
やがて来る 大好きな季節を思い描いてたら
*
*
幸せは途切れながらも続くのです
*
などのフレーズがあるけど、この部分は、僕自身に対する応援だ!と勝手に思いながら、勉強に励んでいたのを、今でもよく思い出す。
あとは、【謝々!】とか【フェイクファー】とか…そうそう、【猫になりたい】もね、この頃に出会ったんだよね。本当に、すごい曲があるんだなって、子ども心に思った。
まだ幼い自分にとっては、スピッツの曲は、どれも少し難しい曲だったかもしれないけれど、それでもこの頃からもうすでに、草野さんの書く歌詞に魅了されてたんだと思う。
(多分、また続く…)
■僕がスピッツと出会ったのは、もうかれこれ、20年以上も前のことになる。
僕自身は、まだ小学高学年の少年だった。小学校には、帰りの会というものがあったが(今でもあるよね?笑)、その帰りの会では、歌を歌うというコーナーがあった。多分、「帰りの歌」みたいな名前のコーナーだったと思う。
帰りの歌のコーナーで歌う歌は、児童らに委ねられていたので、僕らが主体となって、歌う歌を自由に決めていた。小学高学年というと、ちょうど日本のポップソングなどに興味を持ち始めるような時期だ。なので、帰りの歌にも、そういう歌が並んだ。ジャニーズ系の歌、小室ファミリーの歌、BEING系の歌など、そういうものが多かった気がする。
■そういう歌に並んで、ある歌が帰りの会の歌に選ばれた。
小学生の僕には少し難解な部分もあったが耳に残る歌詞、
すぐに耳になじみ歌い出したくなるようなメロディー、
そして、聴き心地の良いきれいな歌声。
その歌こそ、まさに、スピッツの【チェリー】という歌だった。
■音楽の好みというのは、常々変わっていくもので、小学生から社会人になって、そして30代へ…と考えてみると、それは当たり前のことだ。
それは、アーティスト側も同じことだと思う。10年20年30年…と長く活動していく中で、音楽の方向性も変わっていったり、バンドメンバーが本バンドと並行して違うバンドを結成したり、メンバーが脱退したり、それに伴って新しいメンバーが加入したりする。
そして、そもそも、ずっと継続していくこと自体も難しいこと。僕自身が大好きだったバンドやアーティストの中にも、解散したり、無期限に活動を辞めてしまったバンドがたくさんある。
■僕自身の変化、そして、バンドの音楽性の変化…
その両方を考えてみても、20年以上も、ずっとスピッツを好きで居続けてこれたのは、多分すごいことなんだと思うし、幸せなことなんだとも思う。もちろん、スピッツだけじゃなくて、他にもたくさん好きなバンドがあるから、決して、スピッツだけを聴いてきたとかそういう意味じゃないけれど、こんなに長い間好きで居続けているのは、スピッツ以外にない。
20年以上も前に、まぁ「帰りの歌」というきっかけはあったけど、たくさん用意された歌の中から、スピッツを選んで、好んで聴きはじめた当時の自分に、すごいぞ!って言ってあげたい、笑。
今でも長く活動しているバンドであったなら、例えばそれが、Mr.Childrenになっていたかもしれないし、例えばそれが、B'z(は元々好きだったけど)になっていたかもしれないし、ひょっとしたらジャニーズ系や小室ファミリーのアーティストになっていたかもしれない。
しかし、僕の中では、それがスピッツだったんだね。スピッツが放つ光が、きっとしっくりきて、その時は無邪気に、何かを感じたんだろうね。だから、うまく出会ってくれたなって思う。だって、それから20年以上も、ずっと好きで居続けることができたんだから。そして、それはこれからもずっと。
(…続く?)
【マフラーマン】
■アルバム『インディゴ地平線』に収録されている曲です。個人的ランキングは、195曲中189位でした。うーん…あえて、このアルバムの中で、この曲はチョイスしにくいですよね、苦笑。
曲調としては、ゴリゴリの渋い感じのハードロックになっていますが、歌詞は相変わらず、草野節満載という感じで、そのギャップがまた面白い曲だと思います。間奏・ラストサビでフルートが鳴っているところとかも、ハードな曲調にそれを合わせるのか!?と思いますよね。
■アルバム『インディゴ地平線』や、この【マフラーマン】という曲に関して、書籍「スピッツ」に色々と書いてありましたので、紹介しておきます。
まず、アルバム『インディゴ地平線』は、ちょっと遊んでみた部分がある作品だということが、書籍の中に書いてありました。
*
草野さん:今度はちょっと遊んでみようかなって気持ちとかあって、余裕カマしてみようっていう(笑)。余裕カマしてみようと思ってたらテツヤがあんまり余裕がなくなっちゃった時期もあったんだけど(笑)
*
(テツヤさんの話は、ここでも何回か触れましたが、この時期に起こった”ギターが弾けなくなっちゃった事件”のことですね。)
*
草野さん:あんまり普通に歌詞を作っちゃうとまんまのハードロックになっちゃうかなあって、それが怖かったから。だって≪ハイパーな愛≫とかそんな言葉ないっスよ、普通(笑)
*
そして、別の部分でも、この辺りをもっと掘り下げて、こんな風にも話していました。
*
草野さん:…”空も飛べるはず”がリバイバル・ヒットしたのが予定外だったんで、結局そういう甘酸っぱい青春バンドみたいなイメージを持たれちゃうとちょっと悲しいなあと思ってたんですよ。…(中略)…スピッツは当初『異端でいることにプライドを持ってたバンドだったんだよね』って。でも、メイン・ストリームって言われたりもするような立場にいる今だから、ちょっとヘンなこともやりつつっていう方が…ヘンなことっていうか、大多数の人にとっては無意味なことっていうのをやってみたいなあと思っちゃって。
*
ということらしいですよ。この辺りからも、スピッツが、自分たちがなりたいバンド像と、世間が抱いていたスピッツ像とのギャップに苦しんでいた、ということを、少し読みとることができますよね。
■さて、この曲はどんなことを歌っているのか、考えてみます。
まず、タイトルにも入っている、”マフラー”っていう単語ですよね。僕は最初は、首に巻くマフラーをイメージしていたんですけど、どうやら歌詞を読んだ感じでは、バイクのマフラーの方が当てはまるようですね。まぁ、本当のところはどうか分かりませんが、今ではバイクのマフラーをイメージしています。
そして、さらに言うと、アルバム『インディゴ地平線』のジャケットに映っている女性、僕は”マフラーマン”に、この女性を当てはめて聴いています。バイクに乗っていますしね。まぁ、”マン”は男を表す言葉だと思いますので、この場合は、”マフラーウーマン”ですかね、笑。
■それで、結局どういうことを歌っているのか…ということですが、wikiによると、”「マフラーマン」とは、草野曰く「正義も悪も超越したヒーロー」”だそうです。
じゃあ、”正義も悪も超越したヒーロー”って何だよ!って話ですけど…歌詞を読んでみると、マフラーマンのほかに、”君”という人物が出てきています。
*
マフラーマン いつも君を探す
ハイパーな愛に賭ける
*
*
マフラーマン エスパーが君を襲う
スポンサーの後悔を超えて
*
つまりは、”マフラーマン”にとって救いたいのは、世界とか国とかっていうんじゃなくて、”君”だけということですかね。正義とか悪とかではなくて、あくまで、君を救うためのヒーローだと。
*
泣き疲れて いやな思い出も
みんなまとめて すり潰してく
軽い判断で 放つブラスターが
健全な悪を 吹き飛ばしてく
*
”軽い判断で放つ”とか、”健全な悪”とかって表現も面白いですけどね、笑。弱いなりも頑張って、君を救おうと必死になっている、ちょっとゆるいヒーローを思い浮かべました。
■うーん、あんまりこれというメッセージを受け取るような曲ではないとは思います。完全に、自分たち(スピッツや草野さん)とは関係ないことを歌っているように感じるんですけど、どうでしょうかね。
まぁ、書籍にもあったように、まさに”大多数の人にとっては無意味なことっていうのをやってみたいなあ”という想いを込めた曲なんでしょうね。
【待ちあわせ】
※タイトルは、「待ちあわせ」が正式です。ね、iTunes さん?
■アルバム『名前をつけてやる』に収録されている曲です。個人的ランキングは、195曲中152位でした。このアルバムの中では、印象には残っている曲ではあるんですけどね。
タイトルを【待ちあわせ】なんて、言ってしまえばかわいらしいタイトルですが、ギターの音なんか、イントロから目いっぱい歪んでいて、ドラムの音もドカドカ鳴っていて、ハードロックとかパンクロックとか、そういう音楽を思い起こさせます。
しかしながら、それとタイトル【待ちあわせ】や歌詞とのギャップが面白いですよね。何度も言うように、こんな激しい曲調に、”待ちあわせ”という言葉を当てはめるのか、って驚きます。
全然違う話になっちゃいますが、レミオロメンに【粉雪】という曲があって、その曲のことを、ミスチルの桜井さんが「”粉雪”は、柔らかい言葉なのに、叫ぶように歌っているのはすごい」みたいなことを言ってたと思いますが、何かそういう話を思い出しました、笑。
■早速、個人的な歌の解釈ですが、とりあえずタイトル通り、”待ちあわせ”をしているカップルをイメージしてみましょう。
そこで、Aメロの歌詞を読んでみます。
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だけど君は来ない待ちあわせの星へ
約束した場所へ
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そして君は来ない百万年前に
約束した場所へ
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この辺りの歌詞を読んだ限り、待ちあわせと言っても、”僕”の方はもうすでに”約束した場所”に着いていて、未だ来ない”君”を待っている、という場面になるんでしょうか。
それにしても、ただの待ちあわせにしては、スケールがでかすぎることになっていますね、笑。”待ちあわせの星”だの、挙句の果てには、”百万年前に約束した場所”ですからね。こうなってくると、本当に待ち合わせしてるの?って疑問に思えてきますけど。
こういう、スケールのでかい表現をしている理由としては、僕は2つかんがえることができました。
■一つ目。「僕のことが好きならば、約束の場所に来てほしい」バージョン
この解釈については、”待ちあわせの星”や”百万年前に約束した場所”などは、ただの比喩表現である、という解釈が前提です。要するに、スケールのでかい表現は、それだけの想いを持って、長いこと待ち続けているということを示している、ということですね。
ただ、「デートの待ちあわせで、未だ来ない君を待っている」としては、”待ちわびた僕の涙”などの歌詞が目立つんですよね、何か、想いの量が足りていないような気がしました。
そうして、例えば、僕が君に、「僕のことが好きならば、約束の場所に来てほしい」と告白をした、というのを想像しました。それで、僕はその場所について、まさに君が来るのを待っている、というのが、この歌の場面だということです。
もっというと、”シャボン玉の中で ぬくもり確かめた”とか、”飾りのない恋 ドロドロの”などという言葉からは、ちょっと一筋縄にはいかない恋だと考えることもできそうですが…例えば、浮気や不倫(”ドロドロの”などの表現から)などであるかもしれません。とすると、駆け落ちの約束だったのかもしれません。
しかしながら、君は来ない、と。きっと、君は”行かない”という選択をしたんでしょうね。それでも、君が来るのを、ずっと待ち続けている、とそういうことになるわけですね。
■二つ目。「死んで、来世で待ちあわせ」バージョン
ちょっと、ぶっ飛んで解釈してみます、笑。まず、こんなにスケールがでかいんだから、もう現世の話だけに留めることはできないんじゃないか、と思ったのが、こっちの解釈の始まりでした。
あとは例えば、”最後のキス そっと ふれた頬”とか、”帰らぬ日々 澄んだ水の中に”なんかは、前者は死んだ彼女にキスをしたとか、後者は…まぁ、ただ関係を”水に流す”みたいな表現なのかもしれませんが、深読みをすると、入水自殺などを想起させるかもしれません。
などということから、待ち合わせをしているのは、”死後”ということにしてみました。よくありますよね、愛し合っているカップルが、”死んでも、来世でまた君を見つけるよ”とか約束しあったりするあれです。
まぁ、愛し合っているカップルならばまだ良いのかもしれませんが、一方的にだとしたら?つまり、現世では報われなかった恋愛について、僕の方が一方的に彼女に、”来世で待ってるからね”と告げた、とか…ということは、ストーカーや、ひいては、彼女を殺したのは僕?などという物語も想像しましたが、まぁ、さすがにこの辺は飛躍させ過ぎかなと思います。
まぁ、とにかく、死してもなお、来世で君のことを待っている、というスケールの大きな待ちあわせになりました。
生まれ変わって、ひょっとしたら、人の形をしておらず、未知の生物になっちゃってるかもしれません。それでも、宇宙に無数にある星のひとつを待ちあわせの場所として、そこで何百万年も待っているわけですからね。それは、純愛と言うべきか、狂っていると言うべきか…どうなんでしょうね。