スピッツ大学

ステイホームしながら通える大学です!

241時限目:初夏の日

【初夏の日】

初夏の日

初夏の日

  • provided courtesy of iTunes

 

■アルバム『見っけ』の11曲目に収録されている曲です。

 

まず、この曲…最新アルバムに入っていながら、実はかなり古くからあった、いわば”幻の未発表曲”として知られていた曲です。もちろん、CDやライヴDVDなどで音源化されたことはなく、ライヴでのみ披露されてきた曲のようです。僕自身も、このアルバムで初めて聴きました。

 

上述の話は、何となく知っていたので、アルバム『見っけ』の収録曲が発表になって、”初夏の日”というタイトルを見つけてからすぐに、「これは確か未発表だった曲だ!ここで収録されるのか!」と驚いたのです。

 


■この辺りを、ネットや雑誌などで、もう少しだけ詳しく調べてみました。

 

まず、ネットの情報をさかのぼって調べてみると、この曲が初めて披露されたのは、2005年4月28日に京都会館第一ホールにて行われた、SPITZ JAMBOREE TOUR ”あまったれ2005”でのことだったようですね(合ってますか?)

 

2005年というと、現在(2020年)からさかのぼると、実におよそ15年前になるんですね。スピッツがリリースしたシングルやアルバムで近い作品を上げるとすると、11枚目のアルバム『スーベニア』が2005年1月12日発売、そこからシングルカットされたシングル『春の歌/テクテク』が同年4月20日発売、って感じです。

 

なので、SPITZ JAMBOREE TOUR ”あまったれ2005”は、アルバム『スーベニア』のリリースツアーだったのでしょう。そのライヴツアーの京都公演にて、初めて【初夏の日】は披露されました。その時は、アンコールで弾き語りでの披露だったようです。

 


先に、【初夏の日】の出だしの歌詞を紹介しておくと、

 


いつか 冴えわたる初夏の日
君と二人京都へ 鼻うたをからませて

 

という感じなのですが、”京都”という具体的な地名が出てきています。この曲はどうやら、草野さんが京都をイメージして作った曲であるようです。そのことについて、音楽雑誌「MUSICA」にて少し話をしています。

 


草野さん「これはね、ずっと京都でライヴやる時にはやってた曲なんです。京都のライヴを体調不良で延期してしまったことがあって、その振替公演の時に<京都>っていう言葉が歌詞に入った曲を作っていこうと思って作った曲。そこから京都でライヴをやる時にはこれをアンコールで演奏するのがお約束に…(以下略)」

 

スピッツにとって、特別な曲だったんですね。ちなみに、似たような曲としては、埼玉県大宮市をイメージして作られた曲で、【大宮サンセット】という曲もあります。

 


■そういうわけで、最新のアルバムに古い曲が入っているわけですが…何かすごい不思議な感覚なんです。

 

この曲にまつわる過去の話を色々と知ったことが一番のきっかけなんですか、何かこの曲を聴いているときだけ、アルバム『見っけ』から切り離されて、タイムマシンで過去に戻っているような感じがするんです。過去に、この曲をライヴで聴いた思い出があるとか、そういうこともないくせにですけどね苦笑。

 

15年前と言えども、もうその頃のスピッツも十分にキャリアを積んでいたはずだし、個人的には第三期と呼んでいる、いわゆるロックンロールに立ち返って活動をしていたので、初期のマニアックな世界観というものはありませんが、それでも15年という月日で、こんなにも詞の世界観って変わるものなのかということがよく分かる1曲だと思います。

 

ただ、懐かしさは何となく感じるものの、古い・古くさいという感じはありません。スピッツが・草野さんが、あるいは、プロデューサーの亀田さんが、この曲をアレンジして、懐かしさを残しつつも、新しく生まれ変わらせたのでしょう。

 


■それらのことを踏まえて、【初夏の日】の歌詞考察をしてみます。

 

まず個人的には、【初夏の日】の歌詞を読んで思い出したのは、アルバム『ハチミツ』に入っている【君と暮らせたら】という曲でした。

 

【君と暮らせたら】という曲は、歌詞は終始、僕と君が幸せに過ごしているような感じで進んでいくんですが、結局それらはすべて夢でした!という風に、いわゆる”夢落ち”を表しているような曲なんですけど、それに近いことを、【初夏の日】では感じました。

 

 

まずは、先程も紹介した出だしを含めて、Aメロの歌詞をかいつまんで紹介してみます。

 


いつか 冴えわたる初夏の日
君と二人京都へ 鼻うたをからませて
遠くで はしゃぐ子供の声
朱色の合言葉が 首筋をくすぐる

 


汗が ここちよい初夏の日
白い湖畔のステージへ つぶつぶを踏みしめて
黄昏れて ベランダにやってくる
風に頬なでられる 甘い匂いがする

 

まず、この辺りだけを読むと、どうでしょうか。それこそ、僕が君と二人で京都を訪れてデートをしている描写に読むことができそうです。

 

ただし、そう単純にはいかないのが、やはり気になる”いつか…”という言葉で歌詞が始まっている点です。そこだけを拾っても、僕は大きく2つの物語が想像できると思うんです。

 

1つは、”いつか君と京都に行ってみたいなぁ”という、僕の未来の願望を表しているという物語です。この解釈に立ってみれば、この歌で語られている物語は全て、君と京都を訪れているという状況を、あくまで”妄想”しているということになります。

 

で、もう1つは、”昔、君と京都に行ったなぁ”という、過去の思い出を振り返っているという物語です。この解釈に立てば、当然この歌で語られている物語は全て、過去の思い出を表しているということになります。

 


■そういうことを思いながら、サビの歌詞を読んでみると、こんな感じです。

 


そんな夢を見てるだけさ 昨日も今日も明日も
時が流れるのは しょうがないな
でも君がくれた力 心にふりかけて
ぬるま湯の外まで 泳ぎつづける

 

たった4行ながら、色んなことが詰め込まれてるなって思うんですよね。

 

まずは、出だしの”そんな夢を見てるだけさ”という表現。”そんな夢”というのはまさしく、Aメロで歌われている、君と京都を訪れている描写を指しているのだと思われますが、とするとやはりこの歌は、君と京都を訪れている”妄想”をしていると考えることができそうです。

 

しかし、”昨日も今日も明日も”や”時が流れるのは”などを読むと、どうなんですかね、過去に君と京都を訪れたことがあって、そこから時が流れたなぁと思い出している描写とも考えられそうです。

 


あとは、印象に残る”ぬるま湯”と”泳ぎつづける”という言葉についてです。

 

”ぬるま湯”というと、その言葉通り”温かく”も”冷たく”もない、その中間の状況ですよね。つまり、その温かさが残っている状況…ここでは言い換えると、温かさが残っていた過去の状況を思い出していると考えられるかもしれません。

 

温かさ=君と一緒に過ごした日々を象徴している言葉だとすると、君が居なくなって”冷たく”なってしまった日々の中に、少しでも君の”温かさ”を思い出そうとしていることを、”ぬるま湯”と表現しているのかなぁと思ったんですよね。

 

そして、”ぬるま湯の外へ 泳ぎつづける”とあるので、そういう君といた日々を思いつつも、そこから少しずつ離れ(ようとし)ている、あるいは、離れていかないといけない、ということを表しているのだと思います。


そう考えると、先述した”いつか…”の解釈については、個人的には後者の、過去の思い出を振り返っているパターンを当てはめています。

 

とすると、果たして君とはどういう形で別れたのでしょうか。ただ単に恋人関係を解消しただけなのか、それとも死別なのか、どうなんでしょうね。