スピッツ大学

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253時限目:跳べ

ひみつスタジオ

 

 

跳べ

跳べ

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【跳べ】

 

■アルバム『ひみつスタジオ』の2曲目に収録されている曲です。

 

【i-O(修理のうた)】の記事でもうすでに書きましたが…僕はアルバム『ひみつスタジオ』を仕事帰りにゲットして、その帰り道で車の中で流して聴いたんですけど、その時に【跳べ】という曲も初めて聴きました。

 

イントロのギターのリフからの、Aメロでそれがちょっと落ち着いて、サビで爆発っていう、割とスピッツにある感じの展開ですが、このアルバムの中では一番疾走感のあるロックチューンであると感じます。

 


■個人的には、特にイントロの部分のギターリフで、GREEN DAYの【American Idiot】とか【Westbound Sign】を想起しました。高校生の時、GREEN DAYとか、海外のパンクロックを割と聴いていた時期があったんですけど、何かすごい懐かしい気持ちになりました。

 

スピッツの楽曲で例えると、【1987→】みたいな感じですかね…ポップパンク?パワーポップ?何て言うのか分かりませんが…とにかく、パンクっぽくはあるんだけど全然重たく感じなくて、疾走感があって軽く聴けるのは、そこはさすがスピッツだなって思いました。

 

楽器隊の演奏はこれでもかとゴリゴリなんだけど、サビ(Bメロ?)のハンドクラップとか、サビで鳴っているbell(ベル)の音とか、そしてやっぱり、草野さんのボーカルの影響は大きいんだろうなって思いますが、そこに草野さんのボーカルが乗っかると、単純なパンクという括りから、スピッツだなぁってなっちゃう感じ…すごいですよね。

 


■そして、タイトルは”跳べ”…と、これまためっちゃ潔いタイトルですよね。

 

アルバムの収録曲のタイトルが発表になった時に、”跳べ”という言葉自体のインパクトと、曲順が2曲目ということもあって、1曲目の【i-O(修理のうた)】はインストで(勝手に思ってました笑)、続く2曲目の【跳べ】はロックな曲に違いないと思っていましたが…インストは違ってましたが、【跳べ】はそのイメージ通りでした。

 

そして、このタイトルを見て(多くの人が思ったかもしれませんが)Mr.Childrenの楽曲にも同じタイトルがあるなぁって思いました。ミスチル版の【跳べ】は、サビで「跳べぇぇぇーーーー」って桜井さんが大声で歌い放つのが印象に残っているんですけど、じゃあスピッツはどうなのか。

 

スピッツの【跳べ】でも、サビの最後に”跳べ”という歌詞は出てくるのですが、そこはスピッツ・草野さんらしさと言っていいんですかね、何という申し訳ない程度の”跳べ”…”跳べ”は添えるだけ、控えめな”跳べ”です。まぁ、最後のサビの終わりの部分で、若干の熱量アップはしますが、それでもミスチルの「跳べぇぇぇーーーー」には遠く及びません笑

 


■それはそうと、僕の印象では、スピッツは”跳ぶ”よりも”飛ぶ”のイメージなんですよね。あんまり、”跳ぶ”の印象はありませんでした。

 

往年の名曲も【空も飛べるはず】、古い楽曲でも【トンビ飛べなかった】…スピッツの曲にはよく”鳥の名前”が出てきますが、鳥と言えば”跳ぶ”より”飛ぶ”のイメージです。そして、アルバムでも『空の飛び方』…その頃のインタビューにおいて草野さんが、

 


草野「(アルバムタイトルを)初めは『飛び方』にしようとか言ってたんだけど、字面がイマイチっつうのがあって『空の飛び方』にしたんですけど。まぁ、昔から”飛ぶ”っていうのをテーマにしている部分が多いし。」

 

と語っていたので、割と意識して、”飛ぶ”という言葉を使ってこられたのでしょうか。そして、”飛ぶ”という言葉自体についても、

 


草野「これはもう幽体離脱ですよ(笑)。まあ瞑想でも夢でも宗教でもなんでもいいんですけど、もっと荘厳なイメージというか」

 

という風に語っておられました。

 


■個人的にも、”飛ぶ”という言葉からは過去の記事で書きましたが、

 

「魂や精神が(あの世へ)トブということで、”成仏”…もっと簡単にいうと、”死”を表している」
「喜びのあまり、気持ちが天にもトブような気持ちになる…として、しばしば、性的に”快楽”に溺れることや、”絶頂”に達することを表している」

 

この2つのイメージだったんですけど、じゃあ”跳ぶ”の方はどうなのか考えてみたときに…とりあえず歌詞を調べると、”飛”はめっちゃ出てくるんですけど、”跳”の方は”飛”に比べると極端に少ないんです。一部、紹介してみると…

 

 


やめないで 長すぎた 下りから ジャンプ台にさしかかり
マグレにも 光あれ どこまでも 跳べるはずさ二人

 


こっそり二人 裸で跳ねる
明日はきっとアレに届いてる

 


今すぐ抜け出して 君と笑いたい
まだ跳べるかな

 


会いたくて 今すぐ 跳びはねる心で
水色のあの街へ

 

あえて曲名は伏せますが、皆さん全曲分かりますかね!?

 

とにかく、どちらかと言うと”性的な表現”が多いんですかね。”跳ぶ”というよりも、”跳ねる”(はねる)の印象に近いかなと思うんですけど、そうなると、ベッドで跳ねて、イヤーンなことををしているイメージですかね。

 

あるいは、4つ目に関しては”跳びはねる心”なんで、気持ちがウキウキしている感じの意味合いですかね。でも、こっちのイメージはあんまりないかなぁ…やっぱり前者のイメージが強いです。

 


■まぁ、一番シンプルに考えると、”飛ぶ”は割と長いスパン飛んでいる感じですよね。鳥や虫や飛行機が空を飛んでいるイメージです。一方の”跳ぶ”だと、自分の前にちょっとした、例えば穴だったり水溜りだったり、そういうものを避けるという意味での”跳ぶ”みたい感じです。

 

じゃあ、今回の【跳べ】はどうなのかと、そこから改めて歌詞を読んでみると、この歌の”跳べ”からは、”自分の目の前にある何かしらの障害を乗り越える”みたいな感じのイメージを受け取りました。

 

という感じで考えていくと、もちろんこの曲を聴いた我々一人一人にあるであろう、今の自分が乗り越えるべき課題を乗り越えていく、という風に、誰しもが当てはめやすい普遍性はあるとは思いますが、やはり一つ思い浮かぶのは、”このコロナ禍からの脱却”というテーマでした。

 



ここは地獄ではないんだよ
優しい人になりたいよね

 

色んなことが制限されていって、身動きが取りづらくなっていった世の中、極端に言えば、ウィルス感染による”死”と隣り合わせになってしまった世の中…それでも、我々は生きているじゃないか!と、”ここは地獄ではないんだよ”と、希望を見出そうと歌っているのだと思います。

 



落ちにくい絵の具で汚されたり 弄りの罠ですりむいたり
心だけどこに逃げようかと
探しているのなら すぐに来て

 

ここは、コロナ禍というよりは、もっと広く、この世の中に生きにくさを感じている人へのメッセージと捉えることができます。

 

”落ちにくい絵の具”とは、何か自分で貼って・誰かに貼られて、はがれなくなったレッテルでしょうか。

 

”弄りの罠”とは、これも色々と解釈できそうですが、例えば単純に学校や社会でいじられている人だったり、この時勢だとSNSでのいじりとかね、そういうのも当てはまるのかもしれません。

 

そういうところからの、”心だけどこに逃げようかと 探しているのなら すぐに来て”という言葉…これもスピッツ流の応援なんでしょうか。自分たちの音楽やライヴで、せめて気持ちを楽にしてほしい、という願いを込めて歌っているのだと思います。

 



泣きながら捨てた宝物
また手に入れる方法が七通りも

 

個人的には、”泣きながら捨てた宝物”という言葉が、この歌の歌詞の中で一番響きました。

 

このコロナ禍で、色んな人が色んな事を諦めざるを得ない状況にありました。学生にとっては、楽しみにしていた、本来であれば一生に一度しかないような学校での行事などが中止になり、残念に思ったかもしれません。

 

そうでなくても、日常に生きる人が皆、何かしらの制限を強いられて、会いたい人に会えなかったり、行きたい場所に行けなかったり、やりたいことができなかったり…そういう自分にとって、”宝物”になり得るものを諦めなければいけない場面があったはずです。

 

だから、そういう制限された生活から解放されて、また自分たちが諦めて放棄してしまった”宝物”を取り戻そう、と歌っていると解釈しました。

 


そして、添えるだけの”跳べ”が出てくるサビにおいても

 


己の物語をこれから始めよう
暗示で刷り込まれてた 谷の向こう側へ
跳べ

 

”暗示”とは、先述と同じく、色んなことに制限をかけられていた世の中を表していて、そこからの解放ということで、”己の物語をこれから始めよう 谷の向こう側へ 跳べ”と歌われています。

 

長かったコロナ禍という障害を、ようやくそれぞれが乗り越えて、”己の物語”を取り戻そう、そして新たに始めよう、と力強く歌われているのだと個人的には思います。

 

ただ、この時勢的にコロナ禍を当てはめていますが、先述した通り、この曲を何か障害にぶち当たった時に聴くと、そういう障害を乗り越える勇気を与えてくれるような、そういう1曲になっていると感じます。