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254時限目:さびしくなかった

ひみつスタジオ

 

さびしくなかった

さびしくなかった

  • provided courtesy of iTunes

 

【さびしくなかった】

 

■アルバム『ひみつスタジオ』の5曲目に収録されている曲です。

 

ロックな曲である2曲目【跳べ】、3曲目【大好物】と4曲目【美しい鰭】のシングル曲も賑やかに続き、少し落ち着いた雰囲気の5曲目【さびしくなかった】へと続いていきます。

 

イントロもなく、ひっそりとギターの音と草野さんのボーカルのみで曲が始まり、そこからミディアムテンポのゆったりとした、優しく心地よい曲調で進んでいきます。

 

個人的には、【聞かせてよ】とか【ありふれた人生】みたいな雰囲気を思い出しました。

 


■ということで、早速この曲の個人的な解釈を話してみます。

 

まず、曲名が”さびしくなかった”ということで、やはりこの曲で草野さんは、”さびしい”という気持ち、感情について歌っているのかな、と思うことは自然なことだと思います。

 

それで、タイトルが”さびしくなかった”ということで、じゃあどういう状況の時に”さびしくない”という気持ちになるのか、と考えてみるんですけど、例えば、大切なものが側にあったから”さびしくなかった”、大切な人と一緒に過ごすことができたから”さびしくなかった”、というイメージが最初に浮かんできました。

 

逆に言うと、その大切なものを失くしてしまって、大切な人と別れてしまって”さびしい”と感じると…そういう風につながっていったのも、ごく自然なことでした。

 


ただ、この曲の歌詞を読んでみると、ちょっと違う印象を受けるんですよね。例えば、出だしの部分、

 


さびしくなかった 君に会うまでは
生まれ変わる これほどまで容易く

 

もうこの部分が、この曲の全てを言い表していると言っても過言ではないのですが…

 

”さびしくなかった 君に会うまでは”と、ここの部分を読んだだけでも、君に会うまでは”さびしくなかった”と…逆に言うと、君に出会ったことで”さびしさ”を感じると、そういう風に歌われているんです。

 

この、ある種”さびしくなかった”という言葉の裏返しが、この曲のポイントになっていると個人的には思います。

 


■例えば、【さびしくなかった】の歌詞をもう少し紹介してみると、こんんな感じです。

 


さびしくなかった 君に会うまでは
ひとりで食事する時も ひとりで灯り消す時も

 


さびしくなかった 君に会うまでは
ひとりで目を覚ます朝も ひとりで散歩する午後も

 

ひとりで食事をする時、ひとりで灯り消す時(おそらく眠りに就く時のことを言っているのでしょう)、ひとりで目を覚ます朝、ひとりで散歩する午後…これらは全て、何ら特別なことではない、日常の風景ですよね。

 

そういう日常の生活を、これまでは独りで生きてきたのだけど、”君”に出会ったことで、そういう日常を独りで生きていくことに”さびしさ”を感じるようになっていったということが読み取れます。

 

何て言うか、”さびしくなかった”というよりも、どちらかと言うと、”さびしいという感情をこれまで知らなかった”と考える方がふさわしいと思います。”さびしい”という感情を、感じるように”なってしまった”と、そういうことですよね。

 

で、その理由としては、間違いなく”君”に出会ってしまったから、ということなのだと思います。

 



眼差しに溶かされたのは 不覚でした
かき乱されたことでわかった 新しい魔法

 


離れていても常に思う 喜ぶ顔
以前とは違うキャラが行く しもべのハート

 

”眼差しに溶かされた…”とか、”離れていても常に思う 喜ぶ顔”などの表現を読んだ限りでは、やはり”君”に抱いた気持ちは、恋愛感情なんでしょうか。そういう恋愛感情から、”君”と一緒に居た時間を思い出したり、ふとした日常生活の中で、”君”が側に居てくれたら…と想像をすることで、”さびしさ”を感じているのでしょう。

 

そして、”キャラ”という言葉…これは、シングル曲【大好物】の歌詞でも”取り戻したリズムで 新しいキャラたちと踊ろう”という風に出て来ているのですが、両曲のつながりを感じる部分でもあります。

 


■それから、この曲で草野さんが歌っている”さびしさ”という概念について考えた時に、僕が真っ先に思い出した別の曲がありました。その曲とはずばり、BUMP OF CHICKENのシングル曲【グッドラック】という曲です。

 

youtu.be

 

ボーカルの藤原基央さんは、【グッドラック】の中で、”寂しさ”についてこんな風に歌っています。

 


君と寂しさは きっと一緒に現れた
間抜けな僕は 長い間解らなかった
側にいない時も 強く叫ぶ心の側には
君がいる事を 寂しさから教えてもらった

 


君と寂しさは ずっと一緒にいてくれていた
弱かった僕が 見ようとしなかった所にいた
そこからやってくる涙が 何よりの証
君がいる事を 寂しさから教えてもらった

 

どうでしょうか、【さびしくなかった】と【グッドラック】、心情的には同じようなことを歌っているような気がしませんか?

 

つまり、両曲が歌っているのは共通して、君と出会って、君と過ごす時間や君が側にいることを知ってしまったからこそ、それが逆接的に、君といつか離れてしまうことや、自分が独りで過ごす時間に対して、”さびしさ”を感じるようになってしまったと…要するに、先述した通り、”さびしい”という感情を知ってしまったんですよね。

 

例えば、この歌の主人公は、これまでずっと独りで生きてきたのかも知れません。または、ずっと独りで…とまではいかなくても、自分にとって、かけがえのない大切なものや人があった経験がなく、これまでを生きてきたと。

 

そこへ、自分にとっての”君”という大切な存在ができてしまったことにより、それと同時に、その大切な存在がいつか離れていってしまうことへの”さびしさ”を理解してしまったということだと思います。

 


■ということで、個人的な解釈は上述のような感じで十分なのですが、2つほど補足しておきます。

 


1つ目は、”優しい”という言葉についてです。

 

まぁ、古くは【優しくなりたいな】という曲もありましたが、最近でも、記憶に新しい朝ドラの主題歌にもなった【優しいあの子】、それからWOWOWで放映され、最近その劇場版が公開になったオリジナルライヴの名前も「優しいスピッツ a secret sessino in Obihiro」だったりと、何かと”優しい”という言葉がよく使われています。

 

そして、アルバム『ひみつスタジオ』の収録曲の中にも、”優しい”という言葉が出てくる歌があります(たぶん2曲だけ?)。

 


ここは地獄ではないんだよ
優しい人になりたいよね

 


いつか失う日が 来るのだとしても
優しくなる きらめいて見苦しく

 

それぞれ、【跳べ】と【さびしくなかった】の歌詞なのですが、最近のスピッツでは”優しい”という言葉がひとつのテーマになっているのでしょうか…ということで、最近ゲットしたばかりの書籍「スピッツ2」には、こんなインタビューが載っていました。

 


インタビュアー「《ここは地獄ではないいだよ / 優しい人になりたいよね》って、究極のスピッツメッセージですよ」

 

草野「スピッツっぽいですよね。今回、さっきの話じゃないですけど、『優しい』とか『かわいい』が多いんですよね。だから、ああ、そういうモードなんだなっていう。かわいいものを愛でて、優しい人になりいたい(笑)」

 

という感じです。僕は、昔からスピッツを聴いてきてずっと思っているのは、スピッツって、優しさ・かわいさとかっこよさを、何と上手に同時に表現できるバンドなんだろう!っていうことなんです。だから、ここのインタビューを読んだときに、「おー納得納得」って、何か嬉しくなりました笑。

 


それから2つ目…今まで書いてきたことを、少し極端に突き詰めて考えていった時に頭に浮かんだのが、”i-O”(アイオー)の存在でした。

 

”i-O”は、アルバム1曲目のタイトルにもなっていますが、アルバムジャケットに映っているロボットの名前でもあります。

 

ロボットと言うと、基本的には人間の感情を理解することはありませんよね。つまり、当然”さびしい”という感情も理解していないと考えることができるかもしれません。

 

物語的に考えるのならば、例えば、i-Oくんは”さびしい”という感情をこれまで知らなかったところへ、”さびしい”という感情をインプットされてしまったとかね…こういう風に考えると、一気に【さびしくなかった】という歌の意味が変わってきます。

 

ただ、1曲目【i-O(修理のうた)】でも書いたように、”i-O”は実は人間だったり、もっと広く、このコロナ禍で”故障”してしまったこの世の中を象徴するものだったとしたら、やっぱり何かに”さびしさ”を感じるということは、実に人間らしい感情なんだろうなって思えてきます。