スピッツ大学

ステイホームしながら通える大学です!

158時限目:惑星のかけら

【惑星のかけら】


惑星のかけら

惑星のかけら

 

■4作目のシングル曲であり、アルバム『惑星のかけら』の表題曲にもなっています。個人的ランキング、195曲中90位でした。

 

ちなみに、曲やアルバムのタイトルの読み方は「ホシノカケラ」です。”惑星”で”ホシ”と読みましょう。まぁ、パソコンで打つ時は、”ワクセイノカケラ”じゃないと出ませんけどね、笑。

 

と言うより、珍しいですよね、シングルとして発売済みの曲のタイトルを、またアルバムのタイトルに掲げて、表題曲にするとは…あんまりないイメージですけどね。ぱっと思いつくのは…宇多田ヒカルの『First Love』でしょうか。

 


■初期3部作と言われる、アルバム『スピッツ』『名前をつけてやる』、ミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』を経て作られたのが、アルバム『惑星のかけら』です。

 


『惑星のかけら』とは、どんなアルバムだったのでしょうか。

 

このアルバムを紹介しているところではよく、グランジ、退廃的、などという言葉を見かけます。初期3部作を経て、よりマニアックに、自分たちの世界に入り込んでいったという感じがしますね。

 

そして、それらを一番物語っているのが、【惑星のかけら】という楽曲そのものだという印象です。これから、この曲を紹介するわけですけど、本当に何ですかね、この曲は、笑。さぁ大変だ、どうする、未来の自分!?

 


wikiの情報によると、「作詞にあたっては、アイザック・アシモフアーサー・C・クラークSF小説をイメージしている。」とありました。

 

そして、書籍「スピッツ」を読んでみると…詳しくこのアルバムや楽曲についての情報はないものの、この頃のインタビューにて、何故か草野さんの”妄想癖”について取り上げられていました。

 



草野さん:なんか日本的なSFなんですけどね。アシモフみたいな本格的なやつじゃなくて、ちょっと思いついたアイデアとかイメージみたいなのをちっちゃいストーリーにしたりとか…

 

草野さん:…あの、つたが壁をはい回ってる家ってありますよね? それが福岡の海岸にあって……という妄想を膨らまして、で、本当にそこにあるはずだっていう気になっちゃって。実際見に行ったらなかったという(笑)

 

後半のやつは、読んでて途中で、”!??”ってなっちゃいましたけどね、妄想かよ!?って。何となく、【アパート】とか、ふいに思い浮かびました。

 


その他、アルバム『惑星のかけら』という作品について、「レトロSF」「夢のような世界」などという言葉で形容されていました。上述のような、草野さんの妄想の世界が、この頃の作品に反映されている、というイメージです。

 


■そこへ来て、【惑星のかけら】という曲ですよ。

 

よく使われる”グランジ”という概念…グランジ?あぁ、ニルヴァーナかな?って繋がっちゃうんだけど、よく分からないままなんですよね。wikiの説明によると、「パンク・ロックのような簡素で性急なビートと、ハード・ロックのようなリフ主体の楽曲構造とが融合」だとか、「『静と動』のディストーションギターのサウンド」だとか書いてあります。

 

めいっぱい歪んだギターが鳴っていて、かと思いきや、静かになっていきなり重厚な低音が目立ち出して、そんな中で、よく意味が分からない歌詞をぼそぼそと歌っている、という感じが、上述のグランジという説明に合うのかな…まぁ、ニルヴァーナとは何か違いますけどね。グランジというより、シューゲイザー的な感じでしょうか。

 

こういう感じの曲は、僕は今もあんまり聴かないんですけどね、【惑星のかけら】に関しても、かっこいいなぁって思うには、それなりの時間がかかりました。

 


■歌詞を読んだ感じでは、そうですね、ここまでで出てきた言葉を借りるのならば、「夢のような世界」が当てはまりますかね。全体的に読んでみても、全然物語が繋がっていなくて、パッ、パッとシーンが変わっていく感じは、まさに夢でも見ているようなイメージです。


よくこの歌に、性的なイメージを見出す解釈も多いようですが、その主な理由は、この辺りの歌詞でしょうか…

 


君から盗んだスカート 鏡の前で苦笑い
オーロラのダンスで 素敵に寒いひとときを

 

何やってるんだ!?って話ですけどね、笑。盗んだスカートを履いちゃってるんですかね、それで鏡の前でポージングして、おいおい!ちょっと待てよ自分!落ち着け!(苦笑)的な、我に返る展開ですか、笑。

 


それから、出だしの歌詞は、

 


知らないふりをしてたんだ 君の夢を覗いたのさ
二つめの枕で クジラの背中にワープだ!

 

という感じですが、例えば、”二つめの枕”からは、”君の隣にある枕”というものをイメージしてみるとどうでしょうか。実際に、君が眠っている間に、部屋に(君の寝床に)忍び込んで、隣で添い寝しちゃう…というのは飛躍しすぎでしょうが、まぁ、ベッドの上でいちゃいちゃしている、くらいですかねぇ…実際にしていなくても、場面を妄想しているのかもしれません。妄想して、何をしているのかは…イヤーン。

 


「クジラの背中」とか、あとは、「ベチャベチャのケーキの海」や「オーロラのダンス」などの歌詞も出てきますが、この辺りの歌詞からは、メルヘンなイメージを受けますね。これは、君に対するイメージの具現化でしょうか。夢で見た光景を、そのまま言葉にしたようにも読めます。

 


■あとは、最大の謎、”惑星のかけら”という言葉そのものが、何を表しているのか、という話ですよ。

 


うーん…何でしょうね、笑。一応、歌詞には、こんな風に出てきますよ。

 


骨の髄まで愛してよ 惑星のかけら
骨の髄まで愛してよ 僕に傷ついてよ

 

思えば、【日なたの窓に憧れて】では、”君が世界だと気づいた日から”などという歌詞があったり、【僕の天使マリ】では、君は”天使”になっちゃってますし、【ローランダー、空へ】や【リコシェ号】なんかは、世界を飛び越えて、どっか別の世界に行っちゃうイメージですよね。

 

惑星の”かけら”ですからね、色んな妄想の断片という意味か、”君”そのものを表わしている言葉なのか…本当のところ、なんでも良いような気がします。

 

性的と言えば性的だし、妄想的と言えば妄想的だし…なんかとてつもなく大きなものと言われればそんな感じかもしれませんし、逆に、全然そんな大したものじゃないと言われればそうかもしれません。


性的な行為の果て、あるいは、自分の中で繰り広げられる妄想の果てに、ちょっとだけ指先で触れた(ような気がした)、この世の”真理”のようなもの…人の生き死にから、性的なもの、夢や妄想、愛について、そういうものをフワッとまとめて、"惑星のかけら"と言っているような印象です。そう言えば、なんか宗教的・哲学的な話にも繋がっていきそうですけどね…。

 

うーん…どう思いますか?

人工知能でもロボットでもなく

■どうも、学長のitukamitanijiです。突然の近況報告失礼いたします。

 

後出しの記事になっちゃいますが、実はここ最近のスピッツ大学、地味に”休校状態”にありました。

 

それは全く以って、わたくしがインフルエンザに罹ってしまっていたのが理由でございます!インフルエンザに罹ったのは、これは本当の本当に、生まれて初めてのことだったんです。

 


プライベートに関しては、仕事上休むことは、たくさんの人に迷惑をかける致命的なことなんですけど、だからこそ絶対に完治するまで仕事には来てはいけない、というのは同じ意味を持っていて(他の方々にうつったら、それこそ大変だ)、今日まで…期間にして5日間ほど、自宅で安静にしております。

 

現在は、順調に回復し、体調は良好です!喉に、少しばかり症状が残っちゃいましたが、明日より、通常の生活に戻る予定です。寝すぎて腰が痛くて、アグレッシブには動けそうにはありませんが、頑張っていこうと思います。まぁ、実際はもうすでに、自宅にて、やり残していた仕事に着手しはじめているところなんですけどね。

 


■さて、ここスピッツ大学。

 

スピッツ大学という、仰々しい名前を掲げながらも、講師は私一人、孤軍奮闘でやっております。ということは、一人休むと、それがそのままブログ更新停止に繋がってしまうわけです、笑。

 

まぁ別に、定期的に記事を上げることなど、どこの誰とも約束していないし、別に仕事でも何でもなく、趣味でやっているブログですのでね。かつては、何となく(本当に何の理由もなく、笑)、1ヵ月位更新をサボったこともあったりして、休校という決まり自体ないんですけどね。今回は、上述のインフルエンザ罹患という理由もあって、精神的に休んでおりました…というより、現在も休んでおります。

 

病状はともかくとして、ひとつひとつの記事を書くのは、肉体的にしろ精神的にしろ、とにかく気分が乗らないと進まないんです。いざ、記事を書き始めたは良いが、何か今日は面白くないなぁ…と、途中で止めてしまうことも、しばしばあるんですよ。

 

今の自分のプライベート状態では、「書く時間がない!」という状況には決してならないので、記事を書くことに対しては、時間次第ではなく、まったく自分の気の乗り次第になっています。それがちょうど、1週間くらいで更新されていくので、週に1~2個の記事を書くペースに落ち着いているという現状です。

 

なので、別に記事の更新が滞っているわけでは決してありませんが、一応報告させてもらいました。人工知能でもロボットでもなく、生身の人間が記事を書いております!なので、こういうこともまたあるかもしれませんね。これからも、生身ひとつで、生きた記事を頑張って書いていきます。

 


■ということで、これでは、本当に近況報告だけで終わっちゃいそうなので、ここは安静中のスピッツ話をひとつ。

 


安静にしている間、まぁインフルエンザに罹ったことのある方は経験があるかと思いますが、本当につらいのは、最初の1日2日くらいのものなんですよ。その後の3日間は、まぁ体からの毒抜き期間といいますか、ウィルスが完全に抜け切るまでの安静期間になるわけです。

 

こう言っちゃなんですが、休んでいる間、安静にしつつも、何かしたくなっちゃうんですよね。何かやらなくちゃ!と。もちろん、自宅は一歩も出ておりませんからね!

 


それでですね、僕はウォークマンを持っているんですが、それがおよそ8年前くらいに買ったものなので(”最初にしていた仕事”時代で、自分にご褒美で買ったもの)、もう挙動が良くないんです。フルで充電しても1時間くらいで電池切れになっちゃうし、音だってなんか劣化しているっぽいし(多分イヤホンジャックの接触が良くない?)、同じタイミングで、ウォークマン用のスピーカーも壊れる始末です。

 

それらを買い換えることは良いとして、せめて応急的にできることはないのかと探していましたが、何ら簡単なことでした。自分が持っているスマホウォークマン代わりにして、音楽を聴けるようにすればよかったのです。もうこの時代、そういう使い方をしている方も多いのではないでしょうか。

 

と言っても、ウォークマンには膨大な曲が入っています。全部を移すのは大変だ、ということで、とりあえずスピッツの全曲だけでも、スマホで聴けるようにしようと思い立ちました。

 

まぁ、やり方も単純なんですけどね。幸い、スピッツ音源はパソコンにデータとして全て揃っていますので、その音源をMP3形式に変換して、microSDカードに移していくだけです。

 

 

■MP3で、スピッツの音源をすべてデータ化すると、容量がどれくらいになるか、皆さん分かりますか?全232曲(一部被りアリ、カバー曲も含め)で、およそ1GBですよ。爪くらいの大きさの、風が吹いて飛ばされそうなmicroSDカードに、30年分の音源が全て詰め込まれちゃうんですねぇ。僕のmicroSDの容量は8GBありますので、それでもまだまだ余裕があります。何とまぁ、ちょっとあっ気ない感じもしますけどね、これも時代ですか。

 

ただ、スマホウォークマンは快適ですよ。自動で歌詞も引っ張ってきてくれるし、音もきれいですしね。スピッツの楽器隊…特に、ドラム・ベースのリズム隊の音もしっかり聴けて、そこまで余すことなく聴けるのは、本当に嬉しいことなのです。そういう意味では、音的に新しい発見がありますよ、大げさに言うと、新しい曲を聴いている感覚です。

 

スマホひとつあるだけで、全曲入っているので、聴きたい時に聴きたい曲を取り出すことができるということです。これで何処へだって、スピッツと共に行けますよ。

 


まぁそれでも、僕は現物派ですのでね。もちろん、スピッツの作品は、CDやDVDなどで購入を続けていくつもりです。まぁ、この世の中に、いつまでそういうものが存在し続けるかは分かりませんが…まぁ、言っても、まだ当分あるとは思いますけどね。

 


■上述のようなことをしたから余計に、スピッツの曲を流しながら安静にしている時間が多かったわけですが、何ていうか、ヒーリング効果というかね、そういうものを感じます。

 

子どもの頃からずっと聴いてきたのでね、もう体に馴染んでるんでしょうね。喉が乾いたら水分を取るように、腹が減ったら米を食うように、スピッツ音源は、自分にとってごく自然なものなのです。別に、大好きだからといって、毎日のように、好きだ!好きだ!って言ってることが気持ちの強さを表すものでもございません、そういう元気も最早ないですしね、笑。だからこそ、こういうときに、本当にスピッツがそばにいるということを感じています。

 


ということで、学生諸君、くれぐれも体には気を付けるように!特に、インフルエンザは、早期発見・処置さえすれば、すぐによくなります。ここに来ている学生の中には、もう若くない方々…おじさんおばさんも多く居ると思われます。もう若くないんですからね!歳相応の行動を!笑


何故か、安静中にはまって聴いていた【ハネモノ】

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157時限目:放浪カモメはどこまでも

【放浪カモメはどこまでも】


 

■22作目の両A面シングル『メモリーズ / 放浪カモメはどこまでも』に収録され、アルバムとしては『ハヤブサ』に収録されていますが、こちらは、ジム・スコットという方によるリミックスバージョンになっています。

 

また、シングル『さわって・変わって』には、カップリングに、「SPITZ HAYABUSA JAMBOREE TOUR “純情2001”」でのライブテイクが収録されています。今考えると、シングル『さわって・変わって』は、かなり豪華なシングルだったんですね、4曲入りですからね。

 

個人的ランキング、195曲中13位でした。本当に大好きな曲です。僕は、この曲は最初のシングルで初聴でしたが、出た当時からもう印象に残りましたね。それは、最初は違和感に近かったですね、それまでのスピッツにはない、激しいロックな曲だったからです。何か、酔っぱらった時とかに、カラオケで周りもお構いなしに歌ったりしますね…今も、笑。

 


■もう何度も書きましたが、スピッツ史の中で、今や”マイアミ・ショック”と語られる、ベストアルバムを発売することを、レコード会社に半ば強行的に決定された出来事があります。時期としては、アルバム『フェイクファー』、スペシャルアルバム(カップリング集)『花鳥風月』発売後のことでした。

 

スピッツは、アルバム『フェイクファー』の出来に納得がいかず、音作りのために試行錯誤を繰り返していました。日本で合宿のようなことをしてみたり、アメリカでトム・ロード - アルジというエンジニアに出会ったりして、その音作りの旅は、成果を見せ始めました。

 

その最中に、マイアミ・ショックが起こるわけですが、それも結果として、スピッツをロックバンドとして再生させるきっかけになりました。これが俗に言う、スピッツの”死と再生”です。

 


書籍「旅の途中」によると、ベストアルバム『RECYCLE』発売後(このアルバムタイトルは、草野さんが名付け親らしいですね)、アルバムやライヴの予定が白紙になり、レコード会社との契約も分からなくなりました。

 

しかしながら、スタジオの予約は取れていたため、メンバーでスタジオに入って、音を出していたそうなのです。そこでは、これまでのスピッツの曲もしたんでしょうけど、”スピッツではあまりやらない曲”もカバーしていたんだそうです。何か、ここまでの経緯を考えると、こういうエピソードは泣けてきますね…泣かないですけど。純粋にロックバンドとして、音を出していたんでしょう。

 

で、【放浪カモメはどこまでも】ですが、この時期に原型が生まれたらしいことが、書籍や”色色衣座談会”に書かれています。仮タイトルは「ギター・ポップNo.1」だったそうです。出来上がった曲を聴いても、今までのスピッツの曲とは一味違う、ギターの音が激しく鳴っている曲…ポップというよりは、こういう場合はパワーポップですかね…になっていますね。まさに、音作りの旅で見つけた”スピッツの今の音”の結晶であるような気がしてなりません。何か、吹っ切れた感じがしますよね。

 

まぁ、個人的な解釈も含まれますが、それでも、こんな風に考えて聴いてみると、【放浪カモメはどこまでも】へ抱く印象が変わってきませんか?

 


■そんな、【放浪カモメはどこまでも】は、どういうことを歌っているのでしょうか、考えてみました。

 


最初に聴いていた頃を思い出してみると、この曲は「失恋から立ち直ろうとしている男の曲」だと思いました。歌詞をなぞってみると、

 


悲しいジョークでついに5万年
オチは涙のにわか雨

 


見ろ あの夕焼けを 美しい
上昇し続けることはできなくても また やり直せるさ

 


愛にあふれた短い言葉を たったひとつだけ

 

”5万年”、”オチは涙のにわか雨”は、5万年という時間は誇張表現でしょうけど、とにかく長いこと想っていた人がいたんだということを表していて、”オチは涙のにわか雨”ということで、それが悲しい結果に終わってしまった、つまりは、想い続けていたけどフラれてしまった、となります。

 

”夕焼け”に関しては、スピッツの曲には、人を想い続けて感傷的になっている場面や、恋愛の終わりの場面、などに出てくる言葉ですよね…【アカネ】、【恋は夕暮れ】、【夕焼け】などがそれに当たりますかね。

 

”愛にあふれた短い言葉”は、素直に捉えれば、相手への告白の言葉と考えることができますかね。

 


■しかし、先述のこの曲が出来上がった経緯を考えていけば、イメージがガラッと変わってきますよね。これは、紛れもなく、自分たちのことを、スピッツのことを歌っていることなのではないか、と。

 

”悲しいジョーク”や”オチ”などの表現は、そのままマイアミ・ショックを思わせますね。ずっと長いこと信じてやってきた自分たちの活動が、身勝手な”オチ”によって終ってしまうかもしれない、と。

 

”見ろ あの夕焼けを美しい”、そんな状況の中でも、希望を見出し始めます。例えば、音作りの旅だったり、例えば、メンバーでスタジオ入りしたことだったりするのでしょうか。

 

”上昇し続けることはできなくても また やり直せるさ”、これは決意表明でしょうか。一連の出来事で、スピッツは一旦”解散したのかもしれない”と書籍にありました。そして、また”甦った”とも書いてありました。

 


■そして、【放浪カモメはどこまでも】というタイトルの回収です。スピッツの曲の中には、”鳥の名前”が出てくることが多いですが、そういう曲には特別な思いが込められているという印象を持っています。【8823】や【鳥になって】なんかは、特にそうですよね。しばしば、”鳥の名前”は、スピッツ自体を表わしているのではないか、と思うこともある程です。

 


放浪カモメはどこまでも
恥ずかしい日々 腰に巻きつけて 風に逆らうのさ

 

この辺りの歌詞はまさしく、過去を忘れられずに(あるいは、忘れないということ自体も決意なのかもしれません)、さまよいながらも、どこまでも飛んでいこう、という強い決意の表明なのでしょう。再び、ロックバンドとして、スピッツとして生きていく決意です。

 

放浪カモメはどこまでも MV

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このMVも印象的ですよね。良い意味で、”無理している感”もありますが、本当はこういうバンドなんだぜ!これから、こういう風にやっていくからな!ということを示しているように見えます。本当に、メンバーが良い顔をしていますね、吹っ切れた表情ですね。そして、まさかのキーボードはクージー

 

いやぁ、本当にいつ聴いても、たぎってきますね。外へ出て走り出したくなってきますね、うぉーーー!!!

156時限目:ほうき星

【ほうき星】


ほうき星

ほうき星

 

■アルバム『インディゴ地平線』に収録されている曲です。個人的ランキングでは、195曲中157位でした。

 

この曲は、作詞は草野さんですが、作曲はリーダー(田村さん)になっています。まぁ確かに、そう言われると、曲の感じが違いますよね。何となく、ベースが目立って聴こえる気がします、自分の担当なのだからでしょうか。

 


インディゴ地平線』には他にも、1曲目の【花泥棒】が三輪さんの作曲となっています。書籍「旅の途中」によると、アルバム『ハチミツ』のレコーディングの際に、プロデューサーの笹路さん(スピッツのブレイク期~黄金期までを支えていた人)が、草野さん以外のメンバーに対しても、曲を作るように促したそうなのです。結局は、『ハチミツ』には草野さんの曲しか入りませんでしたが、この試みは『インディゴ地平線』でも続き、こちらでは先述の通り、【花泥棒】と【ほうき星】が収録になりました。

 

三輪さん作曲の曲は、初期に何曲かアルバムにも収録されていますが(【月に帰る】、【鈴虫を飼う】など)、リーダーは初めての収録曲ですかね。ちなみに、崎山さん作曲は、未だ収録されていません。作ってはいたんでしょうけどね。

 


■ということで、曲の個人的な解釈に移ります。

 

まず、タイトルの”ほうき星”という言葉ですが、これは”流れ星”や”彗星”と同じ意味合いで使われる言葉です。スピッツの曲には、【流れ星】というタイトルがありますし、”星”や”星の名前”がつくタイトルだと、他にも、【俺の赤い星】【スピカ】【スターゲイザー】【惑星のかけら】などがあります。

 

それぞれの曲で使われている、星の意味合いは違うでしょうけど、全体的に何となく、”儚いもの”の例えとして使われている、と感じること多いです。まぁ元来、星は人間に比べるとずっと大きくて、とてつもなく長生きではあるのでね、”星の存在が儚い”というより、”それと比べて人間は儚い”という意味合いですかねぇ。

 

そこから派生して、”人の生き死に”や”死生観”なども感じることがありますけどね、【流れ星】とかは特に感じました。

 


■じゃあ、【ほうき星】は、どういう曲なんでしょうか。

 

何となく、曲の雰囲気が読みとれそうなのが、最初のAメロです。こんな歌詞で始まっていきます。

 


錆びついた扉が はじめて開くよ
僕らは ほうき星 汚れた秋空
ゆらゆら さまよう 魂を巻き込む
祈りを受けとめて流れに逆らって

 

この辺を読んで僕は、”魂が人の肉体に入っていく”様子、または、”魂が成仏していく”様子を思い浮かべました。

 

”錆びついた扉”という言葉は、例えば、魂が存在している”あの世”的な場所があるとして、”あの世”と”この世”をつなぐ扉という印象を受けました。その扉が開いて、魂がこの世に流れ込んできた、という感じでしょうか。そして、その魂を、この歌では、”ほうき星”と例えているのかな、と思っています。

 

暗闇に魂が放たれて、ゆらゆらとさまよっている感じが、”ほうき星”に見えるということでしょうか。

 


■前者(魂in)の解釈だと、放たれた魂は、自分が宿るべき肉体を探してさまよっている、ということになります。

 

ところで、その人が”その人”と成る、つまり、その人に魂や心といったものが入り込むのは、どの時点なんでしょうかね…受精した瞬間でしょうか?母体の中で成長していき、人の形が見えてきた時でしょうか?それとも、まさにこの世に生まれてきた瞬間でしょうか?

 

まぁとにかく、そういう瞬間に向けて、自分が宿る肉体を探して、暗闇をふらふらとさまよっている、という解釈です。

 


後者(魂out)の解釈だと、前者とは逆、役割を終えた肉体から魂が抜け出して、あの世へと帰っていく、つまり成仏していくところだと考えられます。

 

僕は、何となく、こっちの解釈がしっくりくるんですけどね。”祈りを受け止めて流れに逆らって”の”流れ”という言葉…自然に考えれば、人生における流れの”方向”とは、生まれて、時が経って年を取っていって、老いて死んでいく、というものだと思います。(生→死という流れ)

 

その流れに逆らう、ってことですからね、”生→死”という方向の逆と考えて、”死→生”という方向ということで、成仏はもちろん、もっとその先…輪廻転生という死生観も感じました。

 


■何か、宗教的(?)というか哲学的(?)というか、妙な記事になってしましましたね。僕の方も、何かよくわかんなくなってきそうです、本末転倒!

 

まぁ、魂などと難しい話は抜きにしても、上述の後者の解釈だと、”自ら命を絶った”という解釈もありうるかもしれません。

 


今 彗星 はかない闇の心に そっと火をつける
弾丸 桃缶 みんな抱えて 宙を駆け下りる

 

サビはこんな感じですが、”宙を駆け下りる”ってのが、飛び降り自殺を示唆しているようにも読めるかもしれませんね。

 


あと、謎フレーズの”弾丸 桃缶”についてです。他の部分には、”哀愁 街中”というフレーズも出てきます。両方とも韻を踏んでいますが、どちらとも意味は謎です。

 

書籍「スピッツ」によると、インタビュアーさんにそこら辺を突っ込まれた上で、草野さんが、「あと、ヘンな言葉とかも今回ちょっとあったし、あの”ほうき星”とか」「あの、”アジアの純真”みたいな感じで、《ペキン ベルリン》みたいな(笑)」と答えています。”アジアの純真”とか、懐かしいですよね、若い人は知ってるんですかね、笑。

 

ということで、まぁ、言葉自体にはあまり意味は無い、ということですね。アルバム『インディゴ地平線』は、草野さん以外が作った曲が入っていたり、特に【花泥棒】なんかはそうですけど、割と遊んでいる部分がところどころにあるんですよね。

特講:100万人のスピッツ大学学生へ

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スピッツ大学学生の諸君、キャラを忘れた頃に、学長のitukamitanijiでございます。本日は、お集まりいただき、ありがとうございます。

 

日々、諸君らはお互いに切磋琢磨しながら、スピッツ大学にて”スピッツ学”を学んでいることと思います。そんな諸君らの活躍には、本当に感心させられてばかりでございます。今日のスピッツ大学が在るのは、そんな皆様のおかげであると、まず言っておかなければなりません。

 


■さて。

 

そのような諸君らの努力が、ある一つの成果を生み出したことを、ここで発表しておきたいと思い、本日こうやって集まっていただいた次第でございます、学長のitukamitanijiでございます!

 

本日(2017年2月4日)、恐らく朝方、スピッツ大学訪問者数が100万人を突破いたしました!その瞬間を撮ろうと、朝方に待機していたのですが、残念ながら、冒頭のようなものしか撮ることしかできませんでした。

 


■このスピッツ大学で、はじめて講義を開いた(つまり、記事を書いた…)のが、2015年7月25日のことでした。そこから、今日までの日数は(最近は便利ですね、そういう日数を計算してくれるサイトがあるんですね)計算してみると、560日になりました。全体では、平均しておよそ1700人/日の訪問者があった、ということになるわけです。

 

そして現在は、平均しておよそ2000~2500人/日の訪問者があるようで、改めて、学生諸君らのスピッツ学に対する関心の高さと、知的探究心の深さには、本当に頭が下がる思いでございます。

 

そして誰より私自身が、ここスピッツ大学にて講義を行うようになってから(記事を書くようになってから…)、より一層スピッツの曲について、あれこれ深く考えるようになりました。正直、そんなに熱心に聴いてなかったな、という曲もあったりして、そういう曲の新たな一面を発見する、ということも、何よりの喜びでありました。

 

 

■重ね重ねになりますが、諸君らにお礼を言っておきたいのです。何度もここを訪れてくれた方、一度だけ訪れてくれた方、スピッツが大好きな方、スピッツなんてほとんど知らない方…境遇や理由なんて、どうでもいいじゃないですか。

 

100万人のスピッツ大学学生へ…ということにさせてください。一人一人にお礼を言っておきます。本当にありがとう、大きな励みになっています。そして、諸君らに負けないように、私も日々、スピッツ学を学んでいきたいと改めて思います、学長のitukamitanijiです!

 

 

ということで、何か特別なことをやる、ということではございませんが、訪問者100万人突破を、ここに報告させていただきました。

 

(代わりと言っては何ですが、先日もうすでに載せちゃいましたが、【スワン】のカバー動画を貼っておきます。日にちもそんなに離れてないし、これを100万人記念として、誤魔化しておきます!笑)

 

youtu.be

 

155時限目:ベビーフェイス

【ベビーフェイス】


ベビーフェイス

ベビーフェイス

 

■シングル『空も飛べるはず』のカップリング曲であり、アルバム『空の飛び方』にも収録されています。

 

アルバム『空の飛び方』に収録されている方は、Album Versionであり、wikiによると、「ホーンセクションを加えたアレンジで録り直したアルバムバージョンであり、テンポも少し速めてある」とのことですが、僕自身は、カップリングバージョンの方は聴いたことはなく、Album Versionの方を聴いてきました。

 

個人的ランキング、195曲中63位でした。ほう…そうですか、結構上位に入ったなという印象です。もちろん、好きな曲ではありますけどね。

 


■さて、早速曲の解釈・紹介に入りたいと思います。

 

この曲は確か、草野さんが「奥さんが亡くなった友人のために作った歌」だったと思うのですが、どうですかね?友人本人が亡くなったのではなくて、その奥さんだったと思うんですけど…もしかしたら、友人の恋人だったかも?家族の誰かだったかも?何せ、情報を探したんですけど、ちょっと見当たらなくて、でも、結構知られてる話だったと記憶してるんですが…。

 

まぁとにかく、「友人の身内が亡くなったことを書いた歌」としておきましょうか。そういう状況になってしまった友人を、草野さんが励ますため、慰めるため、作った曲だということです。

 


しかしながら、曲調はすごく明るくて、パレードでもしているかのように、ファンファーレも鳴っていて、派手な曲になっています。タイトルも【ベビーフェイス】ということで、言い方は悪いかもしれないですが、とてもじゃないけど、「友人の身内の死」を歌っているような感じには聴こえないです。

 

ただ、歌詞を読んでいくと、なるほど、確かにそういう曲なのかなと思えてきます。

 


■例えば、それが一番表れている部分だと、

 


こわがらないで 歩き出せそっと
星になったあいつも 空から見てる

 

ここの”星になったあいつ”という言葉は、”星になる”という表現は普通、死を表わすことが多いですので、ここの部分はやはり故人を表しているのでしょうね。

 

それでも、”こわがらないで 歩き出せそっと”と、友人が大切な人の死を乗り越えられるように、慰めているのを読み取ることができます。”空から見てる”という言葉も…うーん、何かうまく言えないですけどね、胸がぎゅっとなります。

 



華やかなパレードが 遠くなる日には
ありのままの世界に 包まれるだろう

 

ここも一見すると、”華やかな…”というのが浮いていますよね。ただし、上述の歌の解釈から、ここの”パレード”は、”葬式”を表しているのかな、と解釈しています。

 

となると、葬式が終って”ありのままの世界”が訪れる、とは何でしょうか。この”ありのまま”っていう言葉が、また何か残酷ですよね。それは、”大切な人が居なくなった世界”であり、それでもそんなことお構いなしに”変わらず流れていく世界”ということでもありますからね。

 


■あとは、この曲のタイトル”ベビーフェイス”という言葉に関してです。曲の中では、

 


Bye bye べビーフェイス
涙をふいて 生まれ変わるよ Yeah…
Bye bye べビーフェイス
今日から明日へ かすかな炎を絶やさないでいて

 

という風に出てきています。”ベビーフェイス”とは、英語では”Babyface”と書きます。意味としては、”童顔”とか”赤ちゃんのようなあどけない顔”というのがありますが…うーん、どちらとしてもしっくりきませんね。まぁ、精神的な意味合いでも使われているのかもしれません。

 

”涙をふいて 生まれ変わるよ”というフレーズは、”生まれ変わる”という言葉は、亡くなった人へ向けた言葉(となると、輪廻転生のような解釈)とも、大切な人を亡くした友人へむけた言葉(となると、大切な人の死を乗り越えるという解釈)とも取ることができると思います。

 


■あとは、前提を崩すようならば、本当に”ベビー(フェイス)”なのかもしれませんね。例えば、「身近な人を亡くした子どもについて歌った歌」という感じです。

 

まだ、”死”の概念すらはっきりと理解していないような子どもが、身近な人の”死”に触れるわけです、お父さんやお母さん、おじいさんおばあさんかもしれません。何か分からないけど、周りの人が悲しんでいて、子ども心にそれを少しずつ理解していくわけですよね。

 

死んだ人にはもう会えない、いつかは人は死んでしまうものだ、それならばいつか自分も…という具合にです。そういう、死生観を少しずつ育てながら、子どもから大人へと成長していくわけです。肉体的にはもちろん、精神的に、”ベビーフェイス”にさよならをしてくわけです。

新年演奏会 スピッツカバー#6:スワン

だいぶ遅い2017年到来記念

&(もうすぐ)スピッツ大学100万PV記念

 

 

今年の干支が”酉(トリ)”ということで、酉にちなんで、【スワン】を歌わせていただきました。詩を読んだ限りでは、明るい歌ではないかもしれないですけど(むしろ、別れの歌?)、酉に関係する好きな曲だったので、この曲を選びました。

 

皆様の一年が、酉が空を羽ばたくように、自由で楽しい年でありますように。または、何か新しい挑戦していく方にとっては、”ひよこ”の精神で、限りない空を目指していく、そんな飛躍の一年でありますように、お祈りしています。

 

今年は、スピッツ30周年。全国ツアーも発表されましたね。…僕は多分行きませんが、スピッツにとっても記念すべき1年のはじまりですね!

 

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154時限目:ヘチマの花

【ヘチマの花】


ヘチマの花

ヘチマの花

 

■アルバム『空の飛び方』に収録されている曲です。個人的ランキング、195曲中170位でした。印象には残る曲ではありますが、無意識にランキングをつけると、こんなものでしょうか…。

 

『空の飛び方』の収録曲では、【ヘチマの花】はバラード枠ですね。ゆったりとした曲調が特徴です。

 

 

ちなみに、この曲には草野さんのボーカルに合わせて、女性ボーカルの声も聴こえてきます。wikiによると、女性ボーカルとして参加している方は、トランジスターグラマーの寺本りえ子という方だそうです(トランジスターグラマーというのは、寺本りえ子という方が、ソロで使っていた名前だそうです)。

 

この曲だけではなくて、アルバム『惑星のかけら』においても、【僕の天使マリ】【オーバードライブ】【リコシェ号】で、Backing Vocalとして参加していたようです。そしてこの時期、寺本さんは、コーラスとしてスピッツのライヴにも参加していたらしいです。

 


■ということで、早速、この歌の解釈に移ります。

 

まず、タイトルから変わってますよね、【ヘチマの花】ですか。こういう変わったタイトルを見ると、しかもやけに具体的なタイトルなので、何かを象徴しているものだと想像してみたくなります。

 


ずばり大胆に言います、僕はこの”ヘチマ”に、妊婦さんの姿を思い浮かべました、どうでしょうか。ヘチマのずんぐりとした形が、大きくお腹の膨らんだ妊婦さんの体型に見えなくもないですよね?

 

それに、タイトルが、ただ”ヘチマ”ではなくて、【ヘチマの花】ですからね。ヘチマに花が咲いてほしい、ということで、例えば、かわいい子どもが生まれてほしい、という願いが込められているのではないでしょうか。

 

そういう想像を踏まえて、歌詞を少し見ていきます。

 



二人の夢 ヘチマの花 見つめるだけで
悲しいことなど忘れそうになる

 

出だしがこういう感じになっていますが、ここを読むと、何かもうすでにヘチマの花は咲いている、つまり、子どもはもう生まれてきている、とも考えられるかもしれません。生まれてきた子どもを見て、”悲しいことなど忘れそうになる”と、癒されているのかもしれません。

 

まぁ、子どもは生まれて来てなくても、大きくなった妊婦さんのお腹を撫でながら、幸せな気持ちに浸っているのかもしれません。

 



さびしい涙目に移るのは やがてあたたかな愛の花

 

”愛の花”は、おそらく”ヘチマの花”と同義だと思いますが、ここも同じようなことを歌っていると思います。なぜ寂しがっているのかは分かりませんが、やがて花は咲いて、温かい気持ちになれるよ、とそういうことでしょうか。

 



二人の夢 ヘチマの花 かなえて欲しい
飛べない鳥だと 気付かされても

 

”飛べない鳥だと 気付かされても”という表現が、すごく独特ですね。生まれてきた子どもは、もちろん人間の子どもで、地に足つけて生きていくんだと。誰に習うわけでもなく、自分の足でしっかりと歩いて幸せになるんだぞ、という願いがこもっているのでしょうか。

 


■あと、この歌に”ミルク色”というフレーズが出てきていますが、このフレーズは【恋のうた】にも出てきています。多分、”ミルク色”というフレーズが出てくるのは、この2曲だと思いますが、他にもあるでしょうか。何か、印象的な、それでいて引っかかるフレーズです。

 

【恋のうた】では、”ミルク色の道”として、”精子”だとか、これはどこかで見た解釈ですが、”天の川”として、あの世へと昇っていく様子を浮かべました。

 


【ヘチマの花】ではどうでしょうか。”深くミルク色に煙る街を裸足で歩いている”という風に使われていますが、また独特な表現ですね。これは、赤ちゃんのことを言っているのか、それとも、続く歌詞は”いつの時も二人で”となっているので、二人のことを言っているのでしょうか。

 

いずれにしても、温かい優しい雰囲気がイメージできますね。そういう日々を、二人で(赤ちゃんと共に)生きていこう、という感じでしょうか。

 


■まぁ、前提を崩すならば、子どもを想像しなくても、別に二人の幸せを”ヘチマの花”としても成り立ちますけどね。色んな思い出を詰め込んで、少しずつ膨らんでいくヘチマが、やがて”幸せ”の花を咲かせますように願っている、という解釈で十分ですけどね。

 

ちなみに、”ヘチマの花”の花言葉は、「悠々自適」です。この歌にぴったりの言葉ですね!

153時限目:プール

【プール】


プール

プール

 

■アルバム『名前をつけてやる』に収録されている曲です。個人的ランキング195曲中24位でした。スピッツの初期の曲の中でも、本当に大好きな曲のひとつです、本当に素晴らしい曲です。

 

曲のイメージは、何と形容したらよいでしょう、決して明るいわけじゃないんですけど、不思議な感じですよね。白昼夢でも見ているような、幻として消えてしまいそうな、浮遊感のある曲、とでも言っておきましょうか。

 


現在進行中の、スピッツランキング企画(まだまだ絶賛投票受付中!)においても、途中結果で、何と第9位という結果を残しています。これには、本当に意外でしたね、意外と【プール】ファンの方はたくさん居られるようで、とても嬉しかったです。このまま、上位をキープできるか!?

 

それから、去年発売されました、武道館ライヴのDVDにも、【プール】のライヴ映像が収録されていました。これがまた、素晴らしかったですね。これが、ほんとに25年以上も前の曲ですか!って感じですけどね、古い曲を今やっても、本当に絵になります。

 


ということで、あまりこれという情報もないですし、早速どんな歌であるか、歌詞を少しなぞりながら考えてみたいと思います。

 


■まず、出だしが、こんな感じです。

 


君に会えた 夏蜘蛛になった
ねっころがって くるくるにからまってふざけた

 


歌詞に、”蜘蛛(クモ)”が出てきています。スピッツの曲に出てくる蜘蛛は、個人的には、性的な部分も含めて、とにかく怪しい雰囲気の象徴だと思っています。

 

例えば、【スパイダー】とかね、タイトルにもろに蜘蛛が入っていますが、曲の感じもいかにもって感じですけどね。他にも、【夏の魔物】とか、僕はこの歌を、”子どもを中絶する歌”と訳しましたが、そういう不穏な雰囲気の歌の中に出てきます…”ぬれたクモの巣が光ってた 泣いてるみたいに”という具合にです。

 

この【プール】という歌も、それらと同様に、何となく(具体的になんだ、とちゃんと説明はつかないですが)怪しい感じが漂っているような気がします。

 

個人的には、まず”夏蜘蛛”になって”からまってふざけた”わけですからね、これはSEXの描写かなぁと感じました。

 


他にも、性的な描写としては、

 


孤りを忘れた世界に 水しぶきはね上げて
バタ足 大きな姿が泳ぎ出す

 


孤りを忘れた世界に 白い花 降りやまず
でこぼこ野原を 静かに日は照らす

 

などが挙げられると思います。”バタ足”なんかは、いかにもSEX中の描写のような気がしますし、”でこぼこ野原”は、女性の体や女性器を比喩したものでしょうか。それに降ってくる”白い花”ということは、”精液”なども考えられますね。

 


■あとは、こういう歌詞も出てきます。

 


街の隅のドブ川にあった
壊れそうな笹舟に乗って流れた
霧のように かすかに消えながら

 


この辺りからは、少しずつ消え入ってしまいそうな、儚い雰囲気を感じます。最初の部分の解釈ともつながるんですが、(正確には、”僕”などの自称は出てこないですが、)僕が君に出会ったという描写がありますので、自然と恋愛関係をイメージするんですが、どうでしょうか。

 

しかし、全体的に漂う怪しい雰囲気や、消え入ってしまいそうな雰囲気から、一筋縄ではいかない恋愛をどうしてもイメージしてしまいます。

 


■個人的にはまず、”若い恋愛”や”若気の至り”というものをイメージしていました。

 

勝手にストーリーを妄想してしまいますが…季節はもちろん夏ですね、それで若い男女が出会うと。何となく、男女とも、俗世からちょっとかけ離れて生きている感じですかね、孤独とはちょっと違うかもしれないですけど。そういう男女が出会い、互いが互いを拠り所にするように、身体を重ねるわけですよ。

 

それは、若いだけの、未来なんて何にも約束されていない、今にも”壊れそうな笹舟”に過ぎないかもしれないけど、流れに任せるように(というより、それしか方法はなく)愛し合っている、と。

 


そんな風に、お互いの合意の上であれば、まだ救われる余地がありますが、もっと不穏な感じに突き詰めて考えていけば、ストーカー的なものも想像できます。そうすると、【スパイダー】の解釈に近づいていってしまいますが…。

 

”夏蜘蛛”という言葉は、あまりきれいな言葉ではなく、何ていうか、野蛮な感じがしますよね。巣を張って、じっと獲物を待つような、そんな雰囲気です。そういうところから、清楚な女性をストーカーして待ち伏せして、挙句の果てには、無理矢理犯すというような、そんな想像もできます。

 


まぁ、とにかくすごい曲ですよね、【プール】ってタイトルなのに、【プール】っていう言葉なんて一回も出てこずに、でも何となく、【プール】っぽいなって思えちゃうんですもんね。

152時限目:船乗り

【船乗り】


船乗り

船乗り

 

■シングル『遥か』のカップリング曲であり、スペシャルアルバム『色色衣』にも収録されています。個人的ランキング、195曲中50位でした。何ていうか、重厚で渋い曲ですよね。名カップリング曲のひとつだと思っています。

 


■【船乗り】という曲の誕生の話を、書籍や「色色衣座談会」などをたどりつつまとめてみます。

 


まず、マイアミショック(バンドの意向とは別に、ベストアルバムが発売になったという出来事)以前、つまり『フェイクファー』『花鳥風月』が発売になった後、スピッツは音作りを試行錯誤していました。具体的には、『フェイクファー』は、書籍の中で「音が暗く、沈んでいるように感じた」「音の迫力もあまりない」などの感想を、メンバー全員がそれぞれ語っていますが、それを解消するためでした。

 

そういうわけで、音作りを試行錯誤していく中で、レコーディングやミックスをアメリカで行う、という試みが成されました。

 

【船乗り】という曲も、その試みで生まれた曲で、どうやらレコーディングは日本で、ミックスをアメリカで行った曲であるらしいです。通常、レコーディングは、まず楽器ごとに分けて録ります…ギター、ベース、ドラム、ボーカルなど。そして、それらを合わせて、一つの音源にすることを、ミックスダウンという風に言うわけです。要は、それらを別々の地で行ったということですね。

 

実際、その試みは功を奏して、メンバーも満足いく出来になったようです。素人耳で聴いても分かりますよね、『フェイクファー』と比べると、一気に音の迫力が増しているところはね。

 


まぁ、そういう試みの最中に、”マイアミショック”が起こりますが、そういう試行錯誤、アメリカでの経験が、後のスピッツの再生、アルバム『ハヤブサ』発売へと繋がっていくわけですね。

 


■そんな、”日本生まれ・アメリカ育ちの曲”、とでも言っておきましょうか、【船乗り】とは、じゃあどういう事を歌っているのか、考えてみます。

 

まぁ、大きなくくりとしては、”俺”と”君”の恋愛関係を歌っている歌だと思うんですけど、個人的に僕はもっと大胆に考えて、”結婚式”の風景を思い浮かべました。まさかの”ウェディングソング説”は、どうですかね?

 

よく、結婚することに対して、”二人の新たな門出”みたいなことが言われますよね。この門出のことを、”船出”と例えているのかな、という印象を受けました。”船乗り”という言葉は、まさに今漕ぎ出そうとしている、二人の船の舵を取る男性の決意を表わした言葉なのではないでしょうか。

 


歌詞をなぞってみると、例えば

 


大事な日忘れないで すぐに終わりがあってもね
並んで怖いほど 胸が高鳴り容赦なく

 

遠いところまで君を連れていく
風に尋いてくれ

 

という部分。”大事な日”とは、まさに、結婚の日(結婚記念日)のことでしょうか。”忘れないで”と言いつつも、”すぐに終わりがあってもね”と言ってしまうのが、草野らしさなんでしょうか。そういう結婚の幸せが、愛の誓いが、いつまでも続くとは限らないけど…ということなんでしょうかね、笑。

 

あとは、”遠いところまで君を連れていく”という言葉ですよね。二人で同じ船に乗って、新しい生活へと船出をするわけですけど、男の方が言ったんでしょうね、「俺についてこい!必ず幸せにするから!」とね。そういう男らしさを感じる言葉でありつつ、ここでもまた、”風に尋いてくれ”と歌っていますね。「いや…でも、未来は分からないけどね…」とでも付け加えているんでしょうか、笑。

 


■他、気になる歌詞を引っ張ってみると…

 

”ネイビーの雲赤い空 渡る鳥も一緒に歌う”…この辺は何でしょうね、カラフルで賑やかな感じで、祝われている感がしますね。

 

”始まりのときめき 本当に俺は生まれていた”…面白いですよね、こういう表現も。結婚を喜び、自分が生きていることを感じている、という感じですか。

 

”幼いフリをして あんな言葉もいいかもね”…これは、結婚の誓いの言葉でしょうか。まだまだ若くて未熟だけど、誓った言葉は嘘じゃない、ってことなんでしょうか。

 

などなど。その気になれば、また色々と読み取ることができますけどね。

 


■まぁ、別に”結婚”に限定しなくても、単純に”デート風景”とかを思い浮かべてみても良いんじゃないですかね。

 

実は僕も、最初のイメージは”デート”だったんですけどね。”胸が高鳴り容赦なく”って、内心はめちゃくちゃドキドキしているんだけど、”遠いところまで君を連れてゆく”と強がって、頑張ってエスコートしようとしている男性の姿を思い浮かべました。

 

そうすると、”船乗り”とは何でしょうか、デートの舵を取るように頑張る、と考えても良いですが、一番単純なのは、池でボートを借りてオールを漕ぐ、という風景でしょうか。色々と、想像はつきませんね!