スピッツ大学

ステイホームしながら通える大学です!

29時限目:オーバードライブ

【オーバードライブ】


オーバードライブ

オーバードライブ

 

アルバム『惑星のかけら』に収録の曲です。…こうやって一曲一曲書いていくと、『惑星のかけら』に入ってる曲が、一番印象に残っていないかもしれません、すみません。(ちなみに、『惑星のかけら』の読み方は、”ホシ”のかけらです)

 

『惑星のかけら』の曲は、ロックではあるんだけど、全体的に歪んだ感じのサウンドが特徴です。こういうのを、グランジって言うそうです。音が歪んでいるというか、わざとちょっと汚い感じにしているというか、なんかそういう感じです。

 

それでも、やっぱり草野さんのきれいなボーカルが乗っかると、やっぱりスピッツなんだなって感じがします。

 


曲の感想・解釈です。

 

今回の曲【オーバードライブ】も、やはり先述の通り、ロックではあるんだけど、ワイルドな感じを出すために、ギターの音などが歪んだサウンドが印象的です。

 

謎なのは、間奏部分です。ロックな曲調が続く中、間奏でいきなり陽気なカーニバル調(?)というか、サンバみたいなメロディーが唐突に始まって、何じゃこりゃ?ってなります。そんで、間奏が終わって、また何食わぬ顔で、本来の曲調に戻るわけです。不思議です、何を意図していることなのでしょうか。

 


歌詞に関してですが、何かこの歌詞も、イヤーンな雰囲気が漂っています。

 


こっちへおいでよ かかっておいでよ
美人じゃないけど 君に決めたのさ

 

っていう出だしの歌詞がもう…個人的な印象では、ここと全体的な歌詞を読んだ感じで、援助交際での女子高生とのやり取りとか、風俗嬢やデリヘル嬢とのやり取りが浮かんできます。

 

”君に決めた”というところから、好みの女性を選んだ、ということが読み取れてます。”美人じゃないけど”というところも、またリアルですね。女性を選ぶ基準は様々でしょうし、人それぞれでしょうし。ベッドの上か、あるいは、席に座って、その女性に対して、「もっと近う寄れ」と促している光景が浮かんできます。

 


あとは、その解釈に沿って読んでいけば、また色々読み取れます。

 

”闇のルールで消される前に”…法に触れることなのか、もしくは、法律には反してはいないけど、世間的にはあまり印象は良くないことをしているのか。

”世界中に響くような獣の声で”…行為の最中にあげる声のことでしょうか。

だいだい色の太陽”…もしかすると、女性器?

 


ちなみに、タイトルの【オーバードライブ】の意味ですが、これは色んな意味があります。(英語では、Over Driveと書きます。僕としては、JUDY AND MARYの曲名としてのイメージが強すぎます)

 

まず、もともとの意味が、人や機械など、物を酷使すること、だそうです。この歌を、上記のようにSEXの解釈につなげるとするならば、このタイトルの意味としては、人を(体を)酷使する、という意味につなげられそうです。

 

あと、オーバードライブという、エフェクターがあります。エフェクターに関しては、あまり詳しくありませんが、要は電子楽器(エレキギターとか、キーボートやベース)に繋げて、音を歪ませる働きをするエフェクターです。

 

冒頭らへんに書いたように、この曲が収録されているアルバム自体が、全体的に歪んだサウンドを特徴としているので、それを表しているとも、考えられなくもないです。ただ、歌詞に関しては、あまりエフェクターとの関連性は感じられませんでの、響きで付けたか、前者の「酷使する」という意味とのダブルミーニング的に付けたタイトルか、そんなところだと考えています。

28時限目:エンドロールには早すぎる

【エンドロールには早すぎる】


 

アルバム『小さな生き物』に収録の曲。まず、タイトルから、あんまり聞かないようなタイトルの付け方だな、と思いました、長いですしね。

 

ダンスナンバーというか、ディスコ調といいますか、こういう曲はスピッツには新しいのかな、と思う反面で、やっぱり草野さんのボーカルが乗っかるだけで、紛れもなくスピッツだなと感じられます。まるで、ミラーボールが回り出しそうな雰囲気です(実際、アルバム『小さな生き物』に付属DVDでのLIVEでは、そうなっていました)。

 

ちなみに、wikipediaによると、ギター以外は、打ち込みらしいです。

 


エンドロール(end roll)とは、映画が終わって、最後にキャストやスタッフの名前などが流れるあれのことですね。ということで、エンドロールには早すぎる、とは、何かの終わりを惜しんでいる表現、と取れます。

 


映画でいうなら 最後の場面
終わりたくないよ スローにして

 

出だしの歌詞ですが、先述のとおり、まだ終わらないでよ、スローモーションにして引き伸ばして、と、何かが終わることを惜しんでいます。

 


そして、先を読んでいくと、この歌には、君と僕という二人の登場人物が出てきています。「二人浜辺を 歩いてく」、「抱き合って追いかけっこしてさ」などという表現から、二人は恋人同士、もしくはそれに近い友達関係?であることが見受けられます。

 

ということで、必然的に、エンドロールを迎えようとしているのは、この二人の物語である、ということが読み取れます。それは、恋人同士の解消としての別れなのか、それともただ単に、この日のデートが終わって、今日の日はさようなら、という感じなのかもしれません。何となく、前者のような気もしますけど。

 


ひとつ比較事項として、一番のBメロと、最後のBメロにおいて

 


<一番>
こんな当たり前が大事だってことに
なんで今気づいてんの

 

<最後>
あんな当たり前が大事だってことに
なんで今気づいてんの

 

という風に…お気づきでしょうか、”こんな”から”あんな”に変わっています。一番では、まだ二人でいる時で、最後では、ひとりになってしまっている、という時系列の流れにおける書きわけでしょうか。いずれにせよ、君といるという”当たり前”のことが、どれだけ大事だったか、思い返してるのでしょう。

 


そして最後の表現、僕ここの表現結構好きなんですけどね。こんな風に締めくくられています。

 


エンドロールには早すぎる 君のくしゃみが聞きたいよ
意外なオチに賭けている

 

君のくしゃみが聞きたいよ、ですよ、なんかいいですよね。たまに、変なくしゃみする女の人、いますよね(まぁ、男の人にもいますけど)。かわいいくしゃみの仕方だったんでしょうか。まさに草野節、面白い表現だと思います。

 

そして、意外なオチにかけている…映画の大どんでん返しのようなことが起こって、何とか君と別れなくていいように、願っているのでしょう。ここの表現もなかなかにくいですね。

27時限目:えにし

【えにし】


えにし

えにし

 

アルバム『とげまる』に収録されている曲です。ランチパックのCMに使われていた曲で、聴くといつも、ランチパックのあの四角いシルエットが浮かんでくるのは、ここだけの話です。

 

イントロから、疾走感が溢れています。遅刻しそうで、学校とか仕事場へ走っている時に、このBGMが脳内再生されそうですね。そして、もちろん口には、ランチパックをくわえて…という下りはもういいか。

 


前回の記事で、アルバム『とげまる』のことについて書かせてもらいました。その中で、このアルバムは、20周年を目前に控えたスピッツの、記念すべき、集大成的な一枚だと述べました。まぁ、彼らのことだから、そんな意識しながら、作ったわけではないでしょうけど。

 

それでも、この【えにし】という曲からは、スピッツメンバーの、とりわけマサムネさんの、20年分の想いがたっぷり伝わってきます。

 


”えにし”とは、漢字で”縁”と書き、別の読み方では、”えん”というのがあります。「ここで出会ったのも、何かの縁。」とか使うあれですね。意味は?っていうとなんだろうね、つながり、とか、めぐりあわせ、とかですかね。

 

そのタイトル通り、この歌は、”めぐりあわせ”とか”つながり”を歌っている曲なのだと思います。つまり、音楽によって生まれた、いや、今も生まれ続けている、人と人、音と人、の”つながり”や”めぐりあわせ”への喜びを歌っているという印象です。

 


まず、何と言っても見逃せないフレーズは、一番のAメロに出てきますこんなフレーズです。

 

「しかめ面で歩いた 汚れ犬の漫遊記」

 

やっぱり、汚れ犬=スピッツそのものを表しているのでしょうか。漫遊という言葉の意味は、そのまま辞書の表現を借りると、気の向くままに各地を回って旅すること、だそうです。そのまま、スピッツの活動に当てはまりそうな言葉ですね。

 


その他、印象的なフレーズを取り出して、解説してみます。

 


大切にしてた 古いラジカセから
聴こえてきてたような 実はよくあるストーリー

 

これは、マサムネさんの”願い”のような気がします。マサムネさんもきっと、少年時代、いや大人になってもかもしれませんが、ラジオやカセット、CDを聴いて、心を躍らせ、ミュージシャンへのあこがれを抱いたのでしょう、そんなあこがれに自分もなりたいと。

 

しかし、それを”実はよくあるストーリー”と表現しています。自分の歌、自分達の音楽、そもそもスピッツというバンドそのものは、決して遠くにあるものではなくて、自分が身近に感じていたミュージシャンたちのように、みんなの身近にいるんだ…というより身近にいたいんだ、と、そういう思いが伝わってきます。

 



何となく信じてた伝説すべて
わがままにねじまげて

美しい世界に 嫌われるとしても
それでいいよ 君に出会えてよかった

 

ここのフレーズは、ほんとに涙腺が緩みますね。

 

何度も書いてきましたが、スピッツは長いこと、自分たちがなりたかったバンドのイメージと、世間が抱くスピッツのイメージとの矛盾や差異に苦しんできたようです。

 

(この辺りは、僕が言うのもなんですが…)
確かに、自分たちは売れた。それはとても素晴らしかった、歌詞通り言えば、それは”美しい世界”だった。でも違うんだ、僕たちが本当にやりたい音楽は、ちょっと違うんだ、と。そういう想いが、アルバム『ハヤブサ』を完成させました。

 

今までの世間のイメージからは離れて、嫌われてしまうかもしれない、でもそれでもいい、本当の僕たちを知った上で、歌を聴いてくれる君に出会えたのだから、と。そんなことを表現しているのだと感じます。

 


ファンに向けて。そして、紛れもなくメンバーに向けて。
音楽を通じて生まれた、全ての【えにし】に感謝と喜びを込めて。
20周年の節目を迎えて、マサムネさんは、この歌を作ったのではないでしょうか。

26時限目:エトランゼ

【エトランゼ】


エトランゼ

エトランゼ

 

アルバム『フェイクファー』の1曲目に、そして、シングル『流れ星』の2曲目にカップリング収録されている曲です。アルバムの方が原曲で、シングルには、【エトランゼ(TANAYAMIX)】として収録されています。

 

タイトルの”エトランゼ”とは、フランス語で”etranger”と書き(正式には、”e”の上に点が付きます。”エトランジェ”とも発音?)、その意味は「見知らぬ人。異国の人」です。

 


そのバージョンの違いにより、歌詞こそ同じであるが、全然別曲のようになっている両曲です。

 

まず、収録時間が全然違います。【エトランゼ】の収録時間は1分33秒、これはスピッツの全曲の中で、一番短い曲になっています。その一方で、【エトランゼ(TANAYAMIX)】の方は、収録時間が8分29秒、スピッツの曲の中で一番長い曲になっています。一曲にして、スピッツの曲の中で、一番短い曲と長い曲を同時に実現させていることになるわけです。まぁ、片方はリミックス音源ですので、これをスピッツの曲とするかは考えどころですが(曲名通り、棚谷祐一さんという人が中心となってつくられたらしいです)。

 

曲の感じは、【エトランゼ】は、ほとんどマサムネさんのアカペラのような曲です。音は少なく、シンプルで、マサムネさんのボーカルに存分に浸れる曲になっています。

 

一方の【エトランゼ(TANAYAMIX)】は、収録時間が8分以上と言えど、マサムネさんのボーカルが入っている部分は少なくて、残りはサウンドトラック的な感じに仕上がっています。なんて言うか、潜水艦が海の底を進んでっているような、少しくぐもったようなサウンドが印象的です。

 

僕は、偶然というか何というか、シングル【流れ星】を持っていて(マキシの方ではなくって、昔の小さな8cmの方)、棚の奥から取り出して改めて聴き直しました。CDの作りが、これがまた面白いんです。というのが、【エトランゼ(TANAYAMIX)】の歌詞が、CDのジャケットではなくって、ディスク本体に、ぐるっと取り囲むように書かれているのです。

 


【エトランゼ】も【エトランゼ(TANAYAMIX)】も、歌詞は同じで、とても短いので、全文載せてみます。

 


目を閉じてすぐ 浮かび上がる人
ウミガメの頃 すれ違っただけの
慣れない街を 泳ぐもう一度
闇も白い夜

 

これだけしかないんです。しかしながら、その解釈ですが…さっぱり分かりません、笑。短いだけに、色々想像ができて、面白いと思います。

 

なんか、”なぞなぞ”みたいな歌詞ですよね。ゲームとかに出てくる、謎解きのような、不思議な雰囲気です。この文章をヒントに、ゲームの中でからくりを解いて、先へ進める、みたいなね。

ということで、色々想像してみます。

 


「目を閉じてすぐ 浮かび上がる人」
これは、片思いがイメージされます。好きな人の姿が焼き付いていて、目を閉じてその人のことを描いている、そんな光景が浮かんできます。

 

「ウミガメの頃 すれ違っただけの」
”すれ違っただけの…”に関しては、前述の”浮かび上がる人”にかかっているような気がします。つなげて考えてみると、偶然すれ違っただけの人に、片思いをしてしまった、とそういうことでしょうか。

 

で、この歌詞の中で印象的な”ウミガメの頃…”っていう部分ですが、何を意味してるのでしょうね。”ウミガメ”と聞くと、とてもきれいな海をゆったりと泳いでいる光景と、涙を流しながら砂浜で産卵している光景が浮かんできます。そして、ウミガメの”頃”と表現しているところ、これは言葉通り受け取ると、自分がウミガメだった頃があって、今は違っている、ということを示しているのでしょうか。

 

「慣れない街を 泳ぐもう一度 闇も白い夜
最後の”闇も白い夜”に関しては、何となく都会的なイメージが浮かびます。いつまでも明るい、賑やか街のイメージです。

 

そういう街のことを、”慣れない街”と表現しています。都会の暮らしになじめず、慣れていないのでしょうか。しかし、続けて”泳ぐもう一度”とあることから、何かのきっかけで、もう一度”ウミガメ”だった頃のように泳いでみよう、と思い立つわけですね。

 


断片的な解釈を無理やりつなげてみます。

 

まだ、私の心も若くて純粋だった頃(例えば学生時代とか?)、ずっと憧れていた人がいた。深い仲になったわけではなくて、遠くから眺めたり、すれ違うことしか出来なかったが。
時が経って、私は都会で暮らし始めた。都会の生活は、自分には馴染まずに、心も体もすっかり汚れて、疲れ切ってしまった。そんな時、偶然、街であの人のことを見かけた…私が昔、思いを寄せていたあの人を。
なんだか、自分の心が、純粋な頃に戻ったような気がした。そして、色んなことを思い出した。まだ、自分は自分でいられるんだ、と。
「大丈夫、私はまだ泳げる」もうちょっと、この場所で頑張ってみよう。

 

という感じです。この歌詞に関しては、本当に自由な想像が試されます。

 


この曲を知っている、知っていない、に関わらず、あなたにはどんなストーリーが想像できますか、と、逆にこっちが尋ねたいくらいです、笑。

25時限目:エスカルゴ

エスカルゴ】


エスカルゴ

エスカルゴ

 

アルバム『三日月ロック』に収録されている曲です。個人的に、特にお気に入りの曲のうちの一曲です。スピッツがロックバンドなんだということを、確かに示していると思います。

 


ここのブログでも何度も触れていますが、アルバム『ハヤブサ』によって、スピッツは、ロックバンドとして、もう一度はばたく決意をしました。あくまで僕の印象ですが、アルバム『ハヤブサ』は、その勢いのまま突っ走った部分もあったと思っています。良い意味で勢い重視のアルバムですね。

 

しかし、その次に発売された『三日月ロック』(更に言うと、『スーベニア』とか『さざなみCD』などもその流れを汲んでると思いますが)では、その勢いの部分を、決して押さえるというわけではなくて、磨いて、気持ちの良いロックへと、さらに進化・深化を遂げたと思っています。

 

言うなれば、過去のスピッツと、これから進んでいく、ロックバンドとしての色をさらに出していこうとするスピッツ、これらが気持ちよく融合してきたのが、ちょうどこの『三日月ロック』あたりかな、と個人的には思っています。

 


すこし脱線しました、曲の解説ですね。

 

まず、メロディーが本当に気持ちいいです。スピッツ屈指の気持ちの良い曲だと思います。最初のドラムなんか、本当に気持ちいいですよね、きたー!ってなりますよね。何回気持ちいいって言うんでしょうか。でも本当に、この曲を形容するのに、一番ふさわしい言葉は、”気持ちいい”なんです。

 


で、歌詞の解説ですが…大部分は、あんまりよく分かっていません、笑。

 

まず、僕の印象では、やっぱりラブソングなのかなって感じです。「枯葉舞い 恋の雨が降る」「ハニー 君に届きたい」などの表現から、そう察した次第です。

 


続けて、サビのここの表現に注目しました。

 


ハニー 君をジャマしたい
ごめんなさい 遅かれ早かれ
すべて解るはず 正直な ざらざらの世界へ

 

「君をジャマしたい ごめんなさい」…言葉通りに、ジャマをする、ということが何なのかを考えてみました…何をジャマするのか、と。恋愛に絡めるとすると、君の恋路をジャマしたい、ということでしょうか。つまり、好きになった人は、自分とは別の人に片思いをしている、もしくはすでに恋人がいる、という状況での恋愛、というイメージです。そういう人を、好きになってしまったのです。

 

「ざらざらの世界へ」…何度もこの歌の中に出てくるフレーズで、印象に残りますが、これは何を意味してるのでしょうか。ざらざらな…うーむ、色々と障害が多いということを表しているのでしょうか。

 

別の部分では、「何も迷わない 追いかける ざらざらの世界へ」となっていることから、障害が多い恋愛だとしても、もう迷わない、という強い決意を感じます。



しかし、そのような強い決意を示しながらも、タイトルは『エスカルゴ』なんですね。エスカルゴ(escargot)とは、フランス語で”カタツムリ”を意味しますが、曲の疾走感や歌詞には少しミスマッチな気もします。どちらかというと、カタツムリと聞いて抱くイメージとしては、閉じこもっている、ゆっくりと動く、(人によっては)気持ち悪い、等が一般的でしょうしね。

 

良い方に捉えると、殻の内側に強い信念を持って、恋愛は決して上手じゃないながらも必死で頑張っている、そんな健気な姿が浮かんできますね。頑張れ、エスカルゴ!



ちなみに、上記のエスカルゴという言葉のイメージから、この曲を「引きこもりの歌」あるいは「引きこもりから立ち直る歌」として捉える解釈もありました。それもありかも知れませんね。

24時限目:運命の人

【運命の人】


運命の人(Album Version)

運命の人(Album Version)

 

17枚目のシングル曲で、アルバム『フェイクファー』にも収録されています。アルバムにはAlbum Versionが入っていて、シングルよりは半音下げになっています。なんでも、シングルの【運命の人】の出来に満足がいかなかったらしく、アルバムで再度レコーディングしたとのことです。

 

この曲が出た時のこと、何となく覚えています。確か、僕が小6か中1か、そのくらいの頃だったと思いますが、Mステにスピッツが出て、この曲を新曲として披露していました。最初聴いた時、なんかとても楽しい曲だな、と感じたことを覚えています。

 

色んな音が聴こえてきて、キラキラしている感じがします。草野さんがアコギを弾いていて、エレキギターのも音もクリーンで、それらの組み合わせが心地よいです。

 


歌の解釈ですが、僕としては、この歌に関してはさすがに、気持ちの良いラブソングであると、素直に感じることができました。

 

この曲には、個人的に印象に残るフレーズがたくさん出てきます。それらを紹介していきます。

 


まず、一番のAメロ、Bメロから。

 

「バスの揺れ方で人生の意味が解かった…」
初っ端の歌詞であるが、本当に印象に残りますね。おそらく、何でもない日常の一コマも、君と生きていくことを大切にしたいな、ということですかね。

 

「愛はコンビニでも買えるけれど…」
「変な下着に夢がはじけてたたき合って笑う」
これらの下りも、同じようなことを歌っているんじゃないでしょうか。特別なことなどない、何てことのない日々だとしても、くだらないことで笑ったりして、僕たちなりの愛を育てていこうよ、と歌っているように感じます。

 

「でもさ 君は運命の人だから」
個人的に、一番印象に残ったフレーズです。この「でもさ」が、なんか良いですよね。君は運命の人だ、という重要な告白を、「でもさ」と、さらっと、飾らずに言っちゃう感じ、ほほえましいですよね。どんな会話で、こういうフレーズが使えるんでしょうね、笑。

 


次、サビの歌詞から。

 

「あえて無料のユートピアも 汚れた靴で通り過ぎるのさ」
この歌詞も、すごいですよね、どうやったらこんな素敵な歌詞が思いつくのでしょう。無料のユートピア=つまりは世の中のそこら辺にあふれている幸せ、ということですかね。それを、汚れた靴で通り過ぎるんですからね、自分たちの幸せ、自分たちが何を楽しいと思うか、そんなのは自分たちで決めていこうよ、と歌っていると感じます。

 

「いつかつまづいた時には 横にいるから ふらつきながら…」
こんなプロポーズしてみたいですよね、笑。大好きな人にこんなこと言われたら、きっと嬉しいでしょうね。

 


最後、もうひとつ。

 

この歌の中に出てくる印象的なフレーズとして、「神様」という言葉があります。二番のサビなんかは、何度も連呼していますね。

 

個人的に言わせてもらえば、スピッツの歌の中に出てくる「神様」という存在には、”死”のイメージがつきまといます。そこから僕は、草野さんは「神様」という存在を、”死”の象徴として使っているのではないか、と考えるようになりました。

 

となると、この【運命の人】に出てくる「神様」はどうなるでしょうか。純粋にラブソングと解釈をしているので、その解釈につなげるとしたら、死ぬまで一緒にいよう、という思いを表す言葉と考えることができます。

 

まぁ、そうじゃなくても、何となく神頼み的な雰囲気でもありますかね。普段は、神様なんて信じていないくせに、都合のいい時だけ、神様!お願いです!願いを叶えてください!、みたいに言っちゃう軽い感じ。それでもありだと思います。

 


他にも、印象的なフレーズが出てきますが、その全部に、幸せ、愛を感じますね。素直に、ほほえましいラブソングだと思います。

 

【運命の人】(ダメだ、見るといっつも笑ってしまう)

youtu.be

23時限目:うめぼし

【うめぼし】


うめぼし

うめぼし

 

アルバム『スピッツ』に収録されている曲。何よりもまず、タイトルですよ、【うめぼし】というタイトルで曲を作ろうという、そしてそれをアルバムに入れてしまおうという神経をうたg…いや、すごいと思います。

 

マサムネさんの弾き語りを引き立たせるように、弦楽器の音が優しくそれを包み込んでいます。(使われている楽器の全部は分からないですが)

 

それはそうと、イントロがいつ聴いても、ファミリーマートの来客音に似ていると感じるのですが、僕だけでしょうか…。

 


さて、【うめぼし】を冠しているこの曲は、どんなことを歌っているのでしょうか。まず、出だしの歌詞はこうである。

 


うめぼし食べたい
うめぼし食べたい 僕は今すぐ君に会いたい

 

とてもさみしい
とてもさみしい 僕は今すぐ君に会いたい

 

何となく、ラブソングに思えます。「君に会いたい」ですもんね。しかし、それと、「うめぼし食べたい」と、どうつながっているのか。

 


まずひとつ考えられるのは、恋愛というものを、”酸っぱいもの”に例えるために、うめぼしを持ち出したという解釈です。

 

恋愛というものは、しばしば、甘酸っぱいものだ、と表現されます。うれしかったり(甘い)、悲しかったり(酸っぱい)と、一喜一憂するものが恋愛である、ということです。

 

これらから、つながりとしては、この場合はおそらく恋人であろう”君”に会いたい=(甘)酸っぱい思いを味わいたい=うめぼし食べたい、という関係が成り立ちます。

 


もうひとつ。

 

ずばり、うめぼし=女性の乳首、という解釈があります。こうなると、ラブソング、というところから少し外れてしまいますね。

 

この解釈だと、うめぼし食べたい=…わかりますよね?

 

もちろん、君を恋人としても、この場合では成り立つと思いますが、さらにこの解釈を飛躍させたのが、”君”というのが風俗嬢である、という解釈です。

 

この解釈で考えると、「値札のついた心 枠からはみ出せない」というフレーズが、料金が発生するという関係から発展することができない、という意味に捉えられなくもないです。風俗嬢なら、確かにそうだな、とつながりを感じますね。

 


残りの歌詞は、申し訳ない、あまり良い解釈はできそうにないです。色々、この歌も想像して楽しめる曲ですね。【うめぼし】…うーん、日本音楽史に残る珍曲(名曲?)のひとつですね。

22時限目:海を見に行こう

【海を見に行こう】


海を見に行こう

海を見に行こう

 

アルバム『三日月ロック』に収録されている曲です。そのまま、弾き語りでもきっといい曲なんだろうな、って感じの、アコギの音がここちよい曲です。

 


明日 海を見に行こう
眠らないで二人で行こう
朝一番のバスで行こう
久しぶりに海へ行こう

 

いきなり、歌詞の一部分です。ここの部分だけ見れば、その通り、明日海を見に行こう、と約束している、おそらく恋人同士の歌、というイメージが浮かんできます。

 

ただ、単純にそんな歌に収まりますかねー、マサムネさんの歌が…?と、深読みしようとしてしまう、悪い癖です。

 


しかし、気になるのは…またこの歌詞でも出てきていますね、漢字で書けるのに、カタカナで書かれているフレーズが。

 


何もない? 何かある? この道の彼方に
フツウだけど 確かに僕の目の前に広がる

 

この中の、”フツウ”というフレーズですね。一般的には、”普通”と書きますよね。

 

時々こういうのあるんですけど、何なんでしょうね?カタカナにする意図ってのは、マサムネさんの中に何かあるのでしょうか?僕の印象では、そのものが本来持つ言葉の意味とは少し違う意味合いで、その言葉が使われてる場合にカタカナにしているのかな、と思っています。

 

ともすると、この”フツウ”はどうなんでしょう?”普通”という言葉の意味を、一般的な意味では使っていない、とはどういうことなんでしょうか?

 


あるいは、この歌詞の中に出てくる人たち(恋人同士?)にとっての普通が、世間一般の普通とはかけ離れている、とかでしょうか。

 

道の彼方に広がっている…おそらく海の景色だと思われますが、この景色を見ることが、二人にとっては普通じゃない、特別なことなんだということを表しているとしたら、どんなことが考えられるだろうか。

 

例えば、彼女が病気で、その病床で男の方が、明日海を見に行こうか、と言っていたとかだったら…。海を見る、という、そんなに特別ではないことも、二人にとっては特別なことに変わるのでしょう。

 

この詩の中でもうひとつ気になるのは、明日海を見に行こう、と言っているだけで、海を見ている描写が無い、というところです。二人は、本当に海を見に行けたのでしょうか?



とまぁ、こんな風に、深読みしてしまう、悪い癖ですね。

 

この曲は、JR東日本のキャンペーンソングに起用された曲ということで、シンプルに考えて、変な解釈をくっつけるのはやめた方がよさそうですかね。この曲に関して、深読みが過ぎましたでしょうか。

21時限目:海ねこ

【海ねこ】


海ねこ

海ねこ

 

アルバム『オーロラになれなかった人のために』に収録されている曲です。…ごめんなさい、あんまり印象に残っていませんでしたので、今回改めてしっかり聴き直しました、笑。個人的に、このアルバムには、あまり明るい曲は入ってなかったイメージだったんだけど、こんな明るい曲があったんでしたね。

 

とても陽気な曲です、ホーンの音がとても印象的で、それが陽気な印象を高める役割を果たしていますね。

 

間奏の「ぱーぱーぱーぱぱーぱー…」の部分ですが、何か妙な音(声にエフェクトをかけた音?)が入っていて、ちょっと奇妙です。しかし、何となくブルーハーツの【パーティー】という曲を思い出しました。

 

アルバムに入っている他の曲が実験的で、異質な感じがする中、この曲は個人的に、少しずつスピッツの第二期(アルバム『クリスピー』あたりから、スピッツが認知されるようになってくる時代)の曲に近づいてってる片鱗を見せている曲なのかな、と感じます。

 


歌詞に関しては、何かが隠されているのかもしれないですが、今回は割と素直に読もうとしました。

 


はじめからこうなるとわかっていたのに
宝物のありかはわかってたのに

 

(中略)

 

今日 一日だけでいい
僕のとなりでうたっていて



出だしの歌詞と、サビの歌詞を並べました。

 

僕の解釈のひとつとしては…告白をしたけど、フラれてしまったね、でも、今日一日だけはそばにいてよ、頑張って自分の気持ちに踏ん切りつけるからさ、って感じですかね。

 

「宝物のありかはわかっていた…」とは、おそらく、好きな人は君だってことに、ずっと気付いていたんだ、ということでしょう。それで、「はじめからこうなるとわかっていた…」ですからね、きっとフラれることは、分かっていたのでしょう。

 

 

で、一番の謎は、この曲のタイトルが【海ねこ】だということです。”海ねこ”という言葉はおろか、海を思わせるフレーズも、歌詞の中に一つも出てきていませんし。(”わた雲”というフレーズが出てきますが、辛うじてそうかも?)

 

色々物語を考えてみると、例えば、海の見える場所(砂浜とか)で告白したとか、でしょうか。それか、告白、という解釈を少し変えれば、例えば、告白までは至らなかった、という結末の物語も浮かびました。

 

ずっと好きだったけど、結局告白できずじまいになってしまった(それが「はじめからこうなると分かっていた」に当たるか?)。君はどこか遠くへ旅立ってしまう、離ればなれになる前に、今日一日だけは一緒にいてよ、という感じです。もしかしたら、君の方も、僕の気持ちにすでに気付いているのかもしれません。

 

 

そうなると、”海ねこ”とは、旅立っていく”君”のことを、鳥に例えて、そう表しているのかもしれません。

20時限目:海とピンク

【海とピンク】


海とピンク

海とピンク

 

アルバム『スピッツ』に収録されている曲。個人的に、スピッツ変態ソング四天王の一角を担う曲です…あとの3曲は、またお楽しみに、ということで。

 

まず、曲自体に関して、最初はそんなに気になるような曲ではなかったけど、LIVE映像でこの曲を聴いて、印象ががらりと変わりました。ロックの中に、マサムネさんが弾くアコギの音が聴こえ、それがこの曲に爽やかさを演出しています。

 

※今回の記事は、割と下ネタを含みます。この曲のことが好きで、解釈を読んで、幻滅したりするかもしれないですが…責任はとりません!思う存分しゃべります。















さて、この曲の解釈ですが…紛うことのないエロい歌だと思っています。SEX中なのか、SEX後なのか、とにかくそういう歌だという解釈です。

 

まず出だしの「ピンクのまんまる」ってのがもう…こう書くと分かりやすいかな…”まん”をカタカナ表記にして、”まる”を〇と表記すれば、あらら、「ピンクのマン〇」ですか。それが、「空いっぱいに広がる」ってどういう感じなんでしょうか。

 

その他、イメージできるものとしては、たくさんあるんですけど、

 

「毒入りのケーキのかけら」…ピルのこと?
「花びら」…ピンクのまんまるのこと?
「小さな玉砂利」…クリ〇〇スか、乳首か?(足の裏でくすぐるとは?足で触ってるんでしょうか)
「とんがったゴミの中」…コンドームにつつまれた男性器?
「かたくなる身体」…マックス状態の男性器?

などなど。

 


そして、注目したいのが、タイトルに「海」という言葉が使われていますし、歌詞にも、「海」「海岸」という言葉が出てきます。

 


ちょっと君を見て 海を見て
あくびして

 

この文章が何を意味するのでしょうか。

 

まさか、海で青姦をしているわけじゃないでしょうし、いやマサムネさんにとってはあり得るのかな。

 

あとは、これも下ネタになりますが、”海”が女性器そのものを表しているのではないでしょうか。”海”、ということは、うるおっているのでしょうね、笑。そう考えると、「君を見て 海を見て」ですからね、それはそれは楽しそうですこと。

 


以上、これぐらいで満足です。

 

もし、こういう解釈が本当ならば、すごいと思いませんか?普通に聴くと、そんなこと微塵と感じませんよ、ただ海でいちゃつくカップルかな?とかに思えますしね。