スピッツ大学

ステイホームしながら通える大学です!

19時限目:ウサギのバイク

【ウサギのバイク】


ウサギのバイク

ウサギのバイク

 

■アルバム『名前をつけてやる』のトップバッターを務める曲です。イントロが終わって、さぁ曲が始まったと思いきや、出だしがまさかのスキャット。歌詞のないままAメロ、サビを、ラララ…だの、トゥトゥトゥ…などと歌って過ぎていきます。で、歌詞が入ってくるのは、2番から、ということです。

 

【ウサギのバイク】なんていう、メルヘンでかわいいタイトルになっていますが、どんなことを歌っているのでしょうか。いくつか、歌詞をなぞりながら、見ていきます。

 

 

■まず、出だしの部分で、”ウサギのバイクで逃げ出そう”、”優しいあの娘も連れて行こう”という歌詞が出てきます。

 

この辺りは、単純に考えると、女の子をバイクに乗せて、ドライブに連れ出す話と考えることができそうですね。しかし、バイクって言葉が出てきて、そのままバイクに乗っていると解釈するのは安易でしょうか、相手は草野さんですからね、笑。草野さんのことだから、何か裏があって、ひねくれているのかもしれません。ウサギの意味も不明ですしね…。

 

あと、”脈拍のおかしなリズム”という歌詞も出てきますが、ここは上述の歌詞とつなげると、女の子を連れ出してドキドキしている男の子の様子とも考えることができるかもしれません。もしくは、バイクに本当に乗っていること前提で、バイクの振動を表しているかもしれません。

 


■うーん、なんかどうもしっくりこない解釈だなあ、と思っていましたが、調べてみると、この歌詞はズバリ、SEXの描写だという解釈がありました。イヤーンな歌がまた出てきましたね。どの部分から、そういう解釈につながったのか、想像してみてください。例えば、

 

”ウサギのバイク”…”ウサギ”が女性で、”バイク”が男性ということにすると、女性が男性にまたがって揺れている…ということは…。

 

”脈拍のおかしなリズム”…興奮しているってことでしょうか。上から流れで、またがって揺れて興奮、ということは…。

 

他、枯葉を巻き上げて、とか、氷の丘を越えて、とかも、何かの隠喩になっていそうですね。

 


■などなど、全ての表現がそっちの方向に考えられそうですが。

 

まぁ、スピッツの歌は、「そう言われると確かにそうかも…」という風に、一旦解釈を与えられたら、そういう感じにしか思えなくなることがあります。なるべくならば、そういう思い込みに陥らないように自由に解釈していきたいですが、厄介でありながらも、面白いところでもあると思います。なるほどねって、思わせてくれたりします。

 

ということで、バイクに連れ出す話なのか、SEXの描写なのか、もしくはこれら以外なのか、どんな解釈ができるでしょうか。

18時限目:ウィリー

【ウィリー】


ウィリー

ウィリー

 

■アルバム『フェイクファー』に収録されている曲。軽い感じの曲の割には、イントロから、ドスの効いたベース音が引き立って聴こえます。

 

この曲は何と言っても、出だしから「イェーイ サルが行くサルの中を」というフレーズがすごく耳に残ります。聴くと今でも、なんちゅー曲じゃこりゃ、と思ってしまいます。

 

生前の父親は、車の中で僕がアルバム『フェイクファー』を流すと、この【ウィリー】に差し掛かった時に、「変な曲だな」と言っていました。しかし、次の瞬間には、くせになったのか、「イェーイ…」と歌い出していました。

 

つくづく、マサムネさんが、そしてスピッツが、いかに耳に残るメロディーや歌詞を生み出すアーティストであるか、ということが分かる・表している一曲だと思います。

 


■まず、出だしの歌詞がこんな感じです

 


サルが行くサルの中を
無茶してもタフなモーターで
だんだん止めたい気持ちわきあがっても
手に入れるまで
もう二度とここには戻らない

 

まず、この歌詞の中で使われている”サル”という言葉、これはおそらく、人間を表していると思っています。

 

そういうわけで、「サルが行くサルの中を」で、雑踏の中を歩いている人を…もっと言うと、一番目の”サル”はウィリーを、二番目の”サル”は周りにいる人たちを表している、というイメージです。

何ていうか、自分は特別なんだと、信じようとしていう感じでしょうか。しかしながら、所詮自分も”サルに紛れたサル”ということです。

 


■この部分の歌詞も印象に残りました。

 


電話もクルマも知らない眠れないなら
いっそ朝まで
大きな夜と踊り明かそう

 

不思議に思ったのは、漢字で書けるのに、カタカナで表されているものがあるということです。「サル」もそうですが(まぁ、サルはカタカナ表記もよくみますので、そんなに気にはなりませんが)、特にここの「クルマ」は、何か不思議ですよね、何か意味があるんじゃないかと、疑ってしまいます…草野さんの技法なのか、それとも、ただの言葉遊びなだけかもしれませんが。

 

個人的な解釈としては、例えば、”電話もクルマも知らない”という部分で、僕は、吉幾三さんの【俺ら東京さ行ぐだ】という曲が浮かんできます。「はぁーラジオもねぇ テレビもねぇ」「こんな村嫌だー」などというフレーズが有名な曲です。

 

吉幾三さんの歌の話ではないが、例えばウィリーは、夢を追って、地方から都会に出てきたのではないか、と解釈してみました。大学生になって上京してきたとかってのもありですね。だから、”電話もクルマも知らない”なんですね、まだ都会に慣れていないような様子を表しているんですかね。

 


■他の歌詞を読んでみると、

 

「手に入れるまで もう二度とここには戻らない」…ここの部分はまさに、夢や目的を叶えるために、やってやるんだという決意の表れでしょうか。

 

「大きな夜と踊り明かそう」…ここらへんは、ちょっと無理して、歓楽街に繰り出しての飲み騒ぎの様子が思い浮かびました。ひょっとしたら、いかがわしい、イヤーンな店にも行ったりするのかもしれません。

 

「甘く苦く それは堕落じゃなく」…あくまで、堕落ではない、と強調していますね。自分は、何かを成し遂げることができるんだと、根拠があるのかないのかは分かりかねますが、そう信じ込んでいるんです。その願いは、大成するのか、それとも何処かで朽ち果てるのか、未来なんて分からないまま、都会の片隅で暮らしているんですね。

 


そう考えると、日本は”ウィリー”だらけなのかもしれませんね。
あなたは、”ウィリー”してますか?

17時限目:インディゴ地平線

インディゴ地平線


インディゴ地平線

インディゴ地平線

 

アルバム「インディゴ地平線」に収録の曲。見ての通り、表題曲になっています。なんか、たまにすごく聴きたくなるような、不思議な魅力を持っている曲です。

 

wikipedia情報によると、まずこの曲の仮タイトルは「キリン」。マサムネさんのイメージでは、そのままwikiの本文を借りると、「裸足で地面に立ち、真っ直ぐ地平線を見つめるイメージ」ということだそうです。

 

僕は、この曲を聴くといつも、寒そうな曲だなと感じます。アルバム「インディゴ地平線」自体が、明るい曲が多く、【渚】なんて夏の曲が入ったりしていますが、何となく全体的に寒いイメージがしています。ちなみにですが、アルバム「フェイクファー」は、温かいイメージです。

 


インディゴ(Indigo)とは、藍色の染料のことで、歌詞の中にも出てくる、インディゴ・ブルー(Indigo blue)で、その染料によって染められた色のことを表します。いわゆる一般的なジーンズの色のような、深い藍色が思い浮かびます。タイトルにもなっています、「インディゴ地平線」は、マサムネさんの造語らしいです。そのまま、インディゴ・ブルーに染まった地平線、ということでしょう。

 

僕のイメージでは、冬のよく晴れた、空気の澄んだ朝の、太陽が昇るか昇らないか、その境目で少しずつ明るくなっていく空を思い浮かべました。



曲の解釈についてですが、まず、これらの歌詞から、状況を想像してみます。

 


君と地平線まで 遠い記憶の場所へ
溜め息の後の インディゴ・ブルーの果て

 

歪みを消された 病んだ地獄の街を
切れそうなロープで やっと逃げ出す夜明け

 *

 

寂しく長い道をそれて
時を止めよう 骨だけの翼 眠らせて

 

後半4行は、なんかほんとすごいですよね。なんとも言えないんですけど、独特と言うか、マサムネワールド全開というか。後半4行を読んで、まず「逃げ出す」「それて」という言葉から、文字通り、何かから逃げているような、そんなイメージが浮かびました。



じゃあ何から逃げるのか?

 

ひとつ、一番自分のイメージに近いものは「駆け落ち」です。許されない恋愛をして、良い風には思われていない男女が、親元やその時の環境を捨てて(そこから逃げて)、違う場所で一緒に暮らしを始める、というやつですね。

 

まだ太陽の昇りきらない朝方、自分達のことを許してくれない環境(ここの部分を「歪みを消された 病んだ地獄の街」と表現している?)に嫌気がさし、男女はこっそりと逃げ出すことにした。それは目的地なんてない、あてのない旅かもしれないけど、とりあえずどこか遠く(「インディゴ・ブルーの果て」と表現している?)まで逃げよう、と。



「逃げる」ということから、他にも色々なイメージが浮かびます。例えば、犯罪者が追ってから逃げるとか、若者が自分の生活を無理やり変えようと家出をする、など。

 

そして、「生きること」から逃げる、というのもありますね。

 

僕は、この歌を聴いた時、そういうイメージも浮かびました。ともすれば、先述の男女は、「生きること」から逃げようとしていることになり、この歌が心中の歌になってしまいます。インディゴに染められた空を、どこか高いところから眺めていて、まさに飛び降りようとしている状況だということです。冒頭らへんで書いた、マサムネさんのこの歌詞のイメージに、なんとなく合いそうです。

 

そう思って歌詞を読むと、確かに不穏なフレーズもちらほら見かけます。

 

「遠い記憶の場所」…生まれる前の世界、つまり死後の世界
「インディゴ・ブルーの果て」…これも「遠い記憶の場所」と同意
「そっと背中に触れた」…突き落とした
「逆風に向かい手を広げて」…飛び降りている状況
「寂しく長い道をそれて時を止めよう」…生きるということからそれる、つまり死を選ぶ

などがありますね。

 


解釈ひとつで、歌の様子ががらりと変わりますね。スピッツの歌の面白さのひとつでもあります。

 

インディゴ地平線 MV

youtu.be

16時限目:いろは

【いろは】


いろは

いろは

 

アルバム『ハヤブサ』に収録されている曲。前回の記事では、同じアルバムに入っている【今】という曲を紹介させてもらったが、僕としては、曲調は違っているとしても、同じ意味合いを持つ曲だと思っています。ということで、前回書いた【今】の記事も合わせて読んでいただければ、今回の記事もより深く理解していただけると思います。

 

この【いろは】もまた、これまで(「ハヤブサ」以前)のスピッツには、あまりなかった曲だと思っています。【今】と同様、違和感を感じ、当時はあまり好きになれなかった曲でした。

 


【今】と【いろは】、この二つの曲の詞には、同じようなフレーズが出てきます。具体的には、【今】に出てくる「浅瀬」という言葉と、そして【いろは】に出てくる「波打ち際」という言葉です。

 

「浅瀬」という言葉の解釈は、前回記しましたが、僕のイメージでは、「波打ち際」という言葉も、同じような意味合いで使われているんではないか、と思っています。

 

つまり、「浅瀬」も「波打ち際」も、どちらもスピッツの「今」を表しているということです。(前回から気になってはいましたが、ここでいう「今」は、『ハヤブサ』発売当時のことですからね。)

 


出だしと終わりが、全く同じこんな歌詞でした。

 


波打ち際に 書いた言葉は
永遠に輝く まがい物
俺の秘密を知ったからには
ただじゃ済まさぬ メロメロに

 

特に印象に残っているのは、最初の2行の表現です。

 

「波打ち際に書いた言葉」…僕はこれを、スピッツがこれまで歩んできた軌跡だったり、残してきた曲を表している、と解釈しました。

 

そして、続く「永遠に輝く まがい物」という表現。まず、まがい物…これの本来の意味は、偽物、本物に似せて作られた全く別の物、というものですが、歌詞の中で流れを読むと、上記の「波打ち際に書いた言葉」を指していると思われます。つまり、これまでのスピッツ=まがい物だった、ということになります。

 

そして、まがい物、という言葉の前に、「永遠に輝く」という表現がくっついています。これは良い意味でも悪い意味でも、まがい物だとしても、これまでのスピッツはこれまでのスピッツとして、残っていくよ、という表現でしょうか。諦めなのか、それともそう決意したのかは分かりませんが。

 

これも先日書いたことですが、当時のスピッツは、世間の抱くスピッツ像と、自分達が目指すスピッツ像との矛盾や差異に苦しんでいました。そして、アルバム『ハヤブサ』で、ひいては【今】や【いろは】という曲で、そこからの脱却を試みました。

 

まさに、これらの心情を、先の2行は歌っているのではないでしょうか。これまで、色々やってきたけど、それはそれで置いといて、違うんだよ、俺たちがやりたいことは、そういうんじゃないんだ、と。

 


そして、サビの部分。ここは短く、こんな風に歌われています。

 


まだ 愛はありそうか?
今日が最初のいろは

 

僕のイメージでは、「最初のいろは」とは、これからのスピッツの始まりを表しているものだと思います。それを、この曲で、このアルバムで見せていきたい、という決意の表れでしょうか。

 

愛はありそうか?…これは誰に向けて放った言葉でしょうか。

 

もしも、ファンに向けた言葉であるならば、変わっていくスピッツを、まだ愛してくれるか、という意味になりますね。

もしも、自分やバンドメンバーに向けた言葉であるならば、言い聞かせる意味で、まだスピッツをやっていけそう?という問いの投げかけになりますね。

 

いずれにせよ、ここの愛とは、スピッツへの愛、を表していると思っています。

 


何度も言うようですが、【今】と【いろは】、そしてそれらを収録しているアルバム『ハヤブサ』、これらはスピッツの中でも、とにかく重要な作品であると言えるでしょう、勝手な解釈もたくさんありますが…。

15時限目:今

【今】


今

 

アルバム「ハヤブサ」に収録されている曲です。このアルバムを手にして、初めてこの曲を聴いた時、びっくりしたことを覚えています。それは、この曲が今までのスピッツにないような、ロックな曲だったからです。

 

そういうわけで、最初は違和感を感じたことを覚えています。そして、最初はあまり好きになれなかったのです。

 

しかし、「ハヤブサ」というアルバムがどういうアルバムか、そして、スピッツがやろうとしていることは何なのか、などを知っていく上で、この曲の表していることが何となく分かってきて、今では大切な曲になりました。

 


合わせて、先日僕が書いた記事を読んでもらえれば、よりこの記事が生きてくるんですが、かなり長文なので…要約すると、その記事で僕は、アルバム「ハヤブサ」は、スピッツのアルバムの中でも重要な一枚で、彼らがこのアルバムでやろうとしたことは、自分達が目指す、ロックバンドとしてのスピッツを、世間に知らせることだった、と記したつもりです。

 

そんなアルバムの、一曲目を飾る曲、【今】。僕としては、この曲はタイトル通り、スピッツの「今」を歌っている曲だと解釈しました。スピッツの、まさに「今」の思いを詰め込んだ曲だということですね。



サビの部分で、マサムネさんはこんな風に歌っています。

 


君と歩く浅瀬
笑って 軽くなでるように
待ちこがれた「今」

 

この中で、僕は「浅瀬」という言葉に注目しました。このアルバムには、【いろは】という曲も入っていますが、この曲の中にも、「波打ち際」という、よく似た言葉が出てきます。ということで、「浅瀬」や「波打ち際」という言葉は、この時期のスピッツにとって、重要な言葉だったんじゃないか、と思っています。



浅瀬というのは、陸と海の境界線の場所ですね。僕のイメージでは、陸は、今まで自分達が居た場所、つまり「過去」で、海は、これから自分たちが目指す場所、つまり「未来」、という解釈です。そして、その境界線の浅瀬がまさしく、「今」の自分達がいる場所、という解釈につながります。

 

スピッツは、この曲で、大きな海に漕ぎ出していこうとしていたのではないでしょうか。先述の通り、自分達のやりたいことをやって、それを世間に知ってもらいたくて、この頃のスピッツは、変わろうとしていたのだと思います。この曲は、そういう決意表明の曲に思えてきます。それをマサムネさんは、”待ちこがれた「今」”と表現しています。

 

ちなみに、”君”の解釈としては、メンバーか、ファンのことだと思っています。前者、メンバーという解釈が強いですね。



この曲の最後は、こういう表現で締めくくられています。

 


いつかは 傷も夢も忘れて
だげど息をしてる それを感じてるよ今

 

ここの表現も、そういう意味で聴くと、なんか泣けてきます。

14時限目:稲穂

【稲穂】


稲穂

稲穂


シングル「さわって・変わって」にカップリングとして、アルバム「色色衣」にNEW MIXとして収録されています。

 

アコギとボーカルだけで曲が始まります。そのまま、弾き語りでもきっといい感じになると思います。全体的に、カントリー調です。今回、改めて聴いてみましたが、ベースがすごく良い味を出してますね。


歌詞の解釈は、そのまま素直に読めば、個人的には「田舎の青春」というものが浮かびます。何となく、畑のあぜ道を、高校生あたりの若者が、大騒ぎしながら走っているようなイメージです。

 

「美しく実る稲穂」「夕焼けが僕らを染めていた」など、これらは牧歌的な景色が浮かんできます。

 


ただ、いかんな、スピッツの歌は、何となく少し深読みをすると、エロく感じてしまいます。この歌も例外ではありません。【稲穂】って言葉が、何とも、いやらしく聴こえてくるのは、僕だけでしょうか。

 

「初めて本気でカワイイ蜂に刺された」とか、初体験でしょうか。「最後の花火」とかも、なんかの隠語になってるとか?妖しく聞こえます。

 

あまり、良い解釈はできそうにないです。この曲は、これくらいが限界ですかね。好きな曲ではありますけどね。ギター(アコギ)の練習になりますよ、結構リズムキープが難しいんですよね、コードは簡単ですけど。

13時限目:田舎の生活

【田舎の生活】


田舎の生活

田舎の生活

 

ミニアルバム「オーロラになれなかった人のために」に収録されている曲。個人的に、「オーロラ…」に入っている曲は、弾き語りのようでもあったり、ストリングスやオーケストラを多用している曲だったりして、他の作品とは少し異質の感じがします。全体的に、好みが分かれるかもしれませんね、コアなスピッツファンには好まれているような気がします。

 

その中の一曲、【田舎の生活】。アコギと、木琴(?)と鉄琴(?)、ヴァイオリン、ベース等の音がゆったりと鳴っていて、それがマサムネさんのきれいな声を引き立たせています。

 

Aメロは5拍子(「1・2・3・1・2…」とカウントしていくと分かりやすい)、サビになると4拍子に変わるという、少し変則的なリズムの曲です。

 

 

歌詞の解釈について。この曲は、解釈がしやすいようで、少しわかりにくい曲でした。

 

全体的にみると、Aメロの歌詞は、タイトルにもなっています、田舎での生活の様子の描写になっています。

しかし、サビは、”さよなら”だったり、”幻”だったり、そういう言葉が現れてきて、雰囲気を一転させます。

 

サビの、”さよなら”や、”幻”は、歌詞を読んだ限りでは、君と過ごした、あるいは、過ごすはずだった生活へと向けられている言葉だということが読みとれます。つまり、君や”僕らの子供”との生活が叶わなくなってしまった、ということになります。

 

ここで僕は、解釈として2パターン考えました。それは、タイトルにもなっている【田舎の生活】が、過去に行われていたものなのか、それとも現在行われているものなのか、に大別したものです。



前者、つまり、もしも田舎の生活が過去に行われていたものだとすると、僕が現在居るのは、おそらく「言葉にまみれたネガの街」だと思われます。

 

”ネガ”という言葉の意味は、ネガティブ(negative)の略で、フィルムを現像して得られる、被写体と明暗が逆になった画像のことらしいです。このイメージから、田舎と対応させて、その逆の、”都会”の景色が浮かびました。

 

つまり、僕は、君や子供と田舎で質素に暮らしていたけど、何かがあって、それが叶わなくなってしまった。僕は一人、田舎の生活を離れて、都会で暮らし始めた、という解釈です。



後者であるとすると、現在僕は、田舎の生活をしていて、そこから、君や僕らの子供が居なくなっている、ということになります。君や僕らの子供が出ていったのか、あるいは僕だけが、田舎にやってきて生活を始めたのか、どちらかですね。



うーん、前者が有力でしょうか。

 

サビの歌詞の中に、「窓の外の君に…」という言葉が出てきます。窓の外…これは、もう君はこの世に居ないということかもしれません。もしかしたら、子供たちすらも、妄想の産物なのかもしれません。

 

子供ができたら、田舎に家でも買って、自然の中でゆっくり暮らそうと話していた二人。しかし、奥さんが亡くなってしまって、それが叶わなくなってしまった。失意の底で、僕は一人、都会で暮らしている、という解釈もできそうですね。

 

本当に色々な物語が想像できそうな曲ですが、どの物語も最終的には、寂しいものになってしまいそうです。

 


ところで。

 

スピッツのトリビュートアルバム「一期一会」の中で、LOST IN TIMEというバンドが、この【田舎の生活】をカバーしています。

 

トリビュート自体、本家を超えているのかだとか、そういう気持ちで聴くものじゃないとは分かっています。しかし、どうしても僕にとってスピッツは唯一無二なので、違和感を感じながら聴いていました。

 

結果、個人的な意見ですが、しっくりとくる曲は一つもありませんでした…ただ一曲を除いて。

 

僕は、LOST IN TIMEがカバーした田舎の生活は、本家の田舎の生活よりも、個人的には好みです。海北さんの優しくも強い声と、榎本さんのギターのアレンジは、本当に素晴らしかったです。カバー曲が、本家の曲を超えた(個人的な意見で)非常に稀有なケースだと思っています。スピッツファンにこそ、聴いてもらいたい曲です。

12時限目:あわ

【あわ】


あわ

あわ

 

アルバム「名前をつけてやる」に収録されている曲です。曲調は、ジャズを思わせる、ゆったりとした、なんかふわふわ浮いているような心地になるような感じです。

 

かなり、初期のマサムネ節が炸裂しているため、解釈することが非常に困難な曲…のうちのひとつが出てきました、困ったなー。

 


まず、スピッツ、というより、マサムネさんが書く詩の世界観、そのテーマとして大きくあるのが「死とセックス」というものです。個人的に、初期の頃の歌は、ほとんどが大きくどちらかに大別できる、と思っています。

 

マサムネさんは、詩の中で、「丸いもの」に死のイメージを、「とがっているもの」にセックスのイメージを含ませている…と、どこかで読んだのか、誰かが言っていたのか、公式なのかは分かりかねますが、そう思っています。

 

ともすると、タイトルにもなっています【あわ】は、丸くて、歌詞の中にも出てくるように、溶けてしまうものなので、どうしても死のイメージが浮かんできそうです。死、とまではいかないまでも、何かが無くなっていくようなイメージですね。

 


今回は、少し大胆に解釈します。ずばり、この歌は、中絶の歌、子どもを堕ろすという解釈です。

 

まず出だしの歌詞から。

 


こっそりみんな聞いちゃったよ
本当はさかさまだってさ

 

まず、「誰が」こっそりきいちゃったのか。僕のイメージで、この文章の主語は「お腹の中の赤ちゃん」ということになります。

 

で、「何が」さかさまなのか。これもすごく勝手なイメージですが、さかさまなのは、順序、と解釈しました。普通は、結婚→子どもを作る、という流れですが、その順序が逆になってしまった、ということです。つまり、結婚する前に、それに加えて、あまりふさわしくない状況下で、子どもができてしまったという解釈です(順序が逆でも、愛し合っていれば、生むという選択肢を選ぶことも可能だからです。)

 

当事者の二人の話を、お腹の中の赤ちゃんは聞いちゃったんです…堕そうか、と話しているのを。一体、どういう気持ちになるんでしょうかね。

 


あとは、

 

「ショーユのシミ」…これは、血をイメージしました。なぜカタカナなのかは分かりませんが、もしかしたら、本来の醤油という意味では使っていないよ、ということを示唆しているのかも知れません。

 

「優しい人やっぱりやだな」…堕ろすことを決めても、やっぱり相手の男の人は優しい人だな、でもその優しさが逆に嫌だなぁ、ということ?

 

で、印象的な「ででででっかいお尻が大好きだ」…これは、妊婦のずっしりとした体型を表しているのでしょうか。

 


という風に、続いていって最後のサビ。

 


機関銃を持ち出して
飛行船を追いかけた
雨の朝
あわになって溶け出した

 

機関銃…例えば、中絶させる薬を打つ注射器とか器具とか?
飛行船…膨れ上がった妊婦のお腹?

 

ということで、あわになって溶けるのは、お腹の中の赤ちゃん、ということになります。

11時限目:歩き出せ、クローバー

【歩き出せ、クローバー】


 

アルバム「ハチミツ」に収録。ネット等の情報(主にwikipedia)を参考にすると、マサムネさんはこの曲を、映画「フォレスト・ガンプ」を見て作った曲とのことです。この曲のように、とても優しい映画なんですが、若い人はもう知らないかもしれないですね、有名な作品なんですよ。

 

「生きること」をテーマにしていて、クローバー=幸せの象徴というものだそうです。クローバーで幸せと言うと、イメージとしては四葉のクローバーですかね。

 

ハチミツには、結構かわいい曲が多くって、この曲もそうなんですが、しかしこの曲が作られた頃に、地下鉄サリン事件があったりなんかして、明るい曲調や歌詞の影には、暗い部分や悲しみが隠れているのかもしれません。

 



歩き出せクローバー 止まらないクローバー
熱い投げキッス 受け止める空

 

サビがこういう歌詞です。歩き出せクローバー、とはおそらく、悲しいこと、寂しいことあるかもしれないけど、頑張って歩いて行こう、生きていこう、という、マサムネさん流の応援なのでしょう。

 

「熱い投げキッス 受け止める空」という表現なんか、すごく独特ですよね、この流れから、どう解釈したらいいのか悩みます。

 


この曲の中の、Cメロの歌詞がとても印象に残ります。

 


だんだん解ってきたのさ
見えない場所で作られた波に
削り取られていく命が

 

という歌詞なんですが、この辺なんかは、無差別に奪われてしまった命について歌っているのだと思います。見えない場所で作られた波、これはつまり被害者には全然関係のない事情で、という意味でしょう。全然関係ないところから生まれ始める、憎しみだったり悲しみだったり、そういうものが少しずつうねり出して、戦争とか、無差別テロとか、そういう事件・事故につながっていくのでしょうね、悲しいことです。

 


別の解釈、というか、僕にとってはダブルミーニング的なイメージですが、失恋の歌、とも受け取れる歌詞もたくさんでてきます。

 

「過ぎた恋のイメージに近いマーク」
「寝転がって眺めた 君のカード胸に当てる」
「君の声 優しいエナジー

 

カードとは写真のことでしょうか。君のことが好きだったけど、失恋してしまった。それでも、まだ君のことを思っている。君の声は、いつだって僕に力を与えてくれる…と、上記の歌詞をつなげると解釈できそうです。

 

 

※2017/03/19 追記

 

■最近、テレビで映画「フォレスト・ガンプ / 一期一会」を放映していて、それをたまたま見る機会がありました(途中からでしたが…)。この作品を見るのは、はじめてのことではありませんでしたが、そんなに何度も見た映画ではないので、新鮮に楽しむことができました。

 


ちなみに、この映画のあらすじ…説明することは難しいですが、個人的に説明してみると、以下のようになります。

 

まず、フォレスト・ガンプとは、そのまま主人公の名前で、映画は、そのフォレストが歩んできた波乱万丈な人生を、そのまま追っていくような形でストーリーが進んでいきます。

 

おそらく、フォレスト・ガンプ発達障害なんだと思われます(学習障害自閉症か?)。ちなみに、「ガンプ」とはスラングで、英語で”gump”と書き、意味は「うすのろ」や「愚か者」という意味だそうです。

 

独特な世界や考え方を持っているというか、変なこだわりを持っているフォレストですが、本人が意図せずとも、周りの人を何となく引きつけていきます。そうやって、たくさんの人との関わりが生まれて、その中でフォレストの物語が進んでいくのです。

 

…まぁ、見てみた方がよく分かると思います、笑。見たことない方は、良かったら映画をご覧ください、本当に素晴らしい作品ですよ。

 


■さて、冒頭で触れたとおり、【歩き出せ、クローバー】という曲は、草野さんが、この映画「フォレスト・ガンプ / 一期一会」を観て作った歌だそうです。

 

書籍「スピッツ」の中で、その辺りは詳しく語られています。長いので、全て載せるのはキリがないのですが、映画の中で印象に残ったシーンとして、”(フォレストが)ベトナム戦争に行って弾丸が戦場を飛び交っているシーン”を挙げて、こんな風に語っています。

 


草野さん:(クローバーは)青い時代の象徴でもあるしぬくぬく育った人間の象徴っていうか。『フォレスト・ガンプ』にしても、アメリカっていう物に恵まれた社会で生活してきた人が、戦場で生きるか死ぬかの場面に立たされたわけで。僕らにそういうことがいつ起こってもおかしくないって思ったし…

 

”僕らにそういうことがいつ起こってもおかしくない”という部分は、この時期に、阪神大震災地下鉄サリン事件などがあって、そういう出来事に対する憂いの気持ちから、草野さんが感じたことだったのかもしれません。要は、”人はいつ死ぬか分からない”や、”明日は何が起こるか誰にも分からない”という考え方に基づいたものだったのではないでしょうか。

 


■今回この映画を、どんなことを考えながら草野さんは見ていたんだろう、っていう視点で、僕自身も考えながら見てみましたが…分かるはずもないですよね。まぁ、【歩き出せ、クローバー】の歌詞が、具体的に浮かび上がるような歌詞にはなっていないとは思います。

 

ただし、映画の中で、フォレストの母親のセリフに「死は生の一部分なのよ」というのがありました。

 

草野さんの詩のテーマが、”死とセックス”…最近では”死と再生”などと語られてもいますが、何となく、この母親のセリフが過りますよね。考え方として、両者には近いものがあったんじゃないでしょうか。

 

数々の予期せぬ出来事に翻弄されながらも、たくましく生き続けたフォレスト・ガンプ。そして、この時期の日本では、色んな予期せぬ出来事が起こりました。そういう日常を憂いて、草野さんはフォレストに、”クローバー”の象徴として、自分の想いを重ねて託し、そうして【歩き出せ、クローバー】という曲が生まれたのかもしれません。

10時限目:ありふれた人生

【ありふれた人生】


ありふれた人生

ありふれた人生

 

アルバム「スーベニア」に収録されている曲です。イントロのアルペジオから、本当に美しい曲で、イントロ聴いただけで、いつもさわやかな気持ちになります。終始聴こえる、ヴァイオリンの音色も、とても心地よいです。アウトロもきれいです、まぁ全体的にきれいな曲だということですね。

 



ありふれた人生を探していた
傷つきたくないから

 

出だしの歌詞はこうです。いきなり、タイトルの【ありふれた人生】という言葉から始まりますね。

 

全体の歌詞から察するに、ここの部分は、失恋したのか、それとも恋愛にあんまりいい思い出がないのか、とにかく恋愛に臆病になっていて、傷つくくらいなら、人を好きになんかなりたくない、という描写だと思います。【ありふれた人生】という言葉が表すのはつまり、人を好きにならない平凡な人生というものだと思っています。

 


君と居る時間は短すぎて
来週まで持つかな

 

ああ 心がしおれそう 会いたい

 

と歌詞は続いていきます。恋愛と言うのは、自分で制御できないうちに進んでいくものだということですね。気づいたら、好きになってしまっていた、みたいな感じでしょうか。分かります、何となくその人のことを考えると、胸がぎゅっとなる感じとか。

 

 

この歌の中に、「文字を目で追って また始めから」という歌詞が出てくるんですが、ここの歌詞が、すごい良いな、って思いました。

 

おそらく、思い人からのメールだったり、手紙だったり、そういったものを、まるで宝物のように、大事に何度も何度も読み返しているんでしょう。例えそれが、何でもない会話だったとしても。ほほえましいですね。