スピッツ大学

ステイホームしながら通える大学です!

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第29回

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君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き
そんなこと言う自分に 笑えてくる
取り戻したリズムで 新しいキャラたちと踊ろう
続いてく 色を変えながら

 

 

■現時点では、スピッツの最新曲である【大好物】の歌詞です。やっぱり、一番新しいスピッツの歌詞も紹介したいということで、【大好物】を選びました。

 

これが、今年メジャーデビュー30周年、結成から数えると実に34周年を迎えたスピッツの最新作です。それにしても、なんと言うみずみずしさ、まだこんなにも爽やかな歌詞を書くんだってね、驚きです。

 

しかも、そういう爽やかさがありつつ、それと同時に、こんなにかっこよさを表現できるとは、こういうところが、まさにスピッツだなって思うんです。

 


■この集中講義でも、草野さんが書いた、いわゆるラブソングを新旧問わずいくつか紹介してきましたが、草野さんの書くラブソングは、時代と共にどういう変化をしてきたのか…そんなことを考えながら聴いていました。

 

皆さんはどう思いますか?草野さんが作るラブソングは、時代と共に、どのように変わっていったと思っていますか?

 


■個人的に思ったのは、基本的にはずっと変わっていないのかなぁ、ということでした。

 

大前提としてあるのは、恋に落ちることや、想い人のことを考えることなどは、基本的には”おかしなこと”なんだと歌ってきたんだと思います。

 

今までの自分が、想いを寄せる相手によって変わっていく…今まで好きじゃなかったものを好きになったり、今まで絶対にしなかったような行動をとってみたり…

 

時には、好きになるべきではない相手を好きになってしまったり(もとい、好きになってはいけない相手など居ない、という考え方かもしれませんが)、ストーカー(?)みたいなことをしてみたり、果てには、相手と心中したり、後を追って命を経つような描写があったり…

 

かなり個人的な解釈も含めますが、そういう恋によってもたらされる変化を、全部ひっくるめて”おかしなこと”だと歌っているのかな、と思いました。

 

だから、直接的に相手のことを”好き”だとか”愛してる”とか言わずに、その”おかしなこと”を歌詞にすることで、恋に落ちていることや、相手のことを想っているということを、間接的に歌っている節があると思っています。

 


■今回の【大好物】においては、

 


君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き
そんなこと言う自分に 笑えてくる
取り戻したリズムで 新しいキャラたちと踊ろう
続いてく 色を変えながら

 

これなんかも、まさに恋によってもたらされる変化を描いていますよね。素直に、”君が大好き”と言えばいいものを、”君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き”ですからね笑。

 

君にとって大好きな物があって、ひょっとしたら、僕にとっては嫌いだった物なのかもしれないけど、一緒に時間を過ごすことで、気持ちが通じ合ってきたのか、自然とその物が、僕も好きになってきた、と。

 

例えば、音楽や食べ物の好みだったり、趣味だったり、本や映画だったり、何でもアリだと思います。

 

ただし、ここに”多分明日”という言葉が引っ付いているのも、絶対じゃないんかい!?今日じゃないんかい!?と思ってしまいますが、これも草野節なんですかね。

 

あとは、”取り戻したリズム”という表現がありますが、これは逆に考えると、これまではリズムを乱していたと捉えることもでき、やはりここも、君との生活によって、僕が変わっていくことを歌っているのだと思います。

 

”新しいキャラたちと踊ろう”、この”新しいキャラ”とは、紛れもなく”君”に恋をしたことで、また”君”と過ごすようになって、変わった”僕”のことを指しているのだと思います。

 


■とまぁこんな感じで、恋愛をしていない状態を通常の状態として、恋愛をしている状況を、その通常の状態から変わった状態だとして…つまり、”おかしな状態”だとして、草野さんはそれを描くことで、人が恋に落ちることがどういうことなのかということを示してきました。

 

【大好物】は、それでも割とストレートですよね。自分の好みが、想いを寄せているその人と似通ってくると。自然とそうなるのか、それとも、気を引きたいがためにそうなるのかはともかくとして、そういうことって誰しもあるんじゃないでしょうか。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第28回

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きらめいた街の 境目にある
廃墟の中から外を眺めてた
神様じゃなく たまたまじゃなく
はばたくことを許されたら

 

 

■シングル『さらさら/僕はきっと旅に出る』やアルバム『小さな生き物』に収録されています、【僕はきっと旅に出る】の歌詞です。

 

この集中講義で紹介している歌詞は、別に好きな順番に並んでいたりとか、ランキングを作りたいとか、そういうことはないんですけど、この【僕はきっと旅に出る】のこの部分の歌詞に限っては、断トツですね、一番印象に残っています。

 

”好きな歌詞”というよりは、”大切な歌詞”という言い方が相応しいんだと思います。

 


■まず、この曲自体の記事は、もうすでに書いていますが、その記事では、東日本大震災とこの曲の関連について書かせていただきました。

 

紛れもなくこの曲は、東日本大震災の影響を受けていると感じますし、それによって受けた心の傷を描いていると共に、そこから立ち上がろうとしている、人々や町の様子を励まそうと歌われています。

 

やっぱり、【僕はきっと旅に出る】には、この側面が一番表れていると感じるのですが、今回の記事ではその部分の考察は省かせていただきます。

 


■僕が、この【僕はきっと旅に出る】を聴いていたのは、ちょうど仕事を辞めて、次の仕事の準備期間としてあれこれとやっていた時期でした。

 

第20回の記事で、【ビギナー】について書かせていただきましたが、その後の話ですね笑 仕事を辞めることは、一旦踏みとどまり2年くらいは粘って働きましたが、27歳の時に辞めました。

 

仕事を辞めた時に、次に就きたい仕事を、子どもの頃に夢に見ていた仕事と決めたのですが、すぐに就けるような仕事では無かったので、仕事を辞めて即就活を開始したわけではなく、その仕事に就くことを目標とした勉強や準備を始めるわけです。

 

結局、そうやって2年くらいですかね、バイトをしながら、必要な知識だったり、コネだったり、そういうのを身に付けていって、そこから改めて再スタートを切ることになるわけです。現在も、その仕事をずっと続けてやっていて、おそらく死ぬまで続けていく仕事になるのだろうと思います。

 


■準備期間は、孤独ではありました。親友と呼べる先輩が2人居て、しょっちゅう飲みに行ったりして、本当に救われていたんですけど、心の底からは楽しめてなかったかもしれません。それは、何も成し遂げていない自分に、後ろめたさがあったからだと思います。

 

周りに居る友達は、バリバリに仕事をしていて、家庭を築き子どもが居るやつもいる。一方の僕は、仕事も家庭もなく、未だに次の仕事に就くことに悪戦苦闘している段階である、と。

 

めちゃくちゃ焦ってた、というわけではないけれど、全然焦ってない、と言うのも嘘になります。自分はどうなるんだろう、という不安もありました。

 

【僕はきっと旅に出る】に出会ったのは、そんな時でした。

 


■何て言うか、自分のことを歌ってくれている、自分のための歌だと思うほど、自分の気持ちに寄り添ってくれたんです。

 

長くスピッツを聴いてきた、そのご褒美をもらっているような、あるいは、古くからの親友が励ましの声をかけてくれているみたいな、そんな気持ちになりました。

 

その想いが一気に溢れてきて、本気で号泣したのが、紹介している歌詞を読んだ時でした。

 


きらめいた街の 境目にある
廃墟の中から外を眺めてた
神様じゃなく たまたまじゃなく
はばたくことを許されたら

 

まず、ここの歌詞を読むと、震災のことが思い出されますが、その説明は今回は割愛します。

 

この辺りの歌詞を、自分の気持ちに当てはめて聞いていました。

 

まず、”きらめいた街”と”廃墟”の対比…この歌の人物は、”廃墟”の中にいて、そこから”きらめいた街”を眺めている、という構図ですよね。

 

”廃墟”とは、そのまま場所的な意味でも読めますが、僕の場合は、当時は何にもない今の自分の状況を当てはめていました。家庭はまぁ別に良いとして、仕事を辞めて、次の仕事に就くために勉強や準備をしてはいましたが、孤独で不安定な自分の状況については、まさに”何もない”と形容される状況でした。

 

一方の、”きらめいた街”とは、その反対の意味…これも場所的な意味でも読めるのですが、先程の”廃墟”と比較すると、精神的には自分が目指す自分像や生活ですね。

 

あとは、”神様じゃなく たまたまじゃなく”からの”はばたくことを許されたら”という歌詞について…”神様”は、まぁ”神頼み”という言葉があるように、何か願いが叶うように、奇跡が起こるように願いをかけるものですよね。そして、”たまたま”という言葉からは、”必然”ではなく”偶然”何かが起こるということが思い浮かびます。

 

”神様”も”たまたま”も、願いが勝手に叶ってくれることを願っていたり、偶然何かが思い通りにいくようなことを待っていたりと、決して自分の力で動くというのとはかけ離れているような気がします。

 

ただし、この歌詞では、神様”じゃなく”やたまたま”じゃなく”という風に、”神様”や”たまたま”に頼ることを否定しています。そして、そこに”はばたく”という言葉が続いているので、繋げて考えると、自分の意思や力でいつかはばたきたい、という強い気持ちを受け取ることができます。

 

”許されたら”という言葉も、とても印象的です。震災に絡めると、また少し違う意味合いに取れそうなんですけど、この言葉からも、タイトルにもなっていますが、”僕はきっと旅に出る”と、つまりは、今すぐはまだ無理だけど、いつかまた必ず旅に出たい、という気持ちが込められていると思っています。

 


■もうね、この歌はとにかく全体的に歌詞が素晴らしいんです。

 

2番のサビ前に出てくる、”でもね わかってる”からの”またいつか旅に出る 懲りずにまだ憧れてる”なんかも、ほんとに自分に言ってくれているような気がしていました。

 

切り替えて前向きになろう、また新しい旅に出よう、と…そういう励ましを否定するつもりは全くないのですが…”今”がつらい人には、「ちょっと待ってよ…」と言いたくなるかもしれません。ましてや、あの未曽有の大災害の後には、そういう風にすぐに立ち直れない状況にあったかもしれません。

 

決して、無理に背中を押すのではなくて、これも歌詞で出てきますが、”今はまだ難しいけど”と、少し考える余白をくれるような歌詞を書いてくれたのは、本当に草野さんの優しさだと思います。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第27回

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果てしなく どこまでも続く くねくねと続く細い道の
途中で立ち止まり君は 幾度もうなづき 空を見た
飛べ ローランダー
飛べ ローランダー
棕櫚の惑星へ 棕櫚の惑星へ たどり着くまで

 

 

■アルバム『惑星のかけら』に収録されています、【ローランダー、空へ】という曲です。

 

アルバム『惑星のかけら』の最後の曲は、【リコシェ号】という、珍しくインストゥルメンタルの曲なので、何となくアルバムを締め括る歌、と言われると、どちらかと言うと、【ローランダー、空へ】を思い浮かべます。

 

壮大なバラードで、草野さんのボーカルにもエフェクトが加わっているのか、天から降ってくる声のようにも聞こえてきます。

 

この歌で歌っていることは何なのか。個人的には、”死”について歌っているのだと思っています。具体的には、”成仏”であったり、”死後の世界”みたいなものが描かれていると思っています。

 


■人は死んだら、どうなるのか。

 

これは、僕らにとって、永遠の問いであり、今のところは、その答えなどは存在しません。死後の世界があるのか、新しく別の生き物に生まれ変わるのか、同じ自分として別の場所でセカンドライフがはじまるのか、それとも、ただの”無”が続くのか…。

 

考え出すとキリがないし、眠る前に考えすぎて、眠れなくなってしまう、なんて経験をしたことがある人も居るのではないでしょうか。

 

僕は子どもの頃、”眠る”ということ自体が怖くなったことがありました。眠って意識がない状態…あれって、結局は”無”の状態だなって思ったんです。つまり、死んだ状態って、ああいうのがずっと続くのかなぁ、とか思っていたら、何だか眠るのが怖くなったことがありました。

 


■そういう意味では、この歌には、死ぬとどうなる?という問いの、草野さんなりの答えが、ひとつ示されているような気がしています。

 

何度も言ってきたように、草野さんが書く歌詞のテーマとして、「セックスと死」というのがありますが、この【ローランダー、空へ】は、個人的には”死”をテーマとした歌だと思っています。というより、”死”をテーマに書かれていると思われる歌詞の中で、一二を争うくらい、この歌詞は印象に残っています。

 


紹介している部分を、改めて載せてみると、

 


果てしなく どこまでも続く くねくねと続く細い道の
途中で立ち止まり君は 幾度もうなづき 空を見た
飛べ ローランダー
飛べ ローランダー
棕櫚の惑星へ 棕櫚の惑星へ たどり着くまで

 

亡くなった人が降り立ったのは、果てしなく広がる広野みたいなところ。火星みたいに、見渡す限り何にもなくて、そこには前へ伸びる道がずっと続いている。

 

その道を歩きながら、自分が生きていた時の思い出などを回想しつつも、少しずつ自分が死んだことを受け入れていくと、身体が宙に浮かび上がっていく。

 

そして、徐々に大地から身体は離れていき、無限の宇宙へと旅立っていく、”棕櫚の惑星”なる場所を目指して…

 

とまぁ、こんな感じの物語でしょうか。

 


■”ローランダー”とは、英語で”Lowlander”とでも書くのでしょうか。直訳すると”低地に住む人”となり、これはまさしく、地に足つけて生きている我々を指しているのかなと思っています。

 

その”ローランダー”は亡くなってしまって、魂となって空へと浮かび上がっていく、そういう光景をこの歌で描いているのだと思います。

 

謎なのは、”棕櫚の惑星”という場所…棕櫚は”シュロ”と読みますが、調べてみると、ヤシの木みたいな植物が出てきましたが、分かったところで、”棕櫚の惑星”の意味は分かりません。

 

ただ、アルバムのタイトルが『惑星のかけら』であり、”惑星”という言葉が共通しており、さらに”ホシ”と読ませるところも被っているので、意味合いとしても、同じものを指すんじゃないかと思っています。

 

僕は、このアルバムや歌における”惑星”という言葉は…一言では表せないけど、生命の誕生や死、人々の妄想や夢、この世の中の真理などがごちゃごちゃになったような場所…と言うより概念的なものを想像しています。人間の考えなどは、到底及ばないような、そういう超越的なもの、としか説明がつきません。

 

”ローランダー”は、そういうところを目指して旅をしている…それがまさに、この歌で意味するところの”死”なのだと、そういうイメージですかね。

 


■それから、【ローランダ―、空へ】に出てくる歌詞では、

 


このまま静かに羊の目をして終わりを待つコメディ
疑うことなど知らずに 何かに追われて時はゆく

 

という歌詞も、めっちゃ印象に残っているのですが、あんまりうまく説明ができそうになかったので(人生はコメディみたいなもので、何にも知らないでただ笑っているだけで終わっていく、みたいなことを歌っているのでしょうか)、この歌のイメージがよく湧くような歌詞として、冒頭の部分を選びました。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第26回

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晴れた空だ日曜日 戦車は唾液に溶けて
骨の足で駆けおりて 幻の森へ行く
きのうの夢で 手に入れた魔法で
蜂になろうよ
このまま淡い記憶の花を探しながら

 

 

■アルバム『名前をつけてやる』に収録されている【日曜日】という曲の歌詞です。

 

この曲の曲調だったり、歌詞を全体的に読んだ感じは、非常にメルヘンチックというかファンタジーというか、どこかにピクニックにでも行くような陽気さを感じます。

 

その一方で、間奏部分ではいきなり、女の甲高い笑い声というか、喘ぎ声というか、狂ったように聞こえる声が入っていて、ちょっと不気味なんです。

 


■さて、歌詞の内容の考察なんですが…これは、もうエロさ全開の歌詞ですね!もちろん、個人的な解釈も大いに含めますが…いや、でも割とそのまんまに読める部分もありますかね笑 

 

何度も語っている通り、草野さんの書く詩のテーマとしては、「セックスと死」というのが知られているのですが、それは割と初期の作品に色濃く反映されているイメージです。

 

【日曜日】は、そういう意味ではエロの方向へ全振りしてるような曲なのですが、例えば、この集中講義で紹介しましたが、ヌードが見たい!と宣言している【ラズベリー】や、おっぱい最高!と叫んでいる【おっぱい】などとは少し違い、先述したようにメルヘンチックな歌詞に、その本心を隠しているような歌詞です。

 

そういう読み方をすれば…というのもありますが、歌詞の中に、性的表現の隠語がたくさん隠れているような気がします。

 


■例えば、紹介している部分の歌詞について。

 


晴れた空だ日曜日 戦車は唾液に溶けて
骨の足で駆けおりて 幻の森へ行く
きのうの夢で 手に入れた魔法で
蜂になろうよ
このまま淡い記憶の花を探しながら

 

包み隠さずに言いますと…

 

”戦車”…男性器の隠語

 

”唾液に溶けて”…”戦車は~”からのこの表現なので、おそらく口淫を表している

 

”骨の足”…これも何かを表しているような気がしますが、何でしょうね。繋がりを考えると、舌とか?

 

”幻の森”…女性器の隠語

 

”蜂”と”花”…そのまま男性器と女性器の隠語で、セットでできているから、イヤ~んな行為にも繋がる表現か。

 

などなど。他の部分の歌詞だと、”峠”が女性の身体のラインを表していたりするかもしれません。と、読んでいくと、途端にどの言葉も、そういう風に読めるような気がしてきます笑

 


■ただし、紹介している歌詞の部分だと、後半部分、もう一度抜き出して書くと、

 


きのうの夢で 手に入れた魔法で
蜂になろうよ
このまま淡い記憶の花を探しながら

 

”きのうの夢”や”淡い記憶”などの言葉があるように、この歌全体が、夢や妄想である可能性もありますね。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第25回

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変わっていく空の色と 消えていく大好きなにおい
だけどこんな日にはせめて 僕のまわりで生き返って
プカプカプー プカプカプー プカプカプー ラララララ
プカプカプー プカプカプー プカプカプー

 

 

■インディーズ時代のとても古い楽曲である、【晴れの日はプカプカプー】の歌詞です。

 

インディーズ時代に発表した、『ハッピー・デイ』というカセットテープに収録されているようですが、そのカセットテープはレア物過ぎて、現在はほとんど入手が不可能である代物です。

 

しかし、2016年に発売されました、スピッツ日本武道館公演を収録した、映像作品『THE GREAT JAMBOREE 2014 ”FESTIVARENA” 日本武道館』において、【晴れの日はプカプカプー】のライヴ映像や、(限定CDには)ライヴ音源が収録されており、この曲を聴けるようになりました。

 


■そんなインディーズ時代の楽曲【晴れの日はプカプカプー】ですが、さすがインディーズ時代、歌詞の世界観が非常に奇天烈なんです。

 

メジャーデビューした後の初期の楽曲、例えば【テレビ】や【ビー玉】など、デビュー初期の歌詞の雰囲気に近いというか、そのもっと根源にあるような世界観ですね。

 

そもそも、タイトルから当たり前に出てきていますが、”プカプカプー”ってなんだよって思うわけです。幼い子どもが読む絵本なんかにも出てくる言葉や、赤ちゃんをあやすためのオノマトペみたいにも読めます。

 

最後の”プー”は分かりませんが、”プカプカ”という言葉から連想されるのは、何かが浮かんでいるような状態ですよね。水の上だったり、空の上だったり、”プカプカ浮かんでいる”みたいな感じで使ったりします。

 

あとは、たばこを吹かすときに、”たばこをプカプカ吸う”みたいな感じに使ったりしますよね。実際に、どこで読んだか忘れましたが、この【晴れの日はプカプカプー】の”プカプカプー”は、たばこを吹かしている状況、みたいなのを読んだことがあります。確か、草野さんがそう語ったのをどこかで見たことがあります。

 


■個人的には、全体を読んだ感じから想像したのは、”プカプカ”からは、何かが空に浮かんでいる様子が連想されました。で、何が浮かんでいるかなんですけど、僕は”魂”を当てはめています。

 


変わっていく空の色と 消えていく大好きなにおい
だけどこんな日にはせめて 僕のまわりで生き返って
プカプカプー プカプカプー プカプカプー ラララララ
プカプカプー プカプカプー プカプカプー

 

紹介している部分だと、”僕のまわりで生き返って”という表現がありますが、こんな風に全体を通して、この曲の歌詞からは、人の”死”が見え隠れして読めて仕方がないんです。

 

そこで、”魂”が浮かぶ、とはどういうことが想像できそうかと言うと、具体的には、①魂が成仏してあの世へと帰っていく場面、②魂があの世からこの世に帰ってくる場面、この二つを考えました。

 

①だと、これは集中講義の第2回で紹介しました、【テレビ】の歌詞に近い考え方ですね。こちらの解釈でいくと、この歌の始まりが、”自転車走らせてる”という歌詞なので、【テレビ】と同様、この歌の主人公にも、子どもの姿を当てはめています。

 

身近な人が亡くなって、その人の魂が成仏して空に浮かんでいくところを想像しているのですが、こっちの解釈だと、火葬場から上がる煙が空へと舞いあがっていく光景も想像しました。

 

ちょっと不穏なのが、”見えない翼で舞い上がる”のところが、後追い自殺という解釈へ繋がりそうなところですかね。

 


■個人的には、②の解釈を当てはめて聴いています。

 

例えば日本には、故人を偲ぶ風習のひとつとして、お盆がありますよね。古くから、お盆には故人の魂が、あの世からこの世へ帰ってくると言われており、色んな方法で故人を迎えます。

 

タイトルにもなっている”晴れの日”だから、夏の暑い、雲一つない青空をイメージしていますが、そこから故人の魂が降りてきて、一緒に過ごすことを願っていると、そういうことですよね。

 

ただ、紹介している歌詞には、”変わっていく空の色と 消えていく大好きなにおい”というのが出てきていますが、ここは時間の経過とともに、故人との思い出が薄れていってしまっている、ということを意味しているのかなと思いました。

 

それでも、”僕のまわりで生き返って”や、他の部分だと、”今日は眠りの奥深く 逃げ込んだりしなくていい”という歌詞にある通り、今日1日だけは、故人の在りし日に想いを馳せながら過ごすという光景が浮かんできます。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第24回

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分かち合う物は 何も無いけど
恋のよろこびにあふれてる

 

 

■アルバム『フェイクファー』に収録されている、表題曲【フェイクファー】の歌詞です。

 

ここスピッツ大学でも何度も話してますが、僕がスピッツに出会ったのが、もうかれこれ25年くらい前、当時僕は小学生でした。シングル曲【チェリー】を聴いて、スピッツの存在を知り、そこからずっと活動を追い続けています。

 

特に、自分がスピッツ愛を深めたきっかけの作品としては、アルバム『インディゴ地平線』『フェイクファー』『花鳥風月』でした。

 

この三作品を、当時中学生の自分は、何度も何度も聴いていました。今までで、一番スピッツを聴いていた時期かもしれません。その時期があったからこそ、スピッツ愛が深まったんだと思います。

 


■ここスピッツ大学では、まぁこの集中講義がその最たる例ですが、この曲はどういうことを歌っているのだろう、どういう物語なのだろう、とあれこれ考察し、そしてそれを発表することに重きを置いています。

 

ただ、スピッツの楽曲でそういう聴き方をし始めたのは、高校生や大学生の頃で、中学生や、ましてや小学生の自分は、やはり曲の表面的な雰囲気を感じ取りながら聴いていました。この曲は、何だか楽しい雰囲気だなとか、悲しい雰囲気だなとか、そういう感じ方を重視して聴いていたんです。

 

それでも、件の三作品を聴きながら…おそらく小6~中3の頃に聴いていたと思うのですが、少しずつ、歌詞から何かを感じ取りながら聴き始めていたのだと思います。

 


■その三作品の中でも、特別な想いを持って聴いていたのが、アルバム『フェイクファー』、特に、表題曲の【フェイクファー】でした。

 

僕が、子どもの頃にこの曲に抱いたのは、怖いという感情でした。何か、子どもの自分には読んではいけないもの、大人の世界にあるものを読んでいるような気持ちでした。

 

そもそもタイトルが、フェイク=fakeで意味は偽物、ファー=furで意味は毛皮、ということで、繋げて意訳すると、”偽物の温もり”となり、この曲が最後に入っていることもあり、何て言うか小説で言うところの、結末の大どんでん返しという感じ、幸せだった物語は実は全くの偽物だった、というオチのように思えたのです。

 


■ただ、この歌で一番重要だと個人的に思うことは、例えば紹介している部分の歌詞が示しています。

 


分かち合う物は 何も無いけど
恋のよろこびにあふれてる

 

全体的な歌詞の内容から、大きくは恋愛がテーマであることは想像できるのですが、歌の主人公は、自分が相手と”分かち合う物は 何も無い”と歌っているのです。

 

これは、この歌で描かれているのは、特殊な形の恋愛…例えば、僕が想像したのは、お互いに正式な相手が居る状態での恋愛、つまりは浮気や不倫などだったり、個人的には、体を売る女性との恋愛なども想像しました。

 

そういう、叶えることが難しい…それ以前に、そういう形の恋愛自体が許されないような状況の中でも、はっきりと主人公は、”恋のよろこびにあふれてる”と歌っているのです。

 

ここの部分を読むと、何とも言えない気持ちになるんですよ…これを、気持ちの強さの表れと捉えるか、はたまた、不貞な恋愛へ堕ちた愚かさと捉えるか、どうなんでしょうね。

 

しかし、”偽物”と名付けられてしまった恋愛でも、当事者にとっては、好きになったという気持ちは、やはり”本物”であり、純粋であり、何か切ない恋愛ドラマでも見ている気持ちになります。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第23回

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ずっと遠くまで 道が続いてる
終わりと思ってた壁も 新しい扉だった

 

 

■アルバム『さざなみCD』に収録されている、【砂漠の花】の歌詞です。『さざなみCD』は、【ネズミの進化】→【漣】→【砂漠の花】という、最後の3曲の締め括りが個人的にすごく好きなんです。

 

そのトリを飾る【砂漠の花】という曲です。壮大なバラードで、何かようやくたどり着いた旅の果て、みたいな集大成感がある曲です。

 

アルバム『さざなみCD』発売時のスピッツは、ちょうど結成20周年を迎えたときだだったので、このアルバム自体が20周年の集大成のような作品でした。そのトリを飾る曲ということで、なおさら気持ちがこもっているように感じるかもしれません。

 


スピッツの歌詞の魅力の一つとしては、ここでも度々言っていますが、草野さんがこういう歌詞だと説明していない上に、少し読んだだけではどんなことを歌っているのかがすんなりと分からないので、読んだ人が色々と想像できる”余白”がたくさんあるというところだと思っています。

 

個人的には、最近の歌詞は割と分かりやすい歌詞も増えてきたという印象なんですけど、特にこの集中講義でも初期の頃の歌詞を紹介したりしていますが、初期の頃の歌詞は本当に難解で…要は分かりにくくて、色々と想像するのが難しいものが多くあります。正しい・正しくない、は別にして、時には暗号を解くみたいに、その歌詞を読み解いていくのは、この上ない楽しい時間なのです。

 

そして、そういう歌詞考察って、その時の自分の精神状態だったり、置かれている状況だったり、気分や感情などによって変わるもので、同じ曲やその歌詞でも、ある時は悲しく感じたり、またある時は楽しく感じたりと、様々に変わるものだから、スピッツの歌詞はいつ何度読んでも、新しい発見があったりして、全然飽きないのです。

 

で、その最たるひとつの例として、この【砂漠の花】の歌詞を紹介しています。

 


■この集中講義で紹介している歌詞については、別に好きなランキングとかをつけることなどが目的ではないのですが、個人的には、紹介している歌詞の中では、一二を争うくらい好きな歌詞です。

 


ずっと遠くまで 道が続いてる
終わりと思ってた壁も 新しい扉だった

 

ここの歌詞が、すごい好きなんですよ。何ていうか、スピッツの歌詞の魅力がここに存分に詰まっているなって思うんです。

 

この歌詞だけ読んで、皆さんはどんな気持ちになりますか?具体的には、励まされますか?それとも、打ちひしがれますか?ここの歌詞って、とても不思議なんです。

 

例えば、自分の気持ちとして、何かを諦めそうになっていて、でも諦めたくない、と思っているとします。そういう気持ちで、ここの歌詞を読んでみると、”終わりと思ってた壁”とは、つまり、「もうダメだ…諦めてしまおう」と、ぶつかってしまった壁を表すことになります。

 

しかし、その壁には扉が付いていた…つまり、まだそこは終わりではなくて、その先へと進むことができる、と。こう考えると、何かを諦めようとしている人にとって、ここの歌詞は、諦めずに前へ進んでいける希望を与えてくれる歌詞に読むことができそうです。

 


■では、逆だったらどうでしょうか。つまり、自分の気持ちとして、何かが早く終わって欲しい、辛い状況から楽になりたい、と思っているとするとどうでしょうか。その人にとっては、”壁”はようやくたどり着いた、辛かった状況のゴールを表すことになるわけです。

 

しかし、”終わりと思っていた壁”には、”新しい扉”が付いていたと。つまり、そこはまだ辛い状況の終わりではなくて、何なら扉が付いていて、まだその先へ続いているということを表すことになります。これは、せっかく辛い状況が終わると思っていた人にとっては、絶望に打ちひしがれる歌詞になってしまいます。

 

と、こんな風に、その時の自分の感情や置かれている状況によって、スピッツの歌詞は全く違う風に感じることがあります。だからこそ、スピッツの歌詞は何度も読み返したくなるし、その度に新しい発見があるんです。

 


■あとは、この記事を書いているのが2021年の終わりですが、記憶に新しい2017年に結成30周年を迎えたときに、スピッツは自分たちの活動として、「まだまだここは通過点」という表現をなさっていました。

 

また、結成20周年の時には、スピッツは自分たちの活動を振り返った自叙伝的な書籍を出版するのですが、その書籍の名前が「旅の途中」でした。ここでも、自分たちが居る場所に対して、”途中”という表現をしています

 

そういう部分を含めて、ここの歌詞は自分たちの活動のことを歌っている節もあるのかなと思っています。要は、終わりは始まりと言いますか、というより、終わりも始まりもなく、いつだって自分たちは途中にいるんだと、そういうことを歌ってるんだと思います。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第22回

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負けないよ 僕は生き物で 守りたい生き物を
抱きしめて ぬくもりを分けた 小さな星のすみっこ

 

 

■アルバム『小さな生き物』に収録されている、表題曲の【小さな生き物】の歌詞です。

 

アルバム『小さな生き物』が発売になったのは2013年のことでした。2011年に東日本大震災が起こり、まだその衝撃と悲しみが色濃く残り、それでも復興へ向かっていく、まさにその真っ只中に発表されたアルバムでした。

 

その表題曲【小さな生き物】ですが、この曲には、やはりこの時期だからこそ歌わなければならなかった大切な言葉が詰め込まれています。タイトルチューン通り、このアルバムをまとめている…何ていうか、本で言うところの、内容をまとめている”あらすじ”のような歌だという印象です。

 


■これまで草野さんが書いてきた詩を読み返してみても、本当にたくさんの生き物の名前が出てきますよね。それは、草野さんの中に、全ての命を、あるいはそれらの”死”を含めて、生き物を尊ぶ気持ちがあるからなのでしょう。

 

もちろんアルバム『小さな生き物』の楽曲にも、そのアルバムタイトル通り、たくさんの生き物が出てきますが、おそらく歌詞の中で、具体的な生き物の名前が出てくる場合は、何か別の物や人を例えるものとして用いているのだと思います。

 

そこへきて、表題曲の【小さな生き物】なのですが、この曲の歌詞には、具体的な生き物の名前は出てきません。ただ終始出てくるのは、”生き物”という言葉だけなのです。

 

この時期にこの曲を発表したことだったり、タイトル”小さな生き物”について考えてみても、この”生き物”という言葉は、何か特定の”生き物”を指しているのではなく、その言葉通り、”生き物”全体のことを指しているのだと思っています。まぁあえて言うならば、この歌における”生き物”とは、我々”人間”を指しているのかなとも感じますが、個人的には、広い意味で普遍的に”生き物”全体を指しているという印象です。

 


■紹介している歌詞は、【小さな生き物】の出だしの歌詞です。イントロもなく、いきなり始まります。

 


負けないよ 僕は生き物で 守りたい生き物を
抱きしめて ぬくもりを分けた 小さな星のすみっこ

 

表題曲なので、やはりこの時期に一番歌いたかったこと・歌うべきことが詰まっているのだろうと思いますが、その中でも、この出だしの部分の歌詞に全てが凝縮して、まとめられていると感じます。

 

前半部分、”負けないよ 僕は生き物で 守りたい生き物を”という表現についてですが、最初は少し日本語として違和感を感じた部分でもありました。具体的には、”生き物”という言葉が被っているような感じがして、すんなりと読めなかったんです。

 

ただ、ゆっくりこの歌詞を読んでいくと、その”生き物”という言葉が被っているところこそ、一番重要な部分なんだなと思うようになりました。

 

要は、”守る方”も”守られる方”も、同じ”生き物”なのだと、そういうことを歌っているんですよね。救ったつもりが、実は自分が救われたような気持ちになったり、何か落ち込んでいる他者に声を掛けるときだって、実は自分が言われたいような言葉を選んでいて、そういう言葉を言っている自分自身に言い聞かせていたり…これは、全く以って、個人的な経験ですが…そういうことってあると思うんです。

 

特に、当時はみんなが、助け合わないと、手を取り合わないとって、思っていたはずです。そういうことを、スピッツが代弁してくれているのが、まさにここの歌詞だなと思ったんです。

 


■そして後半部分、”抱きしめて ぬくもりを分けた 小さな星のすみっこ”へと続いていくのですが、僕はこの部分を読んで、いつも対比して思い出すのが、この集中講義の第1回でも取り上げました、【ロビンソン】の歌詞なんです。

 


片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ

 

【ロビンソン】には、こういう歌詞が出てくるのですが、両曲の解釈としては全く違うことを思うのですが、ここの部分だけを比べると、何となく同じようなことを思うわけです。

 

先述のことと繋がるんですけど、生きているからこそ、また同じように生きている生命を尊く思う気持ちを持つのだと思います。それから、弱っている生き物を見かけると、何となく自分の気持ちも弱ってしまうとか、そういうのを経験すると、やっぱり命って繋がっているんだなって思いますよね。

 


■それから、何と言っても個人的に一番印象に残るのは、出だしの”負けないよ”という言葉です。

 

この集中講義では紹介する予定のない歌ですけど、アルバム『三日月ロック』に入っています【けもの道】では、”諦めないで”という言葉を使って、人々を励まそうとしましたが、あのアルバムにしたって、アメリ同時多発テロの影響を受けた作品でありました。

 

失礼なことを言うかもしれませんが、”負けないで”や”諦めないで”など、こういう真っ直ぐで分かりやすい応援の言葉を、草野さんは好んで使うようなことはあんまりなかったな、という印象があったんです。

 

だからこそ、こういう言葉で始まっている【小さな生き物】には、やっぱり並々ならぬ特別な想いが詰め込まれているんだなと感じます。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第21回

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君のおっぱいは世界一
君のおっぱいは世界一
もうこれ以上の
生きることの喜びなんかいらない

 

 

スペシャルアルバム『花鳥風月』や『花鳥風月+』に収録されています、【おっぱい】という曲の歌詞です。もともと、インディーズ時代のとても古い曲です。

 

第10回で取り上げた、【ラズベリー】と同じように、もうこれは切実な性衝動の叫びです。知らない人のために一応言っておきますが、これ、本当にある歌詞ですからね。

 

この詩については、あえてこれ以上は何も言いません。きっとそれが、この詩を紹介するのに、一番の方法だと思います。興味がありましたら、ご自身で曲を聴いて、歌詞を読んでみてください。

 

これ以上は記事にできない…ということで、今回は終わりです!

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第20回

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だから追いかける 君に届くまで
ビギナーのまま 動き続けるよ
冷たい風を吸い込んで今日も

 

 

■両A面シングルとして発売になった、【ビギナー】という曲の歌詞です。【ビギナー】は、この曲単独でも、デジタルシングルとして発売されました。スピッツの楽曲としては、初の配信シングルですかね。

 

時々すごく聴きたくなる曲です。主に、仕事がきつい時とか、悩んでる時とかに聴くと、「いや、お前間違ってないよ。それでいいよ」って言ってくれるみたいで、勇気が出てくるんです。

 


■この曲を聴く度に、リアルタイムで聴いていた頃のことを思い出すんです。

 

主に、以前やってた仕事のことですね。当時は、僕は20代中盤でした。社会人になって、頑張って働いていたんですけど、早々に「あ、この仕事は、ずっと続けていく仕事じゃねぇな」って思い、辞め時を探しながら、それでも頑張ってました。

 

仕事は、別にすごいできるってわけではなかったですけど、職場の中では頭は良かったし、効率もよかったから、割と若輩者でも中間管理職的な仕事をやったりしてたんです。

 

毎日、めっちゃ怒られてましたね、何で?ってくらい(主に、いつも同じ1人の人物からでしたが…)。帰り道に、俺は何やってんだろう、このまま人生終わるのかなって、いつも思ってました。

 

そんな時に、【ビギナー】に出会うわけです。何度となく、もう仕事辞めようと思いつつも、でももう少し頑張るか、と思わせてくれた曲の1つです。あと、BUMP OF CHICKENの【HAPPY】もですね。両曲とも、一緒に戦ってくれた”戦友”みたいな曲です。

 

まぁ、後に結局は辞めちゃうんですけどね、結構粘ったんですけど。基本、何でも自分がやっていることは、諦めずに最後までやり遂げたいと思うタイプなので、まさか自分が仕事を辞めることになるなんて、とかなりショックを受けたんです。

 

だからこそ、次にやる仕事、つまり、今やっている仕事は、じっくり考えて、子どもの頃に抱いた夢をちゃんと選んだんです。今の仕事は、もう辞めることなく最後までやり遂げる覚悟があります。

 


■とまぁ、こんな感じで【ビギナー】を聴くと色々思い出すわけですけど、【ビギナー】の歌詞は、全体的に良すぎるので、本当は全部紹介したいくらいですが、キリがないので泣く泣く止めておきます。


冒頭で紹介している部分以外で、1つだけ紹介しておくと、

 


同じこと叫ぶ 理想家の覚悟
つまづいた後のすり傷の痛み
懲りずに憧れ 練り上げた嘘が
いつかは形を持つと信じている

 

ここなんかは、神懸かっていると思います。すごい歌詞ですよね。

 

”憧れ”とくると、それに続く言葉としては、”夢”だったり”願い”などの、ポジティブな言葉になるような気もするんですけど、ここでは”練り上げた嘘”という、一見マイナスな言葉へと繋がっているんです。

 

”懲りずに憧れ 練り上げた嘘”と、あくまで練り上げてきたものを”嘘”と表現しているところが、ひねくれ者の草野さんらしい言葉だと思います。

 

それでも、この辺りの詩からは、何かを長く続けていくことに対する覚悟みたいなものを受け取ります。この曲を聴いたリスナーに向けてのメッセージとも捉えられる一方で、他でもない、スピッツというバンド自体のことを歌っているとも捉えられますね。

 


■冒頭の歌詞についてです。やっぱり、タイトルにもなっています、”ビギナー”という言葉が出てくるこの部分が、一番印象に残っています。

 


だから追いかける 君に届くまで
ビギナーのまま 動き続けるよ
冷たい風を吸い込んで今日も

 

”君に届くまで”とあるので、恋愛系の歌詞として考えても、想像が膨らみそうなんですが、自分の経験だったり、全体的に読んだ感じでは、仕事など何かひとつのことを地道に続けている人へのメッセージだと捉えています。

 

ちょうど、この歌をリアルタイムで聴いていた頃は、自分自身は社会人2、3年目くらいでしたかね。だから自分に当てはめてもそう思います。

 

あとは、同じ時期に、就活生に向けた説明会が会社であったのですが、そこで就活生に向けて社員を代表してスピーチをしたことがあったので、ここの”ビギナー”は、僕にとっては、「社会人に成り立ての若者」や「就活生」などを当てはめて聴いています。

 

”冷たい風を吸い込んで今日も”…当時も今も、僕は朝が早いので、特に今の寒い季節なんかは、ここも共感できます。朝に家を出た時はまだ真っ暗で、冷たい空気で一気に目が覚める心地になるんです。

 

こんな風に、僕にとって【ビギナー】は、”仕事頑張ろうソング”ですかね。この記事を書くのに、最近すごい聴いてたんですけど、やっぱりいいですね。朝に気合いが入ります。