スピッツ大学

ステイホームしながら通える大学です!

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第23回

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ずっと遠くまで 道が続いてる
終わりと思ってた壁も 新しい扉だった

 

 

■アルバム『さざなみCD』に収録されている、【砂漠の花】の歌詞です。『さざなみCD』は、【ネズミの進化】→【漣】→【砂漠の花】という、最後の3曲の締め括りが個人的にすごく好きなんです。

 

そのトリを飾る【砂漠の花】という曲です。壮大なバラードで、何かようやくたどり着いた旅の果て、みたいな集大成感がある曲です。

 

アルバム『さざなみCD』発売時のスピッツは、ちょうど結成20周年を迎えたときだだったので、このアルバム自体が20周年の集大成のような作品でした。そのトリを飾る曲ということで、なおさら気持ちがこもっているように感じるかもしれません。

 


スピッツの歌詞の魅力の一つとしては、ここでも度々言っていますが、草野さんがこういう歌詞だと説明していない上に、少し読んだだけではどんなことを歌っているのかがすんなりと分からないので、読んだ人が色々と想像できる”余白”がたくさんあるというところだと思っています。

 

個人的には、最近の歌詞は割と分かりやすい歌詞も増えてきたという印象なんですけど、特にこの集中講義でも初期の頃の歌詞を紹介したりしていますが、初期の頃の歌詞は本当に難解で…要は分かりにくくて、色々と想像するのが難しいものが多くあります。正しい・正しくない、は別にして、時には暗号を解くみたいに、その歌詞を読み解いていくのは、この上ない楽しい時間なのです。

 

そして、そういう歌詞考察って、その時の自分の精神状態だったり、置かれている状況だったり、気分や感情などによって変わるもので、同じ曲やその歌詞でも、ある時は悲しく感じたり、またある時は楽しく感じたりと、様々に変わるものだから、スピッツの歌詞はいつ何度読んでも、新しい発見があったりして、全然飽きないのです。

 

で、その最たるひとつの例として、この【砂漠の花】の歌詞を紹介しています。

 


■この集中講義で紹介している歌詞については、別に好きなランキングとかをつけることなどが目的ではないのですが、個人的には、紹介している歌詞の中では、一二を争うくらい好きな歌詞です。

 


ずっと遠くまで 道が続いてる
終わりと思ってた壁も 新しい扉だった

 

ここの歌詞が、すごい好きなんですよ。何ていうか、スピッツの歌詞の魅力がここに存分に詰まっているなって思うんです。

 

この歌詞だけ読んで、皆さんはどんな気持ちになりますか?具体的には、励まされますか?それとも、打ちひしがれますか?ここの歌詞って、とても不思議なんです。

 

例えば、自分の気持ちとして、何かを諦めそうになっていて、でも諦めたくない、と思っているとします。そういう気持ちで、ここの歌詞を読んでみると、”終わりと思ってた壁”とは、つまり、「もうダメだ…諦めてしまおう」と、ぶつかってしまった壁を表すことになります。

 

しかし、その壁には扉が付いていた…つまり、まだそこは終わりではなくて、その先へと進むことができる、と。こう考えると、何かを諦めようとしている人にとって、ここの歌詞は、諦めずに前へ進んでいける希望を与えてくれる歌詞に読むことができそうです。

 


■では、逆だったらどうでしょうか。つまり、自分の気持ちとして、何かが早く終わって欲しい、辛い状況から楽になりたい、と思っているとするとどうでしょうか。その人にとっては、”壁”はようやくたどり着いた、辛かった状況のゴールを表すことになるわけです。

 

しかし、”終わりと思っていた壁”には、”新しい扉”が付いていたと。つまり、そこはまだ辛い状況の終わりではなくて、何なら扉が付いていて、まだその先へ続いているということを表すことになります。これは、せっかく辛い状況が終わると思っていた人にとっては、絶望に打ちひしがれる歌詞になってしまいます。

 

と、こんな風に、その時の自分の感情や置かれている状況によって、スピッツの歌詞は全く違う風に感じることがあります。だからこそ、スピッツの歌詞は何度も読み返したくなるし、その度に新しい発見があるんです。

 


■あとは、この記事を書いているのが2021年の終わりですが、記憶に新しい2017年に結成30周年を迎えたときに、スピッツは自分たちの活動として、「まだまだここは通過点」という表現をなさっていました。

 

また、結成20周年の時には、スピッツは自分たちの活動を振り返った自叙伝的な書籍を出版するのですが、その書籍の名前が「旅の途中」でした。ここでも、自分たちが居る場所に対して、”途中”という表現をしています

 

そういう部分を含めて、ここの歌詞は自分たちの活動のことを歌っている節もあるのかなと思っています。要は、終わりは始まりと言いますか、というより、終わりも始まりもなく、いつだって自分たちは途中にいるんだと、そういうことを歌ってるんだと思います。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第22回

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負けないよ 僕は生き物で 守りたい生き物を
抱きしめて ぬくもりを分けた 小さな星のすみっこ

 

 

■アルバム『小さな生き物』に収録されている、表題曲の【小さな生き物】の歌詞です。

 

アルバム『小さな生き物』が発売になったのは2013年のことでした。2011年に東日本大震災が起こり、まだその衝撃と悲しみが色濃く残り、それでも復興へ向かっていく、まさにその真っ只中に発表されたアルバムでした。

 

その表題曲【小さな生き物】ですが、この曲には、やはりこの時期だからこそ歌わなければならなかった大切な言葉が詰め込まれています。タイトルチューン通り、このアルバムをまとめている…何ていうか、本で言うところの、内容をまとめている”あらすじ”のような歌だという印象です。

 


■これまで草野さんが書いてきた詩を読み返してみても、本当にたくさんの生き物の名前が出てきますよね。それは、草野さんの中に、全ての命を、あるいはそれらの”死”を含めて、生き物を尊ぶ気持ちがあるからなのでしょう。

 

もちろんアルバム『小さな生き物』の楽曲にも、そのアルバムタイトル通り、たくさんの生き物が出てきますが、おそらく歌詞の中で、具体的な生き物の名前が出てくる場合は、何か別の物や人を例えるものとして用いているのだと思います。

 

そこへきて、表題曲の【小さな生き物】なのですが、この曲の歌詞には、具体的な生き物の名前は出てきません。ただ終始出てくるのは、”生き物”という言葉だけなのです。

 

この時期にこの曲を発表したことだったり、タイトル”小さな生き物”について考えてみても、この”生き物”という言葉は、何か特定の”生き物”を指しているのではなく、その言葉通り、”生き物”全体のことを指しているのだと思っています。まぁあえて言うならば、この歌における”生き物”とは、我々”人間”を指しているのかなとも感じますが、個人的には、広い意味で普遍的に”生き物”全体を指しているという印象です。

 


■紹介している歌詞は、【小さな生き物】の出だしの歌詞です。イントロもなく、いきなり始まります。

 


負けないよ 僕は生き物で 守りたい生き物を
抱きしめて ぬくもりを分けた 小さな星のすみっこ

 

表題曲なので、やはりこの時期に一番歌いたかったこと・歌うべきことが詰まっているのだろうと思いますが、その中でも、この出だしの部分の歌詞に全てが凝縮して、まとめられていると感じます。

 

前半部分、”負けないよ 僕は生き物で 守りたい生き物を”という表現についてですが、最初は少し日本語として違和感を感じた部分でもありました。具体的には、”生き物”という言葉が被っているような感じがして、すんなりと読めなかったんです。

 

ただ、ゆっくりこの歌詞を読んでいくと、その”生き物”という言葉が被っているところこそ、一番重要な部分なんだなと思うようになりました。

 

要は、”守る方”も”守られる方”も、同じ”生き物”なのだと、そういうことを歌っているんですよね。救ったつもりが、実は自分が救われたような気持ちになったり、何か落ち込んでいる他者に声を掛けるときだって、実は自分が言われたいような言葉を選んでいて、そういう言葉を言っている自分自身に言い聞かせていたり…これは、全く以って、個人的な経験ですが…そういうことってあると思うんです。

 

特に、当時はみんなが、助け合わないと、手を取り合わないとって、思っていたはずです。そういうことを、スピッツが代弁してくれているのが、まさにここの歌詞だなと思ったんです。

 


■そして後半部分、”抱きしめて ぬくもりを分けた 小さな星のすみっこ”へと続いていくのですが、僕はこの部分を読んで、いつも対比して思い出すのが、この集中講義の第1回でも取り上げました、【ロビンソン】の歌詞なんです。

 


片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ

 

【ロビンソン】には、こういう歌詞が出てくるのですが、両曲の解釈としては全く違うことを思うのですが、ここの部分だけを比べると、何となく同じようなことを思うわけです。

 

先述のことと繋がるんですけど、生きているからこそ、また同じように生きている生命を尊く思う気持ちを持つのだと思います。それから、弱っている生き物を見かけると、何となく自分の気持ちも弱ってしまうとか、そういうのを経験すると、やっぱり命って繋がっているんだなって思いますよね。

 


■それから、何と言っても個人的に一番印象に残るのは、出だしの”負けないよ”という言葉です。

 

この集中講義では紹介する予定のない歌ですけど、アルバム『三日月ロック』に入っています【けもの道】では、”諦めないで”という言葉を使って、人々を励まそうとしましたが、あのアルバムにしたって、アメリ同時多発テロの影響を受けた作品でありました。

 

失礼なことを言うかもしれませんが、”負けないで”や”諦めないで”など、こういう真っ直ぐで分かりやすい応援の言葉を、草野さんは好んで使うようなことはあんまりなかったな、という印象があったんです。

 

だからこそ、こういう言葉で始まっている【小さな生き物】には、やっぱり並々ならぬ特別な想いが詰め込まれているんだなと感じます。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第21回

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君のおっぱいは世界一
君のおっぱいは世界一
もうこれ以上の
生きることの喜びなんかいらない

 

 

スペシャルアルバム『花鳥風月』や『花鳥風月+』に収録されています、【おっぱい】という曲の歌詞です。もともと、インディーズ時代のとても古い曲です。

 

第10回で取り上げた、【ラズベリー】と同じように、もうこれは切実な性衝動の叫びです。知らない人のために一応言っておきますが、これ、本当にある歌詞ですからね。

 

この詩については、あえてこれ以上は何も言いません。きっとそれが、この詩を紹介するのに、一番の方法だと思います。興味がありましたら、ご自身で曲を聴いて、歌詞を読んでみてください。

 

これ以上は記事にできない…ということで、今回は終わりです!

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第20回

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だから追いかける 君に届くまで
ビギナーのまま 動き続けるよ
冷たい風を吸い込んで今日も

 

 

■両A面シングルとして発売になった、【ビギナー】という曲の歌詞です。【ビギナー】は、この曲単独でも、デジタルシングルとして発売されました。スピッツの楽曲としては、初の配信シングルですかね。

 

時々すごく聴きたくなる曲です。主に、仕事がきつい時とか、悩んでる時とかに聴くと、「いや、お前間違ってないよ。それでいいよ」って言ってくれるみたいで、勇気が出てくるんです。

 


■この曲を聴く度に、リアルタイムで聴いていた頃のことを思い出すんです。

 

主に、以前やってた仕事のことですね。当時は、僕は20代中盤でした。社会人になって、頑張って働いていたんですけど、早々に「あ、この仕事は、ずっと続けていく仕事じゃねぇな」って思い、辞め時を探しながら、それでも頑張ってました。

 

仕事は、別にすごいできるってわけではなかったですけど、職場の中では頭は良かったし、効率もよかったから、割と若輩者でも中間管理職的な仕事をやったりしてたんです。

 

毎日、めっちゃ怒られてましたね、何で?ってくらい(主に、いつも同じ1人の人物からでしたが…)。帰り道に、俺は何やってんだろう、このまま人生終わるのかなって、いつも思ってました。

 

そんな時に、【ビギナー】に出会うわけです。何度となく、もう仕事辞めようと思いつつも、でももう少し頑張るか、と思わせてくれた曲の1つです。あと、BUMP OF CHICKENの【HAPPY】もですね。両曲とも、一緒に戦ってくれた”戦友”みたいな曲です。

 

まぁ、後に結局は辞めちゃうんですけどね、結構粘ったんですけど。基本、何でも自分がやっていることは、諦めずに最後までやり遂げたいと思うタイプなので、まさか自分が仕事を辞めることになるなんて、とかなりショックを受けたんです。

 

だからこそ、次にやる仕事、つまり、今やっている仕事は、じっくり考えて、子どもの頃に抱いた夢をちゃんと選んだんです。今の仕事は、もう辞めることなく最後までやり遂げる覚悟があります。

 


■とまぁ、こんな感じで【ビギナー】を聴くと色々思い出すわけですけど、【ビギナー】の歌詞は、全体的に良すぎるので、本当は全部紹介したいくらいですが、キリがないので泣く泣く止めておきます。


冒頭で紹介している部分以外で、1つだけ紹介しておくと、

 


同じこと叫ぶ 理想家の覚悟
つまづいた後のすり傷の痛み
懲りずに憧れ 練り上げた嘘が
いつかは形を持つと信じている

 

ここなんかは、神懸かっていると思います。すごい歌詞ですよね。

 

”憧れ”とくると、それに続く言葉としては、”夢”だったり”願い”などの、ポジティブな言葉になるような気もするんですけど、ここでは”練り上げた嘘”という、一見マイナスな言葉へと繋がっているんです。

 

”懲りずに憧れ 練り上げた嘘”と、あくまで練り上げてきたものを”嘘”と表現しているところが、ひねくれ者の草野さんらしい言葉だと思います。

 

それでも、この辺りの詩からは、何かを長く続けていくことに対する覚悟みたいなものを受け取ります。この曲を聴いたリスナーに向けてのメッセージとも捉えられる一方で、他でもない、スピッツというバンド自体のことを歌っているとも捉えられますね。

 


■冒頭の歌詞についてです。やっぱり、タイトルにもなっています、”ビギナー”という言葉が出てくるこの部分が、一番印象に残っています。

 


だから追いかける 君に届くまで
ビギナーのまま 動き続けるよ
冷たい風を吸い込んで今日も

 

”君に届くまで”とあるので、恋愛系の歌詞として考えても、想像が膨らみそうなんですが、自分の経験だったり、全体的に読んだ感じでは、仕事など何かひとつのことを地道に続けている人へのメッセージだと捉えています。

 

ちょうど、この歌をリアルタイムで聴いていた頃は、自分自身は社会人2、3年目くらいでしたかね。だから自分に当てはめてもそう思います。

 

あとは、同じ時期に、就活生に向けた説明会が会社であったのですが、そこで就活生に向けて社員を代表してスピーチをしたことがあったので、ここの”ビギナー”は、僕にとっては、「社会人に成り立ての若者」や「就活生」などを当てはめて聴いています。

 

”冷たい風を吸い込んで今日も”…当時も今も、僕は朝が早いので、特に今の寒い季節なんかは、ここも共感できます。朝に家を出た時はまだ真っ暗で、冷たい空気で一気に目が覚める心地になるんです。

 

こんな風に、僕にとって【ビギナー】は、”仕事頑張ろうソング”ですかね。この記事を書くのに、最近すごい聴いてたんですけど、やっぱりいいですね。朝に気合いが入ります。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第19回

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こぼれて落ちた 小さな命もう一度
匂いがかすかに 今も残ってるこの胸にも
翼は無いけど 海山超えて君に会うのよ

 

 

■アルバム『さざなみCD』に収録されている、表題曲である【漣】の歌詞です。

 

自分の中で、あんまりスピッツを聴いてなかった時期ってのがあって、それがちょうど『さざなみCD』発売前の頃でした。このアルバムは、久しぶりにスピッツをまとめて聴いた作品で、やっぱりスピッツって良いなって改めて感じた、思い出深い作品です。

 

その収録曲の中でも、一番印象に残っているのが、この【漣】でした。ただ、聴いた当時にはそんなに印象には残ってなくて、割と時間が経ってから、改めて色々と考えさせられました。

 


■この【漣】という曲は、スピッツの歌詞を解釈することを一番の目的とした、このスピッツ大学というブログを書こうと思った、一番大きなきっかけになった曲なのです。

 

第2回の【テレビ】の集中講義でも書いたように、このスピッツ大学ができる前に、色々とスピッツの歌詞について調べたりしていた、放浪期(今名前をつけました笑)がありました。

 

そして、自分でもスピッツの歌詞を読んで、その解釈を勝手にm○xiや●chに書き込んだりしてたのですが、その頃書いていたプライベートの日記や自作の詩など、雑多に色んなことを書く個人的なブログにも、個人的にスピッツの歌詞の考察を書いたりしていたんです。これが一応、スピッツ大学のプロト版になったわけです。

 

その頃に、何気なく【漣】を聴いていた時に、急にふとこの曲がどういうことを歌っている曲なのか、はっと気付いた瞬間があったんです。

 


■ということで、この【漣】の歌詞の解釈ですが、個人的には、ずばり”入水自殺”を表しているのではないかと思っています。

 

冒頭の歌詞の前に、他の部分を紹介しておくと、例えば2番の歌詞に

 


街は今日も眩しいよ 月が霞むほど

 

というのがあるんですけど、ここの”月が霞む”という部分が、まさに”死”を匂わせるような表現だなって思うんです。

 

この集中講義でもずっと言っている、草野さんは丸い物を”死”の象徴として、歌詞で用いている説に当てはめると、”月”というのは、まさに丸い物ですよね。その丸い物である”月”が霞んでいる、ということで、つまり”死”が霞んでいる。

 

これは、死のうと思っていた気持ちが消えていっている、と考えることもできるかもしれませんが、考えようによっては、”死”への恐怖心が消えていっていると、つまりは、”死”への決心を表した表現であるかもしれません。

 


■そして、冒頭で紹介している歌詞へと繋がっていきます。

 


こぼれて落ちた 小さな命もう一度
匂いがかすかに 今も残ってるこの胸にも
翼は無いけど 海山超えて君に会うのよ

 

まずは、最後の”翼は無いけど 海山超えて”という表現。翼も無いのに、何で海や山を超えることができるんだよ、って思いますよね。考えられるのは、物理的には超えることはできなくても、精神的に…例えば、夢や心の中で超える想像をしているのだということが考えられます。

 

そうやって考えていくと、先程の”死”のイメージとここの部分が繋がりました。例えば、”君”はもう故人であり、あの世に居ると。だから、この世に居るままでは、”俺”は”君”に会うことはできないから、命を絶ってあの世にいる君に会いに行こうというという物語です。

 

あとは、”こぼれて落ちた”や、他の部分では”キラめくさざ波 真下に感じてる”を繋げて、命を絶った手段として、海へ飛び込んで入水自殺を図ったと考えたのです。翼も無いのに飛ぶとなると、そりゃ真下に落っこちていくだけですからね。

 


■ということで、あんまり幸せな解釈にはなっていませんが…何度も言うように、あくまで個人的な解釈です。他にも、赤ちゃんを流産したという解釈や、普通に遠距離恋愛の相手に会いに行くという解釈もあります。

 

僕が一番言いたいのは、こんな風に、一つの歌で人によって色んな解釈が生まれるというところが、草野さんの歌詞の面白いところだなってことです。

 

スピッツの曲って、そういうところも魅力で、それが正しい・正しくないなどは別として、何度も読んだ歌詞のはずなのに、その時の自分の状況であったり、聴いていた時の感情だったりで、ふと何かを感じるときがあるんです。

 

特に、草野さんが書いた歌詞は、この曲はこういう曲だと、具体的には分からないような曲も多いため、色々と想像が膨らむんです。そういう思いから、もっとスピッツの歌詞を、1曲1曲深く読んでいきたい、そして、その解釈を(勝手に)語ってみたい、と思うようになって、ここスピッツ大学が生まれたのです。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第18回

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お前の最後を見てやる
柔らかな毛布にくるまって
ゆっくり浮かんだら 涙の星になった

 

どうせパチンとひび割れて
みんな夢のように消え去って
ずっと深い闇が広がっていくんだよ

 

 

■記念すべきデビューシングル『ヒバリのこころ』のカップリング曲であり、デビューアルバム『スピッツ』にも収録されています、【ビー玉】という曲の歌詞です。

 

まさに、スピッツがデビュー直後に発表した、最初期の曲であると言えます。

 

何度も言っていますが、草野さんが書く詩のテーマとして、「セックスと死」というものがありますが、そのテーマは初期の頃の作品に、特に色濃く現れていると感じます。まさに、最初期の楽曲である、【ビー玉】も例外ではありません。

 

草野さんが書く、”死”とはどんなものなのかという考え方や死生観について、特に印象に残っている詩のひとつとして、個人的にはこの【ビー玉】を紹介したいんです。

 


■そもそも、これは何度もここで言っていますが、草野さんは、丸いものを”死”の象徴として、歌詞の中で用いているのではないか、という考察があります。

 

タイトルになっている”ビー玉”は、皆さんも知っての通り、球形をしており、コロコロと不安定に転がっていってしまうものですよね。なので、上述のような考察に立てば、やはりこの”ビー玉”という言葉からも、”死”のイメージが膨らんでくるのです。

 


紹介している歌詞については、後半部分、

 


どうせパチンとひび割れて
みんな夢のように消え去って
ずっと深い闇が広がっていくんだよ

 

ここなんかは、まさしく”死”を表現していると読むことができますよね。

 

”パチンとひび割れて”とは、ビー玉が壊れてしまうところがイメージされます。こんな風に、丸いものそのものではなくて、それが壊れてしまうこと、失われてしまうことを通じて、”死”を表現している節もあるのでしょうか。

 

草野さんが、死生観として色んな考え方をお持ちなのは、書かれた歌詞などを読むと分かってきます…いや、ほんとの意味では分かってませんが苦笑 別の生き物に生まれ変わったり、死後の世界で故人と会おうとしていたりと、輪廻転生や死後の世界について書いているような作品も多くあります。

 

一方、この【ビー玉】は、”みんな夢のように消え去って”からの”深い闇が広がっていく”ですから、死後の世界というよりは、死んだ後は”無”である、という考え方に近いような気がします。

 

で、この部分で一番僕が印象に残っているのは、冒頭の”どうせ”という言葉なんですよね。”どうせ”ってなんだよってね。諦めに近いというか、達観しているというか…でもこの辺が、草野さんの真の死生観だったのかな、と思います。

 

しかしこれは、あくまで昔は…という感じがしますね。今はそんなに思わないですけどね。むしろアメリ同時多発テロ東日本大震災などを経験して、そういう死生観は変わっていったという印象を受けます。

 


■それから、前半部分。

 


お前の最後を見てやる
柔らかな毛布にくるまって
ゆっくり浮かんだら 涙の星になった

 

また個人的な話になりますが、ここを読むと思い浮かべることがあるんです。【ビー玉】の記事でも書いたので、被ってしまうのは申し訳ありません。

 

ここを読んで、僕はいつも、”寝ずの番”というものを思い浮かべるのです。”寝ずの番”とは(僕の解釈も含めますが)、お通夜の後に、亡くなった人に寄り添い、線香の火を絶やさないようにお守りしたりして、最後の夜を共に過ごすことです。

 

故人に悪いもの(”悪霊”や”魔”という表現がありました)が憑かないように、昔は本当に朝まで寝ずにお世話したようですが、最近はどうなんですかね。一説によると、医療が発達していない昔は、何でも本当に亡くなっているのか、息を吹き返さないかを判断するために、一夜見守ったんだとか。

 


■今から振り返ると、もう10年以上も前になりますかね、僕の父方の祖母が亡くなったんです。

 

ばあちゃんの遺体は、すぐにお寺に運ばれて、僕も仕事終わりに駆けつけたんです。その日は、ちょうど金曜日の夜で、親戚一同が集まりやすいように、ばあちゃんも日を選んで亡くなったんだねー、みたいな話になったのを覚えています。

 

その時に、誰かが寺に残って泊まり、ばあちゃんの遺体の側に居る(”寝ずの番”に近いものをする)という話になったんですけど、その役目を、僕といとこと、そのいとこの娘さんが引き受けたんです。

 

娘さんなんかは、まだ小学生も低学年くらいで、お泊まりできて楽しそうでした。その娘さんとも仲良くなって遊んだり、いとことも飲みながら仕事の話をしていたら、しばらく経って他県にいる兄が駆けつけて、寝ずの番に加わりました。

 

いとこや兄とも、まともに長く会ってなかったので、久しぶりに話せたのを覚えています。何か、色々と印象に残っている出来事です。

 


■めっちゃ脱線しましたが…なんとなく、そういうことを思い出すんです。

 

”お前の最後を見てやる”という歌詞で、言葉通りですが、今まさに命が尽きようとしている人の、あるいは僕の個人的なイメージに添うと、すでに亡くなっている人の、最後を見届けるというシーンですね。

 

”柔らかな毛布にくるまって”という表現、この表現があるから、僕は寝ずの番をイメージしたんです。

 

ところで、よくよく考えてみれば、”お前の最後を見てやる”なんて、どんな曲の始まり方だよ!って思いますよね。しかもこれ、デビューシングルのカップリング曲ですからね、いきなりマニアックすぎるでしょうよ!

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第17回

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君は小さくて 悲しいほど無防備で
無知でのんきで 優しいけど嘘つきで
もうすぐだね 3月の君のバースデイには
ハンティングナイフのごついやつをあげる 待ってて

 

 

スピッツのミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』に収録されています、【ナイフ】という曲の歌詞です。

 

スピッツの初期三部作と呼ばれる作品として、1st『スピッツ』、2nd『名前をつけてやる』、3rd『惑星のかけら』があるのですが、ちょうど2ndと3rdの間に、ミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』があります。このミニアルバムは、スピッツの作品の中でも、実験作という風に言われ、ロックとオーケストラのサウンドの融合を試みた楽曲がたくさん入っています。

 

ここで何度も話しています、「セックスと死」というテーマが、最も色濃く現れているのが、初期三部作、そして、このミニアルバムであると思っています。長い目で見ると、これら初期の作品群と、これ以降の作品の間には、大きな境界線があるイメージです。

 


■さて、そのミニアルバム収録の【ナイフ】という曲なんですが、第2回で取り上げました、【テレビ】と同様に、誰もが知る日常の言葉をポツンとタイトルにしつつ、でも本来の意味ではその言葉を使っていないんだろうなって感じの曲です。

 


紹介している部分の歌詞を見てみます。

 


君は小さくて 悲しいほど無防備で
無知でのんきで 優しいけど嘘つきで

 

まず、前半部分。ここは”君”がどういう人物なのか、説明している部分ですね。何となく、幼い感じの女の子をイメージします。

 


で、続く歌詞に、(ハンティング)”ナイフ”という言葉が出てきます。

 


もうすぐだね 3月の君のバースデイには
ハンティングナイフのごついやつをあげる 待ってて

 

まぁ、素直に”ナイフ”をそのままの意味で読んでも、誕生日に、一体何をプレゼントしようとしてんだ!?って感じですけどね。

 

おそらく、男性が女性に”ナイフ”をプレゼントしようとしていると思われますが、それって一体どんな状況?ミリタリー趣味の彼女か?って感じなのですが、それは先述の彼女の性格に合っていないような気がします。

 


■第1回でも触れましたが、草野さんは、歌詞の中でとがったものを”性”の象徴として用いているのではないか、という考察があります。

 

ということで、全体的に歌詞を読んでいった結果、個人的な解釈としては、”ナイフ”は男性器を暗喩した言葉なのではないか、と思っています。

 

”ナイフ”=男性器をプレゼントする、とはつまり…包み隠さず言うと、セックスしようね!って、そういうことになりますよね。しかも、その時が来るのをイメージしながら、ナイフをサワサワして毎日過ごしてると…んもう、変態っ!めっ!

 

ただ一点、僕が懸念しているのは、そ…それ…お互いの合意の下でだよね?ってところですかね。

 


■あとは、どっちをメインで紹介しようか悩みましたが、

 


果てしないサバンナを行く しなやかで強い足で
夕暮れのサバンナを行く ふり向かず目を光らせて
血まみれの夢許されて 心が乾かないうちに
サルからヒトへ枝分かれして ここにいる僕らは

 

ここの歌詞も、何だかガチの詩人が書いた現代詩みたいに、すげぇなって思います。

 

何となく、”血まみれ”とか”サルからヒトへ”などの言葉から、初体験の描写なのかなと僕は読んでいます。特に、ナイフをプレゼントする、などと言っている男性の方が優位に立っているっぽいので、女性の方の初体験でしょうか。

 


■ということで、【ナイフ】という曲でした。すごい歌です、もうその一言に尽きます。

 

ミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』自体、子どもの頃はそんなに好きではなかったんですけど、大人になり、スピッツの歩んできた道のりを知っていけばいくほど、この作品もとても大切な作品だったんだなと思えるようになりました。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第16回

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生きるということは 木々も水も火も
同じことだと気付いたよ
愛で汚された ちゃちな飾りほど
美しく見える光

 

 

スピッツの楽曲の中でも、知名度の高いと思われる、シングル曲【青い車】の歌詞です。

 

スピッツの楽曲には、正しい正しくないは別にして、ひとつの考察・解釈がすでに広く広まっている楽曲があります。

 

これまでにこの集中講義で紹介した歌詞ですと、【夏の魔物】(赤ちゃんを流産・堕胎する)なんかそうですよね。他にも、この集中講義では紹介をするつもりはない楽曲であれば、【スパイダー】(女性を犯す、誘拐する)、【冷たい頬】(頬が冷たいのは、女性が亡くなっているから)、【アパート】(女性をアパートに監禁していた)などがあります。

 

何度も言いますが、あくまで”広まっている”ということですからね。草野さん自身が実際にそういう歌だと語ることは、ほとんどありません。

 

だから、そのほとんどの解釈は、最初はどこかのファンの方が語ったものが、少しずつ広まっていき、あたかもそれが正解であるかのように振る舞っているだけに過ぎません。

 


■今回の【青い車】も、特にひとつの考察が広く広まっている楽曲の1曲ではないでしょうか。

 

その広まっている考察とはずばり、「僕の手によって死に至らしめた彼女を、青い車に乗せて、一緒に海に入水して心中する」というものです。

 

死に至らしめた方法が絞殺であるとか、彼女が死んでから僕だけが入水自殺をしたとか、車自体が青いのではなくて、海中に沈んでいくところを"青い”と表現しているとか、色々と尾ひれがついているものも読んだことがあります。

 

この解釈は、出だしの歌詞、

 


冷えた僕の手が君の首すじに
咬みついてはじけた朝

 

からはじまり、他にも、”永遠に続くような掟に飽きたら”とか”輪廻の果てに飛び下りよう”などの言葉を繋げて膨らんだのだろうと思われます。

 


■ただし、上述のように、具体的に物語を想像できそうな部分もあるのですが、そういうところから切り離されて、やけに哲学的というか、草野さんの死生観や恋愛観により近いことを言っているような歌詞が、2番の始まりに出てきます。

 


生きるということは 木々も水も火も
同じことだと気付いたよ
愛で汚された ちゃちな飾りほど
美しく見える光

 

青い車】を初めて聴いたのは、僕が中学生の頃で、その頃にこの歌詞にも出会い、何度となく読んできたはずなのですが、大人になった今でも、この歌詞が示す意味を未だに考えている、そして、まだまだ考える余地がある気がするのは、恐ろしいと言うか、面白いと言うか…つくづく草野さんの歌詞の世界は、一体どこまで広がっているんだろう、と思うわけです。

 


まず、前半部分。

 

”生きるということは 木々も水も火も同じ”とは、どう読めばいいんでしょうね。

 

僕はいつも、少し言葉を加えて、”我々人間が生きるということは 木々や水や火が生きているということと同じ”みたいな感じで読んでいます。

 

これはどうなんですかね、我々の命が特別なものだと言っているのか、それとも、自然に存在してるだけで何も特別なものじゃない、と言っているのか…皆さんはどう思いますか?

 


■そして、後半部分。

 


愛で汚された ちゃちな飾りほど
美しく見える光

 

青い車】の歌詞で、ここが一番印象に残っています。そして、この歌の、ひいては草野さんの恋愛に対する価値観などの根幹になるような歌詞だと思っています。

 

まず、”ちゃちな飾り”とは、具体的なものでも、何か思い出や言葉など、形には見えないものでもイメージができそうです。

 

どうしても、この歌を恋愛に絡めて聴いているので、前者であれば、何か恋人からプレゼントしてもらった、例えば、指輪だったり服だったり、色々考えられると思います。後者であれば、単純に恋人と過ごした時間や、一緒に訪れた場所や眺めた景色などがあるかと思います。

 

で、それにくっついている言葉がポイントで、”愛で汚された”となっているんです。

 

普通だったら、愛で”満たされた”とか”彩られた”とか”溢れた”など、前向きな言葉がくっつくように思うんですけど、そうじゃなくて、愛で”汚された”となってるんですよ、決していい言葉ではないですよね。

 

具体的なものであれば分かりやすいんですけど、例えば指輪なんかを考えていくと、時間が経てば経つ程、汚れていってしまいますよね。

 

思い出なんかもそうですね、我々は過去の思い出を美化する傾向にある生き物で、あの頃は良かったなぁと、時間が経つ程、余計にそれが素晴らしかったと思ってしまいがちです。

 

ただ、最初の”生きるということは…”の下りと合わせて考えると、本来は生きることだけが人間に課せられ、それだけしかなかったところに、人を”愛”することや人に”愛”されることなどの要素が加わることは、まっさらな状態をあくまで”汚す”ことなのだと言っているように思えます。

 

しかし、そのことを最後には”美しく見える光”と表現しているので、良い悪いを含めて、そういう”汚れ”こそ美しいのだと歌っていると考えることができます。



■ということで、【青い車】でしたが…何て言うか、考えれば考えるほど、その度に違う解釈の仕方が見つかるような歌詞ですね。


さて、最初に語ったように、この【青い車】には、「僕の手によって死に至らしめた彼女を、青い車に乗せて、一緒に海にダイブして心中する」という考察が広まってるのは事実です。

 

ただ、何を思うかは結局は、僕ら一人一人次第です。先ほどの、”生きるということは”の下りを読めば逆に、僕は彼女への愛に改めて気づき、青い車で迎えに行っている、という風にも読めなくもないですね。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第15回

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会いに行くよ 赤い花咲く真夏の道を 振り向かず
そしていつか 同じ丘で遠い世界を知る 感じてみたい君のとなりで

 

 

■アルバム『スーベニア』に収録されている【会いに行くよ】という曲の歌詞です。

 

アルバム『スーベニア』には、割とロックな曲が多い中、最後から2番目に入っている【会いに行くよ】はゆったりとした曲で、ストリングスの演奏もとても気持ちがよく、何か心が浄化していくような気分になります。

 

タイトルが”会いに行くよ”と、やけに具体的なので、必然的に誰かが誰かに会いに行く物語を想像すると思います。

 

全体的な歌詞を読んだ感じだと、何となく恋愛が絡んでいるような気がしていて、例えば、遠距離恋愛で遠くに暮らしている恋人に会いに行くとか、自分の気持ちを伝えるために片思いの相手に会いに行くとか、色んな想像ができると思います。

 

で、個人的な解釈なんですが、この曲を聞くといつも思い出すことがありまして、めっちゃ個人的な話に脱線しますが、ちょっと話しますね。

 


■僕の母方の祖父母の家は、広島は瀬戸内海に浮かぶ島にあります。潮の匂いがする漁村にあり、子どもの頃は、お盆や年末年始になると、家族で祖父母の家に帰省するのが恒例でした。いとことも会ったりして、祖父母の家は海の間近にあるので、夏はみんなで海に遊びに行ったりしていました。

 

そこで暮らす祖母と祖父。特に祖父は、今考えても昔堅気の人で、常に日本酒を水のように飲んでいる、非常に酒豪で豪快な人でした。祖父は、漁師ではなかったけど、船を持っていて、よく兄といとこと僕を、釣りに連れていってくれたりしました。

 

もう何年前になるか、昔過ぎて正確には覚えていませんが、その祖父は亡くなりました。おそらく、僕が小学生か中学生の頃だったでしょうか。自分の身近な人が死ぬというのを、初めて経験したのがその時ですね。きっと、誰もがその頃なのではないでしょうか。

 

それで、祖父のお墓なんですけど、小高い丘の上に立てられたのです…お参りに行くのが、割と大変なレベルの小高い丘です、坂がきつくて登ると息が切れます。その丘の上からは、僕らがよく遊んだ、そして祖父にとっては、もう数え切れないくらい訪れたであろう海が一望できました。

 

なんか、子ども心にすごいなぁって思ったことを覚えています。こんな風に、自分が愛した海を眺めることができる場所にお墓を作ってもらって、きっとじいちゃんも喜んでいるだろう、とも思いました。

 


■そういうことを踏まえて、改めて紹介している歌詞を読んでみると、

 


会いに行くよ 赤い花咲く真夏の道を 振り向かず
そしていつか 同じ丘で遠い世界を知る 感じてみたい君のとなりで

 

という感じで、何となくじいちゃんのお墓の話を、ここを読むと思い出すんです。だから、僕にとって【会いに行くよ】は、”墓参り”のイメージなんです。

 

”赤い花咲く真夏の道”…ちなみに【会いに行くよ】の記事は、スピッツ大学の全曲研究セミナーの実は記念すべき一発目の記事なのですが、そこではこの”赤い花”というのを”彼岸花”なのでは?と書きました。彼岸花は、実は球根に毒があるようで、小動物や虫に荒らされることを防ぐために、お墓の周りに植えることがあるそうなのです。

 

ただ、彼岸花の咲く季節を調べてみると、どうも夏の終わり~秋にかけてのようなので、真夏にはふさわしくないということで、さらに調べて見ると、我々がよく知っているハイビスカスが、これが沖縄では故人の死後の幸福を願い、お墓に植えたり、お供えしたりする習慣があるようです。何となく、”真夏”というイメージにも、ハイビスカスが合うような気がしました。

 

”そしていつか 同じ丘で遠い世界を知る”…遠い世界とは死後の世界であり、丘には故人の墓があるので、いつか自分が死んだときに、一緒にそのお墓に入って、死後の世界でまた君に会いたい、と歌っているという解釈です。

 

”会いに行くよ”…つまり、誰に会いに行くのか、ということについてですが、故人に会いに行くという解釈になります。それも、故人はお墓に入っているので、お墓参りをするということで、故人に会いに行く、という意味になりますね。

 


■不穏なのは、他の部分の歌詞で、”捨てそうになってた ボロボロのシャツを着たら”や、”全てを捨てるバカになれる”などの表現から、自分も命を絶って、無理やり故人の居る世界へ行こうとしているのではないか、とも考えることができるということですかね。

集中講義:草野正宗 ~詩の世界への招待~ 第14回

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終わることなど無いのだと 強く思い込んでれば
誰かのせいにしなくても どうにかやっていけます
やり直しても良いのです 今度は一人ぼっちでも
記号化されたこの部屋から ついに旅立っていくんです

 

 

■アルバム『フェイクファー』に収録されている、【謝々!】という曲の歌詞です。聴いた時の状況によっては、ここの歌詞は泣きそうになります。

 

とてもおめでたい感じの曲で、アルバム『フェイクファー』の収録曲だったら、表題曲の【フェイクファー】と並ぶくらい大好きな曲です。

 

第5回の【スピカ】で書きましたが、高校受験の勉強を、スピッツの歌を聴きながら頑張っていた当時、【スピカ】やこの【謝々!】なんかは、特に好んで聴いていた曲でした。

 


■すでに書いています【謝々!】の記事においては、勝手に深読みして、この歌を”出産おめでとうソング”として考察をしました。

 

紹介している部分以外の歌詞を少し紹介しますと、

 


くす玉が割れて 笑い声の中
君を見ている

 

”くす玉”という言葉を、”妊婦さんのお腹”と大胆に置き換えて、それが”割れる”ということで、ここが出産シーンであると考察したのが発端でした。

 



生まれるためにあるのです じかに触れるような
新しいひとつひとつへと 何もかも悲しい程に

 

紹介している歌詞とこっちと、どっちをメインに紹介しようか迷うほど、ここの歌詞もとても好きです。何て言うか、ここの歌詞だけ妙に壮大で哲学的で、他の部分とは浮いているような感じがしたんです。

 

ですが、この歌を”出産おめでとうソング”としたことで、ここの歌詞にも意味が宿っていくような気がしました。

 


■という風に、少し無理矢理な考察をしたのですが、冒頭で紹介している部分の歌詞は、どんな解釈にしたって当てはまるような、普遍的な良さがあると思います。

 


終わることなど無いのだと 強く思い込んでれば
誰かのせいにしなくても どうにかやっていけます
やり直しても良いのです 今度は一人ぼっちでも
記号化されたこの部屋から ついに旅立っていくんです

 

やっぱり、ここの歌詞が好きなんです。ですます調の歌詞が面白いですね。

 

具体的に書いていないからこそ、聴いた人が自由に自分の状況を重ね合わせることができるような気がします。

 

”旅立っていくんです”という言葉があるように、誰もが経験したことがあるだろう、それぞれの”旅立ち”の場面を思い浮かべるはずです。例えば、卒業して学校を離れて行く場面だったり、就職して実家を離れていく場面だったり、無理矢理でしたが、”出産おめでとうソング”の考察にしたって、赤ちゃんが母体を離れていく、というのもあるかもしれません。


ちなみに、アルバム『インディゴ地平線』までは、スピッツのプロデューサーとしては、笹路正徳さんという方が務めていました。スピッツと笹路さんの絆は、それはもう相当強かったのだと思いますが、アルバム『フェイクファー』より、笹路さんのプロデュースを離れることになるわけです。

 

だから、草野さん的には、この歌は”笹路さんありがとうソング”としての側面が強いのかもしれません。

 

 

■個人的に好きなのは、”やり直しても良いのです 今度は一人ぼっちでも”という歌詞です。

 

旅立つときというのは、大抵は一人なんですよね。そういうときの”一人ぼっち”を、ちゃんと認めてくれているのが、何かたまらなく嬉しいんです。

 

無理に、”君は一人じゃないよ”と励ましてくれるより、”一人ぼっちでも”という風に、自分が置かれている状況に、そっと寄り添ってくれるのは、草野さんの優しさだなって思うんです。