スピッツ大学

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アルバム講義:4th Album『Crispy!』

Crispy!

 

4th Album『Crispy!』
発売日:1993年9月26日

 


■収録曲(→の先より、各曲の紹介へと飛べます)

 

01.クリスピー
→ 43時限目:クリスピー - スピッツ大学

 

02.夏が終わる
→ 114時限目:夏が終わる - スピッツ大学

 

03.裸のままで
→ 130時限目:裸のままで - スピッツ大学

 

04.君が思い出になる前に
→ 39時限目:君が思い出になる前に - スピッツ大学

 

05.ドルフィン・ラブ
→ 108時限目:ドルフィン・ラヴ - スピッツ大学

 

06.夢じゃない
→ 194時限目:夢じゃない - スピッツ大学

 

07.君だけを
→ 40時限目:君だけを - スピッツ大学

 

08.タイムトラベラー
→ 84時限目:タイムトラベラー - スピッツ大学

 

09.多摩川
→ 88時限目:多摩川 - スピッツ大学

 

10.黒い翼
→ 44時限目:黒い翼 - スピッツ大学

 


■前作『惑星のかけら』より、ぴったりちょうど1年後に発売されたアルバム『Crispy!』です。オリジナルアルバムで、唯一の完全アルファベット表記の作品タイトルです。

 

ちなみに、草野さんは、アルファベットが”sp”と続く英単語が好きだという、変わった嗜好を持っているようで、そもそもその嗜好が、バンド名「スピッツ/spitz」の由来にもなっているようなのです。他にも、spica(スピカ)、spider(スパイダー)、special、などの言葉もあります…まぁ、全部が全部そういう繋がりでつけられたわけではないとは思いますけどね。

 

今回の”crispy(クリスピー)”もそうですよね。元々これが、バンド名の候補であったという話もありますが、果たして草野さんと”sp”との間に、何があったのでしょうか、笑。

 


■さて、前講義のアルバム『惑星のかけら』の記事と、少し被るところから話を始めます。

 

『Crispy!』発売前のスピッツは、1st『スピッツ』、2nd『名前をつけてやる』、3rd『惑星のかけら』という、いわゆる”初期三部作”と言われるこれらの発売を経ていくにつれて、売上が落ち込んでいったという、リアルに厳しい状況の中にありました。

 

また、アルバム『惑星のかけら』は、”初期スピッツの完成形”とも語られていますが、ここまででとりあえず、スピッツでやりたいことは出し尽くしたとして、虚脱感さえ感じていたそうです。

 

スピッツは、元々はじめから、”売れること”を重視して活動していたわけではなかったようで、”売れることはかっこ悪い”とさえ思っていたそうなのです。それは良くも悪くも、スピッツの(草野さんの)独特な世界観を守りましたが、さすがにこのままではいけないと、この頃から少しずつ思うようになってくるわけです。

 


■そういう経緯があって、スピッツは次なる目標を、”売れる”ということに設定して、活動をはじめるわけです。具体的には、これまでのマニアックでシュールな方向性を一転して、”ポップ”なスピッツを目指そうと試みはじめます。

 


ここで、新たな作品を作るに当たって、新しくプロデューサーに迎えられたのが、笹路正徳その人だったのです。

 

笹路さんと言えば、4th『Crispy!』~7th『インディゴ地平線』の作品を手掛けることになるわけですが、まさにスピッツの名前が世に出始める頃から、爆発的なヒットを記録した黄金期までを支えることになる、本当にスピッツの歴史には欠かせない人物の一人なのです。

 

書籍「旅の途中」には、本当にたくさんのスピッツと笹路さんとのエピソードが書かれていて、ここからも、笹路さんがスピッツに欠かせない人物であったこと、スピッツが笹路さんを愛し、逆に、笹路さんもスピッツを愛していたことが大いに読み取れます。

 

例えば、その当時、草野さんは自分のボーカルが好きではなくて、「自分は楽曲で勝負している、ボーカルは二の次」とさえ考えていたそうです。そんな時に、笹路さんは草野さんのボーカルに対して、「マサムネの歌は高いキーで、もっと張って歌った方が聴き手に届くよ」とアドバイスしたんだそうです。ちょうどこの頃からですよね、スピッツの楽曲において、草野さんのハイトーンボイスが目立つようになってきたのは…当時のシングル曲だと、【裸のままで】も【君が思い出になる前に】も、草野さんのハイトーンボイスが高らかに響いている曲に仕上がっています。

 

書籍には”笹路マジック”や”笹路学校”という言葉が出てきますが、笹路さんのプロデュースのおかげで、スピッツというバンドは劇的に変わっていった様子を読み取ることができます。本当にたくさんのエピソードが書かれているので、詳しくは書籍を読むことをお勧めします。

 


■そういうことで、笹路さんプロデュースの下で作られた、四枚目のアルバム『Crispy!』ですが、結局この作品もこれまでの作品と同様、オリコンにチャート・インすることはありませんでした。

 

”ポップに!”と多少無理をして、売れるために努力をした、渾身の自信作にも関わらず…チャート・インしなかったという結果に、草野さんはかなり落ち込んでしまいます。

 


それでも、アルバム発売以後、ライヴの動員数も増えて、ファンの数も目に見えて増えていったそうです。ラジオやレコードショップなども、スピッツをプッシュしてくれるようになりました。

 

そして、アルバムからカットされたシングル『君が思い出になる前に』が、ついに初のオリコンチャート・インを果たします(最高順位33位)。

 

結果として『Crispy!』はチャート・インしませんでしたが、それでもそれを起点として、いよいよスピッツの名前が世の中に広がりはじめ、結果として後の爆発的なヒットにつながっていくことになるわけです。

 


■さて、ではアルバム『Crispy!』がどんな作品であるのか、具体的に考えてみます。

 

まず、やっぱり色んなところで見かけるのは、”ポップ”なアルバムという形容ではなかと思います。それは、先述したとおり、スピッツや笹路さんのねらいとするところだったのですが、分かりやすく、アルバム『Crispy!』は明らかに音が明るくなっています。

 

確かに、『惑星のかけら』にも明るい曲はありますし、逆に、『Crispy!』にも静かでちょっと暗い感じの曲はあるんですけど、全体的な明るさがひとつ突き抜けた感じなんです。明らかに分かるのは、【クリスピー】、【裸のままで】、【ドルフィン・ラブ】、【タイムトラベラー】あたりじゃないかと思います。多少、無理している感がありますけど、そのくらいあからさまな変化を求めてやったことだったのでしょう。

 


■それから、歌詞を読んでみても、変化が見られます。

 

草野さんの書く詩は、何ていうか”本当の気持ち”や”真意”というものが、暗号のように隠されているという印象で、要は、分かりにくい、回りくどいんですよね、苦笑。まぁだからこそ、読んであれこれ想像することが楽しいんですけどね…まさにここスピッツ大学でやっていることがそうなんですけど。

 

それでも、”初期三部作”と比べると、随分と『Crispy!』の歌詞は”分かりやすくなった”という印象を受けます。もちろん、草野さんの独特な表現・世界観は相変らず健在で、それがないと物足りなさを感じるんですが…だから”分かりやすく”なったというより、”読みやすくなった”、あるいは、”親しみやすくなった”という感じですかね。聴き手が、受け取りやすい言葉を使っているという印象です。

 

そして、それを特に象徴しているのは、シングル曲の【裸のままで】と、後にシングルカットされ初のチャートインを果たした【君が思い出になる前に】だと思います。

 


■まず、【裸のままで】についてですが、この歌詞には”愛してる”というストレートな愛の言葉が使われています。

 


どんなに遠く 離れていたって 君を愛してる
ほら 早く! 早く! 気づいておくれよ

 

全体から大サビの最後だけを抜き出したので、この部分だけで…というわけではありませんが、読んでみると分かりやすいですよね。先述したとおり、曲調もすごくノリノリだし、草野さんのボーカルも高音で響いているので、よりポップに聴こえます。

 


先述した通り、こういうストレートな言葉を使うことは、それまでの草野さんにとっては、ちょっと珍しいことだと感じますが、この辺りのことを、書籍「スピッツ」において、草野さんがこのように語っています。

 


…だから、もう『君を愛してる』って言葉は意味を持ってないって考えてもいいと思うんですよ。なんか『ポパイに載ってたからこの服を着てみよう』っていうような感じの。みんなが歌っているから一度ぐらいは歌ってみようっていう(笑)。

 


だけど、今はそういう服を着たって別に自分は自分だって思えるから。でも、やっぱり結局ヘソ曲がり的な部分は含んでるわけだし(笑)。でも、それはそうだと分からないようにして。だから、どっかの宇宙人が、宇宙人だって分かるような金ピカのピタッとしたスーツを着て出てくるんじゃなくて、人間と全くかわんないカッコで街を歩いてるような曲になったらいいかなという

 

後半の話は、アルバム全体というか、草野さんの詩の世界観全体に通じる部分があるとは思います。宇宙人の下りは、面白い話なんですけど、言い得て妙ですよね、確かにって思えてしまいます。

 


■そして、【君が思い出になる前に】も同様ですね。

 

まず、タイトルからすごく具体的ですよね、何となくどういう歌なのか、ここからも想像しやすいんじゃないかなって思います。

 

歌詞の中にも、例えば、”明日の朝 僕は船に乗り 離ればなれになる”などというフレーズが使われていたりして、ここを読んだだけでも、2人がどういう状況にあって、どういうシーンを歌っているのか、イメージしやすかったです。

 

何ていうか、よくできたストーリーやドラマといいますか、そういうものを見ているような印象です。

 


他の曲だと、【夏が終わる】とかね、これもあからさまに”夏の終わり”の歌って感じがしますよね。【タイムトラベラー】とか、僕はこの曲が大好きなんですけど、表現こそ独特だけど、これもよく練られたドラマみたいで、読んでいて楽しいんです。

 


■あと、積極的にPVが作られ始めるようになったのも、この時期からですよね。

 

振り返ってみると、デビュー曲の【ヒバリのこころ】以降、ここまでPVが作られていませんからね。それが、このアルバムの収録曲だけでも、【裸のままで】【君が思い出になる前に】(おそらく【夢じゃない】は後のシングルカット時に作られたのかな)にPVがありますからね。

 

【裸のままで】のPVなんか、カラフルで目立つ作りにもなっていて、テレビの中のノリノリな草野さんは、ちょっと笑ってしまうほどです。

 

まぁ、こういうところも、この作品をポップなものに仕上げようと、何とか売れようと頑張った結果だったんでしょうね。

 

youtu.be

 

youtu.be

 

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アルバム講義:3rd Album『惑星のかけら』

惑星のかけら

 

3rd Album『惑星のかけら』
発売日:1992年9月26日


■収録曲(→の先より、各曲の紹介へと飛べます)

 

01.惑星のかけら
→ 158時限目:惑星のかけら - スピッツ大学

 

02.ハニーハニー
→ 135時限目:ハニーハニー - スピッツ大学

 

03.僕の天使マリ
→ 164時限目:僕の天使マリ - スピッツ大学

 

04.オーバードライブ
→ 29時限目:オーバードライブ - スピッツ大学

 

05.アパート
→ 7時限目:アパート - スピッツ大学

 

06.シュラフ
→ 66時限目:シュラフ - スピッツ大学

 

07.白い炎
→ 67時限目:白い炎 - スピッツ大学

 

08.波のり
→ 121時限目:波のり - スピッツ大学

 

09.日なたの窓に憧れて
→ 144時限目:日なたの窓に憧れて - スピッツ大学

 

10.ローランダー、空へ
→ 205時限目:ローランダー、空へ - スピッツ大学

 

11.リコシェ
→ 211時限目:リコシェ号 - スピッツ大学

 


■前作のミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』の発売が、1992年4月25日であったので、アルバム『惑星のかけら』は、これまた短いスパンを経て発売になったことになります。今では驚くことですが、1st albumが発売になったのが1991年3月25日のことなので、デビューからここまで、たったの1年と半年の出来事なんですよね。本当にあっという間だったんです。

 

この怒涛のリリースラッシュの中で生み出された、1st『スピッツ』、2nd『名前をつけてやる』、3rd『惑星のかけら』の三枚を合わせて、”初期三部作”と語られています(書籍「旅の途中」にこのような表現あり)。そしてこれに、ミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』を加えた4作品が、スピッツの一番コアな部分を堪能できる作品だと、個人的には(スピッツファン的にも?)感じます。最近、スピッツに少しずつ興味を持ち始めた方が居られましたら、この時期の作品もぜひチェックしてみてください。

 

ちなみに、『惑星のかけら』の読み方は、”惑星”を”ホシ”として、”ホシのかけら”と読みます。表題曲【惑星のかけら】についても同様です。ただし、スマホやパソコンなどで文字として打つ場合は、”ホシのかけら”では変換されませんので、”ワクセイのかけら”と打たないといけません…苦笑。

 


■さて、アルバム『惑星のかけら』が発売された時期のスピッツを、書籍の情報を主に踏まえて追ってみます。

 


まず、全体的に読んだ限りでは、作品の出来はともかくとして、この頃のバンドはリアルな厳しい状況に直面していたということが読み取れます。

 

これは、厳密にはアルバム発売後の話になりますが、デビューアルバムから、セカンドアルバム、サードアルバムと、結局少しずつCDの売り上げが落ち込んでいったようです。

 

スピッツというバンド自体、まぁ全然ないということはなかったと思いますが、初めから売れ線を意識してやっているようなバンドではなかったということを、初期のインタビュー記事などを読んでいて感じることができます。

 

しかし、このアルバム発売以後、それらの結果などを踏まえて、その思いが少しずつ変わっていったようです。そろそろヤバいんじゃないか…少しでも売れないと申し訳ない…そんな言葉が、書籍のこの頃の文章に目立ち始めます。

 


■そういうバンドの状況の一方で、この作品の出来については、満足していたようです。書籍の中の言葉を借りるならば、アルバム『惑星のかけら』は、”初期スピッツの完成形”と表現されています。

 

しかし、それは結局、スピッツでやりたかったことをやり切ったということに繋がりました。『惑星のかけら』までは、インディーズ時代のストック曲があったそうで、つまり、ここまででインディーズ時代の曲をとりあえず出し尽くしたということになるわけですね。

 


 インディーズ時代からやりたいと思っていたことは、三枚目の『惑星のかけら』でやりつくしてしまった、という虚脱感のようなものがあった。
 ある意味、俺の心の中では、このとき一度スピッツは終わっていたのかもしれない。ひねくれた、へんてこで、かわいいものが好きな、でも、とんがったところのあるマニアックなスピッツは。

 

この時期のことを、書籍「旅の途中」において、草野さんは上記のように振り返っています。”スピッツは終わっていた”という言葉が、胸にささりますね、本当に終わってしまわなくて良かったですけど。

 

ということで、次なる目標を”売れる”ということに設定して、四枚目のアルバム『Crispy!』へとスピッツの活動は続いていくわけですが、この辺りは次のお話ということで、また書きたいと思います。

 


■さて、ではアルバム『惑星のかけら』は、どんな作品なのでしょうか。

 

よく形容されるイメージとしては、グランジ色の強い、歪んだ音が特徴の、退廃的な作品といったところだと思います。ちなみに、”グランジ”とは、wikiの言葉に任せますが、こんな感じです。

 


グランジの音楽的な最大の特徴は、パンク・ロックのような簡素で性急なビートと、ハード・ロックのようなリフ主体の楽曲構造とが融合されていることである。また、いわゆる「静と動」のディストーションギターのサウンドも語られる。

 

一部のバンドは楽曲やアートワークに退廃的な雰囲気を内包しており、これらも1980年代のUSインディーロックからの直接の影響が覗える。また、オルタナティヴ・ロック全体に共通する傾向ではあるが、80年代にヒットチャートをにぎわせていた、産業ロックやヘヴィメタル、エレクトロ・ダンスなどに比べると、歌詞は格段にシリアスな趣となっている。

 

そのまま、アルバム『惑星のかけら』のイメージに合うのではないでしょうか。特に合う曲としては、例えば、【オーバードライブ】【アパート】【シュラフ】【ローランダー、空へ】などでしょうか。ちょっと、シューゲイザーっぽいところもあるかもしれないですね。

 

あとは、何と言っても、表題曲の【惑星のかけら】ですよね。これもまた、これまで(前作『オーロラ…』まで)のスピッツにはない感じの曲で、きっと当時リアルタイムで聴いていたとしたら、驚いたでしょうね。歪んだギターの音から曲が始まって、かと思いきやAメロになってドスの効いたベースやドラムなどの重低音が目立つようになり、それに合わせて草野さんがボソボソと歌い出す…このアルバムの特徴を凝縮させたような曲だと思います。

 


■それでは、アルバム『惑星のかけら』でどんなことを歌っているのかという、精神的な部分に関してですが、『惑星のかけら』に対しては、先述した”グランジ”、”歪んだ音”、”退廃的”などという評価に加えて、SF、ファンタジー、妄想的などの評価もあります。

 

書籍「スピッツ」には、”SFファンタジーロック”や”SFラヴ・ソング集”なんていう言葉も出てくるのですが、草野さんのインタビュー記事においても、インタビュアーが、草野さんの妄想癖について尋ねた際に、草野さんの返答が色々と載っています。

 


「もうガキの頃から。空を飛ぶというのが大体基本になってるんですけど。絵に描いたりして。空想したことを絵と文章に書く、というのは今でもやってるんですけど」

 


「小学校3年生ぐらいかなあ、あの、つたが壁をはい回ってる家ってありますよね? それが福岡の海岸のあたりにあって……っていう空想を膨らまして。で、本当にそこにあるはずだっていう気になっちゃって。実際見に行ったらなかったという(笑)」

 

後者に関しては、個人的にですけど、何か【アパート】に通じるものがあるなって思ったりもしました。

 


■個人的な感想ですが、僕はこの『惑星のかけら』を聴くと、何ていうか、”短編小説”でも読んでいる気分になるんです。

 

先述の通り、そのほとんどは、草野さんの妄想の物語のようですが、全てが妄想であるわけではないとも思います。リアルと妄想を混ぜた物語っていいますか、当時付き合っていた恋人を思い浮かべてとか、その時の自分の生活を基にしてとか、リアルの自分の状況を設定して、そこから色々と妄想を加えていく感じ…そこには「こうあって欲しいなぁ」みたいな、願望なども含まれていたのかもしれません。

 


このアルバムの象徴は、やはり”惑星のかけら”という言葉だと思います。

 

僕はこの言葉を、「夢や妄想だったり、死や性(生)だったり、そういう何ていうか、この世界の”真理”や”概念”をぐちゃぐちゃにまとめたようなもの」と解釈しました。一筋縄で、”こういうものだ”というのではなくて、草野さんの妄想を、ごちゃごちゃにまとめたもの(世界)っていう感じですね。

 

1曲目【惑星のかけら】は、本の表表紙・プロローグ的な感じです。やけに、歌詞がごちゃごちゃしていて、性的にも取れる表現も出てきますが、何か妄想の世界に入り込んでいく、その入口を表しているように感じます。

 

最後の【ローランダー、空へ】と【リコシェ号】は、本の裏表紙・エピローグです。僕は、【ローランダー、空へ】に、”魂が成仏していく場面”という解釈を与えましたが、妄想の入口が【惑星のかけら】ならば、こちらは出口ですね。

 

【ローランダー、空へ】の歌詞の中にも、”惑星”という言葉が出てきて、具体的にはこの歌で”ローランダー”は、いよいよその”(棕櫚の)惑星”へ向かって飛び立っていくのです。出口というより、その妄想の核心に入り込んでいくという表現の方が近いのかもしれません。

 


そして、2曲目【ハニーハニー】~9曲目【日なたの窓に憧れて】が、その妄想のストーリーに当たるわけです。

 

結局、ラヴソング(”You&I世界”の歌)が多いですよね。不倫や体を売る女性との恋愛など、一筋縄ではいかない恋愛を描いているような【ハニーハニー】や【オーバードライブ】、恋人を天使に見立てた【僕の天使マリ】、恋人とのイヤーンな場面を描いたような【白い炎】や【波のり】、当時のリアルな草野さんの願望が描かれているような【日なたの窓に憧れて】などがあります。

 

あとは、【アパート】と【シュラフ】は、不穏な空気・狂気を感じます。個人的には、【アパート】は大好きなんですけどね。

 


■正直な話、アルバム『惑星のかけら』は、苦手な作品でした。これと比べるならば、『スピッツ』や『名前をつけてやる』の方が好きだったんです(まぁ、これは今でも変わらないかもしれないな)。

 

ただ、グランジとか、退廃的とか言われる作品ですが、改めて聴いてみると、そんなに暗い作品ではないんですよね。3050LIVEツアーで、生で【惑星のかけら】を聴きましたが、本当にかっこよかったですよ、もうしびれましたね。【日なたの窓に憧れて】も素晴らしかったです。

 

個人的には、”初期三部作”(『スピッツ』、『名前をつけてやる』、『惑星のかけら』)は、少しずつ好きになっていった作品です。こういうことがあるから、長くスピッツを聴いていてよかったなって思うんです。

205時限目:ローランダー、空へ

【ローランダー、空へ】


ローランダー、空へ

ローランダー、空へ

 

■アルバム『惑星のかけら』に収録されている曲です。個人的ランキング、195曲中187位でした。何か、すごく不思議な曲ですよね。まぁ実際は、そんなに分かっていないのかもしれませんが、独特な世界観はびしびしと感じています。

 

アルバム『惑星のかけら』には、【ローランダー、空へ】が最後から2番目に収録されていて、それに続く、インストゥルメンタル(ボーカルのない曲)の【リコシェ号】が最後の曲となっています。個人的には、最後がインスト曲なので、【ローランダー、空へ】が最後の曲のように感じています。

 

何ていうか、【ローランダー、空へ】で物語が終わって、【リコシェ号】は映画のエンドロール的な感じです。または、2曲がセットのようにも感じますかね…”ローランダー”が”リコシェ号”に乗って、空へと旅立っていくという結末をイメージしました。

 


■まぁとにかく、個人的には、この【ローランダー、空へ】でアルバムが締めくくられていると感じています。

 

アルバムを締めくくるにふさわしい、壮大でスケールの大きな曲です。ボーカルにもエフェクトが施されていて、どこか遠くから…天から降ってきているかのように聴こえてきます。そんな神々しいボーカルを、重たくてどっしりとした演奏が引き立てます。何ていうか、ボーカルが”天”で、楽器隊の演奏が”地”というイメージです。

 


書籍「スピッツ」で語られていることですが、アルバム『惑星のかけら』は、SFファンタジーロックと形容されています。草野さんの妄想の世界が、色濃く表現されている1枚であると感じます…まぁこれは、この作品に限ったことではないけれど、没入感というか、そういうものをこのアルバムで感じる時があるんです。

 

で、アルバムの最初の曲が【惑星のかけら】、そして、最後(ではないけれど)が【ローランダー、空へ】ですよ。僕はこの2曲が、それぞれがアルバムの”入口”と”出口”の役割を果たしていると感じているのです。

 

それは、単にアルバムの最初と最後、という意味ではなくて、精神的に繋がっていて、その入口と出口という感じです。【惑星のかけら】で、妄想の世界へと入っていって、【ローランダー、空へ】でそこから脱出していくような感じです。この辺りに関しては、また後述します。

 


■さて、そんな不思議な曲を考察してみます。

 

まず、タイトルに含まれている”ローランダー”という言葉についてですが、wikiなどによると「低地に住む人」という意味だそうです。英語では”Lowlander”と書きますが、lowが「低い」、landで「土地」、語尾の”-er”で「の人」を表すので、繋げるとそういう意味になるということだと思います。

 

あるいは、こちらが語源なのかは分かりませんが、スコットランドを二分して、高地地方を”ハイランド地方”、低地地方を”ローランド地方”と呼ぶそうで、ハイランド地方に住む人たちのことを”ハイランダー/Highlander”、そして、ローランド地方に住む人たちのことを”ローランダー/Lowlander”と呼ぶそうです。この辺り、歴史的なことや宗教的なこともあるようですが、今回は触れずに、言葉と意味だけ拾っておきます。

 

とにかく、タイトル”ローランダー、空へ”で、低地に居た人が、広い空へと飛び立って行くようなイメージを浮かべることができます。

 


■じゃあ、言語的な意味は分かったとして、具体的にはどんなことを歌っているのか考えてみます。ということで、やはり歌詞ですよね、この歌詞もすごく独特なのですが、何となく様子が分かりそうなのは、1番ではないかなと思います。

 


果てしなく どこまでも続く くねくねと続く細い道の
途中で立ち止まり君は 幾度もうなづき 空を見た
飛べ ローランダー
飛べ ローランダー
棕櫚の惑星へ 棕櫚の惑星へ たどり着くまで

 

ここが、1番のAメロ~サビに当たるわけですが、ずばり僕がイメージしたのは”成仏”です。つまり、亡くなった人があの世へと旅立つシーンです。

 


最初の2行は、かなり壮大に書かれてはいますが、ここだけ読むと、”旅立ち”あるいは”旅の途中”のシーンですよね。長い長い道を、立ち止まりながらも、目の前に広がる空を見上げて、少しずつ歩いているような、そんな光景が浮かんできます。

 

そこから後半の3行へ繋がっていくんですが、タイトルにも含まれている先ほど紹介した”ローランダー”というフレーズを経て、最後の1行へと続いていきます。

 

最後の1行は、特に特徴的ですよね。まず読み方ですが、”棕櫚の惑星”で”シュロのホシ”と読みます。”惑星”を”ホシ”と読ませるのは、アルバムタイトルと同じです。この辺りが、精神的に”惑星のかけら”とのつながりが強いのではないかと、個人的に思っている所以なんですけどね。

 


ちなみに、”棕櫚(シュロ)”という言葉についてですが、これは調べてみると、ヤシの木(ヤシ科の樹木)だそうです。あるいは、クルアーンコーラン)と呼ばれる、イスラム教の聖典(聖書のようなもの?)の中に、”棕櫚章”(アル・マサド)というお話が載っているそうです。

 

いずれにしても、”棕櫚の惑星”という、ひとつながりで意味を見出すことが出来ませんでした。ヤシの木はとても背の高い木なので、星と関わりのあるような神話や逸話などがあるのでしょうか。それとも、何かモチーフにした映画や物語があるのでしょうか。その辺り、詳しく知って居られましたら、コメントください。

 


■”棕櫚”の件は置いておくとして、解釈をまとめてみます。

 

まず、”ローランダー”とは、先述の通り「低地に住む人」という意味ですが、つまりは、大地に根付いて暮らしている者(そうしないと生きていけない者)として、これは結局、広く我々人間のことを表しているのではないでしょうか。

 

あるとき、”ローランダー”は旅に出ました、あるいは旅の途中にありました。ところで、旅というのは、たいていの場合は、ゴールがあるはずです。ここにたどり着きたい、こんな風になりたいという目的があるはずです。

 

歌詞を読むと、”ローランダ―”は、”棕櫚の惑星”なる場所を目指していることがわかります。”棕櫚”はともかく、”惑星”ですよ。というところで、先述したとおり、”惑星のかけら”とのつながりを考えてしまいます。つまり、両曲で表されている”惑星”は、同じものなのではないか、と。

 

アルバム『惑星のかけら』は、これも先述のとおり、草野さんの妄想の世界が色濃く表現された作品です。詳しくは、このブログで過去に語ったのですが、”惑星のかけら”は、夢や妄想だったり、死や性(生)だったり、そういう何ていうか、この世界の”真理”や”概念”をぐちゃぐちゃにまとめたようなものだと考えました。”ローランダー”は、そういう場所を目指して旅をしていることになります。

 

そういう場所は、”この世”では説明がつかない気がしますよね。少なくとも、”惑星”と比喩されている以上、空に浮かんでいるイメージです。タイトルにも”空へ”という言葉がくっついています。

 

地面に根付いてしか生きられない、羽も持たない”ローランダー”の旅は、空へと続いていきます。その向かう先には”棕櫚の惑星”…ということで、”ローランダー”は魂となって浮かび上がって、”この世界”と一体化しようとしているのではないでしょうか。これを簡単に、”成仏”と言い表しても差し支えはありません。

 


ちなみに、書籍「スピッツ」の中で、草野さんが自らの死生観を、こんな風に語っておられました。

 


草野さん「きっと人間が死ぬととりあえず全部地球っていう魂に帰るんじゃないかって。肉体はコップみたいなもんで地球から魂をすくい上げてるだけで、また海に戻って結局は一緒くたになってるんじゃないかって思ったりして。」

 

この辺りのことも、何ていうかこの【ローランダー、空へ】に反映されているように読めますよね。

204時限目:ローテク・ロマンティカ

【ローテク・ロマンティカ】


 

■アルバム『三日月ロック』に収録されている曲です。個人的ランキング、195曲中184位でした。

 

wikiの情報によると、アルバムの中で一番最後に作られた曲だそうです。「アルバム全体を引き締める意味を込めて作られた曲である」とも書いてありました。

 


何ていうか、ダンスミュージックっていうんですかね。イントロから続くギターの”デデデデンデンデンデンデデデデン”というリフのリズムが気持ち良くて、自然と体が上下してしまいます。ライヴだと、絶対に縦ノリですよね。

 

全体的にちょっと音は乾いていて、シャカシャカしている感じがします。いわゆる第三期の、スピッツロックって感じの曲なんですけど、当時はやはりこの曲も新しいなって感じたものです。

 


■まず、特徴的なタイトル”ローテク・ロマンティカ”についてですが…本当にこんな言葉があるんですかね。

 

部分的には、”ローテク”は、”Low-Technology”の略で、”ハイテク”の対義語だそうです。意味は…まぁ要するに、新しいものが常に生まれ続けていて、その開発や産業が常に注目されている”ハイテク”(産業)に対して、その逆、地味な分野なため、そこまで世間に注目されていないような産業のことを”ローテク”(産業)などと呼ぶんだそうです。

 

一方で、”ロマンティカ”(ロマンチカという表記もあり)とは、スペイン語でロマンティックという意味らしいんですが、調べてみたところ、”ロマンティカ”は女性を対象に使う言葉だそうですね…ほう。ちなみに、男性に対して使うときは、”ロマンティコ”(ロマンチコという表記もあり)を使うそうです。要するに、”君はロマンティックだね”というフレーズで、”君”が女性ならば”ロマンティカ”を、男性ならば”ロマンティコ”を使うということです。

 

ひとつひとつの意味は(何となく)分かったんですが、”ローテク・ロマンティカ”こんな風につなげてひとつになっているのは、草野さんの造語ですね。意味はなんでしょうか…とりあえず置いておきます。

 


■で、歌詞を全体的に読んでみるんですが、これは…ムフフですね。

 

まず、先ほどの”ローテク”と”ロマンティカ”というフレーズが出てくる、サビの歌詞を読んでみます。

 


ローテクなロマンティカ 誰かに呼び止められても
真ん中エンジンだけは ふかし続けてる

 

目に止まるのは、”真ん中エンジン”という言葉です。この歌には”俺”という言葉が出てくるので、主語は男性であると思われます。つまり、”真ん中エンジン”をふかしているのは、男性だと考えることができます。とすると、やっぱりこれには”男性器”や”男性の性欲”などを当てはめてしまいます。実際のSEXや自慰中の描写であると考えることもできますし、または、悶々とその性欲を燃やして機を伺っている描写なのかもしれません。

 


というところで、一旦そういう方向に解釈を向けてしまえば、随所にその片鱗を認めることができます。

 


ねぐらで昼過ぎて 外は薄曇り
足で触り合っている ふんづけてもいいよ

 


本当は犬なのに サムライのつもり
地平を彩るのは ラブホのきらめき

 

前者は、昼までイチャイチャしていたという描写でしょうか。何をしていたのかについては、真ん中エンジンをふかしていることから、察しがつきそうです。足で一体何を触り合っているんですかね…。

 

後者は、犬という言葉で”スピッツ”を思い浮かべましたが、この歌につなげることはできませんでした。むしろ、”本当は犬なのに サムライのつもり”というひとつながりで考えて、ここは、”サムライ”のようドシッと硬派に構えているつもりで居ても、実際は盛りのついた”犬”でしかない=エッチなことばっかり考えている、ということを表し、やはり”真ん中エンジン”に繋がります。

 

さらに後者は、”地平を彩るのは ラブホのきらめき”とさえ歌ってしまっていますからね。誇張表現ではあるとは思いますが、この世の中は”性”に支配されている、それによって成り立っている、という表現だと思いました。

 


■ということで、再度”ローテク・ロマンティカ”という言葉についてですが…

 

”ローテク”は、先ほどの”真ん中エンジン”にかかってきそうですね。”ローテク”の説明文の中に出てくる開発や産業という言葉が、”エンジン”に関係するかなと。まぁ実際は、この”エンジン”はそういう意味では使ってないんですけどね、ムフフ。

 

”ロマンティカ”に関しては、本来は女性を表す言葉なのですが、どういうことなんですかね、”ローテク”とのつながりを鑑みると、むしろ男性を示していると解釈した方が都合がよいんですけどね。この辺はよく分かりません、男性や女性とかっていう縛りを考える必要もないのかもしれません、ただ単に、ロマンチックと訳して十分なのかも…?

203時限目:ロビンソン

【ロビンソン】 

ロビンソン

ロビンソン

  • provided courtesy of iTunes

 

■11作目のシングル曲であり、アルバム『ハチミツ』にも収録されています。個人的ランキング、195曲中139位でした。

 

この曲はもう、スピッツファンのみならず、誰もが知っているスピッツの超有名曲ですよね。日頃から音楽を聴かないとしても、一度は耳にしたことのある人がほとんどなのではないでしょうか。今でも、テレビ番組などでスピッツが紹介される時に、よく流されているスピッツの楽曲の一つです。

 


■まず、何と言っても、シングル『ロビンソン』こそ、スピッツがこれまでに発表したシングルの中でも、最も売上枚数が多いシングルなのです。ちなみに、スピッツシングル売上ランキングBEST5は、以下の通り。

 

1位 ロビンソン 162万枚
2位 チェリー 161万枚
3位 空も飛べるはず 148万枚
4位 涙がキラリ☆ 98万枚
5位 渚 83万枚

 

僕は勝手に、シングル『ロビンソン』『チェリー』『空も飛べるはず』の三作品をまとめて、”シングル御三家”と呼ばせていただいておりますが、つまり、スピッツシングルの中でも100万枚以上を売り上げたのが、この3作品なのです(『涙がキラリ☆』が惜しかったですね)。このランキングは、今後もう変わることはないでしょう。

 


■ということで、シングル『ロビンソン』が発表されるまでのスピッツを、少し振り返ってみます。主に、書籍「旅の途中」やwikiの情報をまとめてあります。

 


まず、草野さんの(スピッツの)渾身の自信作である、4thアルバム『Crispy!』が売上不振という結果になり、草野さんは肩を落とします。それでも、そのアルバムの中からシングルカットされたシングル『君が思い出になる前に』が、ついにオリコンチャートにランクインを果たします(最高第33位)。

 

しかし、スピッツメンバーは(特に草野さんが?)、このシングル『君が思い出になる前に』のランクインは、嬉しいんだけど複雑だったそうです。というのが、書籍「旅の途中」によると、この曲は売れ線を意識した曲であり、”スピッツ本来のひねくれた感じが一切ない”、”ホンネを隠して作った歌”だったからだそうです。

 

そういうわけで、続くシングル『空も飛べるはず』『青い車』(多分、『スパイダー』に関しても)、そしてアルバム『空の飛び方』は、スピッツ本来のバンドサウンドに戻って作られた作品だったのです。アルバム『空の飛び方』は、オリコンチャート最高第14位を記録したのでした。

 


■そんな風に、徐々に上り調子の流れの中、シングル『ロビンソン』はレコ―ディング・発表されました。しかし、草野さんの【ロビンソン】に対する評価は、”いつものスピッツの、地味な曲”であったそうで、シングルとして発表することには乗り気ではなかったそうです。

 

ちなみにこの曲は、バラエティ番組「今田耕司のシブヤ系うらりんご」(僕にとっては、ぶち懐かしい番組だけど、知らない人の方がきっと多いね、笑)のテーマ曲として使われましたが、それ以外は特に表立ったプロモーションは行わなかったそうなのです。

 

しかしながら、結果として、このシングルは162万枚という、驚異の売上枚数を記録することになります。このことに関して、書籍の中で草野さんは、このように語っています。

 


なんであの曲がこんなに長く売れているんだろう? その時抱いた疑問の答えはいまでも出ていない。
「ロビンソン」が売れて最初に思ったのは、
―――これであと五枚はアルバムが作れるだろう。
ということだった。

 

だとしたら、僕はこうも思います。その時代に生きて、【ロビンソン】という曲に出会って、評価をした当時の人も、すごかったんだなぁと。

 


■こんなこと言うと怒られそうなんですけどね、確かに、【ロビンソン】は地味なんですよね、笑。

 

僕自身も、確かにこの【ロビンソン】は、リアルタイムで聴いたはずなんですよ、小学生の頃でしたけどね。当時の反響も、覚えている部分はあります。しかし、結局はこの曲からスピッツに入ることがなかったんです。後の【チェリー】の方で、僕がスピッツにハマったのは、こちらの曲の方が明るく派手で、耳に残り、口ずさみたくなったからだと思います。もっと言うと、【青い車】【スパイダー】【空も飛べるはず】などの方が、当時の僕には印象に残ったものです。

 

【ロビンソン】に対しては、何か難しい曲だなって思ったことを覚えています。歌詞も難しくてなかなか入ってこないし、PVだってモノクロ…だから、初めてのスピッツの印象は、”大人が聴く音楽”という感覚でした。だから、小学生の時分で、【ロビンソン】からスピッツに入っていくというのは、難しかっただろうなって思っているんですが…どうですかね。

 

【ロビンソン】は、もちろん良い曲だとも、すごい曲だとも思ってはいますが、今でもとっつきにくい曲ではあるとも思っています、笑。何か、やっぱり今でも不思議な曲だという印象深いです。

 


■それから、【ロビンソン】のレコーディングには秘話があるようで、僕はこの話を、結構最近知ったんです。初めて語られたのも、最近のことなんでしょうか。下のリンク記事のようなお話です。

 

https://grapee.jp/408603


【ロビンソン】は、1995年1月17日…阪神・淡路大震災が発生したまさに”その日”に、レコーディングされたそうなのです。

 

笹路正徳さん(※スピッツ作品に欠かせない人物。スピッツを世に送り出した最重要人物の一人。【ロビンソン】のプロデューサーでもある。詳しくは、書籍「旅の途中」や、リンク記事参照)は、”その日”のことについて、このように語っておられます。

 


笹路さん「みんなで被災地の様子をTVで観ていて『レコーディングどころじゃないな』という雰囲気になったんですが、自分たちはやれることをやろうと、予定通り収録したんです。改めて聴くと、このイントロには、そんな思いがこもっていたのかもしれませんね…」

 

なんか、こういうエピソードを聞くと、【ロビンソン】に対する印象も、がらりと変わってきますよね。歌自体は、予め作られた曲であったでしょうけど、レコーディングは”その日”に行われたので、演奏には気持ちがこもっているんだろうなって感じざるを得ません。

 

スピッツの活動は長く続いているため、当たり前といえば当たり前ですが、色んな時代をくぐり抜けてきたんですよね。そこには、悲しい出来事もたくさんあったはずです。その度に、自分たちが音楽をする意味について深く考え、作品を作ってきたのだと考えると、この【ロビンソン】はもちろん、一曲一曲がまた非常に感慨深く聴こえてきます。

 


■ところで、この特徴的なタイトル”ロビンソン”についてですよ。

 

特に、発売された当時、話題(もしくはネタ?笑)になりましたよね、”ロビンソン”はアーティスト名?曲名が”スピッツ”?どっち!?みたいな感じで笑。


曲名”スピッツ”も十分おかしいですけど、曲名”ロビンソン”ってのは、もっとおかしいですからね。”ロビンソン”って人名ですよ、しかも”姓”に当たるわけですから、日本で例えると、”田中”とか”鈴木”とか言ってるようなもんですからね、笑。

 

今のところ知られている、タイトルの由来としては、wikiにもあるように、「草野がタイを旅行した際に印象に残っていたというロビンソン百貨店から命名されたもの」というものです。曲との関連はなく、仮タイトルがそのまま使われているのだということです。だとしたら、何か意味があるとは思えませんね。

 

また、これとは別に、草野さん自身もどこかで語っておられましたし、先のリンク記事において笹路さんも語っておられるように、『ロビンソン・クルーソー』を連想するタイトルだというもの見かけますが…いやいや、全然連想しないんですけどね。ロビンソン・クルーソーって確か、架空の人物ですけど、冒険家ですよね?楽曲【ロビンソン】に、冒険感…ありますか?なくないですか?


やっぱり、曲名"ロビンソン"は、一番謎ですね…。

 


■さて、じゃあこの【ロビンソン】は、どんなことを歌った歌なのか、考えてみたいと思います。

 

僕もこれまで、【ロビンソン】の歌詞を何度も読んできたのですが…やっぱり分かりづらいんですよね、笑。タイトルも意味不明ですし。でも、だからこそ、本当に色んな想像が出来る歌詞になっているのだと思うんです。まぁ、それはこの曲に限ったことではないんですけどね。

 


まず、この曲でキーワードになっているのは、おそらく”誰も触われない 二人だけの国”というフレーズでしょう。書籍「スピッツ」の中でも、このフレーズについて、草野さんが語っています。

 


草野さん「(一人で初詣に行った時)その日はすごくいい天気でトボトボ歩いてる時に、なんか≪誰も触れない 二人だけの国≫って言葉が浮かんできて。で、初めはその『誰も触れない二人だけの国』っていうのを設定して、その国の国歌みたいなものを作ろうかなと思って(笑)」

 

まさに、【ロビンソン】という楽曲を作るきっかけとなったフレーズだったんだなと、うかがい知ることができます。歌詞としては、サビに出てきています。

 


誰も触われない 二人だけの国 君の手を離さぬように
大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る

 

”二人だけの国”の”二人”とは、歌詞の中には”僕”(厳密には”僕ら”)と”君”という言葉が出てきますが、自然な流れから、”想い合っている恋人同士”を思い浮かべます。

 


■ということで、先述のようなことが、この曲の解釈における根本であると思うんですが、さらに個人的に思うことは、【ロビンソン】の歌詞って、”一番の歌詞”と”二番の歌詞”で、がらりと印象が変わるなっていうことなんです。

 


まず、一番の歌詞は、”恋人同士が一緒に過ごしている風景”というイメージなんです。まぁ、「河原の道を自転車で 走る君を追いかけた」なんていう、これだけ読むと、ストーカーなんじゃない?とも思えるのですが…苦笑。

 

例えば、Bメロを読むと、

 


同じセリフ 同じ時 思わず口にするような
ありふれたこの魔法で 作り上げたよ

 

ここは、例えば恋人同士だったら、意図せず無意識に、同じ瞬間に同じ言葉を二人が発してハモってしまって、笑い合うみたいな、そういう微笑ましいシーンが浮かんできそうです。そういうときには、”僕らの心は通じ合ってるんじゃないか”と、お互いに特別な感情を抱くかもしれません。

 

そういう、”二人だけにしか分からない”(というより、”誰にも分からなくても、二人だけ分かっていればいい”)、”ありふれた”ものなんだけど、特別な場面や言葉というものを総称して、”二人だけの国”と表現しているのだと思いました。

 

そう思えば、先述の”自転車で走る君を追いかけた”云々も、二人ではしゃいでいるシーンであると、考えることができるかもしれません。

 


■一方で、読み進めていって2番の歌詞ですが、読んだイメージが、ガラリと変わるんです。

 

例えば、2番Aメロ出だし、

 


片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ

 

ここの部分の主語は、1番から変わらず、同じ人物である”僕”だと考えることができますが、そうなると、”片隅に捨てられて、それでも懸命に生きようとしている猫”と”僕”自身が似ている、と思ったということになるわけですよね。

 

飼い主にずっと愛されて、可愛がられてきたけど、その飼い主自身の身勝手な理由から捨てられてしまった可哀そうな猫…に、”僕”は自分の姿を重ねているわけですよ、頬をよせるほどですからね。

 

というところまで読んで考えられるは、1番で想い合っていた二人は別れていて、”僕”は一人ぼっちなのではないか、ということです。まぁ、捨て猫のように、一方的に別れを告げられたかどうかは定かではないですけど、何らかの形で別れていると考えることができます。

 


それから、個人的に印象に残っているのは、”丸い窓”と”三日月”の対比表現についてです。

 


いつもの交差点で 見上げた丸い窓は
うす汚れてる ぎりぎりの 三日月も僕を見てた

 

草野さんは、丸いものは”死”の、とがったものは”性”の象徴であると考えているらしいのですが(というより、歌詞を読んでいてもそう感じるのですが)、ここで言うと、”丸い窓”と”三日月”という風に、つまりは、”死”と”性”の象徴が同時に出てきています。

 

何かやけに、急に死生を匂わせてくるなぁと思うんですよね。まぁ、猫の下りの部分もそうなのですけどね。


この辺りのヒントになりそうなものも、書籍「スピッツ」の方にたくさん書いてあります。少し引用してみますと、例えば、当時友達の家に集まって話していると、最終的には宇宙や魂の話になっていたというエピソードの中で、草野さんが自らの死生観として、

 


草野さん「きっと人間が死ぬととりあえず全部地球っていう魂に帰るんじゃないかって。肉体はコップみたいなもんで地球から魂をすくい上げてるだけで、また海に戻って結局は一緒くたになってるんじゃないかって思ったりして。」

 

と語っています。この辺りのことを、短く表現したフレーズとして、スピッツ楽曲の歌詞によく出てくるのが、”溶け合う”というフレーズなんだそうです。

 

【ロビンソン】の歌詞には、サビに”宇宙の風に乗る”という、印象的なフレーズが出てきますよね。僕はここの部分は、ひょっとしたら”溶け合う”と同じような意味合いなのかな、とも考えたんです。

 


■そうやって読んでいくと、最終的に行き着くのが、2番のBメロのようなフレーズです。

 


待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳
そして僕ら今ここで 生まれ変わるよ

 

”夢のほとり”、”生まれ変わる”、この辺りがキーワードですかね。何ていうか、一気に、これまで読んできた物語が、妄想的なものへと変貌していくようです。

 

”待ちぶせた”のは、現実の出来事ではなく、”夢(のほとり)”での出来事である、と。ここから、”僕”は独りであり、現実ではもう会えなくなった”君”を、夢や妄想の中でだけ思い出している、というイメージが浮かんできます。

 


そして、”生まれ変わる”という言葉。この【ロビンソン】という歌には、ネットなどで調べても分かると思いますが、”(後追い)自殺”という解釈もあるのですが、おそらく、ここの”生まれ変わる”という言葉から連想された部分が大きいのかな、と思います。

 

つまり、先述の流れから、”君”に会えなくなった”僕”が、悲しみのあまりに命を絶つ、しかも、実は”君”とは死別しているので、結局それは後追い自殺だ!という流れですよね。(あるいは、二人で生まれ変わるので、”心中”などの説もあり)


こういう解釈に基づいて進めるとすると、先程の”宇宙の風に乗る”というフレーズも、”生まれ変わる”と同義なのかなって思えてきます。

 

といっても、”宇宙の風に乗る”ですから、”生まれ変わる”というよりも、もっと壮大に”ひとつに戻っていく”感じ、”魂”のレベルで一緒になるみたいな感じでしょうか。草野さんの死生観を踏まえると「地球という魂に帰る」ということですかね。あの世とか、天国とか、そういうのとはちょっと違う、何かもう根本的に一つになっちゃう感じ…そういうものを、最終的に”二人だけの国”と表現しているのかもしれません。

 


■色んな解釈ができると思いますし、結局最後は皆さんに丸投げするしかありません。しかし、やはり重要なキーワードとしては、”誰も触われない二人だけの国”という概念でしょうね。少なくとも、”想い合っている二人だけにしか入ることが許されない世界”を指していることは間違いないとは思っています。

 


最後にMVを載せておきます。

 

youtu.be

 

先述の通り、全編モノクロで、子どもの頃は”大人っぽい”と感じたMVです。何故か、テッちゃんがずっと横たわっていたり(死んでるのか?)、バスは何を象徴しているんだろうとか、謎な部分も多いですが、演奏シーンをたくさん堪能できるのは、嬉しいですね。

 

僕個人的にも、多分最初に見た草野さんらスピッツメンバーの姿が、このMVだったと思います。

202時限目:ルナルナ

【ルナルナ】


ルナルナ

ルナルナ

 

■シングル『涙がキラリ☆』のカップリング曲であり、アルバム『ハチミツ』にも収録されました。wiki情報によると、この曲はもともとシングル候補であったそうですね。しかし結局は、【涙がキラリ☆】がA面になり、【ルナルナ】はB面に落ち着いたようです。

 

タイトルの”ルナルナ”については、これもwiki情報によると、「手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』に出てくる白いライオンの子供からとったもの」であるらしく、特に意味は無いそうです。それでも、何となくこの可愛らしい曲の雰囲気に合っているタイトルですよね。

 


■個人的ランキング、195曲中54位でした。この曲は…というよりアルバム自体がそうですが、僕がスピッツを聴きはじめた、もう本当に古くから知っている曲なんです。その頃から、アルバムの中では、特に印象に残っている曲でした。

 

民族音楽的な(?)リズムやメロディ、あと何かポコポコ鳴っている太鼓の音とか(多分、ボンゴとかジャンベとか?)、とても陽気な雰囲気で、子ども心にいつも楽しく聴いていました。

 


■とにかく、陽気で楽しい曲だという印象を受ける曲ですが、じゃあどういうことを歌っている曲なのか考えてみます。

 

まず、アルバムの表題曲の【ハチミツ】に対しては、すでにスピッツ大学でも解釈を述べましたが、恋人同士の非常にラブラブな状況を感じ取ったと書きました。

 

で、【ルナルナ】なんですけど、こっちにも歌詞に”蜂”という言葉が出てきて、何となく【ハチミツ】とこれは、”蜂”繋がりで同じようなことを歌っているのかな、とも考えたのが最初の解釈でした。

 


そこで、書籍「スピッツ」を読んでみると、【ルナルナ】に関するインタビューがありました。インタビュアーが、【ルナルナ】について草野さんに尋ねた際の、草野さんの返答を紹介しておきます。

 


草野さん「これは、プールが部屋の中にあるラヴ・ホテルがあるらしいじゃないですか? 俺は行ったことないんですけど(笑)。そういうとこのイメージを浮かべたんですけどね。行ったことないからこそいろいろ浮かべちゃってね。で、そこに一人で行っちゃった、みたいな(笑)。だから結局一人の歌なんですよね。で、≪君≫っていうのは、なんかビール飲み過ぎて見ちゃった幻影みたいなもんだったりして。あんまり説明しちゃうとつまんないけど、頭の中ではそういう風なイメージを浮かべて。ほとんど、もうオナニー状態(笑)」

 

…だそうですよ、笑。これはこれは、楽しそうな妄想で何よりですよね、笑。

 


■まぁとにかく要するに、【ルナルナ】は”一人でエッチな妄想ソング”ということですね。そう一旦思ってしまえば、分かりやすいと言えば分りやすい歌ですよね、笑。

 

そういうことを踏まえて、歌詞を読んでいってみます。

 



忘れられない小さな痛み 孤独の力で泳ぎきり
かすみの向こうに すぐに消えそうな白い花

 

まず、こういう2行で曲が始まります。”忘れられない小さな痛み”は、恋人と過ごした甘い時間だったり、SEXにおける快楽のことを表していると考えると、それを”孤独の力で泳ぎきり”、つまり”独りで泳ぐ”ということで、それに対する悶々とした気持ちを、一人で解消しているという解釈に繋がります。

 

あと、”白い花”という言葉についてですが、昔の曲に【プール】という曲があるんですけど、その曲にも”白い花”というフレーズが出てきます。”孤りを忘れた世界に 白い花 降りやまず”という感じですが、何か象徴しているのかな、と考え、僕はかつて、”白い花”=”精子”という解釈を与えました。この【ルナルナ】に自淫行為を当てはめると、同じ解釈に繋がりそうです。あとは、”想像の中の君というイメージ”にも繋がるかな、とも思いました。

 



羊の夜をビールで洗う 冷たい壁にもたれてるよ
ちゃかしてるスプーキー みだらで甘い 悪の歌

 

これは二番の歌詞ですが、この”羊の夜をビールで洗う”というフレーズが本当にすごい表現だなって思うんです。おそらく、”羊の夜”とは眠れない夜のことを指していて(眠れない時に羊を数えるというところから)、そんな夜に独りで”ビール”を飲んでいるということなんでしょうけど、素敵な表現だと思います。

 

ちなみに”スプーキー”とは、”spooky”と書いて、「恐い、気味悪い」という意味だそうです。ちょっと、この2行に、どんな風に当てはめたらいいのか、わかりませんでしたが…。

 

まぁとにかく、この部分も全体的に読んで、”独りで過ごす寂しい夜”を表現しているんだろうなって思います。

 


あとは、”ルナルナ”というフレーズも出てくるサビの歌詞ですね。

 


二人で絡まって 夢からこぼれても まだ飛べるよ
新しいときめきを 丸ごと盗むまで ルナルナ

 

ここだけ読むと、2人のSEXの描写にも読めますよね。というより、それでもいいと思いますけどね。まぁ、先述の流れから、2人で性行為に及んでいるところを想像している、という解釈に繋がりそうです。

201時限目:ルキンフォー

【ルキンフォー】


ルキンフォー

ルキンフォー


■32作目のシングル曲であり、アルバム『さざなみCD』にも収録されています。個人的ランキング、195曲中97位でした。

 

このシングルが発売されたのは、2007年(4月18日)のことですが、2007年に発売されたシングル曲は、この【ルキンフォー】と【群青】の2曲のみです。

 

2007年というと、スピッツが結成20周年を迎えた年でもあります。2017年(リアルタイムでは昨年のこと)に、結成30周年を迎えたのは記憶に新しいですね。だから、当たり前ですがその10年前のことになります。

 


スピッツ結成20周年っていうと、すごくめでたかったはずなのですが、実は僕自身、その当時の思い出が全くないんですね。あれですよ、記憶喪失とかそういうミステリーではなくですよ、笑。

 

僕自身、スピッツをあんまり熱心に聴いていなかった、いわば”空白の期間”があるんです。時期としては、アルバム『スーベニア』を聴いて、その熱が収まった後、そこからしばらくスピッツを聴いていませんでした。シングル曲もチェックすることなく、アルバム『さざなみCD』が発売されても、リアルタイムで聴くことは無く、しばらく時が経ちました。

 

それである時、大学近くのコンビニに入った時に、この【ルキンフォー】が流れていたんです。ああ、これスピッツの新曲かぁ…となって、(当時僕は、卒業研究真っただ中の研究生だったので)研究室帰ったら聴いてみるかってなって、【群青】と【ルキンフォー】のMVを見たんです。【群青】MVのアンガールズにびっくりしたことを覚えています、笑。

 

それで、やっぱりスピッツは良いなって思い、アルバム『さざなみCD』をレンタルしたんです。だから、アルバム『さざなみCD』の現品は、未だに持っていません。そして、僕にとって【ルキンフォー】(と【群青】)は、”スピッツに帰ってきた曲”という感じなんです…まぁ、一度も離れたとは思っていませんけどね。

 


■それで、先述したこと、そして後述することとも繋がりますが、この曲は個人的に、結成20周年の節目として作られた、記念曲であると思っています。最近で言うと、【1987→】のような曲ですね。【群青】と比べても、やっぱりこっちの方が、節目!って気もします。

 


それを語る上で欠かせないのが、何と言ってもMVです。

 

先に説明しておくと、【ルキンフォー】のMVには、過去のスピッツのMVに出てくる演出や小道具などが、その随所に散りばめられているのです。こういうのは、スピッツファンには嬉しいですよね。僕も最初見た時(まさに先述の研究室にて)、あれ、確かこの演出は、あの曲にも使われてなかったっけ…?あれ、ここも?あ、ここもかもしれない!という風にMVを見ていたのを記憶しています。

 

今回改めて、【ルキンフォー】MVを注意深く観察し、過去MVの演出を探してみました。

 

ということで、下はそれらをまとめたものでございます。参考までに、大体の時間も書いております。ちなみに、何度も出てきているものは、初出の時間で書いています。先にMV貼っておくので、良かったら、見比べながらご覧ください。

 

youtu.be

 

<【ルキンフォー】 MV観察記録>

 

・1:02
地面に楽器を持って、寝転がっている4人 → 【スパイダー】、【運命の人】
(【スパイダー】では、寝転がっているメンバーの向きが互い違いですが、【ルキンフォー】では同じ向き。【運命の人】では、ベッドの上で死んでました)

 

・1:27
バレリーナ → 【ハネモノ】
(【ハネモノ】では、バレリーナは子どもだったが、【ルキンフォー】では成人しています。同一人物ではないとは思いますが、時間の流れを表わした演出でしょうか)

 

・1:29
ベンチに座っているテッちゃん、干されている白いシーツ → 【空も飛べるはず
(個人的に、白いシーツからは、【夏の魔物】のイメージも浮かんできます。”生ぬるい風にたなびく 白いシーツ”という歌詞がありますので)

 

・1:52
双眼鏡を覗く草野 → 【青い車

 

・1:57
バレリーナの後ろの額縁、赤い部屋 → 【裸のままで】
(額縁の色が、両曲で似ていますが、【ルキンフォー】の方がちょっとくすんでいるか?だとしたら、これも時間経過か?)

 

・2:01~2:15
赤緑青の単色光の照明の演出、テッちゃんの3Dメガネ → 【楓】

 

・2:06
リーダーの野球のグローブ → 【空も飛べるはず
(【空も飛べるはず】では、崎ちゃんとリーダーがキャッチボールをしています。ちなみに、草野さんはサッカーボールを持ち、テッちゃんは自転車に乗って走っています)

 

・2:13
崎ちゃんのカンテラ → 【遥か】

 

・2:16
地球儀 → 【裸のままで】
ピエロ → 【渚】
(ずっと気になっていたんですが、【ルキンフォー】に出てくるピエロが、僕にはどうしても安田顕にしか見えないのです!笑。本当のところ、どうでしょう?切実に、情報求ム!)

 

・2:18
脚立の上のリーダー → 【ヒバリのこころ

 

・2:33
三角錐のモニュメント → 【メモリーズ】

 

・2:34
額縁の宇宙飛行士の写真 → 【流れ星】

 

・2:53
バレリーナの手の)リンゴ → 【メモリーズ】、【遥か】

 

・3:03~随所
スロー演出 → 【青い車

 

・3:23
バレリーナが)リンゴを投げて窓ガラスを割る → 【遥か】

 

・3:30
ピン球 → 【冷たい頬】 玉がばらまかれる演出 → 【正夢】
(ここは、二つの演出がミックスされていますかね。【正夢】では、ばらまかれる玉はカラフルなのですが、【ルキンフォー】では、(おそらく)オレンジ色のピン球がばらまかれています)

 

・3:32
帽子を被った西洋風の少女 → 【テクテク】
(【テクテク】ではアニメで描かれている少女が、実写になって表れています)

 

・その他
白い部屋で演奏をする4人を映すアングルが変わる → 【さわって・変わって】?

 


僕が見つけたのは、大体これらですかね。他に何かありますか?ここはこのMVなんじゃね?などがありましたら、コメントください!あと、ヤスケン情報も!笑

 


■ということで、長くなりましたが、歌詞の解釈をしてみます。この曲の歌詞は、不思議ですよね。何か、素直なようで、色んな風に読めるなぁって思うんです。

 

まず、先述のように、この曲はスピッツ結成20周年記念の曲で、スピッツ自身のことを歌っているように感じます。スピッツの生き様、歩んできた音楽人生が、この歌には詰まっているような気がします。

 

一方で、例えばwikiにもありますが、”応援歌”にも聴こえますよね。アルバム『三日月ロック』から、こういう”僕たち(世の中の人々)を前向きに応援する歌”という系譜が続いているような気がします。

 


その辺り、印象に残った歌詞を紹介してみると、

 


疲れた目 こすった先に
探し求めていた 灯りを見た
ルキンフォーどこまでも つづくデコボコの
道をずっと歩いていこう

 


ダメなことばかりで 折れそうになるけれど
風向きはいきなり 変わることもある ひとりで起き上がる

 


ルキンフォーめずらしい 生き方でもいいよ
誰にもまねできないような


最初の4行については、スピッツの音楽人生にそのまま置き換えて読むことができます。30年間(当時でも20年間)、本当に長く長く歩いてきて、それこそ順調ばかりではなかった、”デコボコの道”ですよ。それでも、自分たちが”探し求めていた灯り”が、ようやく見えたということですよね。

 

2段目の2行についても、”風向きはいきなり 変わることもある”とは、これはスピッツにとっても、僕たちにとっても人生訓になり得る言葉です。長く何かを続けていけば、良い方にも、もしかしたら悪い方にも、自分の人生の方向が変わることがあると。だから人生は分からないし、捨てたものではないと、そういうことを歌っているんですね。まさしく、そういうことを経験してきた、スピッツにこそ歌える言葉だと思います。

 

最後の2行は、これはもう草野節ですよ。”めずらしい生き方でもいいよ”なんて、簡単に使えるような言葉ではないですけど、草野さんであれば、スピッツであれば説得力が備わるものだと思います。他でもない、ひょっとしたら”めずらしい生き方”を一番貫き通しているのがスピッツですからね。

 


こうしてみると、スピッツが自らの歴史や生き様を歌うことと、僕らに勇気や元気を与えることは、ほとんど同義であるような気がするのです。色んなことがありながら、それでも30年間(当時でも20年間か)ずっと自分たちの音楽を、ひたむきに続けてきたことは、ロックミュージシャンである前に、一人の人間の生き方として憧れるものであります。

 


■あと、上述のとは別の読み方をするならば、歌詞の中の”君”というフレーズに目が留まります。その部分、抜き出してみると、

 


初めてだらけの 時から時へと
くぐり抜けた心 君につなげたい 届きそうな気がしてる

 


燃えカス時代でも まだ燃えそうなこの
モロく強い心 君につなげたい かないそうな気がしてる

 

この辺りでしょうか。”君”という言葉が出てくると、どうしても歌詞の解釈を恋愛系に持っていきたくなります。まぁ、まさにそういう片思いの状況に自分があるのだったら、そういう風に読みたくなりますけどね。

 

でも、スピッツ目線でこの歌を読んでみると、”君”というのは、ファンなどの歌を届けたい相手を指しているのかな、と思えてくるのです。

 


こういうところが、きっとこの【ルキンフォー】の歌詞の真骨頂だと思うのです。つまり、自分の状況によって、この歌から受け取る印象って、変わりませんか?

200時限目:リコリス

リコリス


リコリス

リコリス

 

■シングル『正夢』のカップリング曲であり、スペシャルアルバム『おるたな』にも収録されています。個人的ランキング、195曲中132位でした。

 

個人的に、あまりランキングも振るわなくて、そんなに印象に残っていたわけではなかったので、今回の記事を書くに当たって、改めてよく聴きなおしてみたところです。

 

最近、この曲1曲だけを、エンドレスリピートでイヤフォンから流しながら聴いていて、そのまま眠ってしまった夜がありました。眠ってはいましたが、イヤフォンが外れることなく、一晩中【リコリス】を聴いてしまい…まるで洗脳されたかのように、日中も【リコリス】のメロディーが頭の中でずっと響いている、という状況に陥りました、苦笑。

 

その結果、クセになってしまって、この曲ばっかり聴いていたこの頃です、すっかり大好きになりました。何度も聴いていると、何だか心地よくなってきます。決して派手な曲ではないですが、心が安らぐというか、何か浮遊しているような心地になる、不思議な曲です。

 


■そして、何よりこの曲は、演奏が素晴らしくきれいなんです。だからこそ、それとも相まって、上述のような思いを抱くのだと思います。

 

まず、草野さんのアコースティックギターの音と、エフェクトがかかってどこか遠くから聴こえるようなボーカルが印象的です。バックのスピッツメンバーの演奏はもちろんきれいですが、随所に聴こえるオルガン(クレジットによるとハモンドオルガン)はクージーの演奏だそうで、良い味出していますよね。

 

個人的には、この曲の間奏とアウトロがお気に入りです。ギターのアルペジオが、とてもきれいなんですよ。

 


メロディーの面でいうと、さらに特徴的な部分としては、サビのボーカルが一音だけで構成されているというところですね。調べてみると、”ミ”の音だそうですが、一音だけで、”ふーれーあーうーこーとーかーらーはーじーめーるー”などと歌われているものだから、最初はびっくりしました。

 

一音でもサビは作れるんだなって、最初は違和感でしかなかったんですが、今ではこのサビ以外はあり得ない!と思っています。

 


■アルバムに同封されている「おるたな制作ノート」の情報にも、少し触れてみます。

 

まず、”この曲(と「正夢」)のレコーディングから、プロデューサー亀田誠治とエンジニア高山徹(そして青葉スタジオ)という、2011年現在までスピッツのレコーディングの基本となる組み合わせがスタートした”そうです。今では、スピッツの曲に欠かせないゴールデンコンビの原型が、ここにあるんですね。

 

それから、”印象的なフレンチ・ホルンは、「魔女旅に出る」にも参加していた藤田乙比古”とありました。【魔女旅に出る】は1991年の楽曲、そして【リコリス】は2004年の楽曲なので、実に13年(ぶりなのかな?)もスピッツに関わっていらっしゃった方なんですね。

 


■さて、肝心の歌詞の内容の解釈ですが…さっぱり掴めません、苦笑。

 

まず、タイトルの”リコリス”という言葉は、”リコリス味”というフレーズで出てきますし、これは”リコリス菓子”というお菓子を指していると思われます。外国のお菓子(調べてみると北米・北欧あたりのお菓子)で、飴やグミに近い食べ物だそうですが、基本的に日本人には向かない味になっているそうです。僕は、このお菓子は食べたことはないのですが、リコリスの匂いがするペンを匂ったことがありますが、とんでもなく臭かった記憶があります…。

 


そのフレーズですが、冒頭に出てきます。

 


おもしろく哀しい 旅人の話 めくる頁の先に
いきなり現れ 外した口笛 その笑顔はリコリス

 

といったところで、リコリス味の笑顔って何だろうって思うんですよね。先ほども言ったように、きっつい匂いなんですよ、苦笑。…とりあえず、ここは置いておきましょうか。

 


■全体的に読むと、”君”という人物が出てきていますよね。ということで、実際に歌詞には出てこないですが、相対的に考えて”僕”がいるわけですよ。

 

例えば、2番のBメロやサビの部分、

 


つまらないことなのに 言い出せないまま
煙と消え去る前に

 

触れ合うことからはじめる 輝く何かを追いかける

 

この辺は、”僕”の心情を表しているものでしょうか。君に何か伝えたいことがあるけれど、中々伝えることができない。だから、君を追いかけることしかできない、という感じでしょうか。”追いかける”というのは、実際に追いかけているかもしれないですし(この場合だと、じゃれながら追いかけっこしている感じ)、例えば、目で追っているとも考えることができるかもしれません。

 

そうすると、少し謎めいた冒頭の部分も、”恋に落ちた”描写に読めてきます。”頁の先”、”いきなり現れ”など、この辺りから連想すると、何ていうか予期せぬ恋に落ちた様子が浮かんできます。

 


■あとは、先述した、一音だけで構成されている印象的なサビについてです。”触れ合うことからはじめる 輝く何かを追いかける”がそれに当たります。ここの”触れ合うことからはじめる”とは、何なのでしょうか。

 

”触れ合う”っていうと、実際に体が触れ合っていなくても、例えば、心と心の触れ合い、みたいな感じでも使われますよね。先述したとおり、”僕”は君に何かを言いそびれている状態なのだとしても、精神的な部分では、もうすでに”僕”と君が繋がっている、という描写に取れなくもないです。

 

ただ、やっぱりここの描写は、体の触れ合いのように思うのです。といっても、SEXとかそういうあからさまなところまではいかない感じです。個人的には、指先と指先が触れ合うような感じですかね。

 



ねむたい目をしてさ 君は風の中
乾いて荒れてる指で

 

こういう歌詞が出てきますが、イメージとしては、君が無邪気に”僕”の前を歩いていて、ずんずん進むものだから、そのままどこかへ行っちゃうんじゃないかと”僕”は思う。自分の気持ちを伝えないといけない、と思いつつも言葉は出てこない。だから、君がどこかへ消えてしまう前に、その指先をつかまえると…そういう感じですかね。

 


…で、結局、”その笑顔はリコリス味”って何なのでしょうね???まあ…それぞれの想いに委ねるとします。

199時限目:りありてぃ

【りありてぃ】


りありてぃ

りありてぃ

 

■アルバム『小さな生き物』に収録されている曲です。

 

前講義の【ランプ】に引き続き、『小さな生き物』に収録されている曲の紹介ですが、【ランプ】とは打って変わって(当曲を、僕は震災に関連付けて"悲しい曲"だと紹介しましたが)、【りありてぃ】は、スピッツ特有の控え目でマイナスな発言はありますが、曲調はロックで疾走感があり、基本的には明るく聴こえて、随分と【ランプ】とは印象が違います。

 


■まず、タイトルの"りありてぃ"ですよ。英語で書くと、"reality"となり、その意味は、現実、真実、事実、あるいは、現実性、現実味のあるもの、などと訳されます。まぁ、単純に”現実”と訳しておきましょうか。

 

平仮名になっているのは、まぁその方が柔らかい感じには見えます。”reality”っていうと、何か差し迫った感じに見えますし、スピッツの曲のタイトルには、何となく合わない気がしますよね。

 


■早速、歌詞を読んでいくのですが、まずこの歌には、"僕"と”君”という人物が出てきます。他にも、”あの娘”という人物が出てくるのですが、これは"君"と同一人物なのか、それとも別人なのかは、正確には判断がつきません。それでも、ここでは同一人物として、解釈を進めていこうと思います。

 


まず、”りありてぃ”という言葉が出てくる、1番と2番のサビを読んでみます。

 


変わった奴だと言われてる 普通の金魚が2匹
水槽の外に出たいな 求め続けてるのさ
僕のりありてぃ りありてぃ

 


正しさ以外を欲しがる 都合悪い和音が響き
耳ふさいでも聴こえてる 慣れれば気持ちいいでしょ?
君のりありてぃ りありてぃ

 

先述したように、"僕"と"君"が出てきています。普通に考えると、サビの歌詞が、それぞれの”りありてぃ”つまり”現実”を表していると考えることができます。

 


■”僕のりありてぃ”を考えてみます。

 

”普通の金魚が2匹”が面白いですね。”2匹”というと、先述したとおり、この歌には”僕”と”君”が出てくるので(というより、それしか出てこないので…)、自然と両者を”2匹”に当てはめました。

 

さらに面白いのが、「”変わった”奴だと言われてる ”普通”の金魚が2匹」という表現です。あくまで”普通”であるのに、”変わった”奴だと言われている2人なわけですよ。何か、取るに足らない個性や違いで、人を判断するような、そんな(日本)社会の歪みみたいなものを感じますね。

 


で、”金魚”については、これは比喩表現ではあるとしても、その先の”水槽の外に出たいな”という表現は、つまり、今の窮屈な生活から抜け出したいと思っているということを表しているのでしょう。

 

”金魚”という例えにしないといけなかった理由はなんでしょうか。そもそも、アルバム『小さな生き物』の歌詞カードの表紙には、金魚の絵が添えられています。同アルバムの中には、生き物や、生き物を思わせるような表現はいくつか出てくるのですが、その中で金魚を選んだわけですよね。

 

(ちなみに、またいずれ書くことになると思いますが、アルバム『醒めない』の収録曲に【コメット】という曲がありますが、コメットは英語で、金魚を表す言葉です。両曲に繋がりがある?)

 

まぁ、歌詞を読んだ限りだと、”狭い世界で生きている(生かされている)生き物”の象徴なのかな、という印象を受けます。金魚って大抵、ちっさい水槽に入れられてるじゃないですか。あんな風に、小さい世界に閉じこもっていることを、”僕”や”君”にも当てはめたかったのかな、と感じます。で、そこから抜け出したいと思っているのだと、そういうことですよね。

 


■”僕”の情報については、他にも表れています。

 


あの娘が生まれ育った 街は今日も晴れ予報
まったく興味なかった ドアノブの冷たさにびびった

 

ここは、”僕”が”あの娘”(君)のことを気にかけている表現ですね。だから、ひょっとしたら、抜け出したいと思うきっかけをくれたのは、"あの娘"自身だったのかもしれません。

 

しかしながら、”ドアノブ”が冷たくてビビったと、笑。これもまた比喩表現かもしれませんが、ここからは、僕が長いこと、物理的にも精神的にも、自分の世界に閉じこもっていた、ということを示しているのでしょう。久しぶりに、ドアノブを握りしめて抜け出そうとしたはいいけど、ちょっと躊躇してしまったと。

 


■一方で、じゃあ”君のりありてぃ”はどうでしょうか。

 

サビを読んだ限りでは、何ていうか、世間や物事に対して疑心暗鬼になっており、簡単には信じないような、頑なな人間像が伺えます。この様子は、冒頭の歌詞にも表れています。

 


まるで見えないダークサイド それも含めて愛してる

 

個人的に言葉を足してよいのならば、”まるで見えない君のダークサイド それも含めて僕は君を愛してる”となるかと思います。”ダークサイド”っていうのは、”暗黒面”なんていう訳を見つけましたが、要は、まだ見たことも無い、その人の本性みたいな感じでしょうか。どこか”君”には、そういう暗い本性がある、ということでしょう。

 


あとは、2番のAメロ。

 


犠牲の上のハッピーライフ 拾って食べたロンリネス
終わらない負の連鎖は 痛み止めで忘れたけど

 

ここは、”君のりありてぃ”であると同時に、現実の僕らの世界のことも風刺しているようにも読み取れますよね。

 

"犠牲の上のハッピーライフ"とは、自分の幸せが誰かの犠牲の上に成り立っていることを表わしているのでしょうか。

 

"拾って食べたロンリネス"とは…何でしょうか???

 

"終わらない負の連鎖は 痛み止めで忘れたけど"は、負の連鎖を根本的には止めてはいなくて、ただその場しのぎで忘れた(ふりをしている)だけだということを表しているのでしょうか。

 

などなど。これらは、”君のりありてぃ”に当てはめてもいいし、現実の僕らにも当てはまるような印象を受けます。それこそ、震災後の世の中ですよね。”犠牲の上のハッピーライフ”なんて、まさにね…そんなことも普段は意識しない僕らですからね。

 


■ということでまとめてみます。筆者的”りありてぃストーリー”です。

 

”僕”は、長いこと、物理的にも精神的にも閉じこもって生活をしていました。まさに、”水槽の金魚”状態です。誰かに生かされて、狭い世界に閉じこもって生活していたわけです。

 

そこで、”君”(あの娘)に出会うわけです。特に触れてはいませんが、出会いの形は何だったのでしょうか。面と向かって出会ったということも考えられますが、この時勢、ネットでの出会いなども考えられます。さらに考えると、ネット上”だけ”の付き合いで、面と向かっては出会ったことのない2人なども考えられます。

 

まぁとにかく、”君”と”僕”は、似た者同士だったのでしょう。”君”もまた、”水槽の金魚”だったのです。そういう”君”の暗い部分も含めて、”僕”は”君”のことが気になるようになります。そんな”君”との出会いが、”僕”を変えていくのです。あれほど閉じこもっていた世界から、抜け出そうと思うようになるわけです。

 

”あの娘が生まれ育った 街は今日も晴れ予報”という表現は、まさしく、”君”に会いに行こうとしている描写なのかもしれません。とすると、”僕”と”君”は面と向かっては一度も会ったことことがない状態説がさらに浮かび上がってきそうですが。

 

一人では変えられなかった生活を、”君”となら変えられるかもしれない。つまはじきにされた世界に、もう一度飛び出そうと、勇気を振り絞って冷たいドアノブに、今まさに”僕”が手をかけたところです。さぁ、果たして2人の物語はどう続いていくのでしょうか。

198時限目:ランプ

【ランプ】


ランプ

ランプ

 

■アルバム『小さな生き物』に収録されている曲です。

 

前に出るような派手な曲ではなく、静かな曲ですが、草野さんの綺麗な弾き語りが引き立って聴こえるので、それが存分に堪能できる曲です。

 

エレキギターアルペジオも美しく、メンバー以外の演奏としては、CDのクレジットによると、オルガン(は分かったのですが)とファゴットが使われているようですが、その演奏も印象的に聴こえてきて、この曲の雰囲気を高めています。

 


■もう何度も同じようなことを語っていますが、個人的に思うことも踏まえて、話をさせていただきます。

 

アルバム『小さな生き物』は、東日本大震災後に作られた、スピッツにとっての初めてのアルバムでした。タイミングがタイミングなだけに、随所に震災の影響を感じざるを得ませんでした。それは、震災によって心に負った悲しみはもちろんですが、(僕が言えることでないかもしれませんが)復興に対する希望や応援も含めています。

 

何かのラジオで、そこまで気にしていない、と本人たちは語っておられましたが、実際に聴いてみて、皆さんどうですかね?影響を受けていない、と思うことの方が何だか不自然のように感じます。

 

ここスピッツ大学でも、『小さな生き物』に収録されている曲をたくさん紹介してきたのですが、ほぼ全曲を通じて、このアルバム全体から受け取ったイメージはいつも共通していました。震災によって感じた悲しみや無力感、被害を被った方々や関係者へのいたわりや鎮魂、そして、その未曽有の災害からの復興を果たすべく立ち上がろうとしている人々へ希望を与えるべく歌われた応援や労いの言葉など…無意識だとしても、草野さんの込めたたくさんの想いが、アルバム『小さな生き物』にたくさん詰まっています。

 


■そこへ来て、今回の【ランプ】という曲です。大別すると、個人的には”悲しい曲”だという印象を受けましたが、どうですかね。

 

そして、タイトルにもなっている”ランプ”という言葉についてですが、僕はこの歌の中で、2つの意味で使われていると思っています。

 


一つ目。

 

まず、出だしの2行の歌詞を紹介します。個人的には、この2行で、この歌で歌いたいことの”半分”は伝えているという印象です。

 


ただ信じてたんだ無邪気に ランプの下で
人は皆もっと自由に いられるものだと

 

ここは、何ていうか、今の生活が当たり前にずっと続いていくんだと思い込んでいる、まさに僕たちのことを表しているような歌詞だと感じます。特に、日本人に関しては、”平和ボケ”という言葉が使われたりしますよね、そういうことを歌っているのだと感じます。

 

そして、ここでの”ランプ”は、その当たり前に続くと思われている生活の象徴として書かれています。広義に”灯り”という風に訳せば、今の僕たちは、よほどのことがない限りは、自分の生活圏にある”灯り”が消えてしまうということは思わないですよね。それはそれで、幸せなことなのでしょうけど。

 

しかし、そこへ来てあの未曽有の災害です。僕たちはそこで気付いたわけですよ、命の脆さと尊さとともに、今の自分の生活が当たり前にあるものではないんだなっていうことに。灯りや、ひいては、電気が当たり前のものではないということに。

 

当時どこかで見たことですが、日本っていう国は”豆腐の上に立っているようなもの”だそうですね、要はそれだけ日本が、地震が多く、揺れやすい国だということのようです。そういうことも、実際に直面して、僕は初めて知りました。

 


■それから、二つ目。

 

Bメロからサビにかけての歌詞を紹介してみます。

 


取り残されるのは 望むところなんだけど
それでも立ってる理由が あとひとつ

 

あなたに会いたいから どれほど 遠くまででも
歩いていくよ 命が 灯ってる限り

 

まず、”取り残される”という言葉があります。ここは、大切な人と何か理由があって離れて、自分が取り残された、と考えることができます。

 

その理由としては、その後に”命”という言葉が使われていたり、ずっと書いている震災云々の話から、やはり震災によって別れた、と繋げて考えました。震災で別れると考えると、必然的に”死別にもつながると思います。

 

ここから続いて、”あなたに会いたいから”という歌詞に繋がっていくので、ひょっとしたら、”自らも命を絶って会いに行く…”となるのかな、と最初は思ったのですが、さらに読んでいくと、”歩いていくよ 命が 灯ってる限り”とあるので、精一杯生きて自分の生を全うして、いつかあの世であなたに会う、という解釈の方が似合うような気がします。

 


そして、ここにもうひとつの”ランプ”がありました。”命が 灯ってる限り”という歌詞がありますが、つまりは、”ランプ”=”命”そのものを表しています。

 

人一人に、ひとつずつ与えられた灯り…すなわち命。その炎は微かで、時には簡単に吹き消されてしまう弱々しいものです。しかし、だからこそ、何より尊く(尊くないといけない)、強い(強くないといけないのです)のです。いつか消えてしまう灯りの儚さと、それでも灯り続ける灯りの強さ、”ランプ”という言葉にはそのどちらも込められているのだと感じます。

 


■それともうひとつ。

 

これはずっと思っていたことですが、この時期に書かれたスピッツの歌詞に、共通して出てくる単語があるんですが、それがこの【ランプ】にも出てきます。少し書き出してみますね。

 


傷つけられず静かに 食べる分だけ
耕すような生活は 指で消えた

【ランプ】より

 


ゆがんでいることに甘えながら
君の指先の 冷たさを想う

【さらさら】より

 


ムダな抵抗も 穴を穿つはず
指先で ふれ合える

【遠吠えシャッフル】より

 


森が深すぎて 時々不安になる
指で穴あけたら そこにはまだ世界があるかな?

【スワン】より

 


指の汚れが落ちなくて
長いこと水で洗ったり

【僕はきっと旅に出る】より

 


お分かりですかね、これらは全部『小さな生き物』に収録されている曲ですが、共通して”指”という単語が出てくるんです。同じ時期に、これだけ共通していますからね。無意識なのか、それとも、意図があるのなら、どんな意図があるのでしょうか。

 

まぁ、曲によって、同じ単語でも違う印象を受け取りますけどね。”指先”とかっていうと、何ていうか、”届くか届かないかそのぎりぎりの距離”みたいな印象を受け取りますし、【さらさら】だったら、”冷たさ”や”寒さ”を表すように”指先”という単語を使っていますよね。実際は、どうなんでしょうね。